
糸を紡ぐグレートヒェン
シューベルト・1814
17歳の天才が書いた、ドイツ歌曲の「はじまり」の1曲。
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Romantic · 1797–1828
「歌曲の王」The King of Song
31年の人生で600曲以上の歌を書いた、友だち思いの「歌曲の王」。The King of Song, who wrote over 600 songs in only 31 years.

シューベルト・1814
17歳の天才が書いた、ドイツ歌曲の「はじまり」の1曲。
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シューベルト・1815
馬を走らせる父と、おびえる子。ひとりで4役を歌う、こわい歌。
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シューベルト・1816
19歳のシューベルトが書いた、モーツァルトのように軽やかな交響曲。
交響曲第5番 変ロ長調のページへ
シューベルト・1817
すいすい泳ぐますと、ずるい釣り人。ピアノが水しぶきをえがく歌。
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シューベルト・1817
「音楽よ、ありがとう」。たった2番の歌にこめた感謝。
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シューベルト・1819または1825(確定せず)
明るい歌声がきらめく、ひだまりのようなソナタ。
ピアノ・ソナタ第13番 イ長調のページへ
シューベルト・1822
2つの楽章だけが完成した、とても有名な「書きかけ」の交響曲。
交響曲第7番(第8番)ロ短調「未完成」のページへ
シューベルト・1822
作曲した本人も弾きこなせなかった?超難関のピアノ曲。
さすらい人幻想曲 ハ長調のページへ
シューベルト・1823
お芝居は大失敗、でも音楽は200年生き残った!
劇音楽「ロザムンデ」のページへ
シューベルト・1823
重い病気の中で書いた、暗く深いひびきのソナタ。
ピアノ・ソナタ第14番 イ短調のページへ
シューベルト・1824
消えてしまった幻の楽器のために書かれた、せつない名曲。
アルペジオーネ・ソナタ イ短調のページへ
シューベルト・1824
4つの弦楽器がはげしくぶつかり合う、命がけのドラマ。
弦楽四重奏曲第14番 ニ短調「死と乙女」のページへ
シューベルト・1825
祈りの歌の代表…じつは、もとはスコットの物語詩の一場面。
アヴェ・マリア(エレンの歌 第3番)のページへ
シューベルト・1825
「鍵盤が歌う声になった」とほめられた、シューベルトの自信作。
ピアノ・ソナタ第16番 イ短調のページへ
シューベルト・1825
アルプスの温泉町で生まれた、元気いっぱいの明るいソナタ!
ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調「ガスタイナー」のページへ
シューベルト・1818年ごろ?(出版1826年)
ピアノ1台を2人でひく!はずむリズムの元気な行進曲。
軍隊行進曲 第1番 ニ長調のページへ
シューベルト・1825–1826
「天国的な長さ」とほめられた、シューベルト最大の交響曲。
交響曲 ハ長調「ザ・グレート」のページへ
シューベルト・1817(変ホ長調版は1826年ごろ)
20歳のシューベルトが書き、あとで調ごと書き直した、やさしいソナタ。
ピアノ・ソナタ第7番 変ホ長調のページへ
シューベルト・1827
終わらない歌のように、メロディーがどこまでも流れていく。
即興曲 変ト長調 作品90-3のページへ
シューベルト・1827
木の葉のざわめきが「ここで休め」とささやく、冬の旅の名曲。
歌曲集「冬の旅」より「菩提樹」のページへ
シューベルト・1827
指がころがるように走る!明るく始まり、まさかの短調で終わる。
即興曲 変ホ長調 作品90-2のページへ
シューベルト・1827
光のつぶが降りそそぐ!きらめくアルペジオの即興曲。
即興曲 変イ長調 作品90-4のページへ
シューベルト・1827
あの「ロザムンデ」のメロディが、5つの姿に大変身!
即興曲 変ロ長調 作品142-3のページへ
シューベルト・1828
夜の窓辺で恋人によびかける、切なくて甘い愛の歌。
セレナーデ(歌曲集『白鳥の歌』より)のページへ
シューベルト・1823(初出)/曲集の出版1828
とても短くて、ちょっぴりおどけた、かわいい小品。
楽興の時 第3番 ヘ短調のページへ
シューベルト・1828
死の2か月前に書かれた、明るさと嵐が同居する大ソナタ。
ピアノ・ソナタ第20番 イ長調のページへ
シューベルト・1828
亡くなる2か月ほど前に完成。天国のように美しい最後の室内楽。
弦楽五重奏曲 ハ長調のページへ
シューベルト・1828
亡くなる2か月前に書いた、ベートーヴェンの影を追うはげしいソナタ。
ピアノ・ソナタ第19番 ハ短調のページへ
ホー!シューベルトは、たった1年で140曲ほどの歌を書いた年があるんだ。
シューベルトは1797年、ウィーンの郊外で、学校の先生の家に生まれました。父からヴァイオリン、兄からピアノを習い、すぐに先生たちをおどろかせるほど上達します。11歳でウィーンの宮廷礼拝堂の少年聖歌隊に選ばれ、寄宿制の学校で学びました。そこでは、あのサリエリから作曲を教わり、学校のオーケストラでも演奏しました。Schubert was born in 1797 on the edge of Vienna, the son of a schoolteacher. He learned the violin from his father and the piano from his older brother, and he soon amazed his teachers. At eleven, he was chosen for the boys' choir of the Imperial Court Chapel and studied at a boarding school. There he took composition lessons from none other than Antonio Salieri and played in the school orchestra.
