The Bow(お時儀)の挿絵

The Bow

お時儀

  • 893 words
  • 約8分
  • YL 1.5–2.4
  • 英検準2級目安
  • 全訳つき

あらすじ毎日の駅のホームで見かける、銀ねずみ色の服のお嬢さん。ある日の午後、保吉は思わず彼女におじぎをしてしまいます。さて、次の朝は……。

芥川龍之介『お時儀』(1923年)をもとに再話

ORIGINAL TEXT

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この話は日本語の原文(青空文庫)でも読めます。青空文庫の本文を、そのまま載せています。やさしい版で筋をつかんでから原文へ進むと、作者の言葉をじっくり味わえます。

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青空文庫の本文(新字新仮名・約4,000字)。

キーワード(9語)本文の点線の語はタップで意味が出ます
  • sparks火花
  • chimney煙突
  • heroine(小説の)女主人公
  • admiral海軍の司令長官
  • pussy willowネコヤナギ
  • reflex反射的な動き
  • opponent(試合の)相手
  • swayingゆれている
  • flicker(感情などが)ちらりと動くこと

音声は準備中です。もうしばらくお待ちください。

日本語訳の一部には生成AIを使っており、AIによる3重のチェックと人の目で確かめています。まだ人の目を通っていない訳もあるため、ニュアンスがずれている所があるかもしれません。日本語訳について

Yasukichi had just turned thirty. Like everyone who lives by writing, he led a busy life, and he seldom thought about the past. Still, sometimes a scene from the past suddenly came back to him, very clearly. Usually, it was a smell that brought it back. For example, nobody wants to smell the smoke of a train. But whenever he smelled it, the memory of a young lady he had seen years before came back at once, like sparks flying from a chimney.

保吉は三十になったばかりだった。文章を売って暮らす者がみなそうであるように、目まぐるしい毎日を送っていて、昔のことはめったに考えなかった。それでもときどき、過去のある場面が、ふっとあざやかによみがえることがあった。たいていは、においがきっかけだった。たとえば汽車の煙のにおいなど、誰もかぎたいとは思わないだろう。けれども保吉は、そのにおいをかぐと、何年も前に会ったあるお嬢さんの記憶が、煙突から飛び散る火花のように、たちまちよみがえってくるのだった。

He met her at the station of a seaside town where he lived at the time. Every day, he took the eight o'clock train in the morning and came back on the train that arrived at four twenty in the afternoon. If you ride the same train every day, you soon know about a dozen faces. The young lady was one of them. But he saw her only in the mornings, never in the afternoons.

そのお嬢さんに会ったのは、当時保吉が住んでいた、海辺の町の駅である。保吉は毎日、朝は八時の汽車に乗り、午後は四時二十分に着く汽車で帰ってきた。毎日同じ汽車に乗っていれば、一ダースほどの顔なじみはすぐにできる。お嬢さんもその一人だった。ただ、見かけるのは朝だけで、午後に会ったことは一度もなかった。

She was sixteen or seventeen. She always wore a silver-gray dress and a silver-gray hat. She was rather short, but she looked slim, and her legs were as slim as a deer's. Her face was not really beautiful. But Yasukichi had never read a modern novel with a heroine who was simply beautiful. Writers always say, "She was not beautiful. But..." So Yasukichi adds a "but" too: her face was not really beautiful, but it was round and charming, with a nose that turned up a little.

お嬢さんは十六か十七だった。いつも銀ねずみ色の洋服を着て、銀ねずみ色の帽子をかぶっていた。背はむしろ低いほうだったが、見たところはすらりとしていて、脚も鹿の脚のように細かった。顔は美人というほどではなかった。けれども保吉は、ただ美しいだけのヒロインが出てくる近代小説を、読んだことがなかった。作者はたいてい「彼女は美人ではない。しかし……」とことわっている。だから保吉も「しかし」をつけ加えよう。顔は美人というほどではない。しかし、ちょっと鼻の先の上がった、愛きょうのある丸顔である。

When Yasukichi saw her, his heart did not beat fast like in a love story. He only thought, "Oh, she's here," just as he did when he saw the admiral of the naval base or the cat at the station shop. On days when she was not there, he felt something like disappointment. But it was not a strong feeling. When the shop cat disappeared for a few days, he felt just as lonely.

