
ノクターン第19番
ショパン・1827(出版1855年)
17歳のショパンが書いた、いちばん古いノクターン。
ノクターン第19番 ホ短調(遺作)のページへ
Romantic · 1810–1849
「ピアノの詩人」The Poet of the Piano
ほとんどピアノの曲だけで、音楽の歴史を変えた人。He wrote almost only for the piano, and still changed music forever.

ショパン・1827(出版1855年)
17歳のショパンが書いた、いちばん古いノクターン。
ノクターン第19番 ホ短調(遺作)のページへ
ショパン・1827
17歳のショパンが書いた、ふるさとの香りいっぱいの素朴なマズルカ。
マズルカ イ短調 Op.68-2のページへ
ショパン・1829(死後に出版)
19歳のショパンがワルシャワで書いた、ほろ苦い青春のワルツ。
ワルツ第10番 ロ短調のページへ
ショパン・1830(出版1875年)
姉への贈り物が、映画『戦場のピアニスト』でも印象的に。
ノクターン第20番 嬰ハ短調(遺作)のページへ
ショパン・1829–1830
右手が鍵盤の下から上まで大ジャンプ!ショパン練習曲集の幕開け。
練習曲 ハ長調のページへ
ショパン・1830ごろ(出版1868年)
祖国を発ったころの若きショパンによる、火花の散るような情熱ワルツ。
ワルツ第14番 ホ短調(遺作)のページへ
ショパン・1831(出版1838年)
ショパン自身もお気に入りだった?ゆっくりで物悲しいワルツ。
ワルツ第3番 イ短調のページへ
ショパン・1830–1831(出版1832年)
夜空にとけていくような、世界中で愛されるノクターン。
ノクターン第2番 変ホ長調 作品9-2のページへ
ショパン・1830–1832
ポーランドの村の踊りが、パリのサロンで花ひらいた!
マズルカ第5番 変ロ長調のページへ
ショパン・1830–1832
ショパンの夜想曲はここから。月夜のひとり言のような第1番。
ノクターン第1番 変ロ短調のページへ
ショパン・1830–1832
最初のノクターン集のラストは、のんびり歩きから嵐へ。
ノクターン第3番 ロ長調のページへ
ショパン・1831(出版1833年)
左手が嵐のようにかけまわる!祖国の悲劇と結びつけて語られる曲。
練習曲 ハ短調「革命」のページへ
ショパン・1832(出版1833年)
ショパンが「これほど美しい旋律は書けない」と語ったと伝わる歌。
練習曲 ホ長調「別れの曲」のページへ
ショパン・1830(出版1833年)
右手はほぼ黒い鍵盤だけ!きらきら走る音の魔法。
練習曲 変ト長調「黒鍵」のページへ
ショパン・1830–1833
やさしい子守歌のようなメロディーが、とつぜん炎に変わる!
ノクターン第4番 ヘ長調のページへ
ショパン・1830–1833
宝石のような飾りがきらめく、作品15の優美な第2曲。
ノクターン第5番 嬰ヘ長調のページへ
ショパン・1833
題名を消して「意味は考えて」と言ったという話が残る、なぞの夜想曲。
ノクターン第6番 ト短調のページへ
ショパン・1832–1833(出版1855年)
バレエ「レ・シルフィード」でも舞う、はずむように軽いワルツ。
ワルツ第11番 変ト長調のページへ
ショパン・1829–1833
右手と左手が、目にもとまらぬ速さでバトンをわたし合う!
12の練習曲 Op.10 第4番 嬰ハ短調のページへ
ショパン・1829–1833
右手が鍵盤の広い範囲を、光のようにかけぬける明るいエチュード。
12の練習曲 Op.10 第8番 ヘ長調のページへ
ショパン・1829–1833
速さではなく「歌う心」をきたえる、しずかで悲しいエチュード。
12の練習曲 Op.10 第6番 変ホ短調のページへ
ショパン・1834(出版1855年)
嵐のような速さと、夢のような歌。ショパンが隠した名曲。
幻想即興曲 嬰ハ短調のページへ
ショパン・1833(出版1834年)
舞踏会の幕が上がる!ショパンが最初に出版したワルツ。
華麗なる大円舞曲 変ホ長調のページへ
ショパン・1830–1834
静かな湖のような序奏から、きらびやかな大ポロネーズへ!
