「see の過去形は seed に」。のちの初代文部大臣・森有礼が考えた“簡単英語”

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のちの初代文部大臣・森有礼は、英語の不規則動詞をなくした“簡単な英語”を日本に入れようと考えたことがある
1872年、言語学者ホイットニーへの手紙で、saw と seen を seed に、spoke を speaked にする案を書いた。ホイットニーは英語を変えることに反対した。
- 対象
- 1872年の森有礼とホイットニーの往復書簡、1873年の反論書
- 規模
- 書簡を引用した論文3本と、1873年の原書
- 研究の種類
- 歴史資料の確認+英語教育史・日本語学の論文
- 確かさ
- ★★★☆☆
1872年、のちの初代文部大臣・森有礼は、不規則動詞をなくした英語を日本で使う案を米国の言語学者に送った。返事は、英語を変えることには反対。国民の教育は主に日本語で、というもの。
ひとことで言うとsaw も seen も「seed」に! のちの大臣が考えた、日本で使う英語の案
もくじ
see - saw - seen、speak - spoke - spoken、think - thought - thought。
中学の英語で、不規則動詞の表を呪文のように覚えた人は多いでしょう。「全部 -ed にしてくれたら楽なのに」と思ったことも。
じつは150年ほど前、同じことを本気で提案した日本人がいます。のちの 初代文部大臣・森有礼(もり・ありのり) です。文部大臣は、今の文部科学大臣にあたります。「see の過去形も過去分詞(have seen の seen)も seed にする」。そんな英語を日本で使ってはどうかと、アメリカの言語学者に手紙で相談していました。
011872年、20代の外交官が言語学者に送った手紙
森有礼は1847年、薩摩(今の鹿児島県)の生まれ。イギリスに留学したあと、明治政府の外交官(外国で国を代表して交渉する役人)として、アメリカに住んで働いていました(福元 2016)。
1872年5月21日、森はイェール大学のウィリアム・ドワイト・ホイットニーに手紙を書きます(Kobayashi 2009)。ホイットニーはサンスクリット語(古代インドの言葉)の教授で、アメリカ言語学協会(American Philological Association)の初代会長。のちにスイスの言語学者ソシュールにも大きな影響を与えた学者です(日本大百科全書・世界大百科事典)。
手紙の前半で、森はこう書いています(福元 2016 が引用する森の手紙)。
- 日本の話し言葉は、国の必要にとって不十分だ
- 時代についていくには、語彙が豊かなヨーロッパの言語を取り入れなければならない
- 日本は商業の国であり、アジアで広く使われている英語のような言語が必要だ
- 日本語の話し言葉を、ローマ字で書けるようにしたい
02手紙の3分の2は「英語を直す案」だった
研究者の小林敏宏さんが紹介する、森を研究したホールの指摘によると、森は手紙の 約3分の2 を「簡単にした英語」の話にあてていました。
森の案どおりなら、I seed a movie yesterday.(きのう映画を見た)と書くことになります。
03ホイットニーの返事は「反対」。国民の教育は日本語で
ホイットニーは1872年6月20日に返事を書きました。小林さんは、その内容を4点にまとめています。
- 英語を簡単にする案には 反対
- 日本語をローマ字で書くことには 賛成
- 日本の教育は、まず日本語で行うことが大切
- 英語は、昔のヨーロッパのギリシャ語やラテン語のような「学問の言葉」として学べばよい
返事には、こんな一文があります。"If the masses are to be reached, it must be mainly through their native speech."(国民の大多数に届けたいなら、主に彼ら自身の言葉を通してでなければならない)
ホイットニーは、自分の言葉を捨ててほかの言語に乗りかえた民族の例は世界にあるが、自分の知るかぎり、いつも相手の文化が上で、たいていは政治の力も上だったときだ、とも書いています(福元 2016 が引用する返事)。

041873年、ロンドンで反論した日本人
ホイットニーの返事は、1873年に森が編んだ本『Education in Japan』に収められました。ただし、森の手紙のほうはこの本に載りませんでした(Kobayashi 2009)。この本に英語で反論したのが、ロンドンにいた 馬場辰猪(ばば・たつい) です。
同じ1873年、馬場はロンドンで、英語で書いた日本語の文法書を出しました。その序文で、こう訴えています。
- 「日本語は不完全だから捨てて、英語に置きかえよ」という意見に反対するために、この本を出す
