Ogata Sadako: The Small Giant Who Protected Refugees(緒方貞子――難民を守った「小さな巨人」)の挿絵
Level 4 Intermediate偉人伝

Ogata Sadako: The Small Giant Who Protected Refugees

緒方貞子――難民を守った「小さな巨人」

  • 📖 827 words
  • ⏱ 約8分
  • 🔊 5:02
  • YL 2.5–3.4
  • 英検2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ1991年、イラクとトルコの国境の山で、行き場を失った大勢の人々。規則では「難民」と呼べない彼らを前に、緒方貞子は大きな決断をします。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(9語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • trapped閉じこめられた・身動きがとれない
  • delegation代表団
  • High Commissioner for Refugees難民高等弁務官
  • agency機関
  • crisis危機
  • airlift空輸
  • bulletproof vest防弾チョッキ
  • dignity尊厳
  • cooperation協力
音声に合わせて文が光ります0:00 / 5:02

Google Cloud TTS(Chirp 3 HD・アメリカ英語・Leda)

In 1991, a small Japanese woman went to the cold mountains between Iraq and Turkey, where hundreds of thousands of people were trapped. She was only about one hundred and fifty centimeters tall. But the decision she made at that time would change how the world protects people who have lost their homes. Her name was Ogata Sadako.

1991年、一人の小柄な日本人女性が、イラクとトルコのあいだに広がる寒い山岳地帯へ向かいました。そこでは、何十万もの人々が逃げ場を失って取り残されていました。身長は、わずか150センチほど。けれども、このとき彼女が下した決断が、家を失った人々を世界がどう守るのか、そのあり方を変えることになりました。彼女の名前は、緒方貞子です。

Ogata Sadako was born in Tokyo in 1927. Her family was full of diplomats and politicians. Her great-grandfather was Inukai Tsuyoshi, a prime minister who was killed by young naval officers in 1932. Her father was a diplomat, so she spent part of her childhood in the United States and China. From an early age, she saw that the world was much bigger than Japan.

緒方貞子は1927年、東京で生まれました。親族には外交官や政治家がたくさんいました。曾祖父は、1932年に若い海軍将校たちに暗殺された首相、犬養毅です。父が外交官だったので、子ども時代の一部をアメリカや中国で過ごしました。世界は日本よりずっと広い。そのことを、幼いころから知っていたのです。

After the war, she studied at the University of the Sacred Heart in Tokyo. Then she went to the United States to study international relations, and she earned a doctorate at the University of California, Berkeley. In her research, she studied why Japan had gone down the road to war in the 1930s.

戦後、貞子は東京の聖心女子大学で学びました。その後アメリカに渡って国際関係論を学び、カリフォルニア大学バークレー校で博士号をとりました。研究のテーマは、1930年代の日本がなぜ戦争への道を進んでしまったのか、ということでした。

She married Ogata Shijuro, who worked at the Bank of Japan, and raised two children. In 1968, she joined Japan's delegation to the United Nations General Assembly. In 1976, she became the first Japanese woman to serve as a minister at Japan's mission to the United Nations. Later, she became a professor at Sophia University in Tokyo. She was a careful scholar, not someone who wanted to be famous.

日本銀行に勤める緒方四十郎と結婚し、二人の子どもを育てました。1968年、国連総会の日本代表団に加わりました。1976年には、日本の国連代表部の公使になりました。日本人女性として初めてのことです。のちに、東京の上智大学の教授になりました。有名になりたがるような人ではなく、堅実な研究者でした。

In 1990, at the age of sixty-three, she was chosen as the United Nations High Commissioner for Refugees, the head of the UN agency that protects refugees. She was the first woman and the first Japanese person to hold this job. She started work in early 1991. Almost at once, she faced a terrible crisis.

