Tsuda Umeko: The Six-Year-Old Who Crossed the Pacific(津田梅子――太平洋をわたった6歳の少女)の挿絵
Level 2 Elementary偉人伝

Tsuda Umeko: The Six-Year-Old Who Crossed the Pacific

津田梅子――太平洋をわたった6歳の少女

  • 📖 355 words
  • ⏱ 約4分
  • 🔊 2:07
  • YL 1.0–1.4
  • 英検3級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ明治のはじめ、わずか6歳でアメリカへ留学した少女・梅子。11年後に帰国した彼女を待っていたのは、思いがけない壁でした。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(8語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • government政府
  • couple夫婦
  • careers職業・仕事を続ける人生
  • noble families華族の家(身分の高い家)
  • biology生物学
  • memorize暗記する
  • pioneer先駆者
  • education教育
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Google Cloud TTS(Chirp 3 HD・アメリカ英語・Fenrir)

In 1871, a little girl named Tsuda Umeko got on a big ship in Yokohama. She was only six years old. The new Meiji government sent five girls to study in America, and she was the youngest.

1871年、津田梅子という小さな女の子が、横浜で大きな船に乗りました。まだ6歳でした。新しくできた明治政府が、5人の少女をアメリカへ留学させたのです。梅子は、その中でいちばん年下でした。

The trip across the Pacific took weeks. Then the girls traveled across America by train. In Washington, Umeko lived with a kind couple, Charles and Adeline Lanman. They had no children, and they loved her like their own daughter.

太平洋を渡るのに、何週間もかかりました。そのあと少女たちは、列車でアメリカを横断しました。ワシントンでは、チャールズ・ランマンとアデライン・ランマンという、心の優しい夫婦の家で暮らしました。夫妻には子どもがなく、梅子を実の娘のようにかわいがりました。

Umeko stayed in America for about eleven years. She went to school, read many books, and learned to speak English like an American child. She studied piano and French too.

梅子は、およそ11年間アメリカで過ごしました。学校に通い、たくさんの本を読んで、アメリカの子どもと同じように英語を話せるようになりました。ピアノやフランス語も習いました。

In 1882, at the age of seventeen, she came back to Japan. But there was a big problem. She could not speak much Japanese anymore! And in Japan at that time, people did not expect women to study or to have careers. There were very few jobs for a woman like her.

1882年、17歳になった梅子は日本に帰ってきました。ところが、大きな問題がありました。日本語がほとんど話せなくなっていたのです!しかも当時の日本では、女性が学問をしたり職業を持ったりすることを、世の中は求めていませんでした。梅子のような女性が就ける仕事は、ほとんどなかったのです。

Umeko taught English at a school for girls from noble families. But she wanted more. In 1889, she went back to America and studied biology at Bryn Mawr College. She even wrote a science paper about frog eggs with a well-known scientist. Her teachers wanted her to stay, but she had a dream in Japan.

梅子は、華族の娘たちが通う学校で英語を教えました。けれども、それだけでは満足できませんでした。1889年、ふたたびアメリカへ渡り、ブリンマー大学で生物学を学びました。有名な学者と一緒に、カエルの卵についての論文まで書きました。先生たちはアメリカに残ってほしいと願いましたが、梅子には日本でかなえたい夢がありました。

Her dream was a school for Japanese women. At this school, women could learn as much as men. In 1900, she opened a small English school for women in Tokyo. On the first day, there were only ten students. Umeko taught them to think for themselves, not just to memorize.

それは、日本の女性のための学校です。女性も男性と同じように学べる学校です。1900年、梅子は東京に、女性のための小さな英語の学校を開きました。初日の生徒は、たった10人でした。梅子は生徒たちに、ただ暗記するのではなく、自分の頭で考えることを教えました。

It was not easy. She had little money, and she often worked until she got sick. Her friends in America helped by sending money. Slowly, the school grew.

楽な道ではありませんでした。お金はわずかで、梅子は体をこわすまで働くこともたびたびでした。アメリカの友人たちが、お金を送って支えてくれました。学校は少しずつ大きくなっていきました。

Today, that school is Tsuda University. In 2024, Umeko's picture appeared on the new five thousand yen bill. The little girl on the ship became a pioneer of women's education in Japan.

その学校が、今の津田塾大学です。2024年には、新しい五千円札に梅子の肖像が使われました。あの船に乗っていた小さな女の子は、日本の女子教育の先駆けとなったのです。

Umeko's story is good news for English learners. A language is not just for tests. It can give you new eyes, and you can use it to open doors for other people.

梅子の物語は、英語を学ぶ人にとって、うれしい話です。言葉はテストのためだけのものではありません。言葉は、世界を見る新しい目を与えてくれます。そして、その言葉を使って、ほかの人のために扉を開くこともできるのです。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

1871年、津田梅子という小さな女の子が、横浜で大きな船に乗りました。まだ6歳でした。新しくできた明治政府が、5人の少女をアメリカへ留学させたのです。梅子は、その中でいちばん年下でした。

太平洋を渡るのに、何週間もかかりました。そのあと少女たちは、列車でアメリカを横断しました。ワシントンでは、チャールズ・ランマンとアデライン・ランマンという、心の優しい夫婦の家で暮らしました。夫妻には子どもがなく、梅子を実の娘のようにかわいがりました。

梅子は、およそ11年間アメリカで過ごしました。学校に通い、たくさんの本を読んで、アメリカの子どもと同じように英語を話せるようになりました。ピアノやフランス語も習いました。

1882年、17歳になった梅子は日本に帰ってきました。ところが、大きな問題がありました。日本語がほとんど話せなくなっていたのです!しかも当時の日本では、女性が学問をしたり職業を持ったりすることを、世の中は求めていませんでした。梅子のような女性が就ける仕事は、ほとんどなかったのです。

梅子は、華族の娘たちが通う学校で英語を教えました。けれども、それだけでは満足できませんでした。1889年、ふたたびアメリカへ渡り、ブリンマー大学で生物学を学びました。有名な学者と一緒に、カエルの卵についての論文まで書きました。先生たちはアメリカに残ってほしいと願いましたが、梅子には日本でかなえたい夢がありました。

それは、日本の女性のための学校です。女性も男性と同じように学べる学校です。1900年、梅子は東京に、女性のための小さな英語の学校を開きました。初日の生徒は、たった10人でした。梅子は生徒たちに、ただ暗記するのではなく、自分の頭で考えることを教えました。

楽な道ではありませんでした。お金はわずかで、梅子は体をこわすまで働くこともたびたびでした。アメリカの友人たちが、お金を送って支えてくれました。学校は少しずつ大きくなっていきました。

その学校が、今の津田塾大学です。2024年には、新しい五千円札に梅子の肖像が使われました。あの船に乗っていた小さな女の子は、日本の女子教育の先駆けとなったのです。

梅子の物語は、英語を学ぶ人にとって、うれしい話です。言葉はテストのためだけのものではありません。言葉は、世界を見る新しい目を与えてくれます。そして、その言葉を使って、ほかの人のために扉を開くこともできるのです。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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Use what you have learned to open doors for others.

学んだことを、ほかの人のために扉をひらく力に変えよう。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. How old was Umeko when she went to America?

Q2. What was the big problem when Umeko came back to Japan?

Q3. How many students were there on the first day of her school?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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