明治の横浜の外国人向け会話本では、「ここのつ」が Cocoanuts、「やっつ」が Yachts

読む前に予想してみよう!
明治の横浜で使われた片言の言葉は、日本人が英語の単語をならべて話すものだった
単語の多くは日本語から来ていて、主に外国人が日本人との商売に使った「片言の日本語」だった。英語の単語がもとになった片言としては、第二次世界大戦のあとに米軍の兵士と日本人の間で使われたものが知られている。
- 対象
- 1879年の会話本・1880年代の旅行記や用語集・戦後の記録
- 規模
- 記録に残る単語は約250語
- 研究の種類
- 文献資料による接触言語の研究
- 確かさ
- ★★☆☆☆
開港後の横浜では、外国人が片言の日本語で商売をしていた。1879年の冗談まじりの会話本では、9は Cocoanuts、8は Yachts。言語学では、こうした言葉を、共通の言葉がない人どうしが使う簡単な言葉「ピジン」の、いちばん初めの段階(プレ・ピジン)と見る研究がある。「だめ」を表す「ペケ」がここから来たのかは分かっていない。
ひとことで言うと明治の横浜の会話本は、9をココナッツ(Cocoanuts)、8をヨット(Yachts)と英語のつづりで書いた!
もくじ
1が Stoats、3が Meats、5が It suits、8が Yachts、9が Cocoanuts、10が Toe。
英語のつもりで声に出してみてください。ストーツ、ミーツ、イット・スーツ、ヤッツ、ココナッツ、トー。日本語の「ひとつ、みっつ、いつつ、やっつ、ここのつ、とお」に聞こえてきませんか。
これは1879年(明治12年)に横浜で出た、外国人向けの日本語の会話本の数の書き方です。開港後の横浜では、外国人が片言の日本語で商売をしていました。言語学者はこれを「横浜ピジン日本語」と呼び、まじめに研究しています。ピジンとは、共通の言葉を持たない人どうしが、商売などのために使う簡単な言葉のことです。
01横浜で生まれた「外国人の日本語」
横浜は1859年に外国との貿易に開かれた港です。ルーマニア・ブカレスト大学の言語学者アンドレイ・アヴラムの論文(2014年・2017年)によると、19世紀後半の横浜では、日本語をもとにした片言の言葉が使われていました。おそらく神戸や長崎でも使われていたと、アヴラムは書いています。
使ったのは、日本人、欧米の人たち、そしてかなりの数の中国の人たちです。当時の英語の書き手は、これを「Yokohama dialect(横浜方言)」と呼びました。
この言葉の記録は多くありません。アヴラムが使った資料は、会話本、用語集、辞書、旅行記、雑誌記事あわせて7つ。記録に残る単語は約250語です。
中でも一番まとまっているのが、冒頭の数が載った1879年の会話本『Exercises in the Yokohama Dialect(横浜方言練習帳)』の増補改訂版です。著者名は「ホモコの司教」というふざけた名前で、冗談まじりに書かれています。(この本に出てくる、犬を come here と呼んだ話は「ポチ」の記事で紹介しています)
02灯台は「船・見る・こわれない・ろうそく」
単語が少ないと、どうなるか。1879年の会話本を開くと、答えがよく分かります。
まず、1つの単語が何役もこなします。aboorah(アブラー。日本語の「あぶら」)は、バター、油、灯油、髪油、グリースの全部。arimas(あります)について本の注は、「持つ」「ある」などを表すヨーロッパの言葉の動詞をずらりと並べて、これ1語で全部まかなえると書いています。
否定は簡単です。arimas は arimasen に、そのほかの語は後ろに nigh(ナイ。「ない」)をつけます。「分からない」は walk-arimasen(ワカリマセン)です。
言いたい単語がないときは、知っている単語を組み合わせます。
- 灯台 → fooney high kin serampan nigh rosokoo(船・見る・こわれない・ろうそく)
- 靴屋 → coots pom pom otoko(靴・金づち・男)
アヴラムはこの2つを、単語が少ない言葉に典型的な「言いかえ」の例としてあげています。「旦那」にあたる呼びかけとして anattar(あなた)が載っているのも、この本です。
明治の横浜の会話本では、「ここのつ」は Cocoanuts、灯台は「船・見る・こわれない・ろうそく」だったのです。

03「ペケ」は横浜から来たのか?
