Preface(序文)の挿絵

📕 武士道 全18章の 1番目 目次 ↓

Preface

序文

  • 📖 1,013 words
  • ⏱ 約9分
  • 🔊 5:45
  • YL 5.0+
  • 英検1級・ネイティブ目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ「宗教教育がないのに、どうやって道徳を教えるのですか」。ベルギーの法学者ド・ラヴレーの問いに答えられなかった新渡戸は、自分の善悪の観念を育てたものが武士道だったと気づきます。この本が生まれたいきさつと、その後の反響を語る序文です。

新渡戸稲造『武士道』(英文、1899年/第10版1905年)序文・第十版序文の原文。底本: Project Gutenberg eBook #12096

キーワード(13語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • hospitableもてなしのよい
  • jurist法学者
  • venerable尊敬すべき
  • impart伝える、授ける
  • precepts教え、戒め
  • inception始まり、発端
  • queries質問
  • enforced idlenessやむをえない休養
  • intelligible理解できる
  • allusions言及、ほのめかし
  • ecclesiastical教会の
  • emendations修正、訂正
  • Filial Piety孝行
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About ten years ago, while spending a few days under the hospitable roof of the distinguished Belgian jurist, the lamented M. de Laveleye, our conversation turned, during one of our rambles, to the subject of religion. "Do you mean to say," asked the venerable professor, "that you have no religious instruction in your schools?" On my replying in the negative he suddenly halted in astonishment, and in a voice which I shall not easily forget, he repeated "No religion! How do you impart moral education?" The question stunned me at the time. I could give no ready answer, for the moral precepts I learned in my childhood days, were not given in schools; and not until I began to analyze the different elements that formed my notions of right and wrong, did I find that it was Bushido that breathed them into my nostrils.

十年ほど前のことである。私は、ベルギーの著名な法学者、今は亡きド・ラヴレー氏の家に招かれ、手厚いもてなしを受けて数日を過ごした。ある日、一緒に散歩をしていると、話が宗教のことに及んだ。「では、あなたの国の学校では、宗教を教えていないとおっしゃるのですか」と老教授はたずねた。私がそうだと答えると、教授は驚いて急に立ち止まり、繰り返した。「宗教がない! それでは、どうやって道徳を教えるのですか。」そのときの声を、私はたやすく忘れることができない。私はこの問いに打ちのめされ、すぐには答えられなかった。私が子どものころに学んだ道徳の教えは、学校で教わったものではなかったからである。その後、自分の善悪の考えがどんな要素からできているかを一つ一つ調べてみた。そうして初めて、それを私に吹き込んだのは武士道だったと気づいたのである。

The direct inception of this little book is due to the frequent queries put by my wife as to the reasons why such and such ideas and customs prevail in Japan.

この小さな本を書くことになった直接のきっかけは、妻がたびたび、日本ではなぜこういう考えや習慣が行われているのかとたずねたことである。

In my attempts to give satisfactory replies to M. de Laveleye and to my wife, I found that without understanding Feudalism and Bushido, the moral ideas of present Japan are a sealed volume.

ド・ラヴレー氏や妻に納得のいく答えをしようとするうちに、私は気づいた。封建制度と武士道が分からなければ、今の日本人の道徳の考えは、封をしたままの本のように、読み解くことができないのである。

Taking advantage of enforced idleness on account of long illness, I put down in the order now presented to the public some of the answers given in our household conversation. They consist mainly of what I was taught and told in my youthful days, when Feudalism was still in force.

長い病気のために、何もできない日々を過ごさなければならなくなった。その時間を使って、家での会話の中で妻に答えたことのいくつかを書きとめた。それを、ここに並べた順序で世に出すことにした。その中身の多くは、まだ封建制度が生きていた若いころに、私が教えられ、聞かされたことである。

Between Lafcadio Hearn and Mrs. Hugh Fraser on one side and Sir Ernest Satow and Professor Chamberlain on the other, it is indeed discouraging to write anything Japanese in English. The only advantage I have over them is that I can assume the attitude of a personal defendant, while these distinguished writers are at best solicitors and attorneys. I have often thought,—"Had I their gift of language, I would present the cause of Japan in more eloquent terms!" But one who speaks in a borrowed tongue should be thankful if he can just make himself intelligible.

一方にはラフカディオ・ハーンとヒュー・フレイザー夫人がおり、もう一方にはアーネスト・サトウ卿とチェンバレン教授がいる。そんな中で、日本のことを英語で書くのは、まことに気おくれのすることである。私が彼らよりまさっている点は一つしかない。私は、被告本人として自分のことを弁明する立場にある。これらの著名な著者たちは、せいぜい代理人か弁護士にすぎない。私はたびたび思ったものだ。「彼らのような言葉の才能があれば、もっと雄弁に日本の言い分を述べられるのに。」だが、借り物の言葉で語る者は、言いたいことが通じるだけでありがたいと思うべきなのである。

All through the discourse I have tried to illustrate whatever points I have made with parallel examples from European history and literature, believing that these will aid in bringing the subject nearer to the comprehension of foreign readers.

