Katsu Kaishu: The Man Who Saved Edo(勝海舟――江戸を救った男)の挿絵
Level 4 Intermediate偉人伝

Katsu Kaishu: The Man Who Saved Edo

勝海舟――江戸を救った男

  • 📖 870 words
  • ⏱ 約8分
  • 🔊 4:60
  • YL 2.5–3.4
  • 英検2級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ100万人が暮らす江戸に、新政府軍がせまる1868年。貧しい旗本の家に生まれた勝海舟は、町を戦火から守るため、ある人物と向き合います。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(9語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • retainers家臣
  • troublemakerあばれ者・問題児
  • meditation瞑想・座禅
  • naval海軍の
  • seasick船酔いした
  • commander司令官
  • spare(命を)助ける
  • traitor裏切り者
  • rival対立する・ライバルの
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In the spring of 1868, the great city of Edo was in danger. About a million people lived there. The army of the new government was marching toward the city to attack the castle of the shogun. If a battle began, the city could burn, and countless people could die. One man was trying to stop this. His name was Katsu Kaishu.

1868年の春、大都市・江戸は危機にさらされていました。江戸には、およそ100万人が暮らしていました。そこへ新しい政府の軍が、将軍の城を攻め落とそうと迫っていたのです。戦いが始まれば、町は火の海になり、数えきれない人が命を落としかねません。これを食い止めようとしていた男がいました。勝海舟です。

Katsu was born in Edo in 1823. His family belonged to the shogun's own retainers, but they were low in rank and very poor. His father, Kokichi, was a lively man who was well known as a troublemaker. It is said that when Katsu was a boy, he was badly bitten by a dog, and his father stayed by his side day and night until he got well.

勝は1823年、江戸で生まれました。勝の家は将軍に直接仕える家臣でしたが、身分は低く、暮らしは大変貧しいものでした。父の小吉は陽気な人で、名うての暴れ者として知られていました。勝が少年のころ、犬にひどくかまれたことがあります。そのとき父は、勝が治るまで、昼も夜もそばを離れなかったといわれています。

Young Katsu trained hard in swordsmanship and Zen meditation. Then he decided to study Dutch, the language that gave Japan its window to Western science. He was too poor to buy a Dutch dictionary, which was very expensive. So, it is said, he borrowed one and copied all fifty-eight volumes by hand, not once but twice, in a single year. He sold one copy to pay for the borrowing and kept the other for himself.

若い勝は、剣術と座禅の修行に打ちこみました。そのうえで、オランダ語を学ぶことにしました。当時の日本にとって、オランダ語は西洋の科学をのぞく窓でした。けれども、オランダ語の辞書はとても高く、貧しい勝には買えませんでした。そこで辞書を借りて、全58冊を手で書き写したといわれています。それも、1年のあいだに2回もです。1部は売って借り賃にあて、もう1部を自分のものにしました。

In 1853, Commodore Perry's black ships arrived. The shogun's government asked for ideas on what to do, and Katsu wrote a paper about building a modern navy and training people in new ways. His ideas were noticed. He was sent to Nagasaki to study at a new naval training school with Dutch teachers. There, he spent several years learning how to sail and command a Western ship.

1853年、ペリー提督の黒船がやって来ました。幕府はどうすればよいか、広く意見を求めました。勝は、近代的な海軍をつくり、新しいやり方で人材を育てるべきだ、という意見書を書きました。この考えが目にとまり、勝は長崎に送られました。オランダ人が教える、新しい海軍伝習所で学ぶためです。勝はそこで数年をかけて、西洋の船の動かし方と、船の指揮のとり方を学びました。

In 1860, Japan sent its first official mission to the United States. A Japanese warship, the Kanrin Maru, also sailed across the Pacific, with Katsu in command. On board were John Manjiro as an interpreter and a young Fukuzawa Yukichi. The voyage was rough. It is said that Katsu was so seasick that he spent much of the trip in his cabin, and American sailors on board helped the Japanese crew handle the ship.

