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日英くらべウソ

「戦争中は英語が禁止」はウソ。陸軍の学校では終戦12日前にも英語のテストがあった

「戦争中は英語が禁止」はウソ。陸軍の学校では終戦12日前にも英語のテストがあった

読む前に予想してみよう!

太平洋戦争中、日本の中学校では英語の授業が禁止されていた

研究カード(どんな研究?)
対象
陸軍・海軍の学校の記録と、1944年に入学した中学生の証言
規模
陸軍幼年学校6校・兵庫県立第一神戸中学校など
研究の種類
学校の史料と回想を使った歴史研究
確かさ
★★★☆☆
3秒でわかる

太平洋戦争中も、中学校の英語は時間を減らされながら続いていた。将校を育てる陸軍の幼年学校は1938年に英語を始め、1945年8月まで教えた。1945年4月に授業が原則停止になったときは、英語以外の科目もいっしょに止まった。

ひとことで言うと戦争中も英語の授業はあった! 陸軍の学校でも英語を習っていたよ

もくじ
  1. 中学校の英語は「週6時間→週4時間」
  2. 陸軍は、戦争中に英語を「始めた」
  3. 海軍兵学校は、最後まで入試に英語を出した
  4. 戦争中にもあった「墨ぬり教科書」
  5. では、なぜ「禁止された」と覚えられているの?
  6. どんでん返し:ふつうの学校では、英語を習えない時期がたしかにあった
  7. テストや英作文ではどうする?
  8. まとめ
  9. よくある質問

「戦争中、英語は敵の言葉だから、学校で教えるのも禁止された」

歴史の授業やドラマで、こんな話を聞いたことはありませんか。駅名のローマ字まで消された時代です。英語の授業なんて、とっくになくなっていたはず。

ところが記録を調べると、話はまるで違います。中学校の英語は、時間を減らされながらも続いていました。 しかも陸軍は、日中戦争が始まった翌年の1938年に、自分たちの学校で英語の授業を「始めて」いたのです。生徒の日記によると、熊本の陸軍幼年学校(将校を目指す少年の学校)では、1945年8月3日、つまり終戦の12日前に、英語のテストがありました。

01中学校の英語は「週6時間→週4時間」

日本英語教育史学会の学会誌に、神戸で戦争中に中学生だった黒澤一晃さん(神戸松蔭女子学院大学の元学長)の講演記録が残っています。黒澤さんは1944年4月、兵庫県立第一神戸中学校に入学し、英語を習いました。

最初の英語の授業で、先生はまずこう問いかけたそうです。「どうして敵の国の言葉である英語を勉強するのか?」。答えは「汝(なんじ)の敵を知るため」でした。

全国の数字もあります。英語教育史の研究者・江利川春雄さんの論文によると、中学校の外国語の時間は、1901年の規則では1年生から5年生まで週7・7・7・7・6時間でした。それが1936年には2〜4年生で週5・5・6時間、1943年には 週4・4・4時間 になりました。たしかに減っています。でも、ゼロにはなっていません。

02陸軍は、戦争中に英語を「始めた」

軍隊の学校では、話がさらにひっくり返ります。陸軍には、中学1〜2年を終えたくらいの少年が入る 陸軍幼年学校 がありました。将来の将校を育てる学校です。

江利川さんの論文「日本陸軍の英語教育史」によると、各地の幼年学校の外国語は、1897年から長いあいだ ドイツ語・フランス語・ロシア語だけ でした。英語は中学校出身者が後で学べばよい、と考えられていたのです。

その幼年学校で英語の授業が始まったのは、1938年。日中戦争が始まった翌年で、すでに戦争中でした。仙台の幼年学校が最初で、翌年には熊本でも始まりました。英語圏のフィリピンなども作戦の対象に入ったことが背景にあると、江利川さんは見ています。

授業の中身も本格的でした。

  • スティーブンソンの冒険小説 Treasure Island(宝島)を副読本に使い、Kidnapped(さらわれたデービッド)を読んだという証言もある
  • 熊本では、週5時間のうち1時間がドイツ人の先生による英会話で、日本語は使用禁止。授業の始めの人数の報告も英語でした。 "The first year, the fourth class, twenty-nine in all, no absent, all boys are present."(1年、第4クラス、総員29名、欠席なし、全員出席)
  • 熊本で1942年に入学した生徒は、その年の年末に「蛍の光」を原語で、つまりもとのスコットランドの歌 Auld Lang Syne の歌詞で習い、発表会でみんなで歌った
  • 熊本の生徒の日記には、1945年8月3日に英語の考査(テスト)があった と記されている

1944年2月の時点で、6つの幼年学校の生徒のうち、英語を学んでいたのは仙台と熊本の300人(全体の17%)でした。ロシア語の750人(43%)よりは少ないものの、「敵の言葉」を国の軍隊が教えていたのです。

熊本の陸軍幼年学校では、英会話の時間は日本語が使用禁止だった(江利川 2005)
熊本の陸軍幼年学校では、英会話の時間は日本語が使用禁止だった(江利川 2005)

