Honda Soichiro: Success Is Built on Failure(本田宗一郎――成功は失敗の上に)の挿絵
Level 2 Elementary偉人伝

Honda Soichiro: Success Is Built on Failure

本田宗一郎――成功は失敗の上に

  • 📖 407 words
  • ⏱ 約5分
  • 🔊 2:33
  • YL 1.0–1.4
  • 英検3級目安
  • 📝 全訳つき

あらすじ機械とオイルのにおいが大好きだった少年・宗一郎。失敗をくり返しながら、小さな町工場を世界的な会社へと育てていきます。

多読ベストのオリジナル伝記(史実をもとに)

キーワード(8語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • blacksmith鍛冶屋(かじや)
  • repair shop修理工場
  • piston ringsピストンリング(エンジンの部品)
  • metal金属
  • partner共同経営者・相棒
  • vehicle乗り物
  • strict厳しい
  • funeral葬式
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Honda Soichiro was born in 1906 in a village near Hamamatsu, Shizuoka. His father was a blacksmith who also fixed bicycles. Soichiro loved machines from a young age. It is said that when he saw a car for the first time, he ran after it and smelled the oil it dropped on the road.

本田宗一郎は1906年、静岡県浜松の近くの村で生まれました。父親は鍛冶屋で、自転車の修理もしていました。宗一郎は小さいころから機械が大好きでした。初めて自動車を見たときには、そのあとを追いかけていき、道に垂れたオイルのにおいをかいだといわれています。

He did not like studying at school very much. At fifteen, he went to Tokyo to work at a car repair shop. It is said that at first, his main job was taking care of the owner's baby. But soon he learned to fix cars, and he became very good at it.

学校の勉強は、あまり好きではありませんでした。15歳で東京に出て、自動車修理工場で働きはじめました。最初のうちは、店の主人の赤ん坊の子守りがおもな仕事だったといわれています。けれども、まもなく車の修理を覚え、すっかり腕のいい職人になりました。

Later, he opened his own repair shop in Hamamatsu. Then he tried to make piston rings, small parts for engines. Again and again, his rings were not good enough. When he sent many of them to Toyota, most failed the test. So he went back to school to study metal. After much hard work, he finally made good rings.

その後、宗一郎は浜松に自分の修理工場を開きました。次に挑んだのは、ピストンリングづくりです。エンジンに使う小さな部品です。何度作っても、満足のいくリングはできませんでした。たくさん作ってトヨタに送ったところ、ほとんどが検査に落ちてしまいました。そこで宗一郎は学校に入りなおし、金属について学びました。苦労を重ねたすえ、ようやくよいリングを作れるようになりました。

After the war, Japan was poor, and it was hard to get around. Soichiro had an idea. He put small engines on bicycles. They were a big hit. In 1948, he started the Honda Motor Company.

戦後の日本は貧しく、出かけるのもひと苦労でした。そこで宗一郎は、あることを思いつきました。自転車に小さなエンジンを取りつけたのです。これが大当たりしました。1948年、宗一郎は本田技研工業を立ち上げました。

Soichiro was very good at making things, but not at handling money. So he worked with a partner, Fujisawa Takeo, who ran the business side. Together, they made Honda grow fast.

宗一郎は、ものづくりの腕は抜群でしたが、お金の扱いは苦手でした。そこで、経営の面を受け持つ相棒、藤沢武夫と手を組みました。二人の力で、ホンダはぐんぐん大きくなっていきました。

In 1958, Honda made the Super Cub, a small motorbike that was easy to ride. Since then, Honda has made more than one hundred million Super Cubs. That is more than any other motor vehicle in history. Honda bikes also won famous races in Europe, and later Honda began to make cars too.

1958年、ホンダは乗りやすい小型のオートバイ「スーパーカブ」を発売しました。それ以来、作られたスーパーカブは1億台を超えます。エンジンで走る乗り物としては、歴史上どれよりも多い台数です。ホンダのオートバイはヨーロッパの有名なレースでも勝ち、やがてホンダは自動車も作るようになりました。

In the 1970s, America made strict new rules about clean air from car engines. Many people said no company could meet them. Honda made a new engine called CVCC. It was clean enough without special extra parts.

1970年代、アメリカは自動車の排気ガスについて、新しく厳しい規制を定めました。こんな基準を満たせる会社などない、と多くの人が言いました。そこでホンダが作ったのが、CVCCという新しいエンジンです。特別な部品を付け足さなくても、排気ガスを十分にきれいにできるエンジンでした。

Soichiro often said that success is built on many failures. He believed people learn the most when they try something new and fail. People also knew him as an honest man. He treated young workers as equals.

