Frida Kahlo: Painting Her Own Pain(フリーダ・カーロ 痛みを絵にした画家)の挿絵
Level 3 Pre-Intermediate偉人伝

Frida Kahlo: Painting Her Own Pain

フリーダ・カーロ 痛みを絵にした画家

  • 📖 604 words
  • ⏱ 約5分
  • 🔊 3:29
  • YL 1.5–2.4
  • 英検準2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ18歳のとき、バスの事故で体がぼろぼろになったメキシコの少女フリーダ。ベッドの上で絵筆を取った彼女は、自分自身を描きはじめます。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(10語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • gallery画廊
  • ambulance救急車
  • Revolution革命
  • polioポリオ(小児まひ)
  • streetcar路面電車
  • body cast体を固定するギプス
  • easel画架(イーゼル)
  • self-portraits自画像
  • divorced離婚した
  • operations手術
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In 1953, an art gallery in Mexico City held the first show in Mexico of the works of the painter Frida Kahlo. She was very sick, and her doctors told her to stay in bed. But Frida did not want to miss it. She came to the gallery in an ambulance, and she was carried in on her own bed. Lying there, she talked, laughed and sang with her friends all evening. This was Frida: full of pain, but full of life.

1953年、メキシコシティのある画廊で、画家フリーダ・カーロの作品展が開かれました。メキシコでは初めての個展でした。フリーダは重い病気で、医者からはベッドで安静にしているように言われていました。けれども、どうしてもこの日を逃したくありませんでした。フリーダは救急車で画廊に乗りつけ、自分のベッドごと運び込まれました。そしてベッドに横たわったまま、その晩はずっと、友人たちとしゃべり、笑い、歌いました。これがフリーダです。痛みを抱えながらも、命の力にあふれていたのです。

Frida was born in 1907 in Coyoacan, a part of Mexico City, and grew up in a bright blue house. Later, she liked to say that she was born in 1910, the year the Mexican Revolution began. She wanted to be a child of the new Mexico.

フリーダは1907年、メキシコシティの一角にあるコヨアカンで生まれ、明るい青色の家で育ちました。のちにフリーダは、自分は1910年生まれだ、と好んで言うようになりました。メキシコ革命が始まった年です。新しいメキシコとともに生まれた子どもでありたかったのです。

When she was six, Frida got polio. She had to stay in bed for nine months. After that, her right leg was thinner than her left, and some children made fun of her. Later, she often wore long skirts that covered her legs. Her father, a photographer, encouraged her to play sports and grow strong. She swam, played football and even boxed, which was very unusual for a girl at that time.

6歳のとき、フリーダはポリオにかかり、9か月間もベッドで過ごさなければなりませんでした。病気が治ってからも、右足が左足より細くなってしまい、からかう子どももいました。のちにフリーダは、足を隠す長いスカートをよくはくようになりました。写真家だったお父さんは、スポーツをして体を鍛えるようにと、フリーダを励ましました。フリーダは水泳をし、サッカーをし、ボクシングまでしました。当時の女の子としては、とても珍しいことでした。

Frida was a clever student. She went to one of the best schools in Mexico and dreamed of becoming a doctor. But on September 17, 1925, when she was eighteen, everything changed. The bus she was riding was hit by a streetcar. A metal bar went through her body. Her back, her leg and many other bones were broken. Many people thought she would die.

フリーダは頭のいい生徒でした。メキシコでも指折りの名門校に通い、医者になることを夢見ていました。ところが1925年9月17日、18歳のときに、すべてが変わってしまいました。乗っていたバスに、路面電車が衝突したのです。金属の棒が、フリーダの体を貫きました。背骨も足も、ほかにもたくさんの骨が折れました。多くの人が、もう助からないだろうと思いました。

Frida survived, but she had to lie in bed for months, inside a special body cast. She was bored and in pain. Her mother had a special easel made so that she could paint lying down, and she put a mirror above the bed. When Frida looked up, she saw herself. So she began to paint herself.

