Unforgettable People(忘れえぬ人々)の挿絵
Level 4 Intermediate日本の昔話と名作

Unforgettable People

忘れえぬ人々

  • 📖 973 words
  • ⏱ 約9分
  • YL 2.5–3.4
  • 英検2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ雨の夜、多摩川のほとりの宿で出会った無名の文学者と画家。文学者は、書きかけの原稿「忘れえぬ人々」について語りはじめます。それは家族でも恩人でもない、ふしぎな人々の話でした。

国木田独歩『忘れえぬ人々』(1898年)をもとに再話

キーワード(10語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • inn宿屋
  • gloomyうっとうしい・陰気な
  • owe恩がある
  • steamer汽船
  • deck甲板
  • volcano火山
  • figure姿
  • fainterよりかすかに
  • luteリュート(弦楽器)
  • prideプライド・自尊心

🔊 音声は準備中です。もうしばらくお待ちください。

It was early March, and a cold rain was falling. At an old inn called Kameya in Mizonokuchi, a small town near the Tama River, the lamps had just been lit. Few travelers came on such a gloomy night, and the inn was quiet. The owner, a big man of about fifty, was sitting by the fire, smoking his pipe.

三月の初めで、冷たい雨が降っていた。多摩川に近い小さな町、溝口にある亀屋という古い宿屋では、ちょうどランプに火がともされたところだった。こんなうっとうしい夜にやって来る旅人は少なく、宿は静かだった。五十くらいの大がらな主人が、火のそばに座ってきせるをふかしていた。

Then a young man came in, wet from the rain. He was about twenty-seven or twenty-eight, thin, with bright, gentle eyes. He was given a room upstairs. His name was Otsu, and he was a writer who was not yet famous. In the next room, there was another young traveler, a painter named Akiyama. The two men soon began to talk, and they got along so well that they ordered sake and sat up together late into the night, listening to the rain.

そこへ、雨にぬれたひとりの若い男が入ってきた。年は二十七、八で、やせていて、明るくやさしい目をしていた。男は二階の部屋に通された。名前を大津といい、まだ世に知られていない文学者だった。となりの部屋には、もうひとり若い旅人がいた。秋山という画家だった。ふたりはすぐに話しはじめ、すっかり気が合って、酒を頼み、雨の音を聞きながら夜おそくまで一緒に起きていた。

On Otsu's desk, Akiyama noticed a bundle of papers. On the top page was written, "Unforgettable People." "What is that?" Akiyama asked. Otsu smiled a little shyly. "It's something I am writing," he said. "Would you like to hear about it?" "Very much," said Akiyama.

大津の机の上に、秋山は紙のたばがあるのに気づいた。いちばん上の紙には、「忘れえぬ人々」と書いてあった。「それは何ですか」と、秋山はたずねた。大津は、少し照れくさそうにほほえんだ。「書きかけのものなんです」と、大津は言った。「聞いてみますか」「ぜひ」と、秋山は答えた。

"First, I must explain what I mean by 'unforgettable people,'" Otsu said. "I don't mean parents, teachers or close friends. Those are people we must not forget, because we owe them so much. The people I mean are different. They are people we could forget without any problem. They have nothing to do with our lives. We never even spoke to them. And yet, for some reason, we can never forget them."

「まず、『忘れえぬ人々』というのがどういう意味なのか、説明しなくてはなりません」と、大津は言った。「親や先生や親しい友だちのことではないのです。そういう人たちは大変な恩があるから、忘れてはならない人々です。わたしの言うのはちがいます。忘れてしまってもまったくかまわない人々なのです。わたしたちの人生には、何のかかわりもない。言葉をかわしたことさえない。それなのに、なぜか、どうしても忘れることができない人々なのです」

"Let me tell you about a few of them," he went on. "When I was nineteen, I left school in Tokyo because I was sick, and I went home to my parents by steamer through the Inland Sea. It was spring. The sea was calm and shining, and the small islands floated on it like dreams. I stood alone on the deck, looking at them."

