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21歳のソシュールが予想した「消えた音」。約50年後、トルコの粘土板にその跡があった

21歳のソシュールが予想した「消えた音」。約50年後、トルコの粘土板にその跡があった

読む前に予想してみよう!

ソシュールが推定した「消えた音」は、ヒッタイト語の文字が読めるようになる前から、ある言語にそのまま残っているのが知られていた

研究カード(どんな研究?)
対象
印欧語の古い文献(ギリシャ語・ラテン語・サンスクリット語・ヒッタイト語など)
規模
ヒッタイト語の粘土板は紀元前2千年紀
研究の種類
比較言語学・内的再建(文献の比較)
確かさ
★★★★☆
3秒でわかる

1878年、21歳のソシュールは、英語やラテン語の共通の祖先の言葉に、どの言語にもそのままの形では残っていない音があったと推定した。1927年、トルコの粘土板に書かれたヒッタイト語で、その音があったはずの位置に ḫ という子音が現れることが指摘された。

ひとことで言うと21歳の学生が「昔はあったはずの音」を予想したら、約50年後、古い粘土板の言葉にその跡が見つかった!

もくじ
  1. 21歳の学生が見つけた「規則に合わない語」
  2. 「見えない音」を1つ足せば、全部そろう
  3. トルコの粘土板と「パンを食べ、水を飲む」
  4. 1927年、ḫ は「消えた音」の名残だと指摘された
  5. 名前は「喉音」。でも、喉の音だったかは分からない
  6. 喉音はいくつあった? 3つ? 4つ? 8つ?
  7. まとめ
  8. もっと知りたい人へ
  9. よくある質問

家やお店を新しく作り直す「リノベーション」。英語の renovate(新しくする)から来た言葉で、もとはラテン語の renovāre(レノウァーレ)です。まん中の nov は「新しい(novus)」です。

ラテン語の「ā」(長い「アー」)のような長い母音の中には、別の音が隠れている。その音は、当時知られていたどの言語にもそのままの形では残っていない、消えた音だ。1878年、21歳の学生がそう推定しました。

それから約50年後。トルコで掘り出された3000年以上前の粘土板の言葉では、ラテン語の novāre にあたる語が newaḫḫ-(ネワッフ-。新しくする)と書かれていました。ラテン語で長い「ā」になっているところが、「aḫḫ」と、ḫ という子音入りで書かれていたのです。

0121歳の学生が見つけた「規則に合わない語」

推定したのは、フェルディナン・ド・ソシュール(1857〜1913)。ドイツのライプツィヒで学んでいた学生時代に、『インド・ヨーロッパ諸語における母音の原始体系についての覚え書き』という本を書きました。表紙の年は1879年ですが、実際に出たのは1878年。ソシュールは21歳になったばかりでした。

ソシュールといえば、「近代言語学の創始者」と呼ばれる人です。のちにジュネーブで行った講義が、死後に弟子たちの手で『一般言語学講義』という本にまとめられました。でも、最初の大仕事は、ことばの歴史をさかのぼる研究でした。

テーマは、印欧語族(いんおうごぞく。英語・ドイツ語・ラテン語・ギリシャ語・サンスクリット語などをまとめたグループ)の共通の祖先、印欧祖語です。印欧祖語の文字の記録はありません。子孫の言語を比べて、元の形を推定します。

印欧祖語の単語のもと(語根)は、使われ方によって母音 e が出たり消えたりしました。ソシュールは本の8ページで、こんな例を並べています(意味はアメリカン・ヘリテージ英語辞典の印欧語根の付録による)。

  • deik(示す)→ e が消えると dik
  • bher(運ぶ)→ e が消えると bhr
  • men(考える)→ e が消えると mn

e が消えると、i・r・n などが代わりに母音の役目をします。ソシュールはこれらを coefficient sonantique(コエフィシアン・ソナンティク。ソナント係数。e といっしょに語根の母音を作る音)と呼びました。

ところが、この規則に合わない語根がありました。たとえば「立つ」は、ふつうの形が stā- で、長い「ā」です(英語の static「静的な」も、この語根から来ています)。ギリシャ語の statós(スタトス。立っている)のように、短い a になる形もあります。長い母音と短い母音が入れかわるのは、e が出たり消えたりする規則と、どうつながるのでしょうか。

02「見えない音」を1つ足せば、全部そろう

ソシュールの答えは大胆でした。「stā- の中には、i や n と同じ働きをする、見えない音がある」。彼はその音を A と書きました(もう1つ、o に関係する音も考えました)。

