The Man in the Arena(セオドア・ルーズベルト「アリーナに立つ者」の物語)の挿絵
Level 4 Intermediate英語の名スピーチ

The Man in the Arena

セオドア・ルーズベルト「アリーナに立つ者」の物語

  • 📖 855 words
  • ⏱ 約8分
  • YL 2.5–3.4
  • 英検2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ大統領を退いたルーズベルトがパリで行った長い演説。その中のわずか数行が、100年以上たった今も、挑戦する人々をはげまし続けています。

セオドア・ルーズベルトのソルボンヌ大学での演説「共和国における市民であること」(1910年)をもとにした多読ベストのオリジナル読み物(演説の一節を引用。原文はパブリックドメイン)

キーワード(10語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • asthmaぜんそく
  • strenuous奮闘する、骨の折れる
  • rancher牧場経営者
  • cavalry騎兵隊
  • assassinated暗殺された
  • sneerあざ笑う
  • critic批評する人
  • arena闘技場、競技場
  • marred傷つけられた、よごされた
  • timid臆病な

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Theodore Roosevelt was a sickly child. He suffered from asthma, and some nights he could hardly breathe. He grew up in a wealthy family in New York City, and his father encouraged him to build up his body. Young Theodore exercised hard, boxed, hiked, and rowed. For the rest of his life, he believed in what he called the strenuous life, a life of effort, action, and challenge.

セオドア・ルーズベルトは病弱な子どもでした。ぜんそくに苦しみ、ほとんど息ができない夜もありました。ニューヨーク市の裕福な家に育ち、父親から体を鍛えるようにと励まされました。少年セオドアは懸命に運動し、ボクシングや山歩きやボートこぎに励みました。そして生涯、自ら「奮闘の人生」と呼んだ生き方を信じ続けました。努力し、行動し、挑戦する人生です。

He lived that kind of life. After studying at Harvard, he entered politics in New York. In 1884, his wife and his mother died on the same day, and in his grief he went west to the Dakota Territory to work as a rancher. During the Spanish-American War of 1898, he led a volunteer cavalry unit called the Rough Riders. In 1901, he became vice president. When President William McKinley was assassinated later that year, Roosevelt became, at forty-two, the youngest president in American history.

ルーズベルトは、まさにそのとおりに生きました。ハーバード大学で学んだあと、ニューヨークで政治の世界に入ります。1884年、妻と母を同じ日に亡くすと、悲しみを抱えて西部のダコタ準州へ行き、牧場で働きました。1898年の米西戦争では、「ラフ・ライダーズ」と呼ばれる義勇騎兵隊を率いました。1901年には副大統領になります。その年のうちにウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺され、ルーズベルトは42歳で、アメリカ史上もっとも若い大統領になりました。

As president, he protected huge areas of forest and created national parks and wildlife areas. He also built up the navy. In 1905, he helped end the war between Russia and Japan by bringing the two sides together for peace talks in Portsmouth, New Hampshire. For this, he received the Nobel Peace Prize in 1906, becoming the first American to win it.

大統領として、ルーズベルトは広大な森林を保護し、国立公園や野生生物の保護区を作りました。海軍の増強も進めました。1905年には、ロシアと日本をニューハンプシャー州ポーツマスでの講和会議に招き、日露戦争を終わらせる手助けをしました。この功績で、1906年にノーベル平和賞を受賞しました。アメリカ人として初めての受賞です。

Roosevelt left office in March 1909. Soon after, he went on a long hunting and scientific expedition in Africa, collecting animals and plants for a museum in Washington. In 1910, he traveled across Europe, where he was welcomed like a celebrity by kings, scholars, and large crowds.

ルーズベルトは1909年3月に大統領を退きました。その後まもなく、アフリカへ長い狩猟と科学調査の旅に出かけ、ワシントンの博物館のために動物や植物を集めました。1910年にはヨーロッパ各地を回り、国王や学者や大勢の人々から、有名人として歓迎されました。

On April 23, 1910, he spoke at the Sorbonne, the famous university in Paris. The hall was packed. His speech was called "Citizenship in a Republic." It was long, and it covered many subjects: the duties of ordinary citizens in a democracy, the importance of hard work and good character, and the need for both courage and common sense.