宗一郎はよく「成功は、たくさんの失敗の上に成り立つ」と言っていました。人がいちばん多くを学ぶのは、新しいことに挑んで失敗したときだ、と信じていたのです。正直な人としても知られていました。若い社員とも、対等な立場で接しました。

He retired in 1973 and died in 1991. It is said that he did not want a big funeral, because it would cause traffic jams. A car maker who worried about traffic! His story tells us not to be afraid to fail. Each failure is a step forward.

宗一郎は1973年に引退し、1991年に亡くなりました。大きな葬式は望まなかったといわれています。渋滞を起こしてしまうから、というのが理由でした。自動車をつくった人が、渋滞の心配とは!宗一郎の物語は、失敗を恐れるなと教えてくれます。失敗の一つひとつが、前に進む一歩なのです。

📖 全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

本田宗一郎は1906年、静岡県浜松の近くの村で生まれました。父親は鍛冶屋で、自転車の修理もしていました。宗一郎は小さいころから機械が大好きでした。初めて自動車を見たときには、そのあとを追いかけていき、道に垂れたオイルのにおいをかいだといわれています。

学校の勉強は、あまり好きではありませんでした。15歳で東京に出て、自動車修理工場で働きはじめました。最初のうちは、店の主人の赤ん坊の子守りがおもな仕事だったといわれています。けれども、まもなく車の修理を覚え、すっかり腕のいい職人になりました。

その後、宗一郎は浜松に自分の修理工場を開きました。次に挑んだのは、ピストンリングづくりです。エンジンに使う小さな部品です。何度作っても、満足のいくリングはできませんでした。たくさん作ってトヨタに送ったところ、ほとんどが検査に落ちてしまいました。そこで宗一郎は学校に入りなおし、金属について学びました。苦労を重ねたすえ、ようやくよいリングを作れるようになりました。

戦後の日本は貧しく、出かけるのもひと苦労でした。そこで宗一郎は、あることを思いつきました。自転車に小さなエンジンを取りつけたのです。これが大当たりしました。1948年、宗一郎は本田技研工業を立ち上げました。

宗一郎は、ものづくりの腕は抜群でしたが、お金の扱いは苦手でした。そこで、経営の面を受け持つ相棒、藤沢武夫と手を組みました。二人の力で、ホンダはぐんぐん大きくなっていきました。

1958年、ホンダは乗りやすい小型のオートバイ「スーパーカブ」を発売しました。それ以来、作られたスーパーカブは1億台を超えます。エンジンで走る乗り物としては、歴史上どれよりも多い台数です。ホンダのオートバイはヨーロッパの有名なレースでも勝ち、やがてホンダは自動車も作るようになりました。

1970年代、アメリカは自動車の排気ガスについて、新しく厳しい規制を定めました。こんな基準を満たせる会社などない、と多くの人が言いました。そこでホンダが作ったのが、CVCCという新しいエンジンです。特別な部品を付け足さなくても、排気ガスを十分にきれいにできるエンジンでした。

宗一郎はよく「成功は、たくさんの失敗の上に成り立つ」と言っていました。人がいちばん多くを学ぶのは、新しいことに挑んで失敗したときだ、と信じていたのです。正直な人としても知られていました。若い社員とも、対等な立場で接しました。

宗一郎は1973年に引退し、1991年に亡くなりました。大きな葬式は望まなかったといわれています。渋滞を起こしてしまうから、というのが理由でした。自動車をつくった人が、渋滞の心配とは!宗一郎の物語は、失敗を恐れるなと教えてくれます。失敗の一つひとつが、前に進む一歩なのです。

日本語訳:多読ベスト

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このお話の教訓 Moral

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Every failure is a step toward success.

失敗のひとつひとつが、成功へのひと足だ。

理解度チェック Quick Quiz

読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What did Soichiro put on bicycles after the war?

Q2. What did Fujisawa Takeo do?

Q3. Why did Soichiro not want a big funeral, it is said?

この読み物の使い方 3ステップ

  1. 聞きながら読む 音声に合わせて光る文を目で追う(聞き読み)。わからない語は飛ばしてOK。
  2. 音声なしで読む ⏱計測ボタンで読む速さ(WPM)を測ってみる。
  3. 耳だけで聞く 🎧聞くだけモードで、文字を見ずに内容がわかるか試す。🔁1文リピートで音読・シャドーイングも。

聞き読みの効果とやり方/多読三原則

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