  • 語根の形が st+e+A なら、e と A がくっついて長い ā になる
  • e が消えると、A だけが残り、短い a として聞こえる(statós)

deik が dik になるのと、まったく同じ仕組みです。見えない音を1つ足すだけで、例外が例外でなくなりました。今の辞書も「立つ」の語根の最も古い形を steh₂- と書きます。h₂ が、ソシュールの A にあたる音です。

ただし、この説は長い間ほとんど受け入れられませんでした。ハーバード大学のジェイ・ジャサノフさんは、この理論がソシュールの身近な人たちの外では広く認められなかったと書いています。「若い秀才の空想」と見られていたのです。

03トルコの粘土板と「パンを食べ、水を飲む」

トルコのボアズキョイには、ヒッタイトという古い王国の都の遺跡があります。そこから出た文書庫の粘土板は、くさび形文字で書かれていました。中には紀元前2千年紀の半ばより古いものもあり、印欧語の記録としては、残っている中で最も古いものでした。

読み解いたのは、ウィーン大学のベドジフ・フロズニー(ドイツ語の本では Friedrich Hrozný)です。1915年、ヒッタイト語が印欧語だと発表しました。1917年の本で、彼は手がかりになった1文を説明しています。

nu NINDA-an ezzatteni wātar-ma ekutteni(ヌ・ニンダアン・エッザッテニ・ワータルマ・エクッテニ)

NINDA は「パン」を表す文字です。パンの話なら ezzatteni は「(あなたたちは)食べる」で、ラテン語 edō(食べる)と同じ祖先の語だろう。wātar は古い英語の wæter、古い高地ドイツ語の wazzar(どちらも「水」)に似ている。フロズニーはこの文を「さて、あなたたちはパンを食べ、そして水を飲むだろう」と訳しました。

041927年、ḫ は「消えた音」の名残だと指摘された

ヒッタイト語の音のほとんどは、すでに推定されていた印欧祖語の音と結びつけられました。1つだけ、どこから来たのか分からない子音がありました。ḫ(h の下に半円の印をつけた文字)です。

1927年、ポーランドの言語学者イェジ・クリウォヴィチが論文を発表しました。ヒッタイト語の ḫ は、ソシュールの A が子音として残ったものだ、という内容です。

ジャサノフさんが挙げる、今では定番になった例を見てみましょう。

| ヒッタイト語 | 意味 | 比べる語 ||---|---|---|| newaḫḫ- | 新しくする | ラテン語 renovāre(新しくする) || paḫš- | 守る | ラテン語 pāscō(家畜にえさを食べさせる、放牧する) || ḫant- | 前 | ラテン語 ante(前に)、ギリシャ語 antí(向かい合って) || ḫarkiš | 白い | ラテン語 argentum(銀) |

ラテン語の長い「ā」のところに、ヒッタイト語では「a+ḫ」がある(newaḫḫ- と renovāre、paḫš- と pāscō)。ラテン語やギリシャ語で a から始まる語の頭に、ヒッタイト語では ḫ がある(ḫant- と ante)。「長い母音の中に、別の音が隠れている」というソシュールの推定を裏づける形が、3000年以上前の粘土板に書かれていたのです。

ヒッタイトの都の遺跡から出た粘土板は、印欧語の記録として残っている中で最も古い。そこにソシュールの「消えた音」の跡があった
ヒッタイトの都の遺跡から出た粘土板は、印欧語の記録として残っている中で最も古い。そこにソシュールの「消えた音」の跡があった

05名前は「喉音」。でも、喉の音だったかは分からない

この音は今、喉音(こうおん。英語で laryngeal)と呼ばれ、ふつう h₁・h₂・h₃ の3つがあったと考えられています。ソシュールの A にあたるのが h₂ で、クリウォヴィチが ḫ と結びつけたのもこの音です。

ただし、この名前は誤解から生まれたとジャサノフさんは書いています。メラーが「この音はセム語(アラビア語やヘブライ語の仲間)の喉の子音と同じ祖先だ」と思い込んだことから、この名前が広まったからです。実際にどんな音だったのかは、今も議論が続いています。

言語学者のアルウィン・クルークホルストさんは2018年の論文で、ヒッタイト語などのアナトリア語派(今のトルコにあたる地域で話された印欧語のグループ)の証拠から、h₂ と h₃ は、近年の説のように「口の奥でこする音(口蓋垂摩擦音)」ではなく、口の奥で息をいったん止める音(口蓋垂閉鎖音)だったと主張しました。対象は、アナトリア語派がほかの印欧語と分かれる前の、いちばん古い段階です。

06喉音はいくつあった? 3つ? 4つ? 8つ?

