
ダイドーの嘆き
パーセル・by 1689
「わたしを覚えていて」。くり返す低音にのせた、胸をうつ別れの歌。
歌劇「ダイドーとエネアス」より「ダイドーの嘆き」のページへ
Piano · Op. 67 No. 4 · c. 1846
フレデリック・ショパン(1810–1849)
作曲者の死後に友人が出版した、さびしく美しい1曲。A lovely mazurka published by a friend after Chopin's death.
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Arthur Rubinstein - Chopin Mazurka, Op. 67, No. 4 in A Minor
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Evgeny Kissin plays Chopin- Mazurka op.67 no.4
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Chopin : Mazurka Op. 67, No. 4
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ホー!この曲は、ショパンが亡くなってから友だちが出版したんだよ。
この曲は、ショパンが晩年の1846年ごろに書いたと考えられているマズルカです。イ短調で、少しさびしげで、なつかしい思い出をたどるようなメロディーが歌われます。そのあいだに明るい長調の部分がはさまり、また最初のさびしい歌にもどります。短いけれど、心にしみる曲です。This mazurka is thought to have been written around 1846, in Chopin's last years. In A minor, it sings a slightly lonely melody, as if remembering old days. A brighter major-key section comes in the middle, and then the lonely song returns. It is short but touching.
このころのショパンは、体の調子が悪くなり、長く続いたジョルジュ・サンドとの関係も終わりに近づいていました。ショパンはこの曲を生きているあいだに出版しませんでした。亡くなる前には、出版していない楽譜は処分してほしいとのぞんでいたと伝えられています。Around this time, Chopin's health was getting worse, and his long relationship with George Sand was coming to an end. He never published this piece in his lifetime. It is said that before his death he wished his unpublished manuscripts to be destroyed.
しかし、友人のユリアン・フォンタナは、家族の了解を得て、未出版だったピアノ曲の中から何曲も選び、1855年に出版しました。この曲もそのひとつで、「作品67」として世に出ました。もし楽譜が処分されていたら、私たちはこの美しいマズルカを聴けなかったかもしれません。フォンタナのおかげで、多くの名曲が残りました。However, his friend Julian Fontana, with the family's consent, selected a number of unpublished piano pieces and published them in 1855. This piece was one of them and appeared as Opus 67. If the manuscripts had been destroyed, we might never have heard this beautiful mazurka. Thanks to Fontana, many fine pieces survived.
This is a lonely and beautiful Polish dance. Chopin wrote it near the end of his life. He did not publish it. After he died, his friend published it. Now we can enjoy it!これはさびしくて美しいポーランドのおどりです。ショパンは人生の終わり近くにこの曲を書きました。彼はこの曲を出版しませんでした。彼が亡くなったあと、友だちが出版しました。今、私たちはこの曲を楽しむことができます!
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ショパンは、亡くなる前に、出版していない楽譜は処分してほしいとのぞんだと伝えられています。完ぺき主義のショパンは、自分が満足していない作品を世に出したくなかったのかもしれません。
It is said that before his death Chopin wished his unpublished manuscripts to be destroyed. As a perfectionist, he may not have wanted works he was not satisfied with to be made public.
ワルシャワ時代からの友人ユリアン・フォンタナは、ショパンの楽譜の清書をよく手伝っていました。ショパンの死後、家族の了解を得て、未出版だったピアノ曲の中から選んで、作品66から73までとして1855年に出版しました。
Julian Fontana, a friend from his Warsaw days, often helped Chopin by making clean copies of his music. After Chopin's death, with the family's consent, he selected unpublished piano pieces and published them in 1855 as Opus 66 to 73.
「作品67」という番号は、ショパン自身が付けたものではなく、死後に出版されたときに付けられました。そのため、作品番号の順番と、実際に書かれた順番は一致していません。
The number Opus 67 was not given by Chopin himself. It was added when the piece was published after his death. So the order of the opus numbers does not match the order in which the works were written.
1846年ごろのショパンは、病気が重くなりつつあり、翌年にはジョルジュ・サンドとの関係も終わりました。この曲のさびしげなメロディーには、そんな時期の心がうつっていると感じる人も多いのです。
Around 1846, Chopin's illness was getting worse, and the next year his relationship with George Sand ended. Many people feel that the lonely melody of this piece reflects his heart in those hard times.
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