フリーダは命をとりとめました。けれども、それから何か月も、特別なギプスで体を固められたまま、ベッドに横たわっていなければなりませんでした。退屈で、痛みもありました。お母さんは、寝たままでも絵が描けるように特別なイーゼルを作らせ、ベッドの上に鏡を取りつけました。フリーダが上を見ると、自分の姿が映っています。そこでフリーダは、自分自身を描きはじめたのです。

This was the beginning of her life as a painter. Of her roughly 140 paintings, about one third are self-portraits. In them, she shows her strong eyebrows, her traditional Mexican clothes and flowers in her hair. She also shows her broken body, her tears and her hopes, with great honesty. She once explained that she was often alone, and that she knew herself better than any other subject.

これが、画家フリーダの始まりでした。およそ140点ある作品のうち、約3分の1が自画像です。そこには、くっきりとした太い眉、メキシコの伝統的な衣装、髪に飾った花が描かれています。壊れた体や涙、そして希望までも、包み隠さず描いています。自分はひとりでいることが多いし、ほかのどんな題材よりも自分のことをよく知っているから。フリーダは、自画像を描く理由をそう説明したことがあります。

In 1929, Frida married Diego Rivera, a famous Mexican painter who was much older than her. Their marriage was full of love, but also full of trouble. They divorced in 1939 and married again the next year. Through it all, Diego believed in her talent.

1929年、フリーダは、ずっと年上の有名なメキシコの画家、ディエゴ・リベラと結婚しました。二人の結婚生活は愛に満ちていましたが、もめごとも絶えませんでした。1939年に離婚し、翌年また結婚しました。そのあいだもずっと、ディエゴはフリーダの才能を信じていました。

Frida's art slowly became known outside Mexico. In 1938, she had a show in New York, and in 1939 she went to Paris. The Louvre, a famous museum there, bought one of her paintings. It was the first time it had bought a work by a Mexican artist of the twentieth century.

フリーダの作品は、少しずつメキシコの外でも知られるようになりました。1938年にはニューヨークで個展を開き、1939年にはパリへ渡りました。パリの有名な美術館、ルーブルが、フリーダの絵を1点買い上げました。ルーブルが20世紀のメキシコ人画家の作品を買ったのは、これが初めてでした。

But her health got worse. During her life, she had more than thirty operations. In 1953, part of her right leg had to be cut off. Even so, she wrote in her diary that she did not need feet, because she had wings to fly. She died in 1954 at the age of forty-seven.

けれども、フリーダの体はどんどん悪くなっていきました。生涯に受けた手術は、30回を超えました。1953年には、右足の一部を切り落とさなければなりませんでした。それでもフリーダは、日記にこう書いています。足なんていらない、わたしには飛ぶための翼があるのだから。フリーダは1954年、47歳で亡くなりました。

Today, Frida Kahlo is one of the most famous artists in the world. Her blue house is a museum, and her face appears on posters, bags and T-shirts everywhere. People love her not only for her colorful paintings, but also for her courage. She turned her pain into art, and she showed that we can be strong without hiding who we are.

今では、フリーダ・カーロは世界でもっとも有名な芸術家の一人です。青い家は博物館になり、ポスターやバッグ、Tシャツなど、あらゆるところでフリーダの顔を見かけます。人々がフリーダを愛するのは、色鮮やかな絵のためだけではありません。その勇気のためでもあります。フリーダは痛みを芸術に変えました。そして、ありのままの自分を隠さなくても、人は強くなれることを示したのです。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

1953年、メキシコシティのある画廊で、画家フリーダ・カーロの作品展が開かれました。メキシコでは初めての個展でした。フリーダは重い病気で、医者からはベッドで安静にしているように言われていました。けれども、どうしてもこの日を逃したくありませんでした。フリーダは救急車で画廊に乗りつけ、自分のベッドごと運び込まれました。そしてベッドに横たわったまま、その晩はずっと、友人たちとしゃべり、笑い、歌いました。これがフリーダです。痛みを抱えながらも、命の力にあふれていたのです。