この本全体を通じて、私は、述べることの一つ一つに、ヨーロッパの歴史や文学から似た例を引いて説明しようと努めた。そうすれば、外国の読者にもこの題材がいっそう分かりやすくなると考えたからである。

Should any of my allusions to religious subjects and to religious workers be thought slighting, I trust my attitude towards Christianity itself will not be questioned. It is with ecclesiastical methods and with the forms which obscure the teachings of Christ, and not with the teachings themselves, that I have little sympathy. I believe in the religion taught by Him and handed down to us in the New Testament, as well as in the law written in the heart. Further, I believe that God hath made a testament which maybe called "old" with every people and nation,—Gentile or Jew, Christian or Heathen. As to the rest of my theology, I need not impose upon the patience of the public.

宗教のことや、宗教にたずさわる人々について私が述べたことの中には、軽んじているように受け取られるものがあるかもしれない。だが、キリスト教そのものに対する私の態度が疑われることはないと信じている。私があまり共感できないのは、教会のやり方や、キリストの教えを曇らせている形式であって、教えそのものではない。私は、キリストが説き、新約聖書によって私たちに伝えられた宗教を信じている。また、人の心に書き込まれた律法も信じている。さらに私は、神がユダヤ人とも異邦人とも、キリスト教徒とも異教徒とも、つまりあらゆる民族、あらゆる国民と、「旧約」と呼んでよい契約を結ばれたと信じている。私の神学のそのほかの点については、読者の忍耐をわずらわせるまでもないだろう。

In concluding this preface, I wish to express my thanks to my friend Anna C. Hartshorne for many valuable suggestions and for the characteristically Japanese design made by her for the cover of this book.

この序文を終えるにあたり、友人アンナ・C・ハーツホーンに感謝したい。たくさんの貴重な助言をくださったうえ、この本の表紙のために、いかにも日本らしい図案を作ってくださった。

Inazo Nitobe. Malvern, Pa., Twelfth Month, 1899.

新渡戸稲造 ペンシルヴェニア州マルヴァーンにて 一八九九年十二月

Preface to the Tenth and Revised Edition

第十版(改訂版)への序

Since its first publication in Philadelphia, more than six years ago, this little book has had an unexpected history. The Japanese reprint has passed through eight editions, the present thus being its tenth appearance in the English language. Simultaneously with this will be issued an American and English edition, through the publishing-house of Messrs. George H. Putnam's Sons, of New York.

六年あまり前にフィラデルフィアで初めて出版されて以来、この小さな本は思いもよらない歩みをたどってきた。日本で出した翻刻版は八版を重ね、今回で英語での刊行は十回目になる。これと同時に、ニューヨークのジョージ・H・パトナム・サンズ社から、アメリカ版とイギリス版も出る予定である。

In the meantime, Bushido has been translated into Mahratti by Mr. Dev of Khandesh, into German by Fräulein Kaufmann of Hamburg, into Bohemian by Mr. Hora of Chicago, into Polish by the Society of Science and Life in Lemberg,—although this Polish edition has been censured by the Russian Government. It is now being rendered into Norwegian and into French. A Chinese translation is under contemplation. A Russian officer, now a prisoner in Japan, has a manuscript in Russian ready for the press. A part of the volume has been brought before the Hungarian public and a detailed review, almost amounting to a commentary, has been published in Japanese. Full scholarly notes for the help of younger students have been compiled by my friend Mr. H. Sakurai, to whom I also owe much for his aid in other ways.

そのあいだに、この『武士道』はさまざまな言葉に訳された。カンデーシュのデーヴ氏がマラーティー語に、ハンブルクのカウフマン嬢がドイツ語に、シカゴのホラ氏がボヘミア語に、レンベルクの学術生活協会がポーランド語に訳した。もっとも、このポーランド語版はロシア政府に発禁にされてしまった。今はノルウェー語とフランス語に訳されているところで、中国語に訳す計画もある。日本で捕虜になっているあるロシア人将校は、すぐにでも印刷できるロシア語の原稿を持っている。本の一部はハンガリーの読者にも紹介された。日本語では、ほとんど注釈書と言ってよいほどくわしい書評が発表されている。若い学生のためには、友人の桜井氏が、学問的な注をくわしくまとめてくれた。桜井氏には、ほかの点でもずいぶん助けてもらっている。

I have been more than gratified to feel that my humble work has found sympathetic readers in widely separated circles, showing that the subject matter is of some interest to the world at large. Exceedingly flattering is the news that has reached me from official sources, that President Roosevelt has done it undeserved honor by reading it and distributing several dozens of copies among his friends.