1910年4月23日、ルーズベルトはパリの名門大学ソルボンヌで演説しました。会場は満員です。演説の題は「共和国における市民」。長い演説で、さまざまなテーマにふれていました。民主主義の国でふつうの市民が果たすべき務め。勤勉とよい人格の大切さ。そして、勇気と良識の両方が必要だということです。

But one short passage became far more famous than all the rest. Roosevelt warned against people who stand at the side and sneer at those who try to do great things. Then he said: "It is not the critic who counts; not the man who points out how the strong man stumbles, or where the doer of deeds could have done them better. The credit belongs to the man who is actually in the arena, whose face is marred by dust and sweat and blood."

けれども、そのうちの短い一節が、ほかの部分とは比べものにならないほど有名になりました。ルーズベルトはまず、脇に立って、大きなことを成し遂げようとする人をあざ笑う者たちをいましめました。そして、こう語ったのです。「重要なのは批評家ではない。強い人がどこでつまずいたか、実際に行動した人がどこをもっとうまくやれたかを指摘する人でもない。称賛されるべきは、実際にアリーナに立ち、顔をほこりと汗と血にまみれさせている人なのだ」。

An arena is a place for a contest, like the stadiums of ancient Rome, or a modern sports field. The man in the arena, Roosevelt explained, works hard, makes mistakes, and falls short again and again, because there is no effort without error. But he knows great enthusiasm and great devotion. At best, he finally wins a great achievement. And at worst, if he fails, at least he fails "while daring greatly."

アリーナとは、古代ローマの闘技場や現代の競技場のような、勝負をする場所のことです。アリーナに立つ者は懸命に努力し、間違いを犯し、何度も何度もあと一歩及ばない、とルーズベルトは説明しました。間違いのない努力などないからです。けれども、その人は大きな情熱を燃やし、ひたむきに身をささげます。うまくいけば、最後には偉大なことを成し遂げます。最悪の場合、たとえ失敗しても、少なくとも「果敢に挑みながら」失敗するのです。

So, Roosevelt said, such a person will never belong with those cold and timid people who never know either victory or defeat, because they never try.

だからこそ、そういう人は決して、あの冷ややかで臆病な人々の仲間にはならない、とルーズベルトは言いました。挑戦しないために、勝利も敗北も知らない人々です。

Roosevelt was not saying that all criticism is bad. What he disliked, as he explained just before the famous passage, was the cynical habit of criticizing work that the critic never tries to do himself. Such an attitude, he believed, was not a sign of intelligence or superiority. It was a sign of weakness. Real respect, in his view, belonged to the people who were willing to take the risk of failing in public.

ルーズベルトは、批判がすべて悪いと言ったわけではありません。有名な一節の直前で説明しているように、ルーズベルトがきらったのは冷笑的な態度でした。自分では決してやろうとしない仕事を、あれこれ批判する態度です。そういう態度は、頭のよさや優秀さのしるしではない。弱さのしるしだ、とルーズベルトは考えていました。本当に尊敬されるべきなのは、人前で失敗する危険をあえて引き受ける人々なのです。

Just two years later, Roosevelt stepped back into the arena himself. In 1912, he ran for president again with a new political party. During the campaign in Milwaukee, a man in the crowd shot him in the chest. The bullet was slowed down by the thick, folded copy of his speech and a metal glasses case in his coat pocket. Bleeding, Roosevelt insisted on giving his speech anyway, and he spoke for more than an hour before going to the hospital. He lost the election to Woodrow Wilson, but he had shown that he truly lived by his own words.