1990年、63歳の緒方は、国連難民高等弁務官に選ばれました。難民を守る国連の機関のトップです。女性としても、日本人としても、初めてでした。1991年の初めに仕事を始めると、すぐに恐ろしい危機が待ち受けていました。

After the Gulf War, the Kurdish people in northern Iraq rose up against the government of Saddam Hussein. When the Iraqi army attacked them, huge numbers of Kurds fled to the mountains near the border with Turkey. But Turkey would not let them in. The people were trapped in the snow without enough food or shelter, and many were dying.

湾岸戦争のあと、イラク北部のクルド人たちが、サダム・フセインの政府に対して立ち上がりました。イラク軍が攻撃すると、おびただしい数のクルド人が、トルコとの国境近くの山へ逃げこみました。ところがトルコは、彼らを国に入れませんでした。人々は食べ物も雨風をしのぐ場所もろくにないまま、雪の中に閉じこめられました。命を落とす人が、次々に出ていました。

This created a difficult problem. According to the rules, refugees were people who had crossed into another country. These Kurds were still inside Iraq. Strictly speaking, they were not refugees, and the agency was not supposed to help them. Some people around her said that the agency should follow the rules.

ここで、難しい問題が持ち上がりました。規則では、難民とは、国境を越えてほかの国へ逃れた人のことです。ところが、このクルド人たちはまだイラクの国内にいました。厳密にいえば難民ではなく、緒方の機関が助けてよい相手ではなかったのです。周りには、規則を守るべきだと言う人もいました。

Ogata went to see the situation with her own eyes. Then she made a bold decision. The purpose of the rules, she believed, was to protect people's lives. If following the rules meant letting people die, the rules had to be thought about in a new way. She decided that the agency would help the people inside Iraq too. This was a turning point. After this, the UN began to do much more to protect people who had been forced from their homes, even inside their own countries. With the help of many countries, camps were set up in northern Iraq, and within months, many of the Kurds were able to return to their homes.

緒方は、自分の目で現地を確かめに行きました。そして、大胆な決断を下しました。規則は、人の命を守るためにある。規則を守ることが人を見殺しにすることになるなら、規則のほうを考え直さなければならない。緒方はそう考えたのです。そして、イラク国内にいる人々も機関が助ける、と決めました。これは大きな転換点になりました。これをきっかけに、国連は、家を追われた人々を、たとえ自分の国の中にいても、ずっと積極的に守るようになったのです。多くの国の協力でイラク北部にキャンプがつくられ、数か月のうちに、多くのクルド人が自分の家に帰ることができました。

During her ten years as High Commissioner, there were wars and crises one after another. In the former Yugoslavia, her agency organized an airlift that carried food and medicine into the surrounded city of Sarajevo for years. In Africa, after the terrible events in Rwanda in 1994, she worked to help about two million people who had fled to nearby countries. She often visited dangerous places herself, wearing a bulletproof vest over her small body.

高等弁務官を務めた10年のあいだ、戦争や危機が次々と起こりました。旧ユーゴスラビアでは、敵に包囲されたサラエボの町へ、食べ物や薬を空から運びこむ作戦を、何年にもわたって続けました。アフリカでは、1994年にルワンダで恐ろしい出来事が起きたあと、近くの国々へ逃れたおよそ200万人を助けるために力を尽くしました。緒方自身も、よく危険な場所に足を運びました。小さな体に、防弾チョッキを着こんでのことでした。

She was known for listening first and then acting quickly. She believed strongly that she had to go to the field, to the places where people were suffering, and understand their situation directly. Her staff were sometimes surprised that the quiet professor could be so tough with powerful leaders. She did not raise her voice. Instead, she used facts, patience, and clear logic, and she did not give up until she got what the people in danger needed.