お嬢さんを見ても、保吉の胸は恋愛小説のように高鳴りはしなかった。顔なじみの鎮守府司令長官や、売店の猫を見たときと同じように、「いるな」と思うだけだった。お嬢さんの姿が見えない日には、何か失望に似たものを感じた。とはいえ、強い気持ちではない。売店の猫が二、三日姿を消したときにも、保吉はまったく同じさびしさを感じたのだから。

Then one cloudy afternoon in late March, Yasukichi came back on the four twenty train as usual. When he got off at the station, a train going the other way had just arrived. In the crowd, he looked at the people getting off. And there, to his surprise, was the young lady. She suddenly appeared before him in her silver-gray clothes, like a cloud with sunlight shining through it, or like the soft silver buds of a pussy willow. At that moment, without thinking, Yasukichi bowed to her.

ところが三月の終わり、ある曇った午後のこと。保吉はいつものように、四時二十分着の汽車で帰ってきた。駅に降りると、反対方向の汽車がちょうど着いたところだった。人ごみの中で、降りてくる人々をながめていると、驚いたことに、あのお嬢さんがいた。日の光をすかした雲のような、あるいは猫柳の花のような銀ねずみ色の姿が、不意に目の前に現れたのである。その瞬間、保吉は思わず、お嬢さんにお辞儀をしてしまった。

She must have been surprised. But he does not remember what her face looked like. "Oh no!" he thought, and his ears began to burn. But one thing he remembers clearly. She bowed back to him!

お嬢さんはびっくりしたにちがいない。けれども、どんな顔をしたのか、保吉は覚えていない。「しまった」と思ったとたん、耳がかっと熱くなった。けれども、これだけははっきり覚えている。お嬢さんも、保吉にお辞儀を返したのだ!

Outside the station, Yasukichi was angry at his own foolishness. Why had he bowed? It was a reflex, like blinking when lightning flashes. But what did she think of him? Maybe she had bowed back only from surprise. She might think he was a bad young man.

駅の外へ出ると、保吉は自分の愚かさに腹が立った。なぜお辞儀などしてしまったのだろう。あれはまったくの反射だった。稲妻が光ったとたんに、まばたきをするのと同じだ。だが、お嬢さんはどう思っただろう。お辞儀を返したのも、驚いたはずみだったのかもしれない。今ごろは、保吉を不良少年だと思っていそうだった。

Instead of going home, he went to the empty beach and lit his pipe. Tomorrow morning he would surely meet her again. If she thought he was a bad young man, she would not even look at him. But if not, she might return his bow again. Did he really plan to bow to her again? No, he did not. But once they had bowed, they might bow to each other again someday. And if they did... He suddenly remembered how beautiful her eyebrows were.

保吉は下宿へ帰らずに、人けのない砂浜へ行って、パイプに火をつけた。明日の朝になれば、必ずまたお嬢さんと顔を合わせる。不良少年だと思っていれば、こちらを見もしないだろう。だが、そう思っていなければ、またお辞儀を返してくれるかもしれない。それなら自分は、本当にもう一度お辞儀をするつもりなのか。いや、そのつもりはない。けれども一度お辞儀をした以上、いつかまた、たがいにお辞儀をし合うこともありそうだ。もしそうなれば……保吉はふと、お嬢さんの眉の美しかったことを思い出した。

Seven or eight years have passed since then, but he still remembers clearly how quiet the sea was that day. He sat there for a long time, with his cold pipe in his mouth.

それから七、八年たった今も、その日の海の静かさだけは、妙にあざやかに覚えている。保吉はその海を前に、火の消えたパイプをくわえたまま、いつまでもそこに座っていた。

The next morning, at five minutes to eight, Yasukichi was walking along the crowded platform. His heart was tense. He felt like a boxer just before a match with a strong opponent. He even had a strange fear that when he met her, he might do something crazy, like sticking out his tongue at her. Nervously, he looked around at the people, half searching for her and half not.

翌朝の八時五分前。保吉は、人のこみ合ったプラットフォームを歩いていた。心は張りつめていた。強敵との試合をひかえたボクサーのような気持ちだった。それどころか、お嬢さんと顔を合わせたとたん、いきなり舌を出すとか、何かとんでもないことをしでかしはしないかと、妙に不安だった。保吉はひやひやしながら、捜すような捜さないような目で、あたりの人々を見回した。

Then he saw her walking slowly toward him. He walked straight on, as if to meet his fate. Ten steps, five steps, three steps. Now she was right in front of him. Yasukichi looked straight at her face, and she looked calmly at him too. They were about to pass each other with nothing happening.

