Steve Jobs: From a Garage to the World(スティーブ・ジョブズ ガレージから世界へ)の挿絵
Level 3 Pre-Intermediate偉人伝

Steve Jobs: From a Garage to the World

スティーブ・ジョブズ ガレージから世界へ

  • 📖 675 words
  • ⏱ 約6分
  • 🔊 3:59
  • YL 1.5–2.4
  • 英検準2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ大学を中退し、自分で作った会社からも追い出された男。スティーブ・ジョブズの人生は失敗の連続にも見えます。でも、そのすべてが思いがけない形でつながっていきました。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(9語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • device機器
  • adopted養子として迎えられた
  • mechanic整備士
  • dropped out中退した
  • calligraphyカリグラフィー(西洋の書道)
  • released発売した・公開した
  • commands命令(コマンド)
  • demanding要求がきびしい
  • catalogカタログ
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On January 9, 2007, a man in a black sweater and blue jeans walked onto a stage in San Francisco. He held up a small, thin device with a glass screen and almost no buttons. It was a phone, a music player and an internet tool, all in one. The crowd cheered. The man was Steve Jobs, and the device was the first iPhone. It changed the way people around the world live and communicate.

2007年1月9日、黒いセーターにジーンズ姿の男が、サンフランシスコのステージに上がりました。男が高く掲げたのは、小さくて薄い機械です。ガラスの画面がついていて、ボタンはほとんどありません。電話と音楽プレーヤーとインターネットの道具が、一台にまとまっていたのです。会場は歓声に包まれました。男の名はスティーブ・ジョブズ。そしてその機械は、初代のiPhoneでした。iPhoneは、世界中の人の暮らし方や、人とのつながり方を変えました。

Steve Jobs was born in San Francisco in 1955. His birth parents were young and not married, and they decided to give him up for adoption. A couple named Paul and Clara Jobs adopted him. Paul was a mechanic. In the family garage, he showed Steve how to take things apart and put them back together. Steve later said that his father taught him to make even the back of a fence or a cabinet beautiful, although nobody would see it. Steve never forgot this lesson.

スティーブ・ジョブズは1955年、サンフランシスコで生まれました。生みの親は若く、結婚もしていなかったため、スティーブを養子に出すことにしました。スティーブを引きとったのは、ポールとクララのジョブズ夫妻です。ポールは機械の修理工でした。家のガレージで、ポールはスティーブに、物を分解しては組み立て直すやり方を教えました。誰にも見えなくても、柵や棚の裏側まで美しく仕上げるものだ。父からそう教わった、とスティーブはのちに語っています。スティーブはこの教えを、生涯忘れませんでした。

Steve grew up in the area now known as Silicon Valley, where many electronics companies were starting. As a teenager, he met Steve Wozniak, a brilliant engineer who was five years older. The two Steves became friends, because they both loved electronics and jokes.

スティーブが育ったのは、今ではシリコンバレーと呼ばれている地域です。当時、そこでは電子機器の会社が次々に生まれていました。10代のころ、スティーブは、5歳年上のスティーブ・ウォズニアックと出会いました。ずば抜けた腕を持つ技術者でした。二人のスティーブは、どちらも電子工作といたずらが大好きで、すぐに友だちになりました。

After high school, Jobs went to Reed College in Oregon. But he dropped out after only one term, because the school was very expensive for his parents. He stayed around the school for a while and went to classes that interested him, including a class on calligraphy, the art of beautiful handwriting. At that time, it seemed useless. But years later, it helped him create computers with beautiful letters on the screen.

高校を卒業すると、ジョブズはオレゴン州のリード大学に進みました。けれども、両親には学費の負担が重すぎたため、たった1学期で退学してしまいました。それでも、しばらくは大学のまわりにとどまり、興味のある授業にもぐりこんでいました。その一つが、美しい文字を書く技術、カリグラフィーの授業です。当時は、何の役にも立たないように思えました。ところが何年もたってから、画面に美しい文字を表示できるコンピューターを作るのに、このとき学んだことが生きたのです。

In 1976, Jobs and Wozniak started a company called Apple. Many people say that it started in the Jobs family garage. But Wozniak later said that the garage story is a bit of a myth. They did most of their real work in other places. Wozniak designed the computers, and Jobs found ways to sell them. Their second computer, the Apple II, was a big success. In 1984, Apple released the Macintosh. It was one of the first popular computers that people could use easily with a mouse and pictures on the screen, instead of typing commands.