- 英語には、日本語にない長所もある。でも つづりの規則正しさと発音のそろい方では、日本語のほうが上 だ。英語はこの2つがひどく不完全なことは、よく知られている
- 国の仕事を英語でするようになれば、英語を学ぶ時間のある裕福な人とそうでない人に、国民が分かれてしまう
そして最後に、ホイットニーの「国民には自分たちの言葉で」の一文を引いて、森に反論しています。
05どんでん返し:森は本当に「日本語をやめろ」と言ったのか
森は「日本語をやめて英語にしよう」と唱えた人だ、と言われることがあります。森の言葉がいちばん強く出ているのは、『Education in Japan』の序論です。日本の貧弱な言語は英語の支配に屈する運命にある、日本語を使わなくなる理由ばかりだ、という趣旨の文があります。1872年8月のボストンでの講演では、日本語はやがて「珍しいもの」になるだろう、と話して笑いと拍手を受けました(Kobayashi 2009)。
ところが、今の研究者の見方は割れています。
- 福元美和子さん(2016)は、森が1872年の手紙で使った adopt(取り入れる)は、日本語に「加えて」英語を入れる意味にも読める、と指摘。手紙には「日本語を教える学校が大いに必要だ」とも書いてある
- 小林さん(2009)は、ホイットニーが森の案を「日本語を英語に置きかえる」案だと読み、その前提で返事を書いた、と見る。森が「簡単英語」をあきらめたのも、ホイットニーに反対されたからではなく、ローマ字化が実際には難しいと自分で判断したからだという
その後、森は1885年12月、伊藤博文の最初の内閣で初代の文部大臣になりました(文部科学省)。日本語に代わって英語が日本の言葉になることは、ありませんでした。
061946年、志賀直哉は「フランス語を日本の言葉に」
この話には続きがあります。戦争が終わった翌年の1946年4月、小説家の志賀直哉が雑誌『改造』に「国語問題」という短い文章を書きました(山井 2004 が引く大野晋の解説)。
山井徳行さんの要約によると、志賀は、六十年前に森の英語の案が実現していれば日本の文化はずっと進んでいた、と書き、フランス語を国語(日本の国の言葉)にする決断をするべきだ と主張しました。先生の準備ができたら、小学1年生から順に切り換えればよい、とまで書いています。ただし、フランス語を選んだ理由は、文化の進んだ国の、文人が整えた言葉だから、というもので、本人も外国語のことはよく知らないと認めていました。この案も実現しませんでした。
07テストや英作文ではどうする?
08まとめ
see の過去形を seed に。のちの初代文部大臣が1872年に考えた「簡単英語」は、アメリカの言語学者に反対され、本人も実現は難しいと判断して、消えていきました。返事に書かれた「国民の大多数には、自分たちの言葉で」という考え方は、その後の日本の学校の形と重なります。
不規則動詞の表に苦しむのは、150年前の大臣も同じでした。森有礼は、see の過去形を seed にしようと本気で提案していた。今日の英語の授業で、話してみてください。
よくある質問
森有礼は英語を日本の国語にしようとしたのですか?
研究者の見方が割れています。1872年の手紙で、森は英語を「取り入れる」案をアメリカの言語学者に送りました。日本語に加えて英語を入れる意味にも読めるという研究がある一方、1873年の本の序論やボストンでの講演では、日本語はすたれるという強い言葉も残しています。
森有礼の「簡単英語」とはどんな案ですか?
英語の不規則動詞をなくし、つづりも発音どおりに直す案です。saw と seen の代わりに seed、spoke と spoken の代わりに speaked、thought の代わりに thinked を使う、というものでした。手紙の約3分の2がこの話だったとされます。
森有礼の手紙に、ホイットニーは何と答えましたか?
英語を簡単にする案には反対しました。日本語をローマ字で書くことには賛成し、教育はまず日本語で、英語は「学問の言葉」として学べばよい、と答えました。返事には「国民の大多数に届けたいなら、主に彼ら自身の言葉を通して」という一文があります。
森有礼に反論した日本人は誰ですか?
ロンドンにいた馬場辰猪(ばば・たつい)です。1873年に英語で出した日本語の文法書の序文で、つづりの規則正しさと発音のそろい方では日本語のほうが上だと書き、国の仕事を英語でするようになれば国民が裕福な人とそうでない人に分かれる、と反対しました。
志賀直哉がフランス語を国語にと言ったのは本当ですか?
はい。1946年4月、雑誌『改造』の「国語問題」という文章です。山井徳行さんの要約によると、フランス語を日本の国の言葉にする決断をするべきだと主張しました。本人も外国語のことはよく知らないと認めていて、この案も実現しませんでした。
I seed it. はテストで正解になりますか?