すると、ゆっくりとこちらへ歩いてくるお嬢さんの姿が目に入った。保吉は運命を迎えるように、まっすぐに歩き続けた。十歩、五歩、三歩。お嬢さんはもう目の前にいた。保吉はまともにお嬢さんの顔を見た。お嬢さんも、落ち着いた目で保吉を見ていた。二人は、何事もなくすれちがおうとしていた。

At that very moment, he noticed something like a flicker of feeling in her eyes. At the same time, he felt a strong wish to bow to her with his whole body. But it all lasted only an instant. She had already passed him quietly, like a cloud with sunlight shining through it, or like a pussy willow in bloom.

ちょうどそのときだった。保吉は突然、お嬢さんの目に、何か心のゆれのようなものが浮かんだのに気づいた。同時に、体じゅうでお辞儀をしたいという衝動を感じた。けれども、それはほんの一瞬のことだった。お嬢さんはもう、静かに保吉のそばを通りすぎていた。日の光をすかした雲のように、あるいは花をつけた猫柳のように。

About twenty minutes later, Yasukichi sat in the swaying train with his pipe in his mouth. Her eyebrows were not the only beautiful thing about her. Her eyes were dark and cool, and her nose turned up a little... But was this what people call love? He does not remember how he answered that question. He remembers only a pale sadness that had come over him.

二十分ほどのち、保吉は揺れる汽車の中で、パイプをくわえていた。お嬢さんは、眉ばかりが美しかったわけではない。目も黒くて涼しかったし、心もち上を向いた鼻も……。しかし、こんなことを考えるのは、やはり恋というのだろうか。その問いにどう答えたのか、保吉は覚えていない。覚えているのは、いつのまにか心をおおっていた、うす明るい憂鬱だけである。

Watching the thin line of smoke from his pipe, he kept thinking about her. The train ran on through the valleys between the hills, half lit by the morning sun. "Tratata tratata tratata trararach."

パイプから立ちのぼる一すじの煙を見つめたまま、保吉はお嬢さんのことばかり考え続けた。汽車は、朝日に半ば照らされた山あいの谷間を走っていった。「Tratata tratata tratata trararach(トラタタ、トラタタ、トラタタ、トララッハ)」

全訳をまとめて読む 読み終わってからの答え合わせに

保吉は三十になったばかりだった。文章を売って暮らす者がみなそうであるように、目まぐるしい毎日を送っていて、昔のことはめったに考えなかった。それでもときどき、過去のある場面が、ふっとあざやかによみがえることがあった。たいていは、においがきっかけだった。たとえば汽車の煙のにおいなど、誰もかぎたいとは思わないだろう。けれども保吉は、そのにおいをかぐと、何年も前に会ったあるお嬢さんの記憶が、煙突から飛び散る火花のように、たちまちよみがえってくるのだった。

そのお嬢さんに会ったのは、当時保吉が住んでいた、海辺の町の駅である。保吉は毎日、朝は八時の汽車に乗り、午後は四時二十分に着く汽車で帰ってきた。毎日同じ汽車に乗っていれば、一ダースほどの顔なじみはすぐにできる。お嬢さんもその一人だった。ただ、見かけるのは朝だけで、午後に会ったことは一度もなかった。

お嬢さんは十六か十七だった。いつも銀ねずみ色の洋服を着て、銀ねずみ色の帽子をかぶっていた。背はむしろ低いほうだったが、見たところはすらりとしていて、脚も鹿の脚のように細かった。顔は美人というほどではなかった。けれども保吉は、ただ美しいだけのヒロインが出てくる近代小説を、読んだことがなかった。作者はたいてい「彼女は美人ではない。しかし……」とことわっている。だから保吉も「しかし」をつけ加えよう。顔は美人というほどではない。しかし、ちょっと鼻の先の上がった、愛きょうのある丸顔である。

お嬢さんを見ても、保吉の胸は恋愛小説のように高鳴りはしなかった。顔なじみの鎮守府司令長官や、売店の猫を見たときと同じように、「いるな」と思うだけだった。お嬢さんの姿が見えない日には、何か失望に似たものを感じた。とはいえ、強い気持ちではない。売店の猫が二、三日姿を消したときにも、保吉はまったく同じさびしさを感じたのだから。

ところが三月の終わり、ある曇った午後のこと。保吉はいつものように、四時二十分着の汽車で帰ってきた。駅に降りると、反対方向の汽車がちょうど着いたところだった。人ごみの中で、降りてくる人々をながめていると、驚いたことに、あのお嬢さんがいた。日の光をすかした雲のような、あるいは猫柳の花のような銀ねずみ色の姿が、不意に目の前に現れたのである。その瞬間、保吉は思わず、お嬢さんにお辞儀をしてしまった。

お嬢さんはびっくりしたにちがいない。けれども、どんな顔をしたのか、保吉は覚えていない。「しまった」と思ったとたん、耳がかっと熱くなった。けれども、これだけははっきり覚えている。お嬢さんも、保吉にお辞儀を返したのだ!