私のささやかな本が、たがいに遠く離れたさまざまな世界で、心を寄せてくれる読者に出会えた。この題材が世界の人々にとっても、いくらかは興味のあるものだという証拠であり、何よりもうれしい。さらに、ローズヴェルト大統領がこの本を読み、友人たちに数十部を配ってくださったという知らせが、公の筋から届いた。身に余る光栄である。

In making emendations and additions for the present edition, I have largely confined them to concrete examples. I still continue to regret, as I indeed have never ceased to do, my inability to add a chapter on Filial Piety, which is considered one of the two wheels of the chariot of Japanese ethics—Loyalty being the other. My inability is due rather to my ignorance of the Western sentiment in regard to this particular virtue, than to ignorance of our own attitude towards it, and I cannot draw comparisons satisfying to my own mind. I hope one day to enlarge upon this and other topics at some length. All the subjects that are touched upon in these pages are capable of further amplification and discussion; but I do not now see my way clear to make this volume larger than it is.

今回の版で手を入れたり書き足したりしたのは、主に具体的な例である。私は今でも、孝について一章を書き加えられなかったことを残念に思っている。実を言えば、そう思わなかったことは一度もない。日本の道徳では、孝は忠と並んで、車の両輪の一つとされている。それを書けないのは、孝についての日本人の考えを知らないからではない。むしろ、この徳について西洋人がどう感じているかを知らないので、自分で納得のいく比べ方ができないのである。いつか、このことや、ほかの話題についても、ある程度くわしく論じたいと願っている。この本で触れた題材は、どれもさらに掘り下げて論じることができる。だが今のところ、この本を今以上に大きくする見通しは立っていない。

This Preface would be incomplete and unjust, if I were to omit the debt I owe to my wife for her reading of the proof-sheets, for helpful suggestions, and, above all, for her constant encouragement.

最後に、妻への恩を書き落としたら、この序文は不完全で不公平なものになるだろう。妻は校正刷りを読み、役に立つ助言をしてくれた。そして何よりも、いつも私を励ましてくれた。

I. N. Kyoto, Fifth Month twenty-second, 1905.

I・N 京都にて 一九〇五年五月二十二日

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

十年ほど前のことである。私は、ベルギーの著名な法学者、今は亡きド・ラヴレー氏の家に招かれ、手厚いもてなしを受けて数日を過ごした。ある日、一緒に散歩をしていると、話が宗教のことに及んだ。「では、あなたの国の学校では、宗教を教えていないとおっしゃるのですか」と老教授はたずねた。私がそうだと答えると、教授は驚いて急に立ち止まり、繰り返した。「宗教がない! それでは、どうやって道徳を教えるのですか。」そのときの声を、私はたやすく忘れることができない。私はこの問いに打ちのめされ、すぐには答えられなかった。私が子どものころに学んだ道徳の教えは、学校で教わったものではなかったからである。その後、自分の善悪の考えがどんな要素からできているかを一つ一つ調べてみた。そうして初めて、それを私に吹き込んだのは武士道だったと気づいたのである。

この小さな本を書くことになった直接のきっかけは、妻がたびたび、日本ではなぜこういう考えや習慣が行われているのかとたずねたことである。

ド・ラヴレー氏や妻に納得のいく答えをしようとするうちに、私は気づいた。封建制度と武士道が分からなければ、今の日本人の道徳の考えは、封をしたままの本のように、読み解くことができないのである。

長い病気のために、何もできない日々を過ごさなければならなくなった。その時間を使って、家での会話の中で妻に答えたことのいくつかを書きとめた。それを、ここに並べた順序で世に出すことにした。その中身の多くは、まだ封建制度が生きていた若いころに、私が教えられ、聞かされたことである。

一方にはラフカディオ・ハーンとヒュー・フレイザー夫人がおり、もう一方にはアーネスト・サトウ卿とチェンバレン教授がいる。そんな中で、日本のことを英語で書くのは、まことに気おくれのすることである。私が彼らよりまさっている点は一つしかない。私は、被告本人として自分のことを弁明する立場にある。これらの著名な著者たちは、せいぜい代理人か弁護士にすぎない。私はたびたび思ったものだ。「彼らのような言葉の才能があれば、もっと雄弁に日本の言い分を述べられるのに。」だが、借り物の言葉で語る者は、言いたいことが通じるだけでありがたいと思うべきなのである。

この本全体を通じて、私は、述べることの一つ一つに、ヨーロッパの歴史や文学から似た例を引いて説明しようと努めた。そうすれば、外国の読者にもこの題材がいっそう分かりやすくなると考えたからである。