ここで、だめなことや×印を表す「ペケ」の話です。この言葉も、開港後の港の片言から生まれたのでしょうか。辞書で確かめてみましょう。
『精選版 日本国語大辞典』が載せる「ペケ」のいちばん古い用例は、1860年の歌舞伎『八幡祭小望月賑(縮屋新助)』。横浜が開港した翌年です。次の用例は、明治の初めに仮名垣魯文が書いた『安愚楽鍋』(1871〜72年)。どちらも「だめ」「いけない」の意味の例として載っています。
一方、横浜の片言の日本語の記録にも、よく似た語があります。アヴラムによると、1879年の雑誌記事に peke、同じ年の会話本に piggy、1887年の旅行記に peggy と書かれた語があり、意味は「行く」。会話本では「どける」「片づける」「出て行く」のようにも使われています。
では、「行け」の peke と、「だめ」のペケは同じ言葉なのでしょうか。
- 『デジタル大辞泉』:「あっちへ行け」という意味のマレー語 pergi から、あるいは「よくない」という意味の中国語「不可(bùkě)」から、とも言われるが未詳
- 『日本国語大辞典』:語源については未詳
つまり、辞書はどちらも語源を決めていません。「ペケは横浜の言葉から」と言い切ることはできないのです。
04ピジンとクレオールは何が違う?
ここで、ピジンとクレオールの違いを整理します。ピジンは、ふつう共通の言葉を持たない人たちが、商売などのためにその場で使う簡単な言葉のことです。だれの母語でもありません。そのピジンを子どもが母語として身につけ、生活の言葉になったものをクレオールと呼びます。
身近な例がハワイです。ピジン・クレオール言語の構造を比べたデータベース APiCS の解説(言語学者ヴェルピライの執筆)によると、ハワイのサトウキビ農園で、英語をもとにしたピジンが生まれました(それより前には、ハワイ語をもとにしたピジンもありました)。そこで育った子どもたちの世代が、それを母語として話すようになり、1930年ごろには「ハワイ・クレオール」として定着しました。日本や朝鮮半島、フィリピンからの移民が大きな集団になったころには、もうでき始めていたといいます。
今では、ハワイの人口のおよそ半分がこのクレオールを母語として話します。ところが話し手は、自分たちの言葉を Pidgin(ピジン) と呼んでいます。言語学の呼び名と、話し手の呼び名がずれているのです。
アヴラムは、ピジンの成長を3段階に分ける見方(ミュールホイスラーの分類)を使い、横浜の言葉をいちばん初めの「プレ・ピジン」に分類しました。単語が少ない、時制(過去・現在など)を表す形がない、1つの語にたくさんの意味がある、といった特徴がそろっているからです。
05戦後には、英語をもとにした片言が生まれた
アヴラムの2017年の論文の題は「コインの表と裏」。横浜の片言の日本語と並べて調べたのが、第二次世界大戦のあとの日本で、アメリカ軍の兵士と日本の人たちの間で使われた片言の英語です。研究者は「Japanese Pidgin English」や「Bamboo English」と呼んでいます。のちに朝鮮半島にも持ちこまれました。
アヴラムの論文(資料には朝鮮半島での記録もふくむ)から、いくつか例をあげます。
- ketchee(ケッチー。英語の catch から):「つかまえる」「もらう」「手に入れる」。ketchee no fun で「楽しくなかった」
- speak sayonara(「さよならを言う」):「人と別れる」
- shimpai-nai(シンパイナイ):「心配しないで」「気にしないで」「どういたしまして」「病気が治った」
- morskosh(モースコシ):「しばらく」。日本語の「もう少し」から
横浜では日本語がもとになり、占領期の日本では英語がもとになりました。アヴラムは、どちらの言葉が単語のもとになるかは、その時代にどちらの側が強い立場にいたかを表していると見ています。それでも2つの言葉のしくみはよく似ていて、どちらもプレ・ピジンに分類されました。
06どんでん返し:本当に話されていたのか
ここまでの話には、大きな「ただし」がつきます。
まず、横浜の片言の日本語が本当にあったのかどうか自体が、研究者の間で議論になってきました。中心の資料である1879年の本は、冗談の本です。アヴラムは、何人もの書き手が同じ語を記録していることなどから実在したと考えています。それでも、つづりから当時の発音を読み取るのは「かなり手探りにならざるを得ない」と認めています。
次に、ピジンとクレオールの線引きです。APiCS の序文は、どの言語をピジン・クレオールに数えるかについて、みんなが合意した基準はないと書いています。ピジンとクレオールの境目もはっきりしません。パプアニューギニアのトク・ピシンは、名前に「ピジン」(ピシン)が入っていますが、APiCS の解説(スミスとシーゲルの執筆)によると、話し手300万〜500万人の多くは第二言語として使う一方で、母語として話す人も最大で50万人ほどいます。
そして「ペケ」。1860年の歌舞伎に出てくることは辞書で確かめられますが、どこから来たのかは、今も分かっていません。
07まとめ
明治の横浜では、外国人が「Cocoanuts(ここのつ)」「walk-arimasen(わかりません)」のような片言の日本語で商売をしていました。記録に残る単語は約250語。足りない分は「船・見る・こわれない・ろうそく」のように組み合わせておぎないました。
