A Promise at Midnight(ネルー「運命との約束」の物語)の挿絵
Level 4 Intermediate英語の名スピーチ

A Promise at Midnight

ネルー「運命との約束」の物語

  • 📖 884 words
  • ⏱ 約8分
  • YL 2.5–3.4
  • 英検2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ1947年8月14日から15日にかけての真夜中、インドは独立の瞬間をむかえようとしていました。初代首相となるネルーが語った、喜びと重い責任の言葉とは。

ジャワハルラール・ネルーの「運命との約束」演説(1947年)をもとにした多読ベストのオリジナル読み物(演説の原文は引用していません。短い一句のみ引用)

キーワード(10語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • astrologers占星術師
  • viceroy総督
  • anniversary記念日
  • Constituent Assembly制憲議会
  • tryst会う約束、待ち合わせ
  • destiny運命
  • conch shellほら貝
  • partition分離独立、分割
  • secular政教分離の、世俗の
  • democracy民主主義(国)

🔊 音声は準備中です。もうしばらくお待ちください。

On the night of August 14, 1947, the city of Delhi was full of excitement. Crowds filled the streets, and buildings were decorated with lights. After about two hundred years of British control, India was about to become independent at midnight.

1947年8月14日の夜、デリーの町は熱気に包まれていました。通りは人であふれ、建物には明かりがともされていました。およそ200年にわたるイギリスの支配が終わり、インドは真夜中に独立しようとしていたのです。

Why midnight? According to a popular story, some astrologers warned that August 15 was not a lucky day. So India's leaders met late on August 14, and the new nation was born at the stroke of midnight, just as August 15 began. The date had been chosen by Lord Mountbatten, the last British viceroy of India. He is said to have chosen it because it was the second anniversary of Japan's surrender, which had ended the war in Asia.

なぜ真夜中だったのでしょうか。よく知られた話があります。8月15日は縁起がよくない、と占星術師たちが警告したというのです。そこで指導者たちは8月14日の夜おそくに集まり、8月15日になったばかりの真夜中ちょうどに、新しい国が誕生することになりました。この日付を決めたのは、インド最後のイギリス人総督、マウントバッテン卿です。日本が降伏してアジアでの戦争が終わってから、ちょうど2年目にあたる日だったから選んだ、といわれています。

The man who would become India's first prime minister was Jawaharlal Nehru. He was fifty-seven. He had been born into a rich family in the city of Allahabad and had studied in England at Harrow School and Cambridge University. But under Gandhi's influence, he gave up a comfortable life to join the struggle for independence. Altogether, he spent about nine years in British prisons, where he wrote several books, including a history of the world in the form of letters to his daughter.

インドの初代首相となるのは、ジャワハルラール・ネルーでした。57歳です。ネルーはアラーハーバードの裕福な家に生まれ、イギリスのハロー校とケンブリッジ大学で学びました。けれどもガンディーの影響を受け、恵まれた暮らしを捨てて独立運動に身を投じます。イギリスの刑務所で過ごした年月は、合わせておよそ9年。獄中で何冊もの本を書きました。その中には、娘にあてた手紙の形で書いた世界の歴史もあります。

Late that night, the members of the Constituent Assembly, the group that would write India's new constitution, gathered in their hall in New Delhi. Just before midnight, Nehru stood up and spoke in English. His words were also broadcast on the radio.

その夜おそく、新しい憲法を作る制憲議会の議員たちが、ニューデリーの議場に集まりました。真夜中の少し前、ネルーが立ち上がり、英語で演説を始めました。その言葉はラジオでも放送されました。

He began by saying that long ago, India had made "a tryst with destiny," and that now the time had come to keep that promise. A tryst is an old word for a planned meeting, often a secret meeting between two people in love. By using it, Nehru suggested that India had been waiting a very long time for this moment, as if for a meeting with fate itself.

ネルーはまず、こう語りました。はるか昔、インドは「運命との約束」を交わした。今こそ、その約束を果たす時が来たのだ、と。「約束」と訳した英語のトライストは、前もって決めておいた待ち合わせを指す古い言葉で、恋人どうしのひそかな逢い引きを意味することが多いのです。この言葉を使うことで、ネルーは伝えようとしました。インドは、まるで運命そのものと会う約束をしていたかのように、この瞬間を長い長いあいだ待ち続けてきたのだ、と。

He described how, while most of the world was asleep, India would wake up to a new life of freedom. Such moments, he said, come very rarely in history: one age ends, and a nation that has been silenced for a long time finally finds its voice.