03海軍兵学校は、最後まで入試に英語を出した

陸軍の予科士官学校(士官学校の前半の課程)は、1940年、翌年度の入学試験から英語を外すと発表しました(授業そのものは続けています)。

一方、海軍は違いました。江利川さんの「海軍終焉期の英語教育」によると、広島県江田島の海軍兵学校は、最後まで入学試験に英語を出し続けました。1942年11月から1944年8月まで校長だった井上成美(しげよし)が、「外国語一つもできないような者は海軍士官には要らない」という方針だったからです。

04戦争中にもあった「墨ぬり教科書」

「墨ぬり教科書」といえば、戦争が終わったあとに、軍国主義的な部分を墨で黒く消した教科書のことです。ところが英語の教科書は、戦争中にも 墨をぬられていました。

黒澤さんは調査の中で、2学年上の先輩たちが、1944年度に使う英語の教科書の一部を墨でぬるよう指示されていた、と聞いています。講演記録によると、その直前の1944年1月の帝国議会で、中学校で使われている英語の教科書 Crown Readers(クラウン・リーダー)などに「アメリカやイギリスをほめる文章」が多いと問題にされました。政府の答弁では、ロンドンをほめた記事や、「英語の効用を大げさに書いた箇所」などを削除させている、とされています。

教科書の墨ぬりは、戦争が終わってからだけの話ではありません。戦争中の英語の教科書も、「英米をほめすぎ」という理由で一部が消されていました。

05では、なぜ「禁止された」と覚えられているの?

理由はいくつか考えられます。

  • 駅名に添えたローマ字が消され、英語が「敵の国の言葉」と呼ばれる空気はたしかにあった(黒澤さんの証言)
  • 女学校では選択科目になり、英語の先生がほかの科目に回された学校もあった
  • 1944年からは、中学生が工場などで働かされる勤労動員が強まった。文部省の『学制百年史』は、1944年4月から中等学校以上の教室での授業は「事実上停止」された、とまで書いている(ただし黒澤さんたち1・2年生は、1944年度も学校で授業を受けていた)

そして決定的なのが、1945年3月の 「決戦教育措置要綱」 です。文部省の『学制百年史』によると、この決定で、国民学校の初等科(今の小学校)を除くすべての学校の授業が、1945年4月から1年間、原則として止められました。

06どんでん返し:ふつうの学校では、英語を習えない時期がたしかにあった

ここで話を盛りすぎてはいけません。江利川さん自身、ふつうの学校だけを見れば、日本の英語教育には 半年から1年ほどの空白 があったと書いています。授業停止や動員で、英語を含む授業全体が終戦まで中断されたからです。

逆に、陸軍の幼年学校や海軍の学校では、終戦まで外国語の授業が続きました。陸軍の学校の英語は少人数で、先生も教材も恵まれていたそうです。働きに出された同じ年ごろの中学生から見れば、別世界でした。

つまり正しくは、「英語だけが狙い撃ちで禁止された」のではなく、「英語は減らされ、最後は動員と授業停止で、ほかの科目といっしょに止まった」です。

07テストや英作文ではどうする?

日本史の問題で「戦時中の英語教育」が出たら、「禁止された」と書くのは不正確です。「授業時間が減らされた」「女学校では選択科目になった」「1945年4月から授業全体が原則停止された」と書けば、記録と合います。

英語で説明するなら、こんな言い方ができます。

  • English was not banned in Japanese schools during the war.(戦争中、日本の学校で英語は禁止されていなかった)
  • At one school in Kobe, English classes were cut from six hours a week to four.(神戸のある学校では、英語の授業が週6時間から4時間に減らされた)
  • In April 1945, almost all school classes were stopped.(1945年4月、ほぼすべての学校の授業が止められた)
  • Many students were sent to work in factories.(多くの生徒が工場で働かされた)

「敵性語」は英語では the enemy's language と言えば通じます。

08まとめ

戦争中、英語は「敵の言葉」と呼ばれ、授業時間も減りました。それでも、中学校の英語は週4時間ほど残り、陸軍は戦争中に幼年学校で英語を始め、終戦の直前まで教えていました。授業が本当に止まったのは1945年4月。そのとき止まったのは、英語だけではありませんでした。

「汝の敵を知るため」。戦争中の先生が生徒に返したこの答えは、相手の言葉を学ぶ理由として、今でもそのまま通じます。

よくある質問

戦争中、日本の学校で英語は禁止されていたのですか?

いいえ。中学校の英語は、時間を減らされながらも続いていました。1945年4月に授業が原則停止になったときも、止まったのは英語だけではなく、国民学校の初等科を除くすべての学校の授業でした。

戦時中、中学校の英語は週に何時間ありましたか?

1943年の中学校の外国語は、2〜4年生で週4・4・4時間でした(江利川春雄さんの論文)。1901年の規則では週7時間ほどあったので減ってはいますが、ゼロにはなっていません。神戸の中学校では、1944年入学の1年生の英語が週4時間で始まりました。

陸軍の学校では英語を教えていたのですか?

