Tanaka Shozo: The Man Who Fought for a River(田中正造――川と村を守るためにたたかった人)の挿絵
Level 3 Pre-Intermediate偉人伝

Tanaka Shozo: The Man Who Fought for a River

田中正造――川と村を守るためにたたかった人

  • 📖 549 words
  • ⏱ 約5分
  • 🔊 3:14
  • YL 1.5–2.4
  • 英検準2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ銅山からの毒で、魚が死に、田畑が実らなくなった渡良瀬川の流域。国会議員の田中正造は、人々を救うため、命がけの行動に出ます。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(8語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • stubbornがんこな
  • suspicion疑い
  • assembly議会
  • parliament国会
  • copper mine銅山
  • carriage馬車
  • civilization文明
  • pollution公害・汚染
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Tanaka Shozo was born in 1841 in a village in Tochigi, north of Edo. His father was the village head, and Shozo also became the village head when he was still young. He was known for being honest and very stubborn.

田中正造は1841年、江戸の北、栃木の村で生まれました。父は村の名主で、正造も若くして名主になりました。正直で、たいへんな頑固者として知られていました。

As a young man, he spoke out against the unfair actions of officials who served the lord ruling his village. For this, he was put in prison. Later, while working in northern Japan, he was jailed again on suspicion of a crime, and he was finally freed. But through all of this, he never gave up his belief that leaders must be fair to the people.

若いころ、正造は、村を治める領主の役人たちの不正に抗議しました。そのために、牢に入れられてしまいました。のちに東北で働いていたときにも、ある事件の疑いをかけられて再び投獄されましたが、最後には釈放されました。こうした目にあっても、上に立つ者は民に対して公正でなければならない、という信念を、正造は決して捨てませんでした。

After the new Meiji government began, Shozo became a member of the Tochigi assembly. In 1890, he was elected to the first national parliament of Japan, the Imperial Diet.

明治の新しい政府ができると、正造は栃木県会の議員になりました。1890年には、日本で最初の国会である帝国議会の議員に選ばれました。

At that time, the Ashio Copper Mine in the mountains of Tochigi was producing huge amounts of copper. Copper helped Japan grow rich and strong. But the mine was also sending poison into the Watarase River. Smoke from the mine killed the trees on the mountains, so floods became worse. When the river flooded, the poisoned water spread over the farms, and rice and other crops would not grow. Fish died, and many people became sick.

そのころ、栃木の山あいにある足尾銅山では、ばく大な量の銅がとれていました。銅は、日本が豊かで強い国になるのに役立ちました。けれども銅山は、渡良瀬川に毒も流していました。銅山から出る煙で山の木々が枯れたため、洪水もひどくなりました。川があふれると、毒を含んだ水が田畑に広がり、米などの作物が育たなくなりました。魚は死に、病気になる人も大勢いました。

Shozo spoke about the problem in the Diet again and again. He asked the government to stop the mine from poisoning the land. But the government and the company did not do enough. Copper was too important to them.

正造は議会で、この問題を何度も何度も取り上げました。銅山が土地を汚すのをやめさせてほしい、と政府に求めたのです。けれども、政府も会社も、十分な手を打ちませんでした。銅は、彼らにとってあまりに大事だったのです。

In 1901, Shozo made a shocking decision. He gave up his seat in the Diet. Then, on a December day, he ran toward the carriage of Emperor Meiji on a Tokyo street, holding a letter. He wanted to ask the emperor directly to save the people of the Watarase River. Police stopped him before he could hand it over. But the news spread across Japan, and many people, including students, began to care about the problem.

1901年、正造は世間を驚かせる決断をしました。議員を辞めたのです。そして12月のある日、東京の通りで、手紙を手に明治天皇の馬車に向かって駆け寄りました。渡良瀬川の人々を救ってほしいと、天皇にじかに訴えようとしたのです。手紙を渡す前に、正造は警官に取り押さえられました。けれども、この出来事は日本中に知れわたりました。学生をはじめ、多くの人がこの問題に関心を寄せるようになりました。

The government finally made a plan. But the plan was to turn Yanaka, a village near the river, into a large pond to hold flood water. The people of Yanaka would have to leave their homes.

政府は、ようやく対策を打ち出しました。ところがその中身は、川の近くの谷中村を、洪水の水をためる大きな池に変えてしまうというものでした。谷中村の人たちは、家を捨てて出ていかなければなりません。

In 1904, Shozo, now over sixty, moved to Yanaka to live with the villagers. In 1907, the government destroyed the houses of the families who would not leave. Even then, some of them stayed and lived in small huts. Shozo stayed with them and shared their poor life.

1904年、60歳を過ぎていた正造は、谷中村に移り住み、村人たちと暮らしはじめました。1907年、政府は、立ち退きを拒んだ家族の家を取り壊しました。それでも村に残り、小さな小屋で暮らし続けた人たちがいました。正造は彼らと共にとどまり、その貧しい暮らしを分かち合いました。

In his diary, he wrote that true civilization does not ruin mountains, rivers, villages, or people. More than a hundred years ago, he was already thinking about what we now call the environment.