なりません。森の案の I seed it.、He speaked to me.、I thinked so. は ✕ です。正しくは I saw it.、He spoke to me.、I thought so. です。dreamed・dreamt のように、2つの形を辞書が認める動詞もあります。
この研究を英語で読もう原田英語の English CornerMori Arinori was working in America as a diplomat when he wrote to William Dwight Whitney, a language…
音声
4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く
原田英語の English Corner
この研究を英語で読もう
In English class, many students learn lists like "see, saw, seen." In 1872, a young Japanese diplomat named Mori Arinori had a different idea. He wanted to use "seed" for both "saw" and "seen."
He also wanted "speaked" for "spoke." He sent this plan to an American language expert. The expert said no. He told Mori not to change English. Mori later became Japan's first Minister of Education.
68 words ・ CEFR A2
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英語の授業で、多くの生徒は「see, saw, seen」のような表を覚えます。1872年、森有礼という若い日本人の外交官は、別の考えを持っていました。彼は「saw」と「seen」の両方に「seed」を使いたいと考えました。
また、「spoke」の代わりに「speaked」を使いたいとも考えました。彼はこの案をアメリカの言葉の専門家に送りました。専門家の答えは「ノー」でした。彼は森に、英語を変えないようにと伝えました。森はのちに日本の初代文部大臣になりました。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the passage mainly about?
seed や speaked のように、不規則動詞をやさしくする案の話なので A。
Q2. What did Mori want to use instead of "saw"?
He wanted to use "seed" for both "saw" and "seen." とあるので C。
Q3. In the passage, what does "expert" mean?
expert は「専門家」。an American language expert は「アメリカの言葉の専門家」なので B。
Mori Arinori was working in America as a diplomat when he wrote to William Dwight Whitney, a language professor at Yale, in May 1872. Mori believed Japan needed a European language for trade and new knowledge. He also wanted to write spoken Japanese in Roman letters.
But most of his letter was about changing English itself. He suggested regular forms such as "speaked," "bited" and "thinked," and spelling that matched the sound.
Whitney replied in June. He liked the idea of Roman letters for Japanese, but he was against changing English. He also said that ordinary people would have to be taught mainly in their own language. Mori later became Japan's first Minister of Education, in 1885.
117 words ・ CEFR B1
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森有礼は外交官としてアメリカで働いていたとき、1872年5月に、イェール大学の言語学の教授ウィリアム・ドワイト・ホイットニーに手紙を書いた。森は、日本には貿易と新しい知識のためにヨーロッパの言語が必要だと考えていた。また、日本語の話し言葉をローマ字で書きたいとも考えていた。
しかし、彼の手紙の大部分は、英語そのものを変えることについてだった。彼は「speaked」「bited」「thinked」のような規則的な形や、音に合ったつづりを提案した。
ホイットニーは6月に返事を書いた。彼は日本語をローマ字で書く考えは気に入ったが、英語を変えることには反対した。また、ふつうの人々は主に自分たちの言葉で教えられなければならないとも述べた。森はのちの1885年、日本の初代文部大臣になった。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the main point of the passage?
森が英語を変える案を相談し、ホイットニーが反対した、という流れなので A。
Q2. Which idea did Whitney support?
He liked the idea of Roman letters for Japanese とあるので C。
Q3. Which statement would Whitney most likely agree with?
ordinary people would have to be taught mainly in their own language とあるので、子どもはまず日本語で教育すべきだという考えに賛成すると考えられる。A。
Students who struggle with "see, saw, seen" have an unexpected ally in Mori Arinori. In a letter to the Yale linguist William Dwight Whitney in May 1872, the young diplomat, who would become Japan's first Minister of Education, proposed a simplified English with forms like "seed," "speaked" and "thinked." He wrote that he could not in good conscience ask Japanese children to spend six or seven years learning a language so full of needless irregularities.
Whitney opposed the plan. He supported writing Japanese in Roman letters, but he advised that English be studied as it was, much as Europeans once studied Latin, while ordinary people were taught mainly in Japanese. Whitney's reply was published in 1873, and that same year Baba Tatsui answered from London with a Japanese grammar written in English, pointing out that Japanese spelling was far more regular than English spelling.
Whether Mori truly wanted to abolish Japanese is still argued over. His 1873 introduction predicted that the language would give way to English, yet his 1872 letter called for schools that taught Japanese. In 1946, the novelist Shiga Naoya brought the idea back, this time suggesting French.
