2026年9月19日(土)
「なんで生徒が掃除するの?」
「教育のため」と答える前に、確かめたいこと
日本の学校を紹介する動画で、いちばん再生数が伸びるのは授業でも部活でもありません。生徒が箒を持ち、机を運び、床を雑巾で拭く数分間です。コメント欄には必ず同じ質問が並びます。掃除の人はいないのか、と。日本人にとっては当たり前すぎて、答えに詰まる問いでもあります。
答えは「授業の一部」
先に答えを言うと、日本の学校の掃除は、余った時間にやらされる雑用ではありません。文部科学省の学習指導要領では、清掃は「特別活動」の一環として位置づけられています。教科ではありませんが、教育課程の中に置かれた活動です。
つまり建前としては、掃除は国語や算数と同じ時間割の中にあります。自分たちが使う場所を自分たちで整えること、当番を分担して回すことを学ぶ時間、という説明になります。だから「掃除の人を雇えばいいのに」という発想が、そもそも出てきません。
雑巾がけは木造校舎の名残
外国人がいちばん驚くのは、床に手をついて走る雑巾がけでしょう。あれは日本独特の光景で、板張りの木造校舎だった時代の名残でもあります。今はリノリウムの床が多いのに、動作だけがそのまま受け継がれています。
掃除の時間に音楽が流れる学校も多いです。曲が終わるまでに終わらせる、という合図として使われていて、その曲を卒業して何年たっても覚えている、というのは日本人にかなり共通した体験です。
きれいな話ばかりでもない
ただ、これを「日本の美徳」として語ってしまうと、実態から離れます。掃除の時間が真面目に機能している学校もあれば、箒でふざけているだけの時間になっている学校もあります。押しつけられた当番だと感じている生徒も当然います。
近年は、衛生面や生徒の負担を理由に、トイレの清掃を業者に委託する学校が増えています。すべてを子どもにやらせるのが正しい、という前提は、日本の中でも少しずつ問い直されています。
説明するときの言い方
海外での紹介は多く、いくつかの国の学校が試験的に取り入れた例も報じられています。ただ、真似をすれば同じことが起きるわけではありません。日本では小学校から十二年間かけて、掃除がある前提の一日に体が慣らされていきます。そこを飛ばして最後の数分だけを持ってくるのは難しいでしょう。
ですから英語で説明するときは、「日本人はきれい好きだから」で終わらせないほうがいいです。学校が掃除の時間を教育の一部として組み込んでいる、と事実の形で言うほうが、相手にはよほど伝わります。
英語で言うと
Japanese students clean their own school because cleaning is written into the timetable as part of their education, not because the school can't afford cleaners. Everyone takes a turn on a rota, and it usually takes about fifteen minutes at the end of the day. I'd be careful about calling it a national virtue, though — plenty of schools now pay contractors to do the toilets.
日本の生徒が自分の学校を掃除するのは、清掃員を雇えないからではなく、掃除が教育の一部として時間割に書き込まれているからです。当番で順番に回り、一日の終わりに十五分ほど。ただ、これを国民性だと言うのは慎重にしたいところです。いまはトイレを業者に任せている学校も少なくありません。
このコラムから、使えるフレーズ
- Cleaning is part of the school day, not a punishment.掃除は罰ではなく、学校の一日の一部です。
- We took turns. Everyone was on a rota.当番制で、全員が順番に回ってきました。
- You wipe the floor with a cloth, on your hands and feet.雑巾で、手と足をついて床を拭くんです。
- There's music, and you finish before the song ends.音楽が流れて、曲が終わるまでに終わらせます。
- Some schools now hire contractors for the toilets.トイレは業者に頼む学校も増えています。
- It's normal here, but I wouldn't call it a national virtue.ここでは普通のことですが、国民性の美徳とまでは言いません。