1976年、ジョブズとウォズニアックは、アップルという会社を立ち上げました。アップルはジョブズ家のガレージから始まった、とよくいわれます。けれども、ウォズニアックはのちに、ガレージの話は少し伝説めいている、と語りました。実際の仕事の大半は、ほかの場所でしていたというのです。コンピューターを設計したのはウォズニアックで、それを売る道を見つけたのがジョブズでした。二人の2台目のコンピューター、アップルIIは大成功をおさめました。1984年、アップルはマッキントッシュを発売しました。命令を文字で打ちこまなくても、マウスと画面上の絵を使って誰でも簡単に操作できる、初期の人気コンピューターの一つでした。

But Jobs was not an easy person to work with. He was very demanding, and he was sometimes rude to the people around him. In 1985, after a fight over how to run the company, he was forced to leave Apple, the company he had started. He was only thirty. He later said that it was very painful, but that it turned out to be good for him, because he could start again with fresh eyes.

けれども、ジョブズは一緒に働きやすい人ではありませんでした。要求がとても厳しく、まわりの人に失礼な態度をとることもありました。1985年、会社の経営をめぐる争いのすえ、ジョブズは自分がつくった会社、アップルを追い出されてしまいました。まだ30歳でした。とてもつらかったが、結果的には自分のためになった。新たな気持ちで、もう一度一から始められたからだ。ジョブズはのちにそう語っています。

Jobs started a new computer company called NeXT. He also bought a small computer graphics company that became Pixar. In 1995, Pixar released Toy Story, the world's first full-length movie made completely with computer graphics. It was a huge hit.

ジョブズは、NeXTという新しいコンピューター会社を始めました。また、小さなコンピューターグラフィックスの会社も買い取りました。これが、のちのピクサーです。1995年、ピクサーは『トイ・ストーリー』を公開しました。すべてをコンピューターグラフィックスで作った、世界初の長編映画です。映画は大ヒットしました。

In 1997, Apple was in trouble, and it bought NeXT. Jobs returned to the company. Over the next fourteen years, Apple released one famous product after another: the colorful iMac, the iPod music player, the iPhone and the iPad. Jobs cared about every detail, from how a product worked to how its box felt in your hands. Apple became one of the most valuable companies in the world.

1997年、経営が苦しくなっていたアップルは、NeXTを買収しました。こうして、ジョブズはアップルに戻ってきたのです。それからの14年間、アップルは有名な製品を次々に世に送り出しました。色とりどりのiMac、音楽プレーヤーのiPod、iPhone、そしてiPadです。ジョブズは、製品の使い心地から、箱を手にしたときの感触まで、あらゆる細かい点にこだわりました。アップルは、世界でもっとも価値の高い会社の一つになりました。

In 2003, Jobs learned that he had cancer. In 2005, he gave a speech to students graduating from Stanford University. He talked about his adoption, his failures and his illness. He told the students to find work that they love and to follow their hearts. At the end, he repeated words that he had loved since he was young, from the back cover of a catalog: "Stay hungry. Stay foolish."

2003年、ジョブズは自分ががんにかかっていることを知りました。2005年、ジョブズはスタンフォード大学の卒業式で、卒業生に向けてスピーチをしました。自分が養子だったこと、失敗したこと、そして病気のことを話しました。心から好きになれる仕事を見つけなさい、自分の心に従いなさい、と卒業生に語りかけました。最後には、若いころから大好きだった言葉を繰り返しました。あるカタログの裏表紙にあった言葉です。「ハングリーであれ。愚かであれ」。

Steve Jobs died in 2011 at the age of fifty-six. He was not a perfect person. But his life shows that a failure can become a new start, and that even something that seems useless, like a calligraphy class, can connect to your future in surprising ways.

スティーブ・ジョブズは2011年、56歳で亡くなりました。完璧な人ではありませんでした。けれども、その一生を見ると、失敗が新しい出発にもなりうることが分かります。そして、カリグラフィーの授業のように役に立たないと思えることでさえ、思いがけない形で未来につながることがあるのです。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

2007年1月9日、黒いセーターにジーンズ姿の男が、サンフランシスコのステージに上がりました。男が高く掲げたのは、小さくて薄い機械です。ガラスの画面がついていて、ボタンはほとんどありません。電話と音楽プレーヤーとインターネットの道具が、一台にまとまっていたのです。会場は歓声に包まれました。男の名はスティーブ・ジョブズ。そしてその機械は、初代のiPhoneでした。iPhoneは、世界中の人の暮らし方や、人とのつながり方を変えました。

