
トッカータとフーガ
バッハ・c. 1704 (?)
タラリ〜!一度聴いたら忘れない、オルガンの大迫力の幕開け。
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Baroque · 1685–1750
「音楽の父」The Father of Music
千曲をこえる名曲を書いた、西洋音楽の大黒柱。He wrote over a thousand works and became the backbone of Western music.

バッハ・c. 1704 (?)
タラリ〜!一度聴いたら忘れない、オルガンの大迫力の幕開け。
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バッハ・c. 1703–1707 (?)
音楽の授業でおなじみ!4つの声が同じテーマで追いかけっこ。
小フーガ ト短調のページへ
バッハ・c. 1706–1713
足が弾く低いテーマが21回!重くて壮大な、オルガンの大建築。
パッサカリアとフーガ ハ短調のページへ
バッハ・c. 1707–1710 (?)
キラキラの駆け上がりで幕開け!若きバッハのはなやかな鍵盤ショー。
トッカータ ニ長調のページへ
バッハ・1713
2本のリコーダーがやさしく鳴る、のどかな牧場の歌。
カンタータ第208番より「羊は安らかに草を食み」のページへ
バッハ・c. 1720
チェロ1本だけで、こんなに豊かな世界が広がる!
無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調のページへ
バッハ・c. 1720
ヴァイオリン1本で、宇宙のように大きな世界を描く傑作。
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調より「シャコンヌ」のページへ
バッハ・1720
止まらない!キラキラ走る、ヴァイオリン1本の大はしゃぎ。
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調より「プレリュード」のページへ
バッハ・c. 1720
チェロのいちばん低い「ド」がずしん!堂々とした明るい組曲。
無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調のページへ
バッハ・1721
3・3・3!弦楽器だけで生き生きと走りだす、バッハの協奏曲。
ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調のページへ
バッハ・1721
伴奏役のチェンバロがまさかの大独奏!鍵盤協奏曲の先がけ。
ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調のページへ
バッハ・1721
トランペットが超高音でかがやく!宇宙まで飛んでいった協奏曲。
ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調のページへ
バッハ・1721
2本の笛とヴァイオリンが大活躍!春風のように軽やかな協奏曲。
ブランデンブルク協奏曲第4番 ト長調のページへ
バッハ・1722
同じ形の分散和音だけで、こんなに美しい!究極のシンプル名曲。
平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番 前奏曲 ハ長調のページへ
バッハ・1722
止まらない細かい音!走りつづける指が気持ちいい、短調の名曲。
平均律クラヴィーア曲集 第1巻 前奏曲とフーガ第2番 ハ短調のページへ
バッハ・c. 1722
ガヴォットが大人気!明るくおしゃれな、鍵盤の舞踏会。
フランス組曲第5番 ト長調のページへ
バッハ・1722 (Book 1 completed)
右手がずっと走りっぱなし!そのあと王さま気分の堂々フーガへ。
平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第5番 前奏曲とフーガ ニ長調のページへ
バッハ・1723
やさしく流れるメロディーにのって、合唱が祈りを歌う名曲。
カンタータ第147番より「主よ、人の望みの喜びよ」のページへ
バッハ・1723
たった7つの音のタネから、1曲まるごと育てる魔法。
インヴェンション第1番 ハ長調のページへ
バッハ・1723
パッと駆け上がる音で始まる、明るく元気な追いかけっこ。
インヴェンション第8番 ヘ長調のページへ
バッハ・1725
ピアノを習う人ならみんな知ってる?かわいい3拍子の名曲。
メヌエット ト長調のページへ
バッハ・1727
ペテロの涙を歌う、ヴァイオリンとアルトの祈りの名アリア。
マタイ受難曲より「憐れみたまえ、わが神よ」のページへ
バッハ・c. 1730
ゆったり流れる、世界でいちばん有名な「癒やしのメロディー」。
管弦楽組曲第3番より「アリア」(G線上のアリア)のページへ
バッハ・c. 1730
2人のヴァイオリンが追いかけ、からみあう。息ぴったりの会話劇。
2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調のページへ
バッハ・c. 1730
きりっと引きしまったイ短調。ヴァイオリンがオーケストラと渡り合う。
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調のページへ
バッハ・1731
見張りが呼ぶ「目を覚ませ!」花婿の到着を告げる名曲。
カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」のページへ
バッハ・1723 / c. 1733
トランペットとティンパニが鳴りひびく!喜びあふれる合唱曲。
マニフィカト ニ長調のページへ
バッハ・c. 1732–1735
「コーヒーがやめられない!」娘と父のケンカを描いた、笑えるカンタータ。
コーヒー・カンタータ『そっと黙って、おしゃべりしないで』のページへ
バッハ・1734
ティンパニの「ドンドン!」で幕開け。6つの祝日で楽しむクリスマスの大作。
クリスマス・オラトリオのページへ
バッハ・1735
鍵盤1台でオーケストラごっこ!明るく華やかなイタリア風協奏曲。
イタリア協奏曲 ヘ長調のページへ
バッハ・c. 1738
伴奏役だった鍵盤が主役に!嵐のように激しいニ短調。
チェンバロ協奏曲第1番 ニ短調のページへ
バッハ・c. 1738–1739
フルートが大はしゃぎ!あっという間に駆けぬける「おふざけ」の曲。
管弦楽組曲第2番 ロ短調より「バディネリ」のページへ
バッハ・1741
眠れない伯爵のために?アリアと30の変奏がつくる音の宇宙。
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バッハ・c. 1740–1750 (published 1751)
1つのテーマから無限の世界へ。途中でぷつりと終わる晩年の大作。
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ホー!バッハ家は音楽家だらけ。親せきに「バッハ」さんが何十人もいたんだ。
バッハは1685年、ドイツのアイゼナハで、何代も続く音楽家の家に生まれました。ところが9歳で母を、10歳で父を亡くし、オールドルフに住む長兄ヨハン・クリストフに引き取られます。兄からオルガンや鍵盤楽器を習い、15歳になると北ドイツのリューネブルクの学校へ。聖歌隊で歌いながら、図書館の楽譜を熱心に学びました。Bach was born in 1685 in Eisenach, Germany, into a family that had produced musicians for generations. But he lost his mother at nine and his father at ten, and his oldest brother, Johann Christoph, took him in. His brother taught him the organ and keyboard. At fifteen, Bach went to a school in Lüneburg in northern Germany, where he sang in the choir and studied every score he could find.
大人になったバッハは、アルンシュタットやヴァイマルでオルガン奏者として腕をみがき、ケーテンの宮廷では楽団のリーダーになりました。ここで「ブランデンブルク協奏曲」をまとめ上げ、「平均律クラヴィーア曲集」第1巻を完成させます。1723年からは亡くなるまで、ライプツィヒの「トーマスカントル」(町の音楽監督)として、町のおもな教会の音楽を受けもちました。とくに最初の数年間は、ほぼ毎週のように新しい教会カンタータを書いています。As a young man, Bach worked as an organist in Arnstadt and Weimar, and later led the court orchestra in Köthen. There he put together the Brandenburg Concertos and completed the first book of The Well-Tempered Clavier. From 1723 until his death, he was Thomaskantor in Leipzig, in charge of music for the city's main churches. In his first few years there, he wrote a new church cantata almost every week.
バッハの人生には悲しみも多くありました。1720年、旅から帰ると最初の妻マリア・バルバラはすでに亡くなり、葬られた後でした。翌年、歌手のアンナ・マグダレーナと再婚します。二人の妻との間に生まれた子どもは20人にのぼりますが、大人になれたのは約半分でした。それでも家はいつも音楽でいっぱいで、息子たちの何人かは有名な作曲家になりました。Bach's life also had great sadness. In 1720 he came home from a trip to find that his first wife, Maria Barbara, had died and was already buried. The next year he married a singer, Anna Magdalena. He had twenty children with his two wives, but only about half lived to adulthood. Still, his home was always full of music, and several of his sons became famous composers.