ヒッタイト語の ḫ で、喉音理論は一気に注目されました。ただ、その後の道のりは平らではありませんでした。

クリウォヴィチ自身、1920年代に合わない例に気づいています。ギリシャ語やラテン語の頭の a- が、ヒッタイト語では ḫa- ではなく、ただの a- になっている語があったのです。彼はのちに、ヒッタイト語に残らない「4つ目の喉音」を考えました。これは3つほどには広く支持されませんでした。

1950〜60年代には、説明に困るたびに喉音を増やす研究が続きました。1960年には 8つの喉音を考えた研究者もいます。ジャサノフさんは、1953年からの10年ほどを「喉音マニア(laryngeal mania)」の頂点と書いています。

反対も根強く、ドイツ語圏で喉音が重く扱われるようになったのは1950年代半ば以降です。1970年代には、何らかの形の喉音理論を認めなければ、印欧語研究の主流にいられなくなりました。落ち着いたのは、クリウォヴィチの形を受けついだ3つの喉音のモデルです。

07まとめ

21歳のソシュールは、母音が出たり消えたりする規則を守るために、「見えない音」を1つ足しました。その音は、ほぼ半世紀のあいだ空想あつかいされ、トルコの粘土板の ḫ によって確かめられました。

ただし、喉音がいくつあり、どんな音だったかは、今も研究者の間で議論が続いています。「リノベ」と聞いたら、ā の中に隠れていた子音のことを思い出してみてください。

08もっと知りたい人へ

  • 喉音理論(laryngeal theory):印欧祖語に h₁・h₂・h₃ という子音があったとする説
  • ソナント係数(coefficient sonantique):ソシュールが『覚え書き』で使った用語
  • 母音交替(ablaut):同じ語根の中で母音が e・o・ゼロなどに入れかわること
  • 内的再建(internal reconstruction):1つの言語の中の不規則さから、昔の形を推定する方法
  • 文献:Saussure (1879) Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo-européennes / Kuryłowicz (1927) "ə indo-européen et ḫ hittite" / Jasanoff (2017) "The impact of Hittite and Tocharian"(Handbook of Comparative and Historical Indo-European Linguistics)/ Kloekhorst (2018) Indo-European Linguistics 6

よくある質問

喉音理論とは何ですか?

英語やラテン語などの共通の祖先・印欧祖語に、h₁・h₂・h₃ という子音があったとする説です。英語では the laryngeal theory。多くの子孫の言語では長い母音などの「跡」しか残らず、ヒッタイト語では一部が ḫ という子音として書かれています。

ソシュールは喉音について何を推定したのですか?

1878年、21歳のソシュールは、語根の中に「見えない音」A があると推定しました。e と A がくっつくと長い ā、e が消えると短い a になる、と考えれば、母音の入れかわりの規則に合わない語も説明できたからです。

喉音理論とヒッタイト語はどう関係しているのですか?

1927年、ポーランドの言語学者クリウォヴィチが、ヒッタイト語の ḫ という子音は、ソシュールの A が子音として残ったものだと指摘しました。たとえばラテン語 renovāre(新しくする)の長い ā のところに、ヒッタイト語 newaḫḫ- では「aḫḫ」があります。

ヒッタイト語とはどんな言語ですか?

トルコのボアズキョイに都があった、古い王国ヒッタイトの言葉です。くさび形文字で粘土板に書かれ、中には紀元前2千年紀の半ばより古いものもあり、印欧語の記録として残っている中で最も古いとされます。1915年、フロズニーが印欧語だと発表しました。

なぜ「喉音」という名前なのですか?

誤解から生まれた名前です。言語学者ジャサノフさんによると、メラーがこの音をアラビア語などのセム語の喉の子音と同じ祖先だと思い込んだことから広まりました。実際にどんな音だったのかは、今も議論が続いています。

喉音はいくつあったのですか?

今はふつう3つ(h₁・h₂・h₃)と考えられています。ただ、クリウォヴィチはのちに4つ目を考え、1960年には8つを考えた研究者もいました。ジャサノフさんは、1953年からの10年ほどを「喉音マニア」の頂点と書いています。

ソシュールの説はすぐに受け入れられたのですか?