「何人かお話ししましょう」と、大津は続けた。「十九のとき、わたしは病気になって東京の学校をやめ、汽船で瀬戸内海を通って親もとへ帰りました。春でした。海はおだやかにかがやき、小さな島々が夢のようにその上に浮かんでいました。わたしはひとりで甲板に立って、島々をながめていました」

"Our ship passed close to a small island. There were no houses on it, only a little hill and a lonely beach. On the beach, I saw a man. He was bending down and picking something up from the sand, maybe shells or seaweed. Then he walked a few steps and bent down again. He was so far away that I could not see his face. The ship went on, and soon he became a small black dot and disappeared. That is all. But I have never forgotten him. Even now, I can see him clearly, picking things up on that bright, quiet beach."

「船は、ある小さな島のすぐそばを通りました。家は一軒もなく、小さな丘とさびしい浜があるだけでした。その浜に、ひとりの男が見えました。かがんで、砂から何かを拾っているのです。貝か海草だったのかもしれません。それから二、三歩歩いて、またかがむのです。遠すぎて、顔は見えませんでした。船は進み、男はやがて小さな黒い点になって、見えなくなりました。それだけのことです。けれども、わたしはその男を忘れたことがありません。今でも、あの明るく静かな浜で何かを拾っている男の姿が、はっきりと目に浮かぶのです」

"Another one is from Mount Aso, in Kyushu. One spring evening, a friend and I were coming down the mountain after a long day of walking. The great volcano was sending smoke up into the sky behind us. The sun was going down, and the wide fields below were turning purple. We were tired and hungry, and we walked in silence toward a small village."

「もうひとりは、九州の阿蘇山でのことです。ある春の夕方、友人とわたしは、一日じゅう歩いたあとで山を下りていました。うしろでは大きな火山が、空にけむりを吹き上げていました。日がしずみかけて、下に広がる広い野原が、むらさき色に染まっていきました。わたしたちはつかれて、おなかもすいていて、だまって小さな村へ向かって歩いていました」

"Then we heard someone singing an old horse driver's song. A young man came up the road toward us, leading a horse. He was singing in a clear, strong voice. As he passed us, I saw his face for only a moment. Then he went on up the road, and his figure stood out black against the evening sky. His song grew fainter and fainter until we could not hear it at all. I don't know his name. I will never meet him again. But I cannot forget him."

「すると、だれかが古い馬子唄を歌っているのが聞こえてきました。ひとりの若者が、馬を引いて、道をこちらへ上ってきたのです。若者は、すんだ力強い声で歌っていました。すれちがうとき、ほんの一瞬だけ顔が見えました。それから若者は道を上っていき、その姿は夕方の空に黒くくっきりと浮かびました。歌声はだんだんかすかになって、とうとうまったく聞こえなくなりました。わたしはその若者の名前を知りません。二度と会うこともないでしょう。でも、忘れることができないのです」

"One more," said Otsu. "Once I stayed in Mitsugahama, a port town in Shikoku. One morning, I walked through the busy market. People were shouting and laughing, selling fish and vegetables. In the middle of all this noise, I saw a monk standing by the road, playing a biwa. A biwa is an old Japanese instrument, like a lute. He was singing a sad old song in a deep voice."

「もうひとり」と、大津は言った。「以前、四国の三津が浜という港町に泊まったことがあります。ある朝、わたしはにぎやかな市場を歩きました。人々は大声をあげたり笑ったりしながら、魚や野菜を売っていました。そのさわがしさのまん中で、道ばたに立って琵琶をひいている僧を見かけたのです。琵琶というのは、リュートに似た日本の古い楽器です。僧は低い声で、悲しい古い歌を歌っていました」

"Nobody stopped to listen to him. Nobody even looked at him. People just walked past, busy with their shopping. But I stood there for a long time, listening to the sound of the biwa mixing with the noise of the market. It seemed to me so lonely and so beautiful. I can still hear it."

「だれも立ち止まって聞こうとはしませんでした。見る人さえいませんでした。人々は買い物に忙しく、ただ通りすぎていくのです。けれどもわたしは、長いあいだそこに立って、市場のざわめきにまじる琵琶の音を聞いていました。それは、なんともさびしく、なんとも美しく思えました。今でも、その音が聞こえるのです」

Akiyama listened quietly. The rain was still falling outside, and the night was deep.

秋山は、だまって聞いていた。外ではまだ雨が降りつづき、夜はふけていた。

"Why do you think you can't forget these people?" Akiyama asked at last.