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズのページへ
ショパン・1832–1833
答えの出ない問いのように、ふわりと宙にうかんだまま終わる。
マズルカ イ短調 Op.17-4のページへ
ショパン・1831–1835
ピアノで語る、一編の物語。最後は嵐のような大結末!
バラード第1番 ト短調のページへ
ショパン・1835
恋人との別れぎわにおくられた、と伝わる切ないワルツ。
ワルツ第9番 変イ長調「別れのワルツ」のページへ
ショパン・1835(出版1838年)
ファンファーレで幕が開く!お城の舞踏会のようなきらびやかなワルツ。
ワルツ第2番 変イ長調「華麗なる円舞曲」のページへ
ショパン・1831–1835
嵐のまん中に、ふるさとのクリスマスの子守歌がひっそり流れる。
スケルツォ第1番 ロ短調のページへ
ショパン・1835–1836
オペラ歌手のように歌うピアノ。屈指の甘いノクターン。
ノクターン第8番 変ニ長調のページへ
ショパン・1835–1836
暗い夜の底から、最後に日がさしこむ。ドラマのようなノクターン。
ノクターン第7番 嬰ハ短調のページへ
ショパン・1834–1835
ガツンとはげしく始まって、まん中はとろけるようにやさしい。
ポロネーズ第1番 嬰ハ短調のページへ
ショパン・1836–1837
静かな4小節のあと、ピアノの上を冷たい風が吹きあれる!
練習曲 イ短調 作品25-11「木枯らし」のページへ
ショパン・1832–1837
ひらひら、ふわり。1分で飛びさる、ピアノの蝶。
練習曲 変ト長調 作品25-9「蝶々」のページへ
ショパン・1837
ささやく問いかけ、爆発する答え。「冗談」なのに大まじめ!
スケルツォ第2番 変ロ短調のページへ
ショパン・1837
風が弦をなでるように…音の霧からメロディーが浮かぶ。
練習曲 変イ長調「エオリアン・ハープ」のページへ
ショパン・1837
両手で鍵盤いっぱいにうねる、ピアノの大波!
練習曲 ハ短調「大洋」のページへ
ショパン・1836–1837
あまい夢のような歌に、最後の最後で大どんでん返し!
ノクターン第9番 ロ長調のページへ
ショパン・1837ごろ?(出版1938年)
ショパンの死から約90年後に出版された、小さな夜の歌。
ノクターン第21番 ハ短調(遺作)のページへ
ショパン・1832–1836
とても速いのに、ささやくように小さな音。風のようにすぎていく不思議な曲。
12の練習曲 Op.25 第2番 ヘ短調のページへ
ショパン・1832–1836
わざと「ずれた音」をぶつける、ちょっといたずらなエチュード!