言語学では、こうした言葉をピジンのいちばん初めの段階と見る研究があります。戦後には、英語をもとにした「逆向き」の片言も生まれました。そして「ペケ」が横浜から来たのかどうかは、まだ分かっていません。
08もっと知りたい人へ
- ピジン(pidgin):共通の言葉を持たない人たちの間で生まれる、単語も文法も少ない接触言語
- クレオール(creole):ピジンなどをもとに、子どもが母語として話すようになった言語
- プレ・ピジン/ジャーゴン(pre-pidgin / jargon):ピジンの中でも、まだ形が定まっていない最初の段階
- 語彙供給言語(lexifier):ピジン・クレオールの単語の大部分を出した言語。横浜の片言では日本語、戦後の片言では英語
- 文献:Daniels (1948) "The vocabulary of the Japanese ports lingo", BSOAS 12 / Mühlhäusler (1997) Pidgin and Creole Linguistics / Stanlaw (2004) Japanese English: Language and Culture Contact / Avram (2014) "Yokohama Pidgin Japanese revisited", Acta Linguistica Asiatica 4(2) / Michaelis et al. (eds.) (2013) The Atlas of Pidgin and Creole Language Structures
よくある質問
ピジンとクレオールの違いは何ですか?
おもに、母語として話す人がいるかどうかです。ピジンは、ふつう共通の言葉を持たない人たちが商売などのためにその場で使う簡単な言葉で、だれの母語でもありません。そのピジンを子どもが母語として身につけ、生活の言葉になったものをクレオールと呼びます。ただし、両者の境目ははっきりしません。
横浜ピジンとは何ですか?
1859年の開港後、19世紀後半の横浜で、外国人が日本人との商売などに使った片言の日本語です。言語学者は「横浜ピジン日本語」と呼んでいます。当時の英語の書き手は、これを「Yokohama dialect(横浜方言)」と呼びました。
横浜ピジンではどんな言葉が使われていましたか?
1879年の会話本では、9が Cocoanuts(ここのつ)、8が Yachts(やっつ)と英語のつづりで書かれています。「分からない」は walk-arimasen、灯台は「船・見る・こわれない・ろうそく」のように、知っている単語を組み合わせて言いました。
横浜ピジンの単語はいくつ残っていますか?
記録に残る単語は約250語です(アヴラムの論文)。少ない単語をいろいろな意味で使い、たとえば aboorah(あぶら)は、バター、油、灯油、髪油、グリースの全部を指しました。
クレオールにはどんな例がありますか?
ハワイ・クレオールです。APiCS の解説によると、ハワイのサトウキビ農園で生まれた英語をもとにしたピジンを、そこで育った子どもたちが母語として話すようになり、1930年ごろに定着しました。話し手は自分たちの言葉を Pidgin と呼んでいます。
「ペケ」は横浜ピジンから来た言葉ですか?
分かっていません。『日本国語大辞典』も『デジタル大辞泉』も、語源は未詳としています。「ペケ」のいちばん古い用例は、横浜開港の翌年、1860年の歌舞伎です。
戦後の日本にもピジンはありましたか?
ありました。第二次世界大戦のあと、アメリカ軍の兵士と日本の人たちの間で、英語をもとにした片言が使われました。研究者は Japanese Pidgin English などと呼んでいます。例:shimpai-nai(「心配しないで」など)、morskosh(「しばらく」。「もう少し」から)。
横浜ピジンは本当に話されていたのですか?
研究者の間で議論になってきました。中心の資料である1879年の本が、冗談の本だからです。アヴラムは、何人もの書き手が同じ語を記録していることなどから、実在したと考えています。
この研究を英語で読もう原田英語の English CornerAfter Yokohama opened to foreign trade in 1859, merchants from Europe, America and China needed a way to…
音声
4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く
原田英語の English Corner
この研究を英語で読もう
Try saying the English words "Meats," "Yachts" and "Cocoanuts" out loud. They sound like the Japanese numbers mittsu, yattsu and kokonotsu. A small book printed in Yokohama in 1879 used them to teach Japanese numbers to foreign traders.