緒方は、まず相手の話を聞き、それから素早く動く人として知られていました。人々が苦しんでいる現場に行き、その様子をじかに知らなければならない。そう強く信じていました。物静かな大学教授が、力のある指導者たちを相手に、ここまで手ごわく渡り合えるのか。スタッフたちは、ときに驚かされました。緒方は声を荒らげることはありませんでした。その代わりに、事実と、粘り強さと、筋の通った理屈で相手に迫りました。そして、危険の中にいる人たちに必要なものを手に入れるまで、決してあきらめませんでした。

After leaving the UN in 2000, she continued to work. She helped to develop the idea of human security, which means protecting each person's life, safety, and dignity, not just protecting the borders of countries. From 2003 to 2012, she led JICA, Japan's agency for international cooperation, which sends Japanese experts to help people in developing countries.

2000年に国連を離れてからも、緒方は働き続けました。「人間の安全保障」という考え方を育てるのにも力を注ぎました。国の国境を守るだけでなく、一人ひとりの命と安全と尊厳を守ろう、という考え方です。2003年から2012年までは、JICA(国際協力機構)の理事長を務めました。JICAは、日本の専門家を送り出して、発展途上国の人々を助ける日本の機関です。

Ogata Sadako died in 2019 at the age of ninety-two. People around the world remembered her as a small giant. She showed that one person, even someone quiet and gentle, can change the way the world treats people in need. She also showed that rules exist to protect people, not the other way around.

緒方貞子は2019年、92歳で亡くなりました。世界中の人が、「小さな巨人」として彼女をしのびました。たった一人の人間でも、それが物静かで穏やかな人であっても、困っている人々への世界の向き合い方を変えられる。緒方は、そのことを示しました。そして、規則は人を守るためにあるのであって、その逆ではない、ということも示したのです。

For English learners, her life has another message. She used English and other languages not to show off, but to listen to people, to speak up for them, and to bring the world together to help them.

英語を学ぶ人にとって、緒方の一生には、もう一つのメッセージがあります。緒方は、英語やほかの言葉を、見せびらかすために使ったのではありません。人々の声に耳を傾けるため。人々に代わって声を上げるため。そして、人々を助けるために世界を一つにまとめるために使ったのです。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

1991年、一人の小柄な日本人女性が、イラクとトルコのあいだに広がる寒い山岳地帯へ向かいました。そこでは、何十万もの人々が逃げ場を失って取り残されていました。身長は、わずか150センチほど。けれども、このとき彼女が下した決断が、家を失った人々を世界がどう守るのか、そのあり方を変えることになりました。彼女の名前は、緒方貞子です。

緒方貞子は1927年、東京で生まれました。親族には外交官や政治家がたくさんいました。曾祖父は、1932年に若い海軍将校たちに暗殺された首相、犬養毅です。父が外交官だったので、子ども時代の一部をアメリカや中国で過ごしました。世界は日本よりずっと広い。そのことを、幼いころから知っていたのです。

戦後、貞子は東京の聖心女子大学で学びました。その後アメリカに渡って国際関係論を学び、カリフォルニア大学バークレー校で博士号をとりました。研究のテーマは、1930年代の日本がなぜ戦争への道を進んでしまったのか、ということでした。

日本銀行に勤める緒方四十郎と結婚し、二人の子どもを育てました。1968年、国連総会の日本代表団に加わりました。1976年には、日本の国連代表部の公使になりました。日本人女性として初めてのことです。のちに、東京の上智大学の教授になりました。有名になりたがるような人ではなく、堅実な研究者でした。

1990年、63歳の緒方は、国連難民高等弁務官に選ばれました。難民を守る国連の機関のトップです。女性としても、日本人としても、初めてでした。1991年の初めに仕事を始めると、すぐに恐ろしい危機が待ち受けていました。

湾岸戦争のあと、イラク北部のクルド人たちが、サダム・フセインの政府に対して立ち上がりました。イラク軍が攻撃すると、おびただしい数のクルド人が、トルコとの国境近くの山へ逃げこみました。ところがトルコは、彼らを国に入れませんでした。人々は食べ物も雨風をしのぐ場所もろくにないまま、雪の中に閉じこめられました。命を落とす人が、次々に出ていました。