世界が眠りについているあいだに、インドは目を覚まし、自由という新しい命を生きるのだ、とネルーは語りました。こうした瞬間は、歴史の中でもめったに訪れない。一つの時代が終わり、長く押し黙らされてきた国が、ついに自らの声を取り戻す瞬間なのだ、と。

But Nehru did not speak only of celebration. He reminded the Assembly that freedom brings responsibility. The work ahead was enormous: to end poverty, ignorance, and disease, and to give every person an equal chance in life. He spoke of the greatest man of their generation, meaning Gandhi, whose wish was to wipe away every tear from every eye. That might be beyond their power, Nehru admitted, but as long as people were suffering, their work would not be finished.

けれどもネルーは、喜びだけを語ったのではありません。自由には責任がともなうことを、議員たちに思い起こさせました。行く手に待つ仕事は、とてつもなく大きなものです。貧困と無知と病気をなくし、すべての人に、人生で平等な機会を与えなければなりません。ネルーはまた、自分たちの世代でもっとも偉大な人、つまりガンディーにふれました。その人の願いは、すべての人の目から、すべての涙をぬぐい去ることでした。それは私たちの力には余ることかもしれない、とネルーは認めました。けれども、苦しんでいる人がいるかぎり、私たちの仕事は終わらないのだ、と。

Nehru's speech also looked beyond India's borders. He said that in the modern world, peace and freedom could not be divided among nations, and that a disaster in one part of the world would affect all the others. He sent greetings to people everywhere and promised that India would work with other nations for peace. Later, as prime minister, he became one of the founders of the Non-Aligned Movement, a group of countries that chose not to join either side in the Cold War.

ネルーの演説は、インドの国境の外にも目を向けていました。今の世界では、平和も自由も国ごとに切り分けることはできない。世界のどこかで起きた災いは、ほかのすべての場所におよぶ、とネルーは言いました。そして世界中の人々にあいさつを送り、インドは平和のために他国と力を合わせていくと約束しました。のちに首相となったネルーは、非同盟運動の創設者の一人になります。冷戦のどちらの陣営にも加わらない道を選んだ国々の集まりです。

It is said that when the clock struck twelve, a conch shell was blown in the hall, a traditional sound in India that marks the start of something important. India was free. Outside, people cheered and celebrated through the night.

時計が12時を打つと、議場にほら貝の音がひびきわたったといいます。インドで、大切なことの始まりを告げる伝統の音です。インドは自由になりました。外では人々が歓声を上げ、夜通し祝い続けました。

On August 16, Nehru raised the new national flag, with its bands of saffron, white, and green and a blue wheel in the center, at the Red Fort in Delhi. Ever since, the prime minister of India has raised the flag there every Independence Day.

8月16日、ネルーはデリーの赤い城(レッド・フォート)に、新しい国旗を掲げました。サフラン色・白・緑の三色の帯の中央に、青い車輪が描かれた旗です。それ以来、毎年の独立記念日には、インドの首相がこの場所で国旗を掲げています。

But one person was missing. Gandhi, the man who had done more than anyone to bring this moment, was not in Delhi. He was in Calcutta, now Kolkata, where violence had broken out between Hindus and Muslims. He spent the first day of independence quietly, fasting and praying, and trying to bring peace to the city.

けれども、そこにいるはずの一人の姿がありませんでした。この日を迎えるために、だれよりも力をつくしたガンディーです。ガンディーはデリーではなく、カルカッタ(現在のコルカタ)にいました。そこでは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒のあいだで暴力が起きていたのです。独立の最初の日、ガンディーは静かに断食し、祈り、町に平和を取り戻そうとしていました。

The reason for the violence was partition. At the same moment that India became free, British India was divided. A new country, Pakistan, had been created the day before, mainly for Muslims. It was made up of two separate parts, one to the west of India and one to the east. The new borders cut right through the regions of Punjab and Bengal.