1860年、日本は初めて、正式な使節団をアメリカへ送りました。このとき、日本の軍艦、咸臨丸も太平洋を渡りました。指揮をとったのは勝です。船には、通訳としてジョン万次郎が、そして若き日の福沢諭吉も乗っていました。航海は荒れに荒れました。勝はひどい船酔いで、旅の大半を船室で過ごしたといわれています。船を動かすのは、乗りこんでいたアメリカ人の船員たちが手伝いました。

In San Francisco, Katsu was amazed. He saw that in America, people were often chosen for important jobs because of their ability, not because of their family. It is said that when he returned, an official asked him what was different about America, and Katsu replied that in America, the people in high positions were wise, which was not the case in Japan. The officials were not pleased.

サンフランシスコで、勝は目を見はりました。アメリカでは、家柄ではなく能力で、大事な仕事につく人が選ばれることが多かったのです。こんな話が伝わっています。帰国した勝に、ある役人が「アメリカは何が違うのか」と尋ねました。勝は「アメリカでは、上に立つ者がみな賢い。そこが日本とは違うところです」と答えたというのです。役人たちは、おもしろくありませんでした。

Back in Japan, Katsu became an important naval officer. In 1864, he opened a naval training school in Kobe. He welcomed young men from many domains, not only from the shogun's side. One of them was Sakamoto Ryoma, who became his student and close friend. Katsu dreamed of a navy for all of Japan, not just for the shogun. But because some students at his school were against the shogun, the school was closed in 1865, and Katsu lost his position for a time.

日本に戻ると、勝は海軍の重い役につきました。1864年には、神戸に海軍操練所を開きました。幕府側の者だけでなく、さまざまな藩の若者を受け入れました。その一人が坂本龍馬です。龍馬は勝の弟子になり、親しい友にもなりました。勝が夢見ていたのは、将軍のためだけでなく、日本全体のための海軍でした。ところが、操練所に幕府に反対する生徒がいたことから、1865年に操練所は閉鎖されてしまいます。勝も、しばらく役を解かれました。

By 1868, the shogun Tokugawa Yoshinobu had returned power to the emperor, but war had broken out between the new government and the shogun's supporters. After losing a battle near Kyoto, Yoshinobu returned to Edo and decided not to fight anymore. He gave Katsu the hardest job of all, which was to deal with the new government's army.

1868年には、将軍徳川慶喜はすでに政権を天皇に返していました。それでも、新しい政府と旧幕府を支持する人々とのあいだで、戦争が始まっていました。京都の近くでの戦いに敗れた慶喜は、江戸に戻り、もう戦わないと決めました。そして、何よりも難しい役目を勝に任せました。新しい政府の軍との交渉です。

The commander of that army was Saigo Takamori of Satsuma. In the spring of 1868, the two men met in Edo. Katsu was prepared for the worst. It is said that if the talks failed, he planned to set fire to the city himself to stop the enemy army, and that he had arranged boats to carry the people to safety. But he hoped for peace. He asked Saigo to spare the life of Yoshinobu and to let the castle be given up without a fight.

新政府の軍を率いていたのは、薩摩の西郷隆盛でした。1868年の春、二人は江戸で向かい合いました。勝は、最悪の事態を覚悟していました。話し合いが決裂したら、敵の軍を食い止めるため、自分の手で江戸の町に火を放つつもりだったといわれています。人々を逃がすための舟も手配していたそうです。けれども、勝が望んでいたのは平和でした。勝は西郷に頼みました。慶喜の命を助けてほしい。そして、戦わずに城を明け渡させてほしい、と。

Saigo listened. The two men respected each other, and the attack was called off. A few weeks later, Edo Castle was handed over without a battle. The city was saved, and it soon became Tokyo, the new capital of Japan.

