Audrey Hepburn: A Star with a Kind Heart(オードリー・ヘプバーン やさしい心をもったスター)の挿絵
Level 3 Pre-Intermediate偉人伝

Audrey Hepburn: A Star with a Kind Heart

オードリー・ヘプバーン やさしい心をもったスター

  • 📖 570 words
  • ⏱ 約5分
  • 🔊 3:10
  • YL 1.5–2.4
  • 英検準2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ『ローマの休日』で世界中を魅了した大スター、オードリー。晩年の彼女がアフリカの村で子どもたちを抱きしめたのには、少女時代のある体験がありました。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(9語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • slimほっそりした
  • noble貴族の
  • ballerinaバレリーナ
  • resistanceレジスタンス(抵抗運動)
  • tulip bulbsチューリップの球根
  • relief救援
  • princess王女
  • elegant上品な
  • Goodwill Ambassador親善大使
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In 1988, a slim woman in simple clothes walked through a dry village in Ethiopia. She knelt down to talk with hungry children and held them in her arms. Years before, she had been one of the most famous movie stars in the world. Her name was Audrey Hepburn. But she had come to Africa for a different reason. She knew how it felt to be a hungry child.

1988年、質素な服を着たほっそりした女性が、エチオピアの乾ききった村を歩いていました。女性はひざをついて、おなかをすかせた子どもたちに話しかけ、一人ひとりを腕に抱きしめました。何年も前、この女性は、世界でもっとも有名な映画スターの一人でした。名前は、オードリー・ヘプバーン。けれども、アフリカに来たのには、別のわけがありました。おなかをすかせた子どもがどんな思いをしているか、オードリーは身をもって知っていたのです。

Audrey was born in 1929 in Brussels, Belgium. Her father was British, and her mother came from a noble Dutch family. As a girl, she went to school in England and fell in love with ballet. Her dream was to become a ballerina.

オードリーは1929年、ベルギーのブリュッセルで生まれました。父親はイギリス人で、母親はオランダの貴族の家の出でした。少女のころはイギリスの学校に通い、バレエに夢中になりました。夢は、バレリーナになることでした。

In 1939, World War II began. Audrey's mother took her to the town of Arnhem in the Netherlands. They thought it would be safe there. But in 1940, the German army took over the country, and life became more and more difficult. Audrey kept taking ballet lessons. It is said that she danced in secret performances to collect money for the Dutch resistance, the people who fought against the German army.

1939年、第二次世界大戦が始まりました。母親は、オードリーを連れてオランダのアーネムという町に移りました。そこなら安全だろうと考えたのです。ところが1940年、ドイツ軍がオランダを占領し、暮らしはどんどん苦しくなっていきました。それでもオードリーは、バレエのレッスンを続けました。ドイツ軍と戦うオランダのレジスタンスのために、ひそかに開かれた公演で踊り、お金を集めたといわれています。

The worst time came in the winter of 1944. There was almost no food in the western part of the Netherlands. About twenty thousand people died of hunger during this Hunger Winter. Audrey later said that her family ate tulip bulbs and other plants to survive. She became very thin and sick.

いちばんつらい時期は、1944年の冬にやってきました。オランダの西部では、食べ物がほとんどなくなったのです。この「飢餓の冬」のあいだに、およそ2万人が飢えで亡くなりました。オードリーはのちに、生き延びるために、家族でチューリップの球根やほかの植物を食べた、と語っています。オードリーはひどくやせ、病気になりました。

In May 1945, the war ended. Soon after, a United Nations relief group brought food and medicine to the Netherlands. Audrey never forgot the boxes of food that saved her life. This kind of work later continued through UNICEF, the United Nations Children's Fund.

1945年5月、戦争が終わりました。まもなく、国連の救援団体が、オランダに食べ物と薬を運んできました。オードリーは、自分の命を救ってくれた食べ物の箱を、決して忘れませんでした。こうした救援の仕事は、のちにユニセフ(国連児童基金)に引き継がれていきました。

After the war, Audrey went to London to study ballet. But her teacher told her that she was too tall, and that the war had stopped her serious training for too long. She would never be a top ballerina. It was a painful moment, but Audrey decided to try acting instead. She got small parts in films and shows.

戦後、オードリーはバレエを学ぶためにロンドンへ行きました。けれども、先生からこう言われました。背が高すぎるうえに、戦争で本格的な稽古ができなかった期間が長すぎる。一流のバレリーナには、とてもなれないだろう、と。つらい出来事でしたが、オードリーは、代わりに演技に挑戦しようと決めました。そして、映画や舞台で小さな役をもらうようになりました。

In 1951, a famous French writer saw her and chose her to star in a play on Broadway in New York. Then came the film Roman Holiday in 1953. Audrey played a young princess who escapes from her palace and spends a happy day in Rome with an American reporter. The film was a huge success, and she won the Academy Award for Best Actress. People loved her natural beauty, her elegant style and her warm smile.

1951年、フランスの有名な作家がオードリーに目をとめ、ニューヨークのブロードウェイの劇の主役に選びました。そして1953年、映画『ローマの休日』が公開されました。オードリーが演じたのは、宮殿を抜け出して、アメリカ人の新聞記者とローマで楽しい一日を過ごす、若い王女でした。映画は大ヒットし、オードリーはアカデミー主演女優賞に輝きました。飾らない美しさ、上品な着こなし、そして温かい笑顔に、人々は夢中になりました。

She went on to make many more films, such as Breakfast at Tiffany's and My Fair Lady. Her short hair and simple black dresses became famous around the world. But for Audrey, her family was more important than fame. From the late 1960s, she made far fewer films and spent her time raising her two sons.