At that time, many foreigners in Yokohama did business in a very simple kind of Japanese. Only about 250 of its words were written down, and one word often had many meanings.
70 words ・ CEFR A2
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英単語の「Meats」「Yachts」「Cocoanuts」を声に出して言ってみよう。日本語の数の「みっつ」「やっつ」「ここのつ」のように聞こえる。1879年に横浜で印刷された小さな本は、外国人の商人に日本語の数を教えるのにこれらを使った。
当時、横浜の多くの外国人は、とても簡単な日本語で商売をしていた。記録に残った単語は約250語だけで、1つの単語がたくさんの意味を持つことが多かった。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the passage mainly about?
many foreigners in Yokohama did business in a very simple kind of Japanese とあり、横浜の外国人が使った簡単な日本語の話なので A。
Q2. About how many of its words were written down?
Only about 250 of its words were written down とあるので B。
Q3. In the passage, what does "traders" mean?
trader は trade(商売・貿易)をする人。直後の did business(商売をした)とも合うので C。
After Yokohama opened to foreign trade in 1859, merchants from Europe, America and China needed a way to talk with Japanese people. Many of them used a simplified form of Japanese. Only about 250 of its words were ever written down.
A joke phrasebook from 1879 shows how it worked. The word "aboorah" (from abura) covered butter, oil, kerosene and hair cream. To make most words negative, you added "nigh" (nai). If a word was missing, people built one from words they already knew.
A lighthouse became "fooney high kin serampan nigh rosokoo," roughly "a candle that ships see and that does not break." The book even wrote Japanese numbers as English words, such as "Yachts" for eight. Linguists call this kind of language a pidgin.
126 words ・ CEFR B1
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1859年に横浜が外国との貿易に開かれたあと、ヨーロッパ、アメリカ、中国から来た商人たちは、日本人と話す方法を必要とした。多くの人が使ったのは、簡単にした形の日本語だった。記録に残った単語は約250語しかない。
1879年の冗談まじりの会話本を見ると、それがどう使われていたかが分かる。aboorah(「あぶら」から)という語は、バター、油、灯油、髪油をまとめて表した。たいていの語は、否定にするには nigh(「ない」)をつけた。単語がないときは、知っている語を組み合わせて作った。
灯台は fooney high kin serampan nigh rosokoo、だいたい「船が見る、こわれないろうそく」という意味の言い方になった。この本は日本語の数を英単語で書くことまでしていて、たとえば8は Yachts だった。言語学者は、この種の言葉をピジンと呼ぶ。
4択リーディングクイズ
Q1. Why did merchants in Yokohama use this simplified Japanese?
merchants … needed a way to talk with Japanese people とあり、商売のために日本人と話す必要があったので B。
Q2. How did speakers make a word negative?
To make most words negative, you added "nigh" (nai) とあるので C。
Q3. What does the lighthouse example show?
If a word was missing, people built one from words they already knew の例として灯台が出てくるので A。
In 2014 and 2017, Andrei Avram of the University of Bucharest published two studies of Yokohama Pidgin Japanese, the simplified Japanese that foreigners used in Yokohama in the late 1800s. He worked from just seven written records, including a joke phrasebook from 1879. Only about 250 of its words were recorded, and single words carried many meanings.
There were no forms for past or present. Using a well-known model of how pidgins develop, Avram placed it at the earliest stage, called a pre-pidgin. He then compared it with Japanese Pidgin English, which grew up between American soldiers and Japanese people after World War II.
In that variety, "ketchee" could mean catch, receive or get, and "speak sayonara" meant to leave someone. The two are alike in structure, but the source of the words flipped. In Yokohama, Japanese supplied them. Under the American occupation, English did.
Avram links this to which side held more power at the time. Some scholars have doubted that the Yokohama variety was ever really spoken, and one key source is a joke book. Avram argues it was, partly because several different writers recorded the same words.
