Kitasato Shibasaburo: The Fighter Against Germs(北里柴三郎――細菌とたたかった人)の挿絵
Level 3 Pre-Intermediate偉人伝

Kitasato Shibasaburo: The Fighter Against Germs

北里柴三郎――細菌とたたかった人

  • 📖 565 words
  • ⏱ 約5分
  • 🔊 3:35
  • YL 1.5–2.4
  • 英検準2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ熊本の山村に生まれ、顕微鏡で見た小さな世界に心をうばわれた柴三郎。ドイツで世界をおどろかせる発見をした彼は、日本に戻ってから……。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(8語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • microscope顕微鏡
  • infectious diseases感染症
  • germs細菌・ばい菌
  • tetanus破傷風
  • oxygen酸素
  • serum therapy血清療法
  • plagueペスト・疫病
  • gratitude感謝の気持ち
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Kitasato Shibasaburo was born in 1853 in a small mountain village in Kumamoto, Kyushu. It is said that as a boy, he wanted to be a soldier, not a doctor. He was strong-willed and loved swordsmanship.

北里柴三郎は1853年、九州・熊本の山あいの小さな村で生まれました。子どものころは、医者ではなく軍人になりたかったといわれています。負けん気が強く、剣術が大好きでした。

His parents sent him to a medical school in Kumamoto. There he met a Dutch doctor named Constant van Mansvelt. It is said that Mansvelt showed him a microscope. Through the lens, Kitasato saw a tiny world that no eye could see. He was amazed, and he decided to give his life to medicine.

両親は柴三郎を、熊本の医学校に入れました。そこで出会ったのが、オランダ人の医師、マンスフェルトです。マンスフェルトは柴三郎に、顕微鏡をのぞかせてくれたといわれています。レンズの向こうには、肉眼では決して見えない、小さな世界が広がっていました。柴三郎は心を奪われ、医学に一生をささげようと決めました。

He studied at the medical school in Tokyo, which later became part of the University of Tokyo. After he graduated in 1883, he joined the government's health office. He saw that infectious diseases like cholera were killing many people in Japan.

柴三郎は、東京の医学校で学びました。この学校は、のちに東京大学の一部になりました。1883年に卒業すると、国の衛生局に入りました。そこで目にしたのは、コレラなどの感染症で、日本の多くの人が命を落としている現実でした。

In 1885, he was sent to Germany. In Berlin, he studied under Robert Koch, one of the greatest germ scientists in the world. Koch had found the germs that cause tuberculosis and cholera. Kitasato worked in his laboratory day and night, and other researchers were surprised by how hard the young Japanese man worked.

1885年、柴三郎はドイツへ派遣されました。ベルリンで師事したのは、ロベルト・コッホでした。世界でも指折りの細菌学者で、結核やコレラの原因となる細菌を発見した人です。柴三郎はコッホの研究室で、昼も夜も研究にはげみました。その働きぶりに、ほかの研究者たちは目を見はりました。

In 1889, Kitasato did something many scientists had thought was impossible. He grew the germ that causes tetanus by itself, in a pure form. Tetanus is a deadly disease that can enter the body through a cut. The germ cannot live in air, so Kitasato made a special device to grow it without oxygen.

1889年、柴三郎は、多くの科学者が不可能だと考えていたことをやってのけました。破傷風の原因となる菌だけを、ほかの菌のまじらない形で育てることに成功したのです。破傷風は、傷口から体に入りこむ、命にかかわる病気です。この菌は空気のあるところでは生きられません。そこで柴三郎は、酸素のない状態で菌を育てる特別な装置を作りました。

Next, in 1890, he and a German scientist, Emil von Behring, found something even more important. When an animal is given small amounts of tetanus poison, its blood makes a defense against the poison. If the liquid part of this blood, called serum, is given to another animal, it protects that animal too. This was the start of serum therapy, a new way to treat diseases like tetanus and diphtheria.