駅の外へ出ると、保吉は自分の愚かさに腹が立った。なぜお辞儀などしてしまったのだろう。あれはまったくの反射だった。稲妻が光ったとたんに、まばたきをするのと同じだ。だが、お嬢さんはどう思っただろう。お辞儀を返したのも、驚いたはずみだったのかもしれない。今ごろは、保吉を不良少年だと思っていそうだった。

保吉は下宿へ帰らずに、人けのない砂浜へ行って、パイプに火をつけた。明日の朝になれば、必ずまたお嬢さんと顔を合わせる。不良少年だと思っていれば、こちらを見もしないだろう。だが、そう思っていなければ、またお辞儀を返してくれるかもしれない。それなら自分は、本当にもう一度お辞儀をするつもりなのか。いや、そのつもりはない。けれども一度お辞儀をした以上、いつかまた、たがいにお辞儀をし合うこともありそうだ。もしそうなれば……保吉はふと、お嬢さんの眉の美しかったことを思い出した。

それから七、八年たった今も、その日の海の静かさだけは、妙にあざやかに覚えている。保吉はその海を前に、火の消えたパイプをくわえたまま、いつまでもそこに座っていた。

翌朝の八時五分前。保吉は、人のこみ合ったプラットフォームを歩いていた。心は張りつめていた。強敵との試合をひかえたボクサーのような気持ちだった。それどころか、お嬢さんと顔を合わせたとたん、いきなり舌を出すとか、何かとんでもないことをしでかしはしないかと、妙に不安だった。保吉はひやひやしながら、捜すような捜さないような目で、あたりの人々を見回した。

すると、ゆっくりとこちらへ歩いてくるお嬢さんの姿が目に入った。保吉は運命を迎えるように、まっすぐに歩き続けた。十歩、五歩、三歩。お嬢さんはもう目の前にいた。保吉はまともにお嬢さんの顔を見た。お嬢さんも、落ち着いた目で保吉を見ていた。二人は、何事もなくすれちがおうとしていた。

ちょうどそのときだった。保吉は突然、お嬢さんの目に、何か心のゆれのようなものが浮かんだのに気づいた。同時に、体じゅうでお辞儀をしたいという衝動を感じた。けれども、それはほんの一瞬のことだった。お嬢さんはもう、静かに保吉のそばを通りすぎていた。日の光をすかした雲のように、あるいは花をつけた猫柳のように。

二十分ほどのち、保吉は揺れる汽車の中で、パイプをくわえていた。お嬢さんは、眉ばかりが美しかったわけではない。目も黒くて涼しかったし、心もち上を向いた鼻も……。しかし、こんなことを考えるのは、やはり恋というのだろうか。その問いにどう答えたのか、保吉は覚えていない。覚えているのは、いつのまにか心をおおっていた、うす明るい憂鬱だけである。

パイプから立ちのぼる一すじの煙を見つめたまま、保吉はお嬢さんのことばかり考え続けた。汽車は、朝日に半ば照らされた山あいの谷間を走っていった。「Tratata tratata tratata trararach(トラタタ、トラタタ、トラタタ、トララッハ)」

日本語訳の一部には生成AIを使っており、AIによる3重のチェックと人の目で確かめています。まだ人の目を通っていない訳もあるため、ニュアンスがずれている所があるかもしれません。日本語訳について

日本語訳:多読ベスト

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読み終わったら、3問だけ。間違えても大丈夫。多読は「だいたいわかる」で十分です。

Q1. What usually brings back the memory of the young lady to Yasukichi?

Q2. What did the young lady do after Yasukichi bowed to her?

Q3. What happened the next morning on the platform?

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  • A1中学基礎 86%
  • A2高校入門 6.8%
  • B1受験コア 3.5%
  • B2難関大 1.7%
  • リストにない語 2%

本文の語の割合(人名などは数えていません)。「リストにない語」は固有名詞・古い言い方・やさしい複合語などです。

B2難関大の語 14語

B1受験コアの語 18語

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