暴力の原因は、分離独立でした。インドが自由になったその瞬間、イギリス領インドは分割されたのです。その前日には、主にイスラム教徒のための新しい国、パキスタンが生まれていました。パキスタンは、インドの西と東に離れた二つの地域から成っていました。新しい国境は、パンジャーブ地方とベンガル地方のまん中を切りさいていました。

In the months that followed, terrible violence spread. More than ten million people crossed the new borders. Hindus and Sikhs fled to India, and Muslims fled to Pakistan. Hundreds of thousands of people, and perhaps many more, were killed. Nehru's speech of hope was given in the shadow of one of the greatest human tragedies of the twentieth century.

それから数か月のあいだに、すさまじい暴力が広がりました。1000万人を超える人々が、新しい国境を越えていきました。ヒンドゥー教徒とシク教徒はインドへ、イスラム教徒はパキスタンへと逃れたのです。殺された人は何十万人、もしかするとそれよりはるかに多かったかもしれません。ネルーの希望の演説は、20世紀最大級の人間の悲劇が影を落とすなかで行われたのです。

Nehru served as prime minister for seventeen years, until his death in 1964. He worked to build a democratic, secular state, where people of every religion would have equal rights. He also invested heavily in science, schools, and industry. Historians still debate his economic policies and some of his decisions. But India, which he helped to shape, is today the world's largest democracy.

ネルーは1964年に亡くなるまで、17年間首相をつとめました。めざしたのは、民主的で、政治と宗教を切り離した国です。どの宗教の人も平等な権利を持てる国にしようとしたのです。科学や学校や産業にも、多くの資金をつぎこみました。その経済政策やいくつかの決定については、今も歴史家のあいだで意見が分かれています。けれども、ネルーが形づくりに力を注いだインドは、今では世界最大の民主主義国です。

His midnight speech is remembered because it held two truths together: great joy at a dream that had finally come true, and a serious awareness of the hard work that still lay ahead.

真夜中の演説が今も記憶されているのは、二つの真実をあわせ持っていたからです。ついにかなった夢への大きな喜び。そして、この先に待ち受ける困難な仕事への、真剣な覚悟です。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

1947年8月14日の夜、デリーの町は熱気に包まれていました。通りは人であふれ、建物には明かりがともされていました。およそ200年にわたるイギリスの支配が終わり、インドは真夜中に独立しようとしていたのです。

なぜ真夜中だったのでしょうか。よく知られた話があります。8月15日は縁起がよくない、と占星術師たちが警告したというのです。そこで指導者たちは8月14日の夜おそくに集まり、8月15日になったばかりの真夜中ちょうどに、新しい国が誕生することになりました。この日付を決めたのは、インド最後のイギリス人総督、マウントバッテン卿です。日本が降伏してアジアでの戦争が終わってから、ちょうど2年目にあたる日だったから選んだ、といわれています。

インドの初代首相となるのは、ジャワハルラール・ネルーでした。57歳です。ネルーはアラーハーバードの裕福な家に生まれ、イギリスのハロー校とケンブリッジ大学で学びました。けれどもガンディーの影響を受け、恵まれた暮らしを捨てて独立運動に身を投じます。イギリスの刑務所で過ごした年月は、合わせておよそ9年。獄中で何冊もの本を書きました。その中には、娘にあてた手紙の形で書いた世界の歴史もあります。

その夜おそく、新しい憲法を作る制憲議会の議員たちが、ニューデリーの議場に集まりました。真夜中の少し前、ネルーが立ち上がり、英語で演説を始めました。その言葉はラジオでも放送されました。

ネルーはまず、こう語りました。はるか昔、インドは「運命との約束」を交わした。今こそ、その約束を果たす時が来たのだ、と。「約束」と訳した英語のトライストは、前もって決めておいた待ち合わせを指す古い言葉で、恋人どうしのひそかな逢い引きを意味することが多いのです。この言葉を使うことで、ネルーは伝えようとしました。インドは、まるで運命そのものと会う約束をしていたかのように、この瞬間を長い長いあいだ待ち続けてきたのだ、と。

世界が眠りについているあいだに、インドは目を覚まし、自由という新しい命を生きるのだ、とネルーは語りました。こうした瞬間は、歴史の中でもめったに訪れない。一つの時代が終わり、長く押し黙らされてきた国が、ついに自らの声を取り戻す瞬間なのだ、と。