続いて1890年、柴三郎はドイツの科学者エミール・フォン・ベーリングと一緒に、さらに大切な発見をしました。破傷風の毒を、動物に少しずつ与えます。すると、その動物の血液の中に、毒を打ち消す力が生まれるのです。この血液の液体の部分を「血清」といいます。血清を別の動物に注射すると、その動物も破傷風から守られました。これが血清療法の始まりです。破傷風やジフテリアなどの病気を治療するための、新しい方法でした。

In 1901, the very first Nobel Prize in Medicine was given to Behring for his work on serum therapy. Kitasato's name was not on it. Many people today think he should have shared the prize. But Kitasato did not stop working.

1901年、第1回のノーベル医学賞が、血清療法の研究をたたえてベーリングに贈られました。そこに柴三郎の名前はありませんでした。今では、柴三郎も一緒に受賞すべきだった、と考える人がたくさんいます。それでも、柴三郎は研究をやめませんでした。

Universities in Europe and America invited him to stay. But in 1892, he returned to Japan. At first, there was no place for him to work. Then Fukuzawa Yukichi, the famous teacher, offered him land and help, and Kitasato opened a laboratory to study infectious diseases.

ヨーロッパやアメリカの大学からは、ぜひ残ってほしいと誘いを受けました。けれども1892年、柴三郎は日本に帰りました。初めのうちは、研究する場所さえありませんでした。そこへ手を差しのべたのが、有名な教育者、福沢諭吉です。福沢が土地と援助を申し出てくれたおかげで、柴三郎は感染症を研究する研究所を開くことができました。

In 1894, a terrible plague broke out in Hong Kong. Kitasato went there to study it. Both he and a French-Swiss scientist, Alexandre Yersin, reported finding the germ that caused the plague at about the same time.

1894年、香港で恐ろしいペストが流行しました。柴三郎は調査のために現地へ向かいました。そして、ペストの原因となる菌を見つけたと発表しました。ほぼ同じころ、フランス系スイス人の科学者アレクサンドル・イェルサンも、同じ発見を発表しています。

In 1914, the government suddenly decided to put his institute under the control of a university. Kitasato did not agree, so he left and started a new one on his own, the Kitasato Institute. He also helped to start the medical school at Keio University to thank Fukuzawa, who had died years before. It is said that he took no pay for this work.

1914年、国は突然、柴三郎の研究所を大学の下に置くと決めました。柴三郎はこれに納得せず、研究所を去りました。そして自分の力で、新しい研究所を立ち上げました。それが北里研究所です。また、すでに亡くなっていた福沢への恩返しとして、慶應義塾大学の医学部づくりにも力を尽くしました。このとき、報酬は一切受け取らなかったといわれています。

He trained many young scientists, including Shiga Kiyoshi, who found the germ that causes dysentery. Kitasato died in 1931. In 2024, his picture appeared on the new one thousand yen bill, with Hokusai's Great Wave on the back.

柴三郎は、多くの若い科学者を育てました。赤痢菌を発見した志賀潔も、その一人です。柴三郎は1931年に亡くなりました。2024年、新しい千円札に柴三郎の肖像が使われました。その裏には、北斎の「グレート・ウェーブ」(神奈川沖浪裏)が描かれています。

Kitasato's life shows the power of curiosity and gratitude. He looked into a tiny world and helped save countless lives, and he never forgot the people who had helped him.

柴三郎の一生を見ると、好奇心と感謝の心がどれほど大きな力になるかがわかります。柴三郎は小さな世界をのぞきこみ、数えきれない命を救う手助けをしました。そして柴三郎は、自分を助けてくれた人たちのことを、決して忘れませんでした。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

北里柴三郎は1853年、九州・熊本の山あいの小さな村で生まれました。子どものころは、医者ではなく軍人になりたかったといわれています。負けん気が強く、剣術が大好きでした。