フリーダは1907年、メキシコシティの一角にあるコヨアカンで生まれ、明るい青色の家で育ちました。のちにフリーダは、自分は1910年生まれだ、と好んで言うようになりました。メキシコ革命が始まった年です。新しいメキシコとともに生まれた子どもでありたかったのです。

6歳のとき、フリーダはポリオにかかり、9か月間もベッドで過ごさなければなりませんでした。病気が治ってからも、右足が左足より細くなってしまい、からかう子どももいました。のちにフリーダは、足を隠す長いスカートをよくはくようになりました。写真家だったお父さんは、スポーツをして体を鍛えるようにと、フリーダを励ましました。フリーダは水泳をし、サッカーをし、ボクシングまでしました。当時の女の子としては、とても珍しいことでした。

フリーダは頭のいい生徒でした。メキシコでも指折りの名門校に通い、医者になることを夢見ていました。ところが1925年9月17日、18歳のときに、すべてが変わってしまいました。乗っていたバスに、路面電車が衝突したのです。金属の棒が、フリーダの体を貫きました。背骨も足も、ほかにもたくさんの骨が折れました。多くの人が、もう助からないだろうと思いました。

フリーダは命をとりとめました。けれども、それから何か月も、特別なギプスで体を固められたまま、ベッドに横たわっていなければなりませんでした。退屈で、痛みもありました。お母さんは、寝たままでも絵が描けるように特別なイーゼルを作らせ、ベッドの上に鏡を取りつけました。フリーダが上を見ると、自分の姿が映っています。そこでフリーダは、自分自身を描きはじめたのです。

これが、画家フリーダの始まりでした。およそ140点ある作品のうち、約3分の1が自画像です。そこには、くっきりとした太い眉、メキシコの伝統的な衣装、髪に飾った花が描かれています。壊れた体や涙、そして希望までも、包み隠さず描いています。自分はひとりでいることが多いし、ほかのどんな題材よりも自分のことをよく知っているから。フリーダは、自画像を描く理由をそう説明したことがあります。

1929年、フリーダは、ずっと年上の有名なメキシコの画家、ディエゴ・リベラと結婚しました。二人の結婚生活は愛に満ちていましたが、もめごとも絶えませんでした。1939年に離婚し、翌年また結婚しました。そのあいだもずっと、ディエゴはフリーダの才能を信じていました。

フリーダの作品は、少しずつメキシコの外でも知られるようになりました。1938年にはニューヨークで個展を開き、1939年にはパリへ渡りました。パリの有名な美術館、ルーブルが、フリーダの絵を1点買い上げました。ルーブルが20世紀のメキシコ人画家の作品を買ったのは、これが初めてでした。

けれども、フリーダの体はどんどん悪くなっていきました。生涯に受けた手術は、30回を超えました。1953年には、右足の一部を切り落とさなければなりませんでした。それでもフリーダは、日記にこう書いています。足なんていらない、わたしには飛ぶための翼があるのだから。フリーダは1954年、47歳で亡くなりました。

今では、フリーダ・カーロは世界でもっとも有名な芸術家の一人です。青い家は博物館になり、ポスターやバッグ、Tシャツなど、あらゆるところでフリーダの顔を見かけます。人々がフリーダを愛するのは、色鮮やかな絵のためだけではありません。その勇気のためでもあります。フリーダは痛みを芸術に変えました。そして、ありのままの自分を隠さなくても、人は強くなれることを示したのです。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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You can turn pain into something beautiful, without hiding who you are.

自分をかくさなくても、痛みを美しいものに変えることはできる。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. How did Frida come to her show in 1953?

Q2. Why did Frida start to paint herself?

Q3. What did the Louvre do in 1939?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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