けれどもネルーは、喜びだけを語ったのではありません。自由には責任がともなうことを、議員たちに思い起こさせました。行く手に待つ仕事は、とてつもなく大きなものです。貧困と無知と病気をなくし、すべての人に、人生で平等な機会を与えなければなりません。ネルーはまた、自分たちの世代でもっとも偉大な人、つまりガンディーにふれました。その人の願いは、すべての人の目から、すべての涙をぬぐい去ることでした。それは私たちの力には余ることかもしれない、とネルーは認めました。けれども、苦しんでいる人がいるかぎり、私たちの仕事は終わらないのだ、と。

ネルーの演説は、インドの国境の外にも目を向けていました。今の世界では、平和も自由も国ごとに切り分けることはできない。世界のどこかで起きた災いは、ほかのすべての場所におよぶ、とネルーは言いました。そして世界中の人々にあいさつを送り、インドは平和のために他国と力を合わせていくと約束しました。のちに首相となったネルーは、非同盟運動の創設者の一人になります。冷戦のどちらの陣営にも加わらない道を選んだ国々の集まりです。

時計が12時を打つと、議場にほら貝の音がひびきわたったといいます。インドで、大切なことの始まりを告げる伝統の音です。インドは自由になりました。外では人々が歓声を上げ、夜通し祝い続けました。

8月16日、ネルーはデリーの赤い城(レッド・フォート)に、新しい国旗を掲げました。サフラン色・白・緑の三色の帯の中央に、青い車輪が描かれた旗です。それ以来、毎年の独立記念日には、インドの首相がこの場所で国旗を掲げています。

けれども、そこにいるはずの一人の姿がありませんでした。この日を迎えるために、だれよりも力をつくしたガンディーです。ガンディーはデリーではなく、カルカッタ(現在のコルカタ)にいました。そこでは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒のあいだで暴力が起きていたのです。独立の最初の日、ガンディーは静かに断食し、祈り、町に平和を取り戻そうとしていました。

暴力の原因は、分離独立でした。インドが自由になったその瞬間、イギリス領インドは分割されたのです。その前日には、主にイスラム教徒のための新しい国、パキスタンが生まれていました。パキスタンは、インドの西と東に離れた二つの地域から成っていました。新しい国境は、パンジャーブ地方とベンガル地方のまん中を切りさいていました。

それから数か月のあいだに、すさまじい暴力が広がりました。1000万人を超える人々が、新しい国境を越えていきました。ヒンドゥー教徒とシク教徒はインドへ、イスラム教徒はパキスタンへと逃れたのです。殺された人は何十万人、もしかするとそれよりはるかに多かったかもしれません。ネルーの希望の演説は、20世紀最大級の人間の悲劇が影を落とすなかで行われたのです。

ネルーは1964年に亡くなるまで、17年間首相をつとめました。めざしたのは、民主的で、政治と宗教を切り離した国です。どの宗教の人も平等な権利を持てる国にしようとしたのです。科学や学校や産業にも、多くの資金をつぎこみました。その経済政策やいくつかの決定については、今も歴史家のあいだで意見が分かれています。けれども、ネルーが形づくりに力を注いだインドは、今では世界最大の民主主義国です。

真夜中の演説が今も記憶されているのは、二つの真実をあわせ持っていたからです。ついにかなった夢への大きな喜び。そして、この先に待ち受ける困難な仕事への、真剣な覚悟です。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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Reaching a dream is not the end; it is the beginning of the responsibility to make it real for everyone.

夢をかなえることは終わりではない。それをすべての人にとっての現実にする責任の始まりなのだ。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What is a "tryst"?

Q2. Where was Gandhi on the first day of independence?

Q3. What happened at the same moment India became free?

🎥 本物を見る・聞く 実際のスピーチ

🎧 音声・Prasar Bharati Archives1947 - Pt. Jawaharlal Nehru's Constituent Assembly Speech | Tryst with Destiny (English)インドの公共放送プラサール・バーラティのアーカイブ。1947年8月14日深夜、制憲議会でのネルー本人の「運命との約束」演説(英語、約6分)

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この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
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