学校を出たシューベルトは、父の学校で先生の助手をしながら作曲を続けます。17歳でゲーテの詩による「糸を紡ぐグレートヒェン」を、18歳で「魔王」を書き、歌曲(ピアノ伴奏つきの歌)の世界を大きく変えました。1815年だけで140曲ほどの歌を書いています。生涯の歌曲は600曲以上で、「歌曲の王」と呼ばれています。After school, Schubert worked as an assistant teacher at his father's school and kept composing. At seventeen he wrote "Gretchen at the Spinning Wheel" to a poem by Goethe, and at eighteen he wrote "The Erl-King." These songs for voice and piano changed the art song forever. In 1815 alone, he wrote about 140 songs. He wrote more than 600 in his life, and he is called the King of Song.
やがて先生の仕事をやめ、フリーの作曲家になりますが、生活はいつも楽ではありませんでした。それでも、詩人や画家の友人たちがシューベルトを支え、彼の音楽を楽しむ集まり「シューベルティアーデ」を何度も開きました。ピアノ五重奏曲「ます」や歌曲集「冬の旅」、「未完成交響曲」など、名作はこうした友人との日々の中から生まれています。He later gave up teaching to work as a freelance composer, but money was always tight. Still, his friends, poets and painters among them, supported him and often held gatherings called Schubertiades to enjoy his music. Masterpieces such as the Trout Quintet, the song cycle Winterreise, and the Unfinished Symphony grew out of these days with friends.
シューベルトはベートーヴェンを心から尊敬し、1827年のその葬儀ではたいまつを持って参列しました。翌1828年には、生涯でただ一度の、自作だけを集めた公開演奏会を開いて成功させます。しかし同じ年の11月、病気(腸チフスとされます)のため31歳で亡くなりました。望みどおり、ベートーヴェンのお墓の近くに葬られ、二人は今もウィーンの中央墓地で並んで眠っています。Schubert deeply admired Beethoven and carried a torch at his funeral in 1827. In 1828 he gave the only public concert in his lifetime devoted entirely to his own works, and it was a success. But that November he died of an illness, recorded as typhoid fever, at only 31. As he wished, he was buried near Beethoven, and today the two rest side by side in Vienna's Central Cemetery.
Schubert was born in Vienna in 1797. He sang in a boys' choir. He wrote more than 600 songs! His friends loved his music. He wrote the Unfinished Symphony. He died young, at only 31.シューベルトは1797年にウィーンで生まれました。少年聖歌隊で歌いました。600曲以上の歌を書きました!友だちは彼の音楽が大好きでした。「未完成交響曲」を書きました。わずか31歳の若さで亡くなりました。
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シューベルトは背が低く、ぽっちゃりした体つきでした。そのため友人たちからは、ウィーンの方言で「小さなキノコ」を意味する「シュヴァンメルル」というあだ名で呼ばれていました。親しみをこめた、かわいいあだ名です。
Schubert was short and a little chubby, so his friends called him "Schwammerl," a Viennese word meaning "little mushroom." It was a cute nickname full of affection.
シューベルトは強い近視で、いつも丸いめがねをかけていました。朝起きてすぐ作曲できるように、めがねをかけたまま寝ていた、という話が伝わっています。友人の思い出話によるもので、本当かどうかはわかりませんが、それほど作曲に夢中だったのでしょう。
Schubert was very nearsighted and always wore round glasses. There is a story that he slept with them on so he could start composing as soon as he woke up. It comes from friends' memories, so no one knows if it is true, but it shows how much he loved to write music.
1816年、友人がシューベルトの「魔王」などゲーテの詩による歌の楽譜を、大詩人ゲーテ本人に送りました。ところがゲーテからの返事はなく、楽譜はそのまま送り返されてきました。今では「魔王」は、ゲーテの詩につけられた歌の中でも特に有名な1曲です。
In 1816, a friend sent Schubert's settings of Goethe's poems, including "The Erl-King," to the great poet himself. But Goethe never replied, and the music was simply sent back. Today, "The Erl-King" is one of the most famous songs ever set to Goethe's words.
「未完成交響曲」は1822年に書かれましたが、楽譜は友人ヒュッテンブレンナーの手元にしまわれたままでした。世に出て初演されたのは、シューベルトの死から37年後の1865年。なぜ2つの楽章で止まったのかは、今もナゾです。
Schubert wrote the Unfinished Symphony in 1822, but the score stayed with his friend Anselm Hüttenbrenner. It was not performed until 1865, 37 years after Schubert's death. Why he stopped after two movements is still a mystery.
1839年、作曲家シューマンはウィーンでシューベルトの兄フェルディナントを訪ね、しまわれていた大きな交響曲の楽譜を見つけました。これが交響曲「グレート」です。シューマンはすぐに友人メンデルスゾーンに知らせ、同じ年にライプツィヒで初演されました。
In 1839, Robert Schumann visited Schubert's brother Ferdinand in Vienna and found the score of a large symphony that had been put away. It was the Great C major Symphony. Schumann told his friend Mendelssohn, who premiered it in Leipzig that same year.
映画「アマデウス」では悪役のイメージがあるサリエリですが、じつはすぐれた先生でした。少年シューベルトは、ウィーンの宮廷楽長だったサリエリに作曲を習っています。サリエリはベートーヴェンやリストにも教えた、名指導者だったのです。
Salieri is often seen as a villain because of the film Amadeus, but he was actually a fine teacher. As a boy, Schubert studied composition with Salieri, the court music director in Vienna. Salieri also taught Beethoven and Liszt.
FAMOUS WORDS
“No one feels another's grief, no one understands another's joy.”だれも他人の悲しみを感じることはできないし、だれも他人の喜びを理解することはできない。
— Franz Schubert(1824年3月27日の日記)Wikimedia Commons でパブリックドメイン(または CC0)と確認した画像です。クリックで拡大。








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