そのわずか2年後、ルーズベルト自身がふたたびアリーナに足を踏み入れます。1912年、新しい政党から、もう一度大統領選に立候補したのです。ミルウォーキーでの選挙運動中、群衆の中にいた男がルーズベルトの胸を撃ちました。上着のポケットには、分厚く折りたたんだ演説原稿と、金属のめがねケースが入っていました。それが弾の勢いを弱めたのです。ルーズベルトは血を流しながらも、それでも演説すると言い張り、1時間以上話してから病院へ向かいました。選挙ではウッドロウ・ウィルソンに敗れましたが、自分の言葉どおりに生きていることを、身をもって示したのです。

Today, the "man in the arena" passage is quoted by athletes, business leaders, and politicians around the world. The American researcher Brene Brown took the title of her popular 2012 book, Daring Greatly, from it.

今では、「アリーナに立つ者」の一節は、世界中のスポーツ選手や経営者、政治家に引用されています。アメリカの研究者ブレネー・ブラウンは、2012年の人気の著書『本当の勇気は「弱さ」を認めること(原題:Daring Greatly)』の題名を、この一節からとりました。

Part of the passage's power comes from its images. Instead of talking about courage in general terms, Roosevelt painted a picture: a face covered with dust, sweat, and blood, and a person who falls down and gets up again. Readers can almost see the struggle, and that makes the message easy to remember.

この一節が力を持つのは、一つには、目に浮かぶ情景があるからです。ルーズベルトは勇気を一般論で語るかわりに、一枚の絵を描いてみせました。ほこりと汗と血にまみれた顔。倒れては、また起き上がる人の姿。読む人にはその奮闘が目に見えるようで、だからこそメッセージが心に残りやすいのです。

Like many leaders of his time, Roosevelt also held views on race and empire that many people today strongly criticize. His legacy is not simple. But the message of his famous passage still speaks to people everywhere.

同時代の多くの指導者と同じように、ルーズベルトも、人種や帝国について、今の多くの人が強く批判する考えを持っていました。ルーズベルトの残したものは、ひと言では評価できません。それでも、この有名な一節のメッセージは、今も世界中の人々の心に語りかけています。

For language learners, too, it has a special meaning. Every time you speak English and make a mistake, you are in the arena. The people who never make mistakes are often the people who never try. It is better to try, stumble, and learn than to stand at the side and watch.

語学を学ぶ人にとっても、この一節には特別な意味があります。英語を話して間違えるたびに、あなたはアリーナに立っているのです。まちがえない人というのは、たいてい挑戦しない人です。脇に立ってながめているより、挑戦し、つまずき、そこから学ぶほうがずっとよいのです。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

セオドア・ルーズベルトは病弱な子どもでした。ぜんそくに苦しみ、ほとんど息ができない夜もありました。ニューヨーク市の裕福な家に育ち、父親から体を鍛えるようにと励まされました。少年セオドアは懸命に運動し、ボクシングや山歩きやボートこぎに励みました。そして生涯、自ら「奮闘の人生」と呼んだ生き方を信じ続けました。努力し、行動し、挑戦する人生です。

ルーズベルトは、まさにそのとおりに生きました。ハーバード大学で学んだあと、ニューヨークで政治の世界に入ります。1884年、妻と母を同じ日に亡くすと、悲しみを抱えて西部のダコタ準州へ行き、牧場で働きました。1898年の米西戦争では、「ラフ・ライダーズ」と呼ばれる義勇騎兵隊を率いました。1901年には副大統領になります。その年のうちにウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺され、ルーズベルトは42歳で、アメリカ史上もっとも若い大統領になりました。

大統領として、ルーズベルトは広大な森林を保護し、国立公園や野生生物の保護区を作りました。海軍の増強も進めました。1905年には、ロシアと日本をニューハンプシャー州ポーツマスでの講和会議に招き、日露戦争を終わらせる手助けをしました。この功績で、1906年にノーベル平和賞を受賞しました。アメリカ人として初めての受賞です。

ルーズベルトは1909年3月に大統領を退きました。その後まもなく、アフリカへ長い狩猟と科学調査の旅に出かけ、ワシントンの博物館のために動物や植物を集めました。1910年にはヨーロッパ各地を回り、国王や学者や大勢の人々から、有名人として歓迎されました。