はい。将校を目指す少年の学校である陸軍幼年学校では、1938年に仙台で英語の授業が始まり、翌年には熊本でも始まりました。熊本の生徒の日記には、1945年8月3日(終戦の12日前)に英語のテストがあったと書かれています。

海軍の学校は英語をどう扱っていましたか?

広島県江田島の海軍兵学校は、最後まで入学試験に英語を出し続けました。1942年11月から1944年8月まで校長だった井上成美の、「外国語一つもできないような者は海軍士官には要らない」という方針によるものです。

戦時中、女学校の英語はどうなったのですか?

1942年から、女学校では英語が選択科目になりました(黒澤一晃さんの講演記録)。英語の先生がほかの科目に回された学校もあり、これも「英語は禁止された」と覚えられた理由の一つと考えられます。

なぜ「英語は禁止された」と言われるようになったのですか?

英語を「敵の国の言葉」と呼ぶ空気があり、駅名に添えたローマ字も消されたからだと考えられます。1944年からは勤労動員が強まり、1945年4月からは授業全体が原則停止されました。英語だけが狙い撃ちで禁止されたわけではありません。

戦争中にも墨ぬり教科書はあったのですか?

ありました。黒澤一晃さんの講演記録によると、1944年度に使う英語の教科書の一部を墨でぬるよう指示されていました。その直前の1944年1月の帝国議会で、英語の教科書に「アメリカやイギリスをほめる文章」が多いと問題にされていました。

「戦時中、英語は禁止されていなかった」は英語で何と言いますか?

English was not banned in Japanese schools during the war. と言えます。「敵性語」は the enemy's language と言えば通じます。

この研究を英語で読もう原田英語の English CornerIn April 1944, a new student at a middle school in Kobe went to his first English class. 音声 4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く

原田英語の English Corner

この研究を英語で読もう

In April 1944, a new student at a middle school in Kobe went to his first English class. The teacher began by asking why they should study the language of their enemy.

The teacher's answer was "to know your enemy." English was never banned in Japanese schools during the Pacific War. Class hours were cut, and at girls' schools English became an elective in 1942.

But boys at middle schools still had about four hours a week. The army even started teaching English at its own schools for boys in 1938. Students there later read books like Treasure Island. In April 1945, the government stopped almost all classes above elementary school, and students were sent to work for the war.

120 words ・ CEFR B1

和訳を見る

1944年4月、神戸の中学校に入った新入生が、最初の英語の授業に出た。先生はまず、なぜ敵の言葉を勉強しなければならないのかとたずねた。

先生の答えは「汝の敵を知るため」だった。太平洋戦争中、日本の学校で英語が禁止されたことは一度もなかった。授業時間は減らされ、女学校では1942年に英語が選択科目になった。

それでも中学校の男子は週に4時間ほど英語があった。陸軍は1938年、少年のための自分たちの学校で英語を教え始めさえした。そこの生徒たちは、のちに『宝島』のような本も読んだ。1945年4月、政府は小学校より上のほぼすべての授業を止め、生徒たちは戦争のために働きに出された。

4択リーディングクイズ

Q1. According to the passage, what happened at girls' schools in 1942?

Q2. Why did the teacher say students should study English?

Q3. What can we infer about the classes that stopped in April 1945?

重要単語

  • enemyA2
    名詞敵The two countries were enemies during the war. an enemy of ~ で「~の敵」。形容詞は hostile(敵意のある)
  • banB1
    動詞禁止するThe school banned phones in class. be banned from ~ing で「~するのを禁じられる」。新聞の見出しでよく使う短い語
  • electiveB2
    名詞選択科目At my school, Chinese is an elective. elect(選ぶ)から。必修科目は required subject / compulsory subject
  • cadetB2
    名詞士官候補生、軍の学校の生徒The cadets studied English five hours a week. 警察学校の生徒にも使う。発音は「カデット」
  • surrenderB2
    動詞降伏するJapan surrendered in August 1945. surrender to ~ で「~に降伏する」。名詞も同じ形
  • mobilizeC1
    動詞(戦争などのために)人を動員するMany students were mobilized to work in factories. mobile(動ける)と同じ語源。学徒動員は student mobilization
「戦争中、英語は敵の言葉だから禁止」と思っていませんか。将校を育てる陸軍の幼年学校では1938年に英語の授業が始まり、熊本では1945年8月3日、終戦の12日前に英語のテストがあったと生徒の日記に残っています。

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出典・参考文献(4件)タップで表示
  1. 江利川春雄 (2005) 日本陸軍の英語教育史―1930年代以降の幼年学校・予科士官学校を中心に―, 日本英語教育史研究 20: 65–90doi.org
  2. 江利川春雄 (2003) 海軍終焉期の英語教育, 日本英語教育史研究 18: 39–66doi.org
  3. 黒澤一晃 (1999) 戦時下の英語教育―神戸での一体験―, 日本英語教育史研究 14: 15–39doi.org
  4. 文部省 (1972)『学制百年史』「第二次世界大戦下の教育」(文部科学省ウェブサイト)mext.go.jp

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