12の練習曲 Op.25 第5番 ホ短調のページへ
ショパン・1832–1836
ピアノの中で、チェロと歌い手が語り合う。夜のしずかな二重唱。
12の練習曲 Op.25 第7番 嬰ハ短調のページへ
ショパン・1837
思いつきで弾いたような、くるくる流れる音のリボン。
即興曲第1番 変イ長調のページへ
ショパン・1838
ネコがけん盤の上を走った!?ぴょんぴょん跳ねる元気なワルツ。
ワルツ第4番 ヘ長調「猫のワルツ」のページへ
ショパン・1837–1838
村のお祭りがはじまった!大きな音と小さな音がかけ合う陽気なマズルカ。
マズルカ ニ長調 Op.33-2のページへ
ショパン・1838
ショパンの歌曲が、ピアノだけのしずかな春の歌に。
春(ポーランドの歌 Op.74-2 のピアノ版)のページへ
ショパン・1838–1839
ポツン、ポツン…。雨だれのようにくり返す、ひとつの音。
24の前奏曲より 第15番 変ニ長調「雨だれ」のページへ
ショパン・1837–1839
世界でよく知られた「葬送行進曲」。じつはソナタの第3楽章です。
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調「葬送」のページへ
ショパン・1838–1839
たった数分に、深い悲しみがぎゅっとつまったピアノ曲。
24の前奏曲より 第4番 ホ短調のページへ
ショパン・1838–1839
「ありがとう、いい薬です」のCMで有名な、1分足らずの名曲。
24の前奏曲より 第7番 イ長調のページへ
ショパン・1838–1839
1分足らずで駆けぬける!24曲の旅のスタートの合図。
24の前奏曲より 第1番 ハ長調のページへ
ショパン・1838–1839
主役は左手!チェロのように低く歌う、悲しみのプレリュード。
24の前奏曲より 第6番 ロ短調のページへ
ショパン・1838–1839
たった13小節の和音が、ポップスの名曲にまで生まれ変わった!
24の前奏曲より 第20番 ハ短調のページへ
ショパン・1838–1839
24曲の旅のフィナーレ!最後はピアノのいちばん低いレが3回とどろきます。
24の前奏曲 第24番 ニ短調のページへ
ショパン・1838–1839
静かな「雨だれ」のすぐあとに、いきなり大爆発!指が火をふく1曲。
24の前奏曲 第16番 変ロ短調のページへ
ショパン・1838–1840
胸をはって、前へ!ラッパのように鳴りひびく和音の行進。
ポロネーズ第3番 イ長調「軍隊」のページへ
ショパン・1838–1840
悲しい歌のまん中に、教会のオルガンのような祈りがひびく。
ノクターン第11番 ト短調のページへ
ショパン・1840
8小節のトリルで幕開け!2拍子と3拍子が重なるふしぎなワルツ。
ワルツ第5番 変イ長調「大円舞曲」のページへ
ショパン・1836–1839
子守歌のようなしずけさに、とつぜん嵐がおそいかかる!
バラード第2番 ヘ長調のページへ
ショパン・1839
力強いオクターヴの雷と、雪のようにふる音のカーテン!
スケルツォ第3番 嬰ハ短調のページへ
ショパン・1841
静かな行進から嵐、そして祈りへ。物語のようなピアノ曲。
幻想曲 ヘ短調のページへ
ショパン・1841
悲しい歌、祈り、そして嵐。ノクターンをこえたドラマ。
ノクターン第13番 ハ短調のページへ
ショパン・1841
「暴君が命じ、もう1人が許しをこう」—弟子が伝えたショパンの言葉とは?
ノクターン第14番 嬰ヘ短調のページへ
ショパン・1840–1841
4つのバラードで、ただひとつのハッピーエンド!明るく優雅な物語。
バラード第3番 変イ長調のページへ
ショパン・1840–1841
ポロネーズの中に、なんとマズルカが!型やぶりの大作。
ポロネーズ第5番 嬰ヘ短調のページへ
ショパン・1841
南イタリアの陽気なおどりを、ピアノでくるくるおどりまわる!