その後も、オードリーは『ティファニーで朝食を』や『マイ・フェア・レディ』など、たくさんの映画に出演しました。短い髪や、シンプルな黒いドレスは、世界中で評判になりました。けれども、オードリーにとっては、名声よりも家族のほうが大切でした。1960年代の終わりからは、映画に出るのをぐっと減らし、二人の息子を育てることに時間を注ぎました。

In 1988, she became a Goodwill Ambassador for UNICEF. For the rest of her life, she traveled to poor and dangerous places, including Ethiopia, Vietnam and Somalia. She used her fame to tell the world about children who needed help. Even when she became sick, she kept working.

1988年、オードリーはユニセフの親善大使になりました。それから亡くなるまで、エチオピアやベトナム、ソマリアなど、貧しく危険な土地をめぐりました。自分の名前が知られていることを生かして、助けを必要としている子どもたちのことを世界に伝えたのです。病気になってからも、活動をやめませんでした。

Audrey Hepburn died of cancer in January 1993, at the age of sixty-three. She is remembered as a beautiful actress, but also as a person who never forgot the kindness she received as a hungry girl. Her life teaches us that the help we receive can become the help we give.

オードリー・ヘプバーンは1993年1月、がんのため63歳で亡くなりました。オードリーは、美しい女優として記憶されています。けれども、それだけではありません。おなかをすかせた少女のころに受けた優しさを、決して忘れなかった人としても記憶されているのです。受けた助けは、いつか人に与える助けになる。オードリーの一生は、そう教えてくれます。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

1988年、質素な服を着たほっそりした女性が、エチオピアの乾ききった村を歩いていました。女性はひざをついて、おなかをすかせた子どもたちに話しかけ、一人ひとりを腕に抱きしめました。何年も前、この女性は、世界でもっとも有名な映画スターの一人でした。名前は、オードリー・ヘプバーン。けれども、アフリカに来たのには、別のわけがありました。おなかをすかせた子どもがどんな思いをしているか、オードリーは身をもって知っていたのです。

オードリーは1929年、ベルギーのブリュッセルで生まれました。父親はイギリス人で、母親はオランダの貴族の家の出でした。少女のころはイギリスの学校に通い、バレエに夢中になりました。夢は、バレリーナになることでした。

1939年、第二次世界大戦が始まりました。母親は、オードリーを連れてオランダのアーネムという町に移りました。そこなら安全だろうと考えたのです。ところが1940年、ドイツ軍がオランダを占領し、暮らしはどんどん苦しくなっていきました。それでもオードリーは、バレエのレッスンを続けました。ドイツ軍と戦うオランダのレジスタンスのために、ひそかに開かれた公演で踊り、お金を集めたといわれています。

いちばんつらい時期は、1944年の冬にやってきました。オランダの西部では、食べ物がほとんどなくなったのです。この「飢餓の冬」のあいだに、およそ2万人が飢えで亡くなりました。オードリーはのちに、生き延びるために、家族でチューリップの球根やほかの植物を食べた、と語っています。オードリーはひどくやせ、病気になりました。

1945年5月、戦争が終わりました。まもなく、国連の救援団体が、オランダに食べ物と薬を運んできました。オードリーは、自分の命を救ってくれた食べ物の箱を、決して忘れませんでした。こうした救援の仕事は、のちにユニセフ(国連児童基金)に引き継がれていきました。

戦後、オードリーはバレエを学ぶためにロンドンへ行きました。けれども、先生からこう言われました。背が高すぎるうえに、戦争で本格的な稽古ができなかった期間が長すぎる。一流のバレリーナには、とてもなれないだろう、と。つらい出来事でしたが、オードリーは、代わりに演技に挑戦しようと決めました。そして、映画や舞台で小さな役をもらうようになりました。

1951年、フランスの有名な作家がオードリーに目をとめ、ニューヨークのブロードウェイの劇の主役に選びました。そして1953年、映画『ローマの休日』が公開されました。オードリーが演じたのは、宮殿を抜け出して、アメリカ人の新聞記者とローマで楽しい一日を過ごす、若い王女でした。映画は大ヒットし、オードリーはアカデミー主演女優賞に輝きました。飾らない美しさ、上品な着こなし、そして温かい笑顔に、人々は夢中になりました。

その後も、オードリーは『ティファニーで朝食を』や『マイ・フェア・レディ』など、たくさんの映画に出演しました。短い髪や、シンプルな黒いドレスは、世界中で評判になりました。けれども、オードリーにとっては、名声よりも家族のほうが大切でした。1960年代の終わりからは、映画に出るのをぐっと減らし、二人の息子を育てることに時間を注ぎました。

1988年、オードリーはユニセフの親善大使になりました。それから亡くなるまで、エチオピアやベトナム、ソマリアなど、貧しく危険な土地をめぐりました。自分の名前が知られていることを生かして、助けを必要としている子どもたちのことを世界に伝えたのです。病気になってからも、活動をやめませんでした。

オードリー・ヘプバーンは1993年1月、がんのため63歳で亡くなりました。オードリーは、美しい女優として記憶されています。けれども、それだけではありません。おなかをすかせた少女のころに受けた優しさを、決して忘れなかった人としても記憶されているのです。受けた助けは、いつか人に与える助けになる。オードリーの一生は、そう教えてくれます。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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Remember the kindness you receive, and pass it on to others.

受けたやさしさを忘れず、次の人へわたしていこう。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What did Audrey's family eat during the Hunger Winter?

Q2. Why couldn't Audrey become a top ballerina?

Q3. What did Audrey do for UNICEF?

🎥 本物を見る・聞く 公式の映像・音声

🎥 映像・UNICEFAudrey Hepburn at the United Nations | UNICEFユニセフ公式。親善大使ヘプバーンが国連で子どもの権利を訴えたスピーチ、約3分半

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この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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