「どうしてその人たちを忘れられないのだと思いますか」と、やがて秋山はたずねた。

Otsu was silent for a while. Then he said, "Sometimes, late at night, when I sit alone, I feel deeply lonely. I feel that I am a very small thing in this huge world. At those times, these people come back into my mind. The man on the beach, the young man with the horse, the monk with the biwa. And then I feel that they and I are all travelers on the same long road, walking from somewhere to somewhere under the same sky. My heart becomes warm, and I feel a gentle love for everyone. At those times, I am free from my small worries and my pride. Those are the moments when I am most peaceful."

大津はしばらくだまっていた。それから、こう言った。「ときどき、夜ふけにひとりで座っていると、深いさびしさを感じることがあります。この広い世界の中で、自分がとても小さなものに思えるのです。そんなとき、あの人たちが心によみがえってくるのです。浜の男、馬を引いた若者、琵琶をひく僧。そしてわたしは、こう感じるのです。あの人たちも自分も、みな同じ空の下で、どこかからどこかへ、同じ長い道を歩いていく旅人なのだと。胸があたたかくなり、すべての人へのやさしい愛情がわいてきます。そんなとき、わたしは自分の小さな悩みや自尊心から解き放たれるのです。それが、わたしがいちばん心安らかでいられるときなのです」

The two men sat in silence for a long time, listening to the rain. The next morning, the rain had stopped, and they said goodbye at the gate of the inn and went their separate ways.

ふたりは雨の音を聞きながら、長いあいだだまって座っていた。次の朝、雨はやんでいた。ふたりは宿の門の前で別れを告げ、それぞれの道へ去っていった。

Two years passed. Otsu was living somewhere in northeastern Japan, still working at his writing. One evening, he sat at his desk with the papers called "Unforgettable People." He had been adding new names. At the end of the papers, he had just written one more.

二年が過ぎた。大津は東北のある地方に住み、相変わらず文筆の仕事を続けていた。ある晩、大津は「忘れえぬ人々」と題した原稿を前に、机に向かっていた。その原稿には、少しずつ新しい名前を書き足してきた。そして今、最後にもうひとり書き加えたところだった。

But it was not the name of Akiyama, the painter he had talked with all night. It was "The owner of the Kameya Inn," the big man who had sat by the fire, quietly smoking his pipe.

けれどもそれは、ひと晩じゅう語り合った画家、秋山の名前ではなかった。それは「亀屋の主人」、火のそばに座って、静かにきせるをふかしていた、あの大がらな男だったのだ。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

三月の初めで、冷たい雨が降っていた。多摩川に近い小さな町、溝口にある亀屋という古い宿屋では、ちょうどランプに火がともされたところだった。こんなうっとうしい夜にやって来る旅人は少なく、宿は静かだった。五十くらいの大がらな主人が、火のそばに座ってきせるをふかしていた。

そこへ、雨にぬれたひとりの若い男が入ってきた。年は二十七、八で、やせていて、明るくやさしい目をしていた。男は二階の部屋に通された。名前を大津といい、まだ世に知られていない文学者だった。となりの部屋には、もうひとり若い旅人がいた。秋山という画家だった。ふたりはすぐに話しはじめ、すっかり気が合って、酒を頼み、雨の音を聞きながら夜おそくまで一緒に起きていた。

大津の机の上に、秋山は紙のたばがあるのに気づいた。いちばん上の紙には、「忘れえぬ人々」と書いてあった。「それは何ですか」と、秋山はたずねた。大津は、少し照れくさそうにほほえんだ。「書きかけのものなんです」と、大津は言った。「聞いてみますか」「ぜひ」と、秋山は答えた。

「まず、『忘れえぬ人々』というのがどういう意味なのか、説明しなくてはなりません」と、大津は言った。「親や先生や親しい友だちのことではないのです。そういう人たちは大変な恩があるから、忘れてはならない人々です。わたしの言うのはちがいます。忘れてしまってもまったくかまわない人々なのです。わたしたちの人生には、何のかかわりもない。言葉をかわしたことさえない。それなのに、なぜか、どうしても忘れることができない人々なのです」

「何人かお話ししましょう」と、大津は続けた。「十九のとき、わたしは病気になって東京の学校をやめ、汽船で瀬戸内海を通って親もとへ帰りました。春でした。海はおだやかにかがやき、小さな島々が夢のようにその上に浮かんでいました。わたしはひとりで甲板に立って、島々をながめていました」