いいえ。ハーバード大学のジャサノフさんによると、ソシュールの身近な人たちの外では広く認められず、「若い秀才の空想」と見られていました。ドイツ語圏で重く扱われるようになったのは1950年代半ば以降です。

この研究を英語で読もう原田英語の English CornerEnglish, Latin, Greek and Hindi all come from one parent language that was never written down. 音声 4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く

原田英語の English Corner

この研究を英語で読もう

English, Latin, Greek and Hindi all come from one parent language that was never written down. In 1878, a 21-year-old student, Ferdinand de Saussure, studied how the vowels of that language changed. Most word roots followed one pattern, but roots with long vowels, like stā- "stand," did not. Saussure solved the problem by adding a sound that no known language showed directly.

For decades, few scholars took the idea seriously. In 1915, clay tablets found in Turkey were read, and their language, Hittite, proved to belong to the same family. In 1927, Jerzy Kuryłowicz pointed out that a Hittite consonant written ḫ appeared where Saussure's missing sound should be. For example, Latin renovāre "make new" matches Hittite newaḫḫ-.

118 words ・ CEFR B1

和訳を見る

英語、ラテン語、ギリシャ語、ヒンディー語は、どれも文字に書かれなかった1つの親の言語から来ている。1878年、21歳の学生フェルディナン・ド・ソシュールは、その言語の母音がどう変わったかを研究した。ほとんどの語根は1つの型に従ったが、stā-「立つ」のような長い母音をもつ語根は従わなかった。ソシュールは、知られているどの言語にも直接は現れない音を1つ加えることで、この問題を解いた。

何十年ものあいだ、この考えを真剣に受け止める学者はほとんどいなかった。1915年、トルコで見つかった粘土板が読まれ、その言語ヒッタイト語が同じ語族に属することが分かった。1927年、イェジ・クリウォヴィチは、ḫ と書かれるヒッタイト語の子音が、ソシュールの失われた音があるはずの位置に現れることを指摘した。たとえば、ラテン語の renovāre「新しくする」はヒッタイト語の newaḫḫ- と対応する。

4択リーディングクイズ

Q1. What problem did Saussure try to solve?

Q2. What did Kuryłowicz point out in 1927?

Q3. Why does the writer give the example of renovāre and newaḫḫ-?

重要単語

  • renovateB2
    動詞新しくする、改装するThey renovated the old station and turned it into a café. re-(再び)+ラテン語 novus(新しい)。名詞 renovation が日本語の「リノベーション」。
  • predictB1
    動詞予言する、予測するNobody predicted how popular the game would become. pre-(前に)+dict(言う)。名詞は prediction。
  • tabletB1
    名詞(文字を刻んだ)板、粘土板The museum has a clay tablet that is over 3,000 years old. 今はタブレット端末や錠剤の意味でもよく使う。a clay tablet で「粘土板」。
  • ancestorB2
    名詞祖先、もとになったものLatin is the ancestor of Spanish and Italian. 言語にも使う。反対は descendant(子孫)。
  • confirmB1
    動詞正しいと確かめる、裏づけるThe new data confirmed her idea. 予約の「確認」にも使う(confirm a reservation)。名詞は confirmation。
  • traceB2
    名詞跡、名残The old road left almost no trace. 動詞では「たどる」。trace a word back to Latin で「語をラテン語までさかのぼる」。
21歳のソシュールは1878年、「英語やラテン語の共通の祖先の言葉には、どの言語にも残っていない音があった」と推定した。約50年後、トルコで見つかった3000年以上前の粘土板の言葉に、その音の名残が ḫ という子音として見つかった。ラテン語 renovāre(新しくする)の長い ā のところが、ヒッタイト語の newaḫḫ-(新しくする)では aḫḫ だった。

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出典・参考文献(6件)タップで表示
  1. Saussure F. de (1879) Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo-européennes, Leipzig: Teubner(Internet Archive 所蔵の原本)archive.org
  2. Lehmann W.P. ed. (1967) A Reader in Nineteenth Century Historical Indo-European Linguistics, ch. 16 Ferdinand de Saussure(テキサス大学オースティン校 言語学研究センター)lrc.la.utexas.edu
  3. Jasanoff J. (2017) The impact of Hittite and Tocharian: Rethinking Indo-European in the 20th century and beyond, Handbook of Comparative and Historical Indo-European Linguistics, De Gruyterdoi.org
  4. Hrozný F. (1917) Die Sprache der Hethiter, Leipzig: Hinrichs(Internet Archive 所蔵の原本)archive.org
  5. Kloekhorst A. (2018) Anatolian evidence suggests that the Indo-European laryngeals *h2 and *h3 were uvular stops, Indo-European Linguistics 6doi.org
  6. The American Heritage Dictionary「Appendix I: Indo-European Roots」(stā-・pā-・newo-・arg-・deik-・bher-・men-)ahdictionary.com
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