190 words ・ CEFR B2
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2014年と2017年に、ブカレスト大学のアンドレイ・アヴラムは、横浜ピジン日本語、つまり1800年代後半に横浜で外国人が使った簡単にした日本語について、2つの研究を発表した。彼が使ったのは、1879年の冗談まじりの会話本を含む、わずか7つの書かれた記録だった。記録された単語は約250語だけで、1つの語がたくさんの意味を持った。
過去や現在を表す形はなかった。ピジンの発達についてのよく知られたモデルを使い、アヴラムはこれを最も早い段階、プレ・ピジンに位置づけた。次に彼はそれを、第二次世界大戦後にアメリカ兵と日本人の間で生まれた日本ピジン英語と比べた。
その言葉では、ketchee が「つかまえる」「受け取る」「手に入れる」を意味し、speak sayonara は「人と別れる」の意味だった。2つはしくみが似ているが、単語の出どころは入れかわった。横浜では日本語が単語を出した。アメリカの占領下では英語だった。アヴラムはこれを、その時代にどちらの側が強い力を持っていたかに結びつけている。
横浜の言葉が本当に話されていたのかを疑う学者もいる。主な資料の1つは冗談の本だ。アヴラムは、何人もの違う書き手が同じ語を記録していることなどから、話されていたと論じている。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the main point of Avram's comparison?
The two are alike in structure, but the source of the words flipped とあり、それを力関係に結びつけているので B。
Q2. What stage did Avram assign to Yokohama Pidgin Japanese?
Avram placed it at the earliest stage, called a pre-pidgin とあるので C。
Q3. What is one reason Avram gives for thinking the Yokohama variety was really spoken?
partly because several different writers recorded the same words とあるので A。
重要単語
- pidginC1名詞ピジン(共通の言葉を持たない人たちが取引などに使う簡単な言葉)The traders talked in a simple pidgin.
Japanese Pidgin English(日本ピジン英語)のように、単語を出した言語の名前と組み合わせて言うことが多い。 - creoleC1名詞クレオール(子どもが母語として話すようになった接触言語)In Hawaii, many people grow up speaking a creole.
ハワイのクレオールは、話し手自身は Pidgin と呼ぶ。 - merchantB2名詞商人A merchant sold tea and silk at the port.
『ヴェニスの商人』は The Merchant of Venice。merchandise は「商品」。 - phrasebookB1名詞旅行会話集I bought a phrasebook before my trip to Korea.
phrase(言い回し)+book。1語でつづることが多い。 - lighthouseB1名詞灯台The lighthouse helps ships at night.
light(明かり)+house(家)。明治の横浜の片言では「船・見る・こわれない・ろうそく」。 - occupationB2名詞占領;職業Japan was under American occupation after World War II.
入試では「職業」の意味でよく出る。動詞 occupy は「占める、占領する」。
公式・一次情報をチェック
- Revised and enlarged edition of Exercises in the Yokohama Dialect(1879年・Internet Archive)archive.org
- 横浜港の概要(横浜市港湾局)city.yokohama.lg.jp
- Survey chapter: Hawai‘i Creole(APiCS Online・Velupillai)apics-online.info
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明治の横浜で外国人向けに出た片言の日本語の本(1879年)。数の書き方は 3が Meats、5が It suits、8が Yachts、9が Cocoanuts、10が Toe。英語のつもりで読むと日本語の「みっつ」「いつつ」「やっつ」「ここのつ」「とお」になる。灯台は「船・見る・こわれない・ろうそく」。
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出典・参考文献(5件)タップで表示
- Avram A.A. (2014) Yokohama Pidgin Japanese Revisited, Acta Linguistica Asiatica 4(2)doi.org
- Avram A.A. (2017) “Two Sides of the Same Coin”: Yokohama Pidgin Japanese and Japanese Pidgin English, Acta Linguistica Asiatica 7(1)doi.org
- Atkinson H.(“Bishop of Homoco”)(1879) Revised and Enlarged Edition of Exercises in the Yokohama Dialect, Yokohama(Internet Archive 所蔵の原本)archive.org
- Michaelis S.M., Maurer P., Haspelmath M., Huber M. (eds.) (2013) APiCS Online「Introduction to APiCS」(Survey 26 Hawai‘i Creole〈Velupillai〉・Survey 22 Tok Pisin〈Smith & Siegel〉も参照)apics-online.info
- コトバンク「ペケ」(精選版 日本国語大辞典・デジタル大辞泉)kotobank.jp
※本記事は上記の研究・公開資料をもとに、原田英語が独自の言葉で解説したものです。引用は著作権法第32条の範囲で行い、出典を明記しています。画像はすべてオリジナルのイメージです。研究結果には限界や個人差があります。誤りのご指摘は原田英語のお問い合わせフォームから。
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