「船は、ある小さな島のすぐそばを通りました。家は一軒もなく、小さな丘とさびしい浜があるだけでした。その浜に、ひとりの男が見えました。かがんで、砂から何かを拾っているのです。貝か海草だったのかもしれません。それから二、三歩歩いて、またかがむのです。遠すぎて、顔は見えませんでした。船は進み、男はやがて小さな黒い点になって、見えなくなりました。それだけのことです。けれども、わたしはその男を忘れたことがありません。今でも、あの明るく静かな浜で何かを拾っている男の姿が、はっきりと目に浮かぶのです」

「もうひとりは、九州の阿蘇山でのことです。ある春の夕方、友人とわたしは、一日じゅう歩いたあとで山を下りていました。うしろでは大きな火山が、空にけむりを吹き上げていました。日がしずみかけて、下に広がる広い野原が、むらさき色に染まっていきました。わたしたちはつかれて、おなかもすいていて、だまって小さな村へ向かって歩いていました」

「すると、だれかが古い馬子唄を歌っているのが聞こえてきました。ひとりの若者が、馬を引いて、道をこちらへ上ってきたのです。若者は、すんだ力強い声で歌っていました。すれちがうとき、ほんの一瞬だけ顔が見えました。それから若者は道を上っていき、その姿は夕方の空に黒くくっきりと浮かびました。歌声はだんだんかすかになって、とうとうまったく聞こえなくなりました。わたしはその若者の名前を知りません。二度と会うこともないでしょう。でも、忘れることができないのです」

「もうひとり」と、大津は言った。「以前、四国の三津が浜という港町に泊まったことがあります。ある朝、わたしはにぎやかな市場を歩きました。人々は大声をあげたり笑ったりしながら、魚や野菜を売っていました。そのさわがしさのまん中で、道ばたに立って琵琶をひいている僧を見かけたのです。琵琶というのは、リュートに似た日本の古い楽器です。僧は低い声で、悲しい古い歌を歌っていました」

「だれも立ち止まって聞こうとはしませんでした。見る人さえいませんでした。人々は買い物に忙しく、ただ通りすぎていくのです。けれどもわたしは、長いあいだそこに立って、市場のざわめきにまじる琵琶の音を聞いていました。それは、なんともさびしく、なんとも美しく思えました。今でも、その音が聞こえるのです」

秋山は、だまって聞いていた。外ではまだ雨が降りつづき、夜はふけていた。

「どうしてその人たちを忘れられないのだと思いますか」と、やがて秋山はたずねた。

大津はしばらくだまっていた。それから、こう言った。「ときどき、夜ふけにひとりで座っていると、深いさびしさを感じることがあります。この広い世界の中で、自分がとても小さなものに思えるのです。そんなとき、あの人たちが心によみがえってくるのです。浜の男、馬を引いた若者、琵琶をひく僧。そしてわたしは、こう感じるのです。あの人たちも自分も、みな同じ空の下で、どこかからどこかへ、同じ長い道を歩いていく旅人なのだと。胸があたたかくなり、すべての人へのやさしい愛情がわいてきます。そんなとき、わたしは自分の小さな悩みや自尊心から解き放たれるのです。それが、わたしがいちばん心安らかでいられるときなのです」

ふたりは雨の音を聞きながら、長いあいだだまって座っていた。次の朝、雨はやんでいた。ふたりは宿の門の前で別れを告げ、それぞれの道へ去っていった。

二年が過ぎた。大津は東北のある地方に住み、相変わらず文筆の仕事を続けていた。ある晩、大津は「忘れえぬ人々」と題した原稿を前に、机に向かっていた。その原稿には、少しずつ新しい名前を書き足してきた。そして今、最後にもうひとり書き加えたところだった。

けれどもそれは、ひと晩じゅう語り合った画家、秋山の名前ではなかった。それは「亀屋の主人」、火のそばに座って、静かにきせるをふかしていた、あの大がらな男だったのだ。

日本語訳:多読ベスト

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理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What does Otsu mean by "unforgettable people"?

Q2. Where did Otsu hear the monk playing the biwa?

Q3. Whose name did Otsu add at the end of his papers?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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