晩年のバッハは目が悪くなり、1750年に手術を受けましたがうまくいかず、同じ年の7月に65歳で亡くなりました。死後、大きな合唱曲などはあまり演奏されなくなりますが、鍵盤やオルガンの曲は音楽家たちに学ばれつづけました。そして1829年、20歳のメンデルスゾーンが「マタイ受難曲」を指揮して大評判に。バッハは広く見直され、今では日本で「音楽の父」と呼ばれ、多くの作曲家や学生に学ばれています。In his last years, Bach's eyesight failed. He had eye operations in 1750, but they did not help, and he died that July at the age of 65. After his death, his large choral works were rarely performed, but musicians kept studying and playing his keyboard and organ music. Then in 1829, twenty-year-old Felix Mendelssohn conducted the St. Matthew Passion, and it caused a sensation. Interest in Bach grew widely. Today he is called the Father of Music in Japan, and generations of composers and students have studied his works.
Bach was born in Germany in 1685. His family had many musicians. He played the organ very well. In Leipzig, he often wrote new music for church. He had twenty children! In Japan, people call him the Father of Music.バッハは1685年にドイツで生まれました。家族には音楽家がたくさんいました。彼はオルガンをとても上手にひきました。ライプツィヒでは、教会のための新しい曲をたくさん書きました。子どもは20人もいました!日本では「音楽の父」と呼ばれています。
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1705年、20歳のバッハは、北ドイツのリューベックで活躍していた名オルガン奏者ブクステフーデの演奏を聴くため、約400キロの道のりを歩いて出かけたと伝えられています。4週間の休みのはずが、4か月近くも帰らず、職場からきびしく注意されました。
In 1705, twenty-year-old Bach is said to have walked about 400 km to Lübeck to hear the great organist Buxtehude. He had four weeks off, but he stayed for nearly four months, and his employers were not happy.
1717年、ヴァイマルの殿様に仕えていたバッハは、ケーテンへ移りたいとしつこく願い出ました。怒った殿様は、なんとバッハを約4週間も拘束してしまいます。最後は「クビ」という形で、やっと自由になれました。
In 1717, Bach kept asking the Duke of Weimar to let him move to a new job in Köthen. The angry duke locked him up for about four weeks. In the end, Bach was dismissed and finally set free.
まじめな教会音楽のイメージが強いバッハですが、「コーヒー・カンタータ」という楽しい曲も書いています。コーヒーがやめられない娘と、やめさせたいお父さんの言い合いを描いた曲で、ライプツィヒのコーヒーハウスで演奏されたと考えられています。
Bach is known for serious church music, but he also wrote the funny Coffee Cantata. It is about a girl who loves coffee and a father who wants her to stop. It was probably performed at a coffee house in Leipzig.
ドイツ語では、B(シのフラット)・A(ラ)・C(ド)・H(シ)と、音の名前で「BACH」と書けます。バッハは、未完成に終わった「フーガの技法」の最後のフーガで、この4つの音をサインのように使いました。後の作曲家たちも、尊敬をこめてこの「BACH」の音を使っています。
In German note names, B-flat, A, C, and B natural spell B-A-C-H. Bach used these four notes like a signature in the unfinished last fugue of The Art of Fugue. Later composers also used the B-A-C-H notes to honor him.
1977年に打ち上げられた探査機ボイジャーには、地球の音をおさめた「ゴールデンレコード」がのっています。その中にバッハの曲は3曲も入っていて、作曲家の中でいちばん多いのです。今も太陽系の外を飛び続けています。
The Voyager spacecraft, launched in 1977, carry a Golden Record of sounds from Earth. It includes three pieces by Bach, more than any other composer. They are still flying beyond our solar system.
晩年のバッハの目を手術したのは、イギリス人の眼科医ジョン・テイラーでした。手術は失敗し、バッハはまもなく亡くなります。じつは同じ年に生まれたヘンデルも、のちに同じテイラーの手術を受け、目が見えなくなってしまいました。
In his last year, Bach's eyes were operated on by an English eye doctor named John Taylor. The operations failed, and Bach died soon after. Handel, born in the same year, was later treated by the same doctor and also went blind.
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