両親は柴三郎を、熊本の医学校に入れました。そこで出会ったのが、オランダ人の医師、マンスフェルトです。マンスフェルトは柴三郎に、顕微鏡をのぞかせてくれたといわれています。レンズの向こうには、肉眼では決して見えない、小さな世界が広がっていました。柴三郎は心を奪われ、医学に一生をささげようと決めました。

柴三郎は、東京の医学校で学びました。この学校は、のちに東京大学の一部になりました。1883年に卒業すると、国の衛生局に入りました。そこで目にしたのは、コレラなどの感染症で、日本の多くの人が命を落としている現実でした。

1885年、柴三郎はドイツへ派遣されました。ベルリンで師事したのは、ロベルト・コッホでした。世界でも指折りの細菌学者で、結核やコレラの原因となる細菌を発見した人です。柴三郎はコッホの研究室で、昼も夜も研究にはげみました。その働きぶりに、ほかの研究者たちは目を見はりました。

1889年、柴三郎は、多くの科学者が不可能だと考えていたことをやってのけました。破傷風の原因となる菌だけを、ほかの菌のまじらない形で育てることに成功したのです。破傷風は、傷口から体に入りこむ、命にかかわる病気です。この菌は空気のあるところでは生きられません。そこで柴三郎は、酸素のない状態で菌を育てる特別な装置を作りました。

続いて1890年、柴三郎はドイツの科学者エミール・フォン・ベーリングと一緒に、さらに大切な発見をしました。破傷風の毒を、動物に少しずつ与えます。すると、その動物の血液の中に、毒を打ち消す力が生まれるのです。この血液の液体の部分を「血清」といいます。血清を別の動物に注射すると、その動物も破傷風から守られました。これが血清療法の始まりです。破傷風やジフテリアなどの病気を治療するための、新しい方法でした。

1901年、第1回のノーベル医学賞が、血清療法の研究をたたえてベーリングに贈られました。そこに柴三郎の名前はありませんでした。今では、柴三郎も一緒に受賞すべきだった、と考える人がたくさんいます。それでも、柴三郎は研究をやめませんでした。

ヨーロッパやアメリカの大学からは、ぜひ残ってほしいと誘いを受けました。けれども1892年、柴三郎は日本に帰りました。初めのうちは、研究する場所さえありませんでした。そこへ手を差しのべたのが、有名な教育者、福沢諭吉です。福沢が土地と援助を申し出てくれたおかげで、柴三郎は感染症を研究する研究所を開くことができました。

1894年、香港で恐ろしいペストが流行しました。柴三郎は調査のために現地へ向かいました。そして、ペストの原因となる菌を見つけたと発表しました。ほぼ同じころ、フランス系スイス人の科学者アレクサンドル・イェルサンも、同じ発見を発表しています。

1914年、国は突然、柴三郎の研究所を大学の下に置くと決めました。柴三郎はこれに納得せず、研究所を去りました。そして自分の力で、新しい研究所を立ち上げました。それが北里研究所です。また、すでに亡くなっていた福沢への恩返しとして、慶應義塾大学の医学部づくりにも力を尽くしました。このとき、報酬は一切受け取らなかったといわれています。

柴三郎は、多くの若い科学者を育てました。赤痢菌を発見した志賀潔も、その一人です。柴三郎は1931年に亡くなりました。2024年、新しい千円札に柴三郎の肖像が使われました。その裏には、北斎の「グレート・ウェーブ」(神奈川沖浪裏)が描かれています。

柴三郎の一生を見ると、好奇心と感謝の心がどれほど大きな力になるかがわかります。柴三郎は小さな世界をのぞきこみ、数えきれない命を救う手助けをしました。そして柴三郎は、自分を助けてくれた人たちのことを、決して忘れませんでした。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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Stay curious, and never forget the people who helped you.

好奇心を持ちつづけ、助けてくれた人への恩を忘れないこと。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. According to the story, what did Kitasato see that made him want to study medicine?

Q2. Why did Kitasato need a special device to grow the tetanus germ?

Q3. Why did Kitasato help start the medical school at Keio University?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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