西郷は、勝の話に耳を傾けました。二人は互いを認め合っていました。こうして、総攻撃は取りやめになったのです。数週間後、江戸城は戦うことなく明け渡されました。江戸の町は救われ、まもなく日本の新しい都、東京となりました。

Not everyone thanked Katsu. Some of the shogun's men called him a traitor for giving up without fighting. Some people in the new government did not trust him because he had served the shogun. But Katsu did not seem to worry much about what others said. In a letter, he once wrote, in effect, that his actions were his own responsibility, and that praise or blame was for others to decide.

誰もが勝に感謝したわけではありません。旧幕府の侍の中には、戦いもせずに降参した勝を、裏切り者と呼ぶ者もいました。新しい政府の側にも、かつて将軍に仕えていた勝を信用しない人がいました。けれども勝は、人に何と言われようと、あまり気にしていなかったようです。勝はある手紙に、こんな意味のことを書いています。自分の行いの責任は自分にある。それを褒めるかけなすかは、他人が決めることだ(「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」)。

In the Meiji era, he served as navy minister and held other high positions. He also used his influence to help the Tokugawa family and the former retainers of the shogun who had lost their jobs. In his later years, he talked freely about his life and the people he had known, and his stories were written down and published. He died in 1899.

明治の世になると、勝は海軍卿などの高い役職につきました。また、その影響力を使って、徳川家や、職を失った旧幕府の家臣たちを助けました。晩年には、自分の人生や、これまでに出会った人々のことを気ままに語り、その話は書きとめられて本になりました。勝は1899年に亡くなりました。

Katsu Kaishu was a man who looked beyond sides. He served the shogun, but he cared more about Japan as a whole. He taught young men from rival domains. And at the most dangerous moment, he chose talking over fighting. His life shows that real strength is sometimes the courage to make peace.

勝海舟は、敵味方の枠をこえて物事を見る人でした。将軍に仕えながらも、それ以上に日本全体のことを考えていました。対立し合う藩の若者たちにも、分けへだてなく教えました。そして、いちばん危うい場面で、戦うことよりも話し合うことを選んだのです。本当の強さとは、ときに、和平を結ぶ勇気のことです。勝の一生は、そのことを教えてくれます。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

1868年の春、大都市・江戸は危機にさらされていました。江戸には、およそ100万人が暮らしていました。そこへ新しい政府の軍が、将軍の城を攻め落とそうと迫っていたのです。戦いが始まれば、町は火の海になり、数えきれない人が命を落としかねません。これを食い止めようとしていた男がいました。勝海舟です。

勝は1823年、江戸で生まれました。勝の家は将軍に直接仕える家臣でしたが、身分は低く、暮らしは大変貧しいものでした。父の小吉は陽気な人で、名うての暴れ者として知られていました。勝が少年のころ、犬にひどくかまれたことがあります。そのとき父は、勝が治るまで、昼も夜もそばを離れなかったといわれています。

若い勝は、剣術と座禅の修行に打ちこみました。そのうえで、オランダ語を学ぶことにしました。当時の日本にとって、オランダ語は西洋の科学をのぞく窓でした。けれども、オランダ語の辞書はとても高く、貧しい勝には買えませんでした。そこで辞書を借りて、全58冊を手で書き写したといわれています。それも、1年のあいだに2回もです。1部は売って借り賃にあて、もう1部を自分のものにしました。

1853年、ペリー提督の黒船がやって来ました。幕府はどうすればよいか、広く意見を求めました。勝は、近代的な海軍をつくり、新しいやり方で人材を育てるべきだ、という意見書を書きました。この考えが目にとまり、勝は長崎に送られました。オランダ人が教える、新しい海軍伝習所で学ぶためです。勝はそこで数年をかけて、西洋の船の動かし方と、船の指揮のとり方を学びました。