1910年4月23日、ルーズベルトはパリの名門大学ソルボンヌで演説しました。会場は満員です。演説の題は「共和国における市民」。長い演説で、さまざまなテーマにふれていました。民主主義の国でふつうの市民が果たすべき務め。勤勉とよい人格の大切さ。そして、勇気と良識の両方が必要だということです。

けれども、そのうちの短い一節が、ほかの部分とは比べものにならないほど有名になりました。ルーズベルトはまず、脇に立って、大きなことを成し遂げようとする人をあざ笑う者たちをいましめました。そして、こう語ったのです。「重要なのは批評家ではない。強い人がどこでつまずいたか、実際に行動した人がどこをもっとうまくやれたかを指摘する人でもない。称賛されるべきは、実際にアリーナに立ち、顔をほこりと汗と血にまみれさせている人なのだ」。

アリーナとは、古代ローマの闘技場や現代の競技場のような、勝負をする場所のことです。アリーナに立つ者は懸命に努力し、間違いを犯し、何度も何度もあと一歩及ばない、とルーズベルトは説明しました。間違いのない努力などないからです。けれども、その人は大きな情熱を燃やし、ひたむきに身をささげます。うまくいけば、最後には偉大なことを成し遂げます。最悪の場合、たとえ失敗しても、少なくとも「果敢に挑みながら」失敗するのです。

だからこそ、そういう人は決して、あの冷ややかで臆病な人々の仲間にはならない、とルーズベルトは言いました。挑戦しないために、勝利も敗北も知らない人々です。

ルーズベルトは、批判がすべて悪いと言ったわけではありません。有名な一節の直前で説明しているように、ルーズベルトがきらったのは冷笑的な態度でした。自分では決してやろうとしない仕事を、あれこれ批判する態度です。そういう態度は、頭のよさや優秀さのしるしではない。弱さのしるしだ、とルーズベルトは考えていました。本当に尊敬されるべきなのは、人前で失敗する危険をあえて引き受ける人々なのです。

そのわずか2年後、ルーズベルト自身がふたたびアリーナに足を踏み入れます。1912年、新しい政党から、もう一度大統領選に立候補したのです。ミルウォーキーでの選挙運動中、群衆の中にいた男がルーズベルトの胸を撃ちました。上着のポケットには、分厚く折りたたんだ演説原稿と、金属のめがねケースが入っていました。それが弾の勢いを弱めたのです。ルーズベルトは血を流しながらも、それでも演説すると言い張り、1時間以上話してから病院へ向かいました。選挙ではウッドロウ・ウィルソンに敗れましたが、自分の言葉どおりに生きていることを、身をもって示したのです。

今では、「アリーナに立つ者」の一節は、世界中のスポーツ選手や経営者、政治家に引用されています。アメリカの研究者ブレネー・ブラウンは、2012年の人気の著書『本当の勇気は「弱さ」を認めること(原題:Daring Greatly)』の題名を、この一節からとりました。

この一節が力を持つのは、一つには、目に浮かぶ情景があるからです。ルーズベルトは勇気を一般論で語るかわりに、一枚の絵を描いてみせました。ほこりと汗と血にまみれた顔。倒れては、また起き上がる人の姿。読む人にはその奮闘が目に見えるようで、だからこそメッセージが心に残りやすいのです。

同時代の多くの指導者と同じように、ルーズベルトも、人種や帝国について、今の多くの人が強く批判する考えを持っていました。ルーズベルトの残したものは、ひと言では評価できません。それでも、この有名な一節のメッセージは、今も世界中の人々の心に語りかけています。

語学を学ぶ人にとっても、この一節には特別な意味があります。英語を話して間違えるたびに、あなたはアリーナに立っているのです。まちがえない人というのは、たいてい挑戦しない人です。脇に立ってながめているより、挑戦し、つまずき、そこから学ぶほうがずっとよいのです。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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It is better to try and fail than to stand at the side and criticize those who try.

わきに立って挑戦する人を批判するより、挑戦して失敗するほうがずっとよい。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. Where did Roosevelt give this speech?

Q2. According to Roosevelt, who deserves the credit?

Q3. What happened to Roosevelt in Milwaukee in 1912?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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