191 words ・ CEFR B2
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「see, saw, seen」に苦労する生徒には、森有礼という意外な味方がいる。のちに日本の初代文部大臣となるこの若い外交官は、1872年5月、イェール大学の言語学者ウィリアム・ドワイト・ホイットニーへの手紙で、「seed」「speaked」「thinked」のような形を使う、簡単にした英語を提案した。むだな不規則だらけの言語を学ぶのに、日本の子どもたちに6〜7年もかけさせることは、良心にかけて勧められない、と彼は書いた。
ホイットニーはこの案に反対した。日本語をローマ字で書くことは支持したが、英語は、かつてヨーロッパの人々がラテン語を学んだように、そのままの形で学び、ふつうの人々は主に日本語で教えるべきだと助言した。ホイットニーの返事は1873年に出版され、同じ年、馬場辰猪がロンドンから、英語で書いた日本語の文法書で反論し、日本語のつづりは英語のつづりよりずっと規則正しいと指摘した。
森が本当に日本語を廃止したかったのかは、今も議論が続いている。1873年の序論では日本語は英語に道をゆずると予想したが、1872年の手紙では日本語を教える学校を求めていた。1946年には、小説家の志賀直哉がこの考えをよみがえらせ、今度はフランス語を提案した。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the passage mainly about?
森の簡単英語案と、ホイットニー・馬場・志賀の反応や関連する動きを述べているので A。
Q2. What did Baba Tatsui point out in his book?
pointing out that Japanese spelling was far more regular than English spelling とあるので B。
Q3. Why is it hard to say whether Mori wanted to abolish Japanese?
1873年の序論は英語に道をゆずると予想し、1872年の手紙は日本語の学校を求めている、と食い違いを示しているので C。
重要単語
- irregularB1形容詞不規則な"See" is an irregular verb: see, saw, seen.
ir-(否定)+regular(規則的な)。irregular verb は「不規則動詞」。 - proposeB1動詞提案するHe proposed a simpler kind of English.
名詞は proposal。propose to ~ は「~に結婚を申しこむ」の意味にもなる。 - linguistB2名詞言語学者The linguist wrote a long reply to the letter.
「何か国語も話せる人」の意味でも使う。言語学は linguistics。 - native languageB1名詞母語Children learn best in their native language.
mother tongue とも言う。second language は「第二言語」。 - ministerB1名詞大臣He became the first Minister of Education.
Prime Minister は「総理大臣」。キリスト教の「牧師」の意味もある。 - abolishC1動詞廃止するSome people wanted to abolish the old rule.
法律・制度・習慣などをなくすときに使う。名詞は abolition。 - spellingA2名詞つづりEnglish spelling has many strange rules.
spell(つづる)+-ing。spelling bee は「つづり字コンテスト」。
公式・一次情報をチェック
- dream(Cambridge Dictionary)dictionary.cambridge.org
- 山井徳行 (2005) 国語外国語化論の再考(2), 名古屋女子大学紀要 51(人文・社会編), 199–206nagoya-wu.repo.nii.ac.jp
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1872年、のちの初代文部大臣・森有礼がアメリカの言語学者に送った手紙。「see の過去形と過去分詞は seed に」「speak の過去形は speaked に」。不規則動詞をなくした英語を日本で使う案だった。返事は「英語を変えるのは反対」。
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出典・参考文献(6件)タップで表示
- Kobayashi, T. (2009) Mori Arinori: new light on his weltanschauung in late Edo and early Meiji Japan and on his language reform discourse, Seijo English Monographs 41seijo.repo.nii.ac.jp
- 福元美和子 (2016) 明治初期における日本語の一考察, 副題「森有礼の日本語廃止論・英語採用論を中心に」, 言語文化教育研究 14, 162–173doi.org
- Baba, Tatui (1873) An Elementary Grammar of the Japanese Language, London: Trübner, Preface(Internet Archive)archive.org
- 山井徳行 (2004) 国語外国語化論の再考(1), 副題「森有礼の『国語英語化論』と志賀直哉の『国語フランス語化論』について」, 名古屋女子大学紀要 50(人文・社会), 179–191nagoya-wu.repo.nii.ac.jp
- 文部科学省「b. Mori Arinori as the First Minister of Education」(JAPAN'S MODERN EDUCATIONAL SYSTEM)mext.go.jp
- 日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典「ホイットニー(William Dwight Whitney)」(小学館・平凡社、コトバンク掲載)kotobank.jp
※本記事は上記の研究・公開資料をもとに、原田英語が独自の言葉で解説したものです。引用は著作権法第32条の範囲で行い、出典を明記しています。画像はすべてオリジナルのイメージです。研究結果には限界や個人差があります。誤りのご指摘は原田英語のお問い合わせフォームから。
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