ここで、難しい問題が持ち上がりました。規則では、難民とは、国境を越えてほかの国へ逃れた人のことです。ところが、このクルド人たちはまだイラクの国内にいました。厳密にいえば難民ではなく、緒方の機関が助けてよい相手ではなかったのです。周りには、規則を守るべきだと言う人もいました。

緒方は、自分の目で現地を確かめに行きました。そして、大胆な決断を下しました。規則は、人の命を守るためにある。規則を守ることが人を見殺しにすることになるなら、規則のほうを考え直さなければならない。緒方はそう考えたのです。そして、イラク国内にいる人々も機関が助ける、と決めました。これは大きな転換点になりました。これをきっかけに、国連は、家を追われた人々を、たとえ自分の国の中にいても、ずっと積極的に守るようになったのです。多くの国の協力でイラク北部にキャンプがつくられ、数か月のうちに、多くのクルド人が自分の家に帰ることができました。

高等弁務官を務めた10年のあいだ、戦争や危機が次々と起こりました。旧ユーゴスラビアでは、敵に包囲されたサラエボの町へ、食べ物や薬を空から運びこむ作戦を、何年にもわたって続けました。アフリカでは、1994年にルワンダで恐ろしい出来事が起きたあと、近くの国々へ逃れたおよそ200万人を助けるために力を尽くしました。緒方自身も、よく危険な場所に足を運びました。小さな体に、防弾チョッキを着こんでのことでした。

緒方は、まず相手の話を聞き、それから素早く動く人として知られていました。人々が苦しんでいる現場に行き、その様子をじかに知らなければならない。そう強く信じていました。物静かな大学教授が、力のある指導者たちを相手に、ここまで手ごわく渡り合えるのか。スタッフたちは、ときに驚かされました。緒方は声を荒らげることはありませんでした。その代わりに、事実と、粘り強さと、筋の通った理屈で相手に迫りました。そして、危険の中にいる人たちに必要なものを手に入れるまで、決してあきらめませんでした。

2000年に国連を離れてからも、緒方は働き続けました。「人間の安全保障」という考え方を育てるのにも力を注ぎました。国の国境を守るだけでなく、一人ひとりの命と安全と尊厳を守ろう、という考え方です。2003年から2012年までは、JICA(国際協力機構)の理事長を務めました。JICAは、日本の専門家を送り出して、発展途上国の人々を助ける日本の機関です。

緒方貞子は2019年、92歳で亡くなりました。世界中の人が、「小さな巨人」として彼女をしのびました。たった一人の人間でも、それが物静かで穏やかな人であっても、困っている人々への世界の向き合い方を変えられる。緒方は、そのことを示しました。そして、規則は人を守るためにあるのであって、その逆ではない、ということも示したのです。

英語を学ぶ人にとって、緒方の一生には、もう一つのメッセージがあります。緒方は、英語やほかの言葉を、見せびらかすために使ったのではありません。人々の声に耳を傾けるため。人々に代わって声を上げるため。そして、人々を助けるために世界を一つにまとめるために使ったのです。

日本語訳:多読ベスト

押すと、この端末の読書記録(100万語メーター)に語数が加わります。

このお話の教訓 Moral

タップして見る

Rules exist to protect people. When they fail, have the courage to think again.

決まりは人を守るためにある。守れないときは、考えなおす勇気をもとう。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. Why were the Kurds in the mountains not refugees according to the rules?

Q2. What did Ogata decide to do?

Q3. What does human security mean?

🎥 本物を見る・聞く 公式の映像・音声

🎥 映像・United NationsRemembering a Champion of Humanitarian Action | United Nations国連公式。初の女性国連難民高等弁務官・緒方貞子さんの功績をふり返る、約2分

外部サイト(YouTube など)が新しいタブで開きます。読み終わってから見るのがおすすめ。

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

次に読む

Level 4 の読み物をもっと見る →