タランテラ 変イ長調のページへ
ショパン・1842–1843
ピアノ1台でオーケストラ級!堂々と行進する祖国の誇り。
ポロネーズ第6番 変イ長調「英雄」のページへ
ショパン・1842
ショパンのピアノ曲の最高傑作のひとつと言われる、深くはげしい大きな物語。
バラード第4番 ヘ短調のページへ
ショパン・1843–1844
左手はずっとゆりかご。右手は夢のように色を変える子守歌。
子守歌 変ニ長調のページへ
ショパン・1842–1844
スコットランドの熱心な弟子にささげた、しみじみ語る夜の歌。
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ショパン・1845–1846
ゆらゆらゆれるゴンドラの上で…ショパン晩年の大傑作。
舟歌 嬰ヘ長調のページへ
ショパン・1845–1846
ピアノの詩人が生前最後に出版した、親友のチェロのための曲。
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ショパン・1845–1846
メロディーがまるごとトリルでふるえる!生前最後のノクターン集。
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ショパン・c. 1846
作曲者の死後に友人が出版した、さびしく美しい1曲。
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ショパン・1846–1847
くるくる回る子犬みたい!かわいくて速い小さなワルツ。
ワルツ第6番 変ニ長調「子犬のワルツ」のページへ
ショパン・1846–1847
さびしげに、でも優雅に。ため息まじりのショパンのワルツ。
ワルツ第7番 嬰ハ短調のページへ
ショパン・1846–1847
「子犬のワルツ」の末っ子は、やさしくゆれる大人のワルツ。
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ショパン・1843–1849ごろ(出版1860年)
別の人の作品として出版され、のちにショパン作とわかった小さなワルツ。
ワルツ第19番 イ短調(遺作)のページへ
ホー!ショパンの心臓は、今もワルシャワの教会の柱の中に眠っているんだ。
ショパンは1810年、ポーランドのワルシャワ近くの村ジェラゾヴァ・ヴォラで生まれました。父はフランス出身のフランス語の先生、母はポーランド人です。幼いころからピアノの才能をあらわし、7歳で最初の作品『ポロネーズ ト短調』が出版されました。神童として貴族の屋敷でも演奏し、のちにワルシャワの音楽学校で作曲家エルスネルに学びます。Chopin was born in 1810 in Żelazowa Wola, a village near Warsaw in Poland. His father was a French-born teacher of French, and his mother was Polish. He showed a gift for the piano very early, and at seven his first piece, a Polonaise in G minor, was published. As a child prodigy he played in the homes of nobles, and later he studied composition with Józef Elsner at the music school in Warsaw.
1830年、20歳のショパンは演奏旅行のためにポーランドを出発します。その直後、祖国でロシアの支配に対する反乱「11月蜂起」が起こり、その後ショパンが故郷へ戻ることは二度とありませんでした。1831年からはパリに住み、上流階級のサロンで演奏したり、ピアノを教えたりして暮らします。大きな演奏会は苦手で、生涯の公開演奏会は30回ほどだったと言われています。In 1830, at twenty, Chopin left Poland on a concert tour. Soon afterward the November Uprising against Russian rule broke out at home, and he never returned to his homeland. From 1831 he lived in Paris, playing in elegant salons and earning a living by teaching the piano. He disliked big concert halls, and it is said that he gave only about thirty public concerts in his whole life.
パリでショパンは、リストやベルリオーズなど一流の芸術家たちと交流しました。1838年からは作家ジョルジュ・サンドと親しくなり、マヨルカ島で冬を過ごしたり、フランス中部ノアンにあるサンドの屋敷で夏を過ごしたりします。この時期に『24の前奏曲』『英雄ポロネーズ』、ピアノ・ソナタ第2番・第3番などの名作が生まれました。二人は1847年に別れています。In Paris, Chopin became friends with leading artists such as Liszt and Berlioz. From 1838 he was close to the writer George Sand. They spent a winter on the island of Majorca, and many summers at her country house in Nohant, in central France. During these years he wrote masterpieces such as the 24 Preludes, the Heroic Polonaise and his Second and Third Piano Sonatas. The couple parted in 1847.