正造は日記に、「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と書いています。本当の文明とは、山も川も村も人も損なわないものだ、というのです。100年以上も前に、正造はもう、今でいう「環境」のことを考えていたのです。

In 1913, Shozo fell ill while visiting supporters and died at the age of seventy-one. He owned almost nothing. It is said that all he had was a cloth bag holding a few books, including the New Testament and a copy of the constitution, his diaries, and some small stones from the river.

1913年、正造は支援者たちのもとを訪ね歩く途中で倒れ、71歳で亡くなりました。持ち物は、ほとんどありませんでした。残されたのは、布の袋一つだけだったといわれています。中には、新約聖書や憲法の写しなど数冊の本と日記、それに川の小石がいくつか入っていました。

Shozo did not win his fight while he was alive. But he was one of the first people in Japan to fight against pollution, and his ideas still guide people who protect nature today. His life asks us a hard question. What is progress for, if it hurts people and the land?

正造は、生きているあいだに、この戦いに勝つことはできませんでした。けれども正造は、日本で初めて公害と戦った人の一人です。その考えは今も、自然を守ろうとする人たちの道しるべになっています。正造の一生は、私たちに重い問いを突きつけます。人を傷つけ、土地を傷つける進歩なら、それはいったい何のためにあるのでしょうか。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

田中正造は1841年、江戸の北、栃木の村で生まれました。父は村の名主で、正造も若くして名主になりました。正直で、たいへんな頑固者として知られていました。

若いころ、正造は、村を治める領主の役人たちの不正に抗議しました。そのために、牢に入れられてしまいました。のちに東北で働いていたときにも、ある事件の疑いをかけられて再び投獄されましたが、最後には釈放されました。こうした目にあっても、上に立つ者は民に対して公正でなければならない、という信念を、正造は決して捨てませんでした。

明治の新しい政府ができると、正造は栃木県会の議員になりました。1890年には、日本で最初の国会である帝国議会の議員に選ばれました。

そのころ、栃木の山あいにある足尾銅山では、ばく大な量の銅がとれていました。銅は、日本が豊かで強い国になるのに役立ちました。けれども銅山は、渡良瀬川に毒も流していました。銅山から出る煙で山の木々が枯れたため、洪水もひどくなりました。川があふれると、毒を含んだ水が田畑に広がり、米などの作物が育たなくなりました。魚は死に、病気になる人も大勢いました。

正造は議会で、この問題を何度も何度も取り上げました。銅山が土地を汚すのをやめさせてほしい、と政府に求めたのです。けれども、政府も会社も、十分な手を打ちませんでした。銅は、彼らにとってあまりに大事だったのです。

1901年、正造は世間を驚かせる決断をしました。議員を辞めたのです。そして12月のある日、東京の通りで、手紙を手に明治天皇の馬車に向かって駆け寄りました。渡良瀬川の人々を救ってほしいと、天皇にじかに訴えようとしたのです。手紙を渡す前に、正造は警官に取り押さえられました。けれども、この出来事は日本中に知れわたりました。学生をはじめ、多くの人がこの問題に関心を寄せるようになりました。

政府は、ようやく対策を打ち出しました。ところがその中身は、川の近くの谷中村を、洪水の水をためる大きな池に変えてしまうというものでした。谷中村の人たちは、家を捨てて出ていかなければなりません。

1904年、60歳を過ぎていた正造は、谷中村に移り住み、村人たちと暮らしはじめました。1907年、政府は、立ち退きを拒んだ家族の家を取り壊しました。それでも村に残り、小さな小屋で暮らし続けた人たちがいました。正造は彼らと共にとどまり、その貧しい暮らしを分かち合いました。

正造は日記に、「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と書いています。本当の文明とは、山も川も村も人も損なわないものだ、というのです。100年以上も前に、正造はもう、今でいう「環境」のことを考えていたのです。

1913年、正造は支援者たちのもとを訪ね歩く途中で倒れ、71歳で亡くなりました。持ち物は、ほとんどありませんでした。残されたのは、布の袋一つだけだったといわれています。中には、新約聖書や憲法の写しなど数冊の本と日記、それに川の小石がいくつか入っていました。

正造は、生きているあいだに、この戦いに勝つことはできませんでした。けれども正造は、日本で初めて公害と戦った人の一人です。その考えは今も、自然を守ろうとする人たちの道しるべになっています。正造の一生は、私たちに重い問いを突きつけます。人を傷つけ、土地を傷つける進歩なら、それはいったい何のためにあるのでしょうか。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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True progress does not destroy people or nature.

ほんとうの進歩とは、人も自然もこわさないものだ。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What was the problem with the Ashio Copper Mine?

Q2. What did Shozo try to do in December 1901?

Q3. Why did Shozo move to Yanaka in 1904?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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