宗教のことや、宗教にたずさわる人々について私が述べたことの中には、軽んじているように受け取られるものがあるかもしれない。だが、キリスト教そのものに対する私の態度が疑われることはないと信じている。私があまり共感できないのは、教会のやり方や、キリストの教えを曇らせている形式であって、教えそのものではない。私は、キリストが説き、新約聖書によって私たちに伝えられた宗教を信じている。また、人の心に書き込まれた律法も信じている。さらに私は、神がユダヤ人とも異邦人とも、キリスト教徒とも異教徒とも、つまりあらゆる民族、あらゆる国民と、「旧約」と呼んでよい契約を結ばれたと信じている。私の神学のそのほかの点については、読者の忍耐をわずらわせるまでもないだろう。

この序文を終えるにあたり、友人アンナ・C・ハーツホーンに感謝したい。たくさんの貴重な助言をくださったうえ、この本の表紙のために、いかにも日本らしい図案を作ってくださった。

新渡戸稲造 ペンシルヴェニア州マルヴァーンにて 一八九九年十二月

第十版(改訂版)への序

六年あまり前にフィラデルフィアで初めて出版されて以来、この小さな本は思いもよらない歩みをたどってきた。日本で出した翻刻版は八版を重ね、今回で英語での刊行は十回目になる。これと同時に、ニューヨークのジョージ・H・パトナム・サンズ社から、アメリカ版とイギリス版も出る予定である。

そのあいだに、この『武士道』はさまざまな言葉に訳された。カンデーシュのデーヴ氏がマラーティー語に、ハンブルクのカウフマン嬢がドイツ語に、シカゴのホラ氏がボヘミア語に、レンベルクの学術生活協会がポーランド語に訳した。もっとも、このポーランド語版はロシア政府に発禁にされてしまった。今はノルウェー語とフランス語に訳されているところで、中国語に訳す計画もある。日本で捕虜になっているあるロシア人将校は、すぐにでも印刷できるロシア語の原稿を持っている。本の一部はハンガリーの読者にも紹介された。日本語では、ほとんど注釈書と言ってよいほどくわしい書評が発表されている。若い学生のためには、友人の桜井氏が、学問的な注をくわしくまとめてくれた。桜井氏には、ほかの点でもずいぶん助けてもらっている。

私のささやかな本が、たがいに遠く離れたさまざまな世界で、心を寄せてくれる読者に出会えた。この題材が世界の人々にとっても、いくらかは興味のあるものだという証拠であり、何よりもうれしい。さらに、ローズヴェルト大統領がこの本を読み、友人たちに数十部を配ってくださったという知らせが、公の筋から届いた。身に余る光栄である。

今回の版で手を入れたり書き足したりしたのは、主に具体的な例である。私は今でも、孝について一章を書き加えられなかったことを残念に思っている。実を言えば、そう思わなかったことは一度もない。日本の道徳では、孝は忠と並んで、車の両輪の一つとされている。それを書けないのは、孝についての日本人の考えを知らないからではない。むしろ、この徳について西洋人がどう感じているかを知らないので、自分で納得のいく比べ方ができないのである。いつか、このことや、ほかの話題についても、ある程度くわしく論じたいと願っている。この本で触れた題材は、どれもさらに掘り下げて論じることができる。だが今のところ、この本を今以上に大きくする見通しは立っていない。

最後に、妻への恩を書き落としたら、この序文は不完全で不公平なものになるだろう。妻は校正刷りを読み、役に立つ助言をしてくれた。そして何よりも、いつも私を励ましてくれた。

I・N 京都にて 一九〇五年五月二十二日

日本語訳:多読ベスト

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理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What question did M. de Laveleye ask that stunned Nitobe?

Q2. Who else often asked Nitobe why certain ideas and customs prevail in Japan?

Q3. What chapter did Nitobe regret being unable to add to the tenth edition?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

📕 武士道 Bushido: The Soul of Japan

全18章・32,987語。1章ずつ、音声と全訳つきで読めます。

目次(全18章)
  1. 序文 1,013語
  2. 第1章 道徳体系としての武士道 1,469語
  3. 第2章 武士道の淵源 1,889語
  4. 第3章 義 914語
  5. 第4章 勇・敢為堅忍の精神 1,460語
  6. 第5章 仁・惻隠の心 2,252語
  7. 第6章 礼 1,909語
  8. 第7章 誠 1,745語
  9. 第8章 名誉 1,592語
  10. 第9章 忠義 2,020語
  11. 第10章 武士の教育および訓練 1,391語
  12. 第11章 克己 1,391語
  13. 第12章 自殺および復仇の制度 3,759語
  14. 第13章 刀・武士の魂 1,100語
  15. 第14章 婦人の教育および地位 3,341語
  16. 第15章 武士道の感化 1,525語
  17. 第16章 武士道はなお生くるか 2,296語
  18. 第17章 武士道の将来 1,921語

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