スティーブ・ジョブズは1955年、サンフランシスコで生まれました。生みの親は若く、結婚もしていなかったため、スティーブを養子に出すことにしました。スティーブを引きとったのは、ポールとクララのジョブズ夫妻です。ポールは機械の修理工でした。家のガレージで、ポールはスティーブに、物を分解しては組み立て直すやり方を教えました。誰にも見えなくても、柵や棚の裏側まで美しく仕上げるものだ。父からそう教わった、とスティーブはのちに語っています。スティーブはこの教えを、生涯忘れませんでした。

スティーブが育ったのは、今ではシリコンバレーと呼ばれている地域です。当時、そこでは電子機器の会社が次々に生まれていました。10代のころ、スティーブは、5歳年上のスティーブ・ウォズニアックと出会いました。ずば抜けた腕を持つ技術者でした。二人のスティーブは、どちらも電子工作といたずらが大好きで、すぐに友だちになりました。

高校を卒業すると、ジョブズはオレゴン州のリード大学に進みました。けれども、両親には学費の負担が重すぎたため、たった1学期で退学してしまいました。それでも、しばらくは大学のまわりにとどまり、興味のある授業にもぐりこんでいました。その一つが、美しい文字を書く技術、カリグラフィーの授業です。当時は、何の役にも立たないように思えました。ところが何年もたってから、画面に美しい文字を表示できるコンピューターを作るのに、このとき学んだことが生きたのです。

1976年、ジョブズとウォズニアックは、アップルという会社を立ち上げました。アップルはジョブズ家のガレージから始まった、とよくいわれます。けれども、ウォズニアックはのちに、ガレージの話は少し伝説めいている、と語りました。実際の仕事の大半は、ほかの場所でしていたというのです。コンピューターを設計したのはウォズニアックで、それを売る道を見つけたのがジョブズでした。二人の2台目のコンピューター、アップルIIは大成功をおさめました。1984年、アップルはマッキントッシュを発売しました。命令を文字で打ちこまなくても、マウスと画面上の絵を使って誰でも簡単に操作できる、初期の人気コンピューターの一つでした。

けれども、ジョブズは一緒に働きやすい人ではありませんでした。要求がとても厳しく、まわりの人に失礼な態度をとることもありました。1985年、会社の経営をめぐる争いのすえ、ジョブズは自分がつくった会社、アップルを追い出されてしまいました。まだ30歳でした。とてもつらかったが、結果的には自分のためになった。新たな気持ちで、もう一度一から始められたからだ。ジョブズはのちにそう語っています。

ジョブズは、NeXTという新しいコンピューター会社を始めました。また、小さなコンピューターグラフィックスの会社も買い取りました。これが、のちのピクサーです。1995年、ピクサーは『トイ・ストーリー』を公開しました。すべてをコンピューターグラフィックスで作った、世界初の長編映画です。映画は大ヒットしました。

1997年、経営が苦しくなっていたアップルは、NeXTを買収しました。こうして、ジョブズはアップルに戻ってきたのです。それからの14年間、アップルは有名な製品を次々に世に送り出しました。色とりどりのiMac、音楽プレーヤーのiPod、iPhone、そしてiPadです。ジョブズは、製品の使い心地から、箱を手にしたときの感触まで、あらゆる細かい点にこだわりました。アップルは、世界でもっとも価値の高い会社の一つになりました。

2003年、ジョブズは自分ががんにかかっていることを知りました。2005年、ジョブズはスタンフォード大学の卒業式で、卒業生に向けてスピーチをしました。自分が養子だったこと、失敗したこと、そして病気のことを話しました。心から好きになれる仕事を見つけなさい、自分の心に従いなさい、と卒業生に語りかけました。最後には、若いころから大好きだった言葉を繰り返しました。あるカタログの裏表紙にあった言葉です。「ハングリーであれ。愚かであれ」。

スティーブ・ジョブズは2011年、56歳で亡くなりました。完璧な人ではありませんでした。けれども、その一生を見ると、失敗が新しい出発にもなりうることが分かります。そして、カリグラフィーの授業のように役に立たないと思えることでさえ、思いがけない形で未来につながることがあるのです。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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A failure can be a new start, and nothing you learn is ever truly useless.

失敗は新しい出発になりうる。学んだことに、本当にむだなものはない。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What did Jobs learn from his father Paul?

Q2. How did the calligraphy class help Jobs later?

Q3. What happened to Jobs in 1985?

🎥 本物を見る・聞く 公式の映像・音声

🎥 映像・StanfordSteve Jobs' 2005 Stanford Commencement Addressスタンフォード大学公式。2005年の卒業式スピーチ全体、約15分

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この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

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