Akutagawa Ryunosuke: The Master of the Short Story(芥川龍之介――短編小説の名人)の挿絵

Akutagawa Ryunosuke: The Master of the Short Story

芥川龍之介――短編小説の名人

  • 562 words
  • 約5分
  • YL 1.5–2.4
  • 英検準2級目安
  • 全訳つき

あらすじ『羅生門』『蜘蛛の糸』『鼻』。教科書でおなじみの芥川龍之介は、どんな人だったのでしょう。名前の由来から芥川賞まで、35年の短い一生をたどります。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(9語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • anniversary(〜周年の)記念日
  • adopted養子になった
  • literature文学
  • praisedほめた
  • naval海軍の
  • issue(雑誌の)号
  • legends伝説
  • prize賞
  • director(映画の)監督

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日本語訳の一部には生成AIを使っており、AIによる3重のチェックと人の目で確かめています。まだ人の目を通っていない訳もあるため、ニュアンスがずれている所があるかもしれません。日本語訳について

Rashomon, The Spider's Thread, The Nose. Many Japanese students read Akutagawa Ryunosuke's stories at school. Most of his works are short stories, but they show the light and the darkness of the human heart very clearly. July 24, 2027, is the one hundredth anniversary of his death.

『羅生門』『蜘蛛の糸』『鼻』。芥川龍之介の作品は、日本の多くの生徒が学校で読んでいます。作品のほとんどは短編小説ですが、人の心の明るい面も暗い面も、くっきりと描き出しています。2027年7月24日は、芥川が亡くなってからちょうど百年にあたります。

He was born in Tokyo in 1892. There is a famous story about his name. It is said that he was born in the year of the dragon, in the month of the dragon, on the day of the dragon, and at the hour of the dragon. So he was named Ryunosuke. "Ryu" means "dragon" in Japanese.

芥川は1892年、東京で生まれました。その名前には、有名な言い伝えがあります。辰年の、辰の月、辰の日、辰の刻に生まれたので、「龍之介」と名づけられたというのです。名前の「龍」の字は、「たつ」、つまり竜を表しています。

Soon after he was born, his mother became seriously ill. So the baby was sent to her family, the Akutagawas, and they raised him. Later he was adopted into the family, and his name became Akutagawa Ryunosuke.

生まれてまもなく、母が重い病気にかかりました。そこで赤ん坊は、母の実家である芥川家に引き取られ、そこで育てられました。のちに芥川家の養子になり、名前は芥川龍之介となりました。

He studied English literature at Tokyo Imperial University. In 1915, while he was still a student, he wrote Rashomon. In this story, a poor servant waits for the rain to stop under a broken old gate in Kyoto.

東京帝国大学では、英文学を学びました。まだ学生だった1915年に、『羅生門』を書いています。京都の荒れ果てた門の下で、貧しい下人が雨のやむのを待っている、という話です。

In 1916, he and his friends started a magazine, and his story The Nose appeared in it. The great writer Natsume Soseki read it and praised it in a letter. Soseki told him that if he wrote twenty or thirty more stories like it, he would become a writer like no other. Akutagawa was very happy. But sadly, Soseki died at the end of that year.

1916年、芥川は友人たちと雑誌を始め、そこに『鼻』を発表しました。それを読んだ大作家の夏目漱石は、手紙でこの作品をほめました。このような作品をあと二、三十も書けば、ほかに類のない作家になれる、と書いてくれたのです。芥川はとても喜びました。けれども悲しいことに、漱石はその年の暮れに亡くなりました。

After university, Akutagawa taught English at the Naval Engineering School in Yokosuka. While he was teaching, he kept writing stories. His famous story Tangerines takes place on a train that is leaving Yokosuka.

大学を出ると、芥川は横須賀の海軍機関学校で英語を教えました。教えながらも、小説を書き続けました。有名な『蜜柑』は、横須賀を出る汽車の中が舞台です。

In 1918, a new magazine for children called Akai Tori, or Red Bird, began. Akutagawa wrote The Spider's Thread for its first issue. Later he wrote more stories for children for the magazine, such as Toshishun and The God Agni. They are easy to read, but they make us think deeply.

1918年、子どものための新しい雑誌『赤い鳥』が始まりました。芥川はその第一号に『蜘蛛の糸』を書きました。その後も『杜子春』や『アグニの神』など、子どものための作品をこの雑誌に書いています。どれも読みやすいのに、深く考えさせられるお話です。

In 1919, he stopped teaching and joined the Osaka Mainichi newspaper company. Now he could spend his time on writing. In 1921, the newspaper sent him to China, and he traveled there for several months.

1919年、芥川は教師をやめて、大阪毎日新聞社に入りました。これで、書くことに時間を使えるようになったのです。1921年には新聞社から中国へ送られ、数か月のあいだ旅をしました。

His later works became darker. He wrote more about his own life, his worries, and his pain. In Kappa, which came out in 1927, a man visits the strange land of the kappa, water creatures from Japanese legends. Through the kappa, Akutagawa looked at human society in a new way.

晩年の作品は、次第に暗くなっていきました。自分の人生や悩み、苦しみについて書くことが多くなったのです。1927年に発表された『河童』では、ひとりの男が、日本の伝説に出てくる水の生き物、河童の不思議な国を訪れます。芥川は河童を通して、人間の社会を新しい目でながめたのでした。

On July 24, 1927, Akutagawa took his own life at his home in Tokyo. He was only thirty-five. The day of his death is called Kappa-ki, or Kappa Day, after his story Kappa.