ショパンは若いころから体が弱く、肺の病気(結核と考えられています)に苦しみました。1848年にはイギリスへ演奏旅行に行き、ヴィクトリア女王の前でも演奏しますが、体力はさらに落ちていきます。1849年、39歳でパリで亡くなりました。遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地にほうむられ、心臓は姉の手でワルシャワへ運ばれて、聖十字架教会に納められています。Chopin had poor health from his youth and suffered from a lung disease, thought to be tuberculosis. In 1848 he toured Britain and even played for Queen Victoria, but his strength kept fading. He died in Paris in 1849 at the age of 39. His body was buried in Père Lachaise Cemetery in Paris, while his heart was carried by his sister to Warsaw and placed in the Holy Cross Church.
Chopin was born in Poland in 1810. He played the piano very well. He moved to Paris and never went home. He wrote beautiful piano music. He was often sick. He died at 39, but people still love his music.ショパンは1810年にポーランドで生まれました。ピアノをとても上手に弾きました。パリへ移り、二度と国へ帰りませんでした。美しいピアノ曲を書きました。よく病気になりました。39歳で亡くなりましたが、彼の音楽は今も愛されています。
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1831年、まだ無名だったショパンの『「ドン・ジョヴァンニ」の主題による変奏曲』を、若き日のシューマンが音楽新聞で紹介しました。そのときの言葉が「諸君、脱帽したまえ。天才だ!」。ショパンの名を広めた、音楽史に残る名評論です。
In 1831, the young Robert Schumann reviewed Chopin's Variations on a theme from Don Giovanni in a music newspaper, when Chopin was still unknown. He wrote, 'Hats off, gentlemen, a genius!' It became one of the most famous reviews in music history and helped make Chopin better known.
英語で「ミニット・ワルツ」と呼ばれる曲がありますが、ミニットは「1分」ではなく「小さな」という意味です。サンドの飼っていた子犬が自分のしっぽを追いかけてくるくる回る様子から生まれた、と言われています。
In English this piece is called the Minute Waltz, but 'minute' here means 'tiny', not 'sixty seconds'. It is said that the music was inspired by George Sand's little dog chasing its own tail round and round.
マヨルカ島の古い修道院で、ショパンは雨の夜にひとりで作曲していました。サンドはのちに、そのとき屋根を打つ雨の音が曲にとけこんでいたと書いています。ただ、それがどの前奏曲なのかは書いていません。一方で、ショパン自身がのちに弟子の楽譜で、第15番に雨と結びつく言葉を書きこんだ、という研究もあります。
In an old monastery on Majorca, Chopin composed alone on rainy nights. George Sand later wrote that the sound of rain falling on the roof seemed to flow into his music. But she did not say which prelude it was. On the other hand, some research says that Chopin himself later wrote a word about rain on a pupil's copy of Prelude No. 15.
ショパンの心臓は、お酒のような液体の入ったびんに納められ、姉がワルシャワへ運びました。第二次世界大戦中には教会から運び出され、戦後に戻されています。2014年にはひそかに調べられ、結核による病気が死因だった可能性が高いと発表されました。
Chopin's heart was sealed in a jar of liquid, thought to be a kind of strong spirit, and his sister took it to Warsaw. During the Second World War it was removed from the church and returned after the war. In 2014 it was quietly examined, and scientists reported that he most likely died of complications from tuberculosis.
ジョルジュ・サンドは女性の作家ですが、男性のペンネームを使い、ときには男性の服を着て街を歩いたことで知られています。当時としてはとても自由な生き方でした。最初に会ったとき、ショパンはサンドにあまり良い印象を持たなかったと言われています。
George Sand was a woman writer who used a man's pen name and was known for sometimes walking around Paris in men's clothes. That was a very free way of living for the time. It is said that when Chopin first met her, he was not very impressed.
ショパンの希望により、パリのマドレーヌ教会で行われたお葬式では、モーツァルトの『レクイエム』が演奏されました。ショパンはモーツァルトを心から尊敬していたのです。お葬式には大勢の人が集まりました。
At Chopin's own wish, Mozart's Requiem was performed at his funeral in the Church of the Madeleine in Paris. Chopin deeply admired Mozart. A large crowd came to say goodbye.
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