1860年、日本は初めて、正式な使節団をアメリカへ送りました。このとき、日本の軍艦、咸臨丸も太平洋を渡りました。指揮をとったのは勝です。船には、通訳としてジョン万次郎が、そして若き日の福沢諭吉も乗っていました。航海は荒れに荒れました。勝はひどい船酔いで、旅の大半を船室で過ごしたといわれています。船を動かすのは、乗りこんでいたアメリカ人の船員たちが手伝いました。

サンフランシスコで、勝は目を見はりました。アメリカでは、家柄ではなく能力で、大事な仕事につく人が選ばれることが多かったのです。こんな話が伝わっています。帰国した勝に、ある役人が「アメリカは何が違うのか」と尋ねました。勝は「アメリカでは、上に立つ者がみな賢い。そこが日本とは違うところです」と答えたというのです。役人たちは、おもしろくありませんでした。

日本に戻ると、勝は海軍の重い役につきました。1864年には、神戸に海軍操練所を開きました。幕府側の者だけでなく、さまざまな藩の若者を受け入れました。その一人が坂本龍馬です。龍馬は勝の弟子になり、親しい友にもなりました。勝が夢見ていたのは、将軍のためだけでなく、日本全体のための海軍でした。ところが、操練所に幕府に反対する生徒がいたことから、1865年に操練所は閉鎖されてしまいます。勝も、しばらく役を解かれました。

1868年には、将軍徳川慶喜はすでに政権を天皇に返していました。それでも、新しい政府と旧幕府を支持する人々とのあいだで、戦争が始まっていました。京都の近くでの戦いに敗れた慶喜は、江戸に戻り、もう戦わないと決めました。そして、何よりも難しい役目を勝に任せました。新しい政府の軍との交渉です。

新政府の軍を率いていたのは、薩摩の西郷隆盛でした。1868年の春、二人は江戸で向かい合いました。勝は、最悪の事態を覚悟していました。話し合いが決裂したら、敵の軍を食い止めるため、自分の手で江戸の町に火を放つつもりだったといわれています。人々を逃がすための舟も手配していたそうです。けれども、勝が望んでいたのは平和でした。勝は西郷に頼みました。慶喜の命を助けてほしい。そして、戦わずに城を明け渡させてほしい、と。

西郷は、勝の話に耳を傾けました。二人は互いを認め合っていました。こうして、総攻撃は取りやめになったのです。数週間後、江戸城は戦うことなく明け渡されました。江戸の町は救われ、まもなく日本の新しい都、東京となりました。

誰もが勝に感謝したわけではありません。旧幕府の侍の中には、戦いもせずに降参した勝を、裏切り者と呼ぶ者もいました。新しい政府の側にも、かつて将軍に仕えていた勝を信用しない人がいました。けれども勝は、人に何と言われようと、あまり気にしていなかったようです。勝はある手紙に、こんな意味のことを書いています。自分の行いの責任は自分にある。それを褒めるかけなすかは、他人が決めることだ(「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」)。

明治の世になると、勝は海軍卿などの高い役職につきました。また、その影響力を使って、徳川家や、職を失った旧幕府の家臣たちを助けました。晩年には、自分の人生や、これまでに出会った人々のことを気ままに語り、その話は書きとめられて本になりました。勝は1899年に亡くなりました。

勝海舟は、敵味方の枠をこえて物事を見る人でした。将軍に仕えながらも、それ以上に日本全体のことを考えていました。対立し合う藩の若者たちにも、分けへだてなく教えました。そして、いちばん危うい場面で、戦うことよりも話し合うことを選んだのです。本当の強さとは、ときに、和平を結ぶ勇気のことです。勝の一生は、そのことを教えてくれます。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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Real strength is sometimes the courage to choose peace.

ほんとうの強さとは、ときに平和を選ぶ勇気のことだ。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. How did Katsu get a Dutch dictionary, it is said?

Q2. What did Katsu notice in America?

Q3. What happened after Katsu and Saigo met in 1868?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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