1927年7月24日、芥川は東京の自宅で、自ら命を絶ちました。まだ35歳でした。命日は、作品『河童』にちなんで「河童忌」と呼ばれています。

In 1935, his friend Kikuchi Kan created the Akutagawa Prize for new writers. Today it is one of the most famous prizes for literature in Japan. Every year, many people wait for the news of who has won it.

1935年、友人の菊池寛が、新人作家のための「芥川賞」を作りました。今では、日本でもっとも有名な文学賞のひとつです。毎年、多くの人が、だれが受賞するのか、その発表を待っています。

His stories also traveled around the world. In 1950, the director Kurosawa Akira made the movie Rashomon from two of Akutagawa's stories, In a Grove and Rashomon. The movie won a top prize in Venice in 1951, and people around the world came to know his name.

芥川の作品は、世界へも広がりました。1950年、映画監督の黒澤明は、芥川の二つの作品『藪の中』と『羅生門』をもとに、映画『羅生門』を作りました。この映画は1951年にヴェネツィアで最高の賞を受け、芥川の名前は世界中に知られるようになりました。

Akutagawa's life was short, but his stories are still alive. A hundred years later, readers in many countries still open his books and find something about themselves in them.

芥川の一生は短いものでしたが、その作品は今も生きています。百年たった今も、たくさんの国の読者が芥川の本を開き、そこに自分自身の姿を見つけているのです。

全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

『羅生門』『蜘蛛の糸』『鼻』。芥川龍之介の作品は、日本の多くの生徒が学校で読んでいます。作品のほとんどは短編小説ですが、人の心の明るい面も暗い面も、くっきりと描き出しています。2027年7月24日は、芥川が亡くなってからちょうど百年にあたります。

芥川は1892年、東京で生まれました。その名前には、有名な言い伝えがあります。辰年の、辰の月、辰の日、辰の刻に生まれたので、「龍之介」と名づけられたというのです。名前の「龍」の字は、「たつ」、つまり竜を表しています。

生まれてまもなく、母が重い病気にかかりました。そこで赤ん坊は、母の実家である芥川家に引き取られ、そこで育てられました。のちに芥川家の養子になり、名前は芥川龍之介となりました。

東京帝国大学では、英文学を学びました。まだ学生だった1915年に、『羅生門』を書いています。京都の荒れ果てた門の下で、貧しい下人が雨のやむのを待っている、という話です。

1916年、芥川は友人たちと雑誌を始め、そこに『鼻』を発表しました。それを読んだ大作家の夏目漱石は、手紙でこの作品をほめました。このような作品をあと二、三十も書けば、ほかに類のない作家になれる、と書いてくれたのです。芥川はとても喜びました。けれども悲しいことに、漱石はその年の暮れに亡くなりました。

大学を出ると、芥川は横須賀の海軍機関学校で英語を教えました。教えながらも、小説を書き続けました。有名な『蜜柑』は、横須賀を出る汽車の中が舞台です。

1918年、子どものための新しい雑誌『赤い鳥』が始まりました。芥川はその第一号に『蜘蛛の糸』を書きました。その後も『杜子春』や『アグニの神』など、子どものための作品をこの雑誌に書いています。どれも読みやすいのに、深く考えさせられるお話です。

1919年、芥川は教師をやめて、大阪毎日新聞社に入りました。これで、書くことに時間を使えるようになったのです。1921年には新聞社から中国へ送られ、数か月のあいだ旅をしました。

晩年の作品は、次第に暗くなっていきました。自分の人生や悩み、苦しみについて書くことが多くなったのです。1927年に発表された『河童』では、ひとりの男が、日本の伝説に出てくる水の生き物、河童の不思議な国を訪れます。芥川は河童を通して、人間の社会を新しい目でながめたのでした。

1927年7月24日、芥川は東京の自宅で、自ら命を絶ちました。まだ35歳でした。命日は、作品『河童』にちなんで「河童忌」と呼ばれています。

1935年、友人の菊池寛が、新人作家のための「芥川賞」を作りました。今では、日本でもっとも有名な文学賞のひとつです。毎年、多くの人が、だれが受賞するのか、その発表を待っています。

芥川の作品は、世界へも広がりました。1950年、映画監督の黒澤明は、芥川の二つの作品『藪の中』と『羅生門』をもとに、映画『羅生門』を作りました。この映画は1951年にヴェネツィアで最高の賞を受け、芥川の名前は世界中に知られるようになりました。

芥川の一生は短いものでしたが、その作品は今も生きています。百年たった今も、たくさんの国の読者が芥川の本を開き、そこに自分自身の姿を見つけているのです。

日本語訳の一部には生成AIを使っており、AIによる3重のチェックと人の目で確かめています。まだ人の目を通っていない訳もあるため、ニュアンスがずれている所があるかもしれません。日本語訳について

日本語訳:多読ベスト

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理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. Why was he named Ryunosuke?

Q2. Who praised The Nose in a letter?

Q3. What did Kikuchi Kan create in 1935?

この話の単語 CEFR-JB1・B2の語 9語/タップで意味・単語帳へ
  • A1中学基礎 88.1%
  • A2高校入門 6.7%
  • B1受験コア 1.7%
  • B2難関大 0.6%
  • リストにない語 2.9%

本文の語の割合(人名などは数えていません)。「リストにない語」は固有名詞・古い言い方・やさしい複合語などです。

B2難関大の語 3語

B1受験コアの語 6語

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この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む 計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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