Native Americans and the Birth of America ・ 3/5

ポカホンタスの実話:ディズニー映画と本当の話、そしてその後

映画では恋人。本当は10歳ほどの少女。人質、結婚、ロンドンを経て21歳ごろで亡くなった人の話。

ディズニー映画のポカホンタスは、ジョン・スミスと恋に落ちる大人の女性です。でも1607年にスミスと出会ったころ、本当の彼女は10〜11歳ほど。しかも「ポカホンタス」は本名ではなく、子どものころのあだ名でした。有名な「スミスの命を救った」場面は、スミス本人が17年後に書いた本にしか出てきません。誘拐されて人質になり、キリスト教徒「レベッカ」としてタバコ農園主と結婚し、宣伝のためにロンドンへ渡り、帰りの船で亡くなるまで。映画が描かなかった本当の話を、記録と部族の口承の両方からたどります。

1ポカホンタスの本名:「いたずらっ子」はあだ名だった

「ポカホンタス」は本名ではありません。生まれたときの名はアモヌート。マトアカという秘密の名も持っていました。ポカホンタスは子どものころのあだ名です。意味ははっきりせず、イギリス人の記録では「おてんば」に近い言葉で説明されています。アメリカ国立公園局は「遊び好きな子」、ポウハタンの子孫の団体は「いたずらっ子」「甘えん坊」に近い意味だとしています。

父はワフンセナカウ。今のヴァージニア州の海ぞいで、28〜32の部族をたばねた最高首長です。イギリス人は彼を、ふるさとの村の名から「ポウハタン」と呼びました。都はヨーク川ぞいのウェロウォコモコ。ポカホンタスは1596年ごろ、この首長の娘として生まれます。ただし『ヴァージニア百科事典』は、彼女は「ヨーロッパでいう王女ではない」と注意しています。

1607年5月14日、イギリスの男たちが、ウェロウォコモコから約12マイル(約19キロ)はなれた島に上陸し、砦を築きました。ジェームズタウンです。ロンドンを出たときは104人。このときポカホンタスは10〜11歳ごろでした。砦では、イギリスの少年たちが側転をするのを見て、自分も砦じゅうを回ってまねをしたという記録が残っています。食べ物や毛皮を運ぶ大人たちについて来て、父の伝言を届けることもありました。

2ポカホンタスの史実:スミスの命を「救った」話は本当?

映画でいちばん有名な場面。棍棒がふり下ろされる直前、少女がスミスの頭を自分の頭でかばいます。実はこの話の出どころは、スミス本人が書いたものだけです。

1607年12月、川をさかのぼって探検していたスミスは、ポウハタンの人々に捕らえられ、ウェロウォコモコへ連れて行かれました。翌1608年に出た最初の報告『真実の話(A True Relation)』では、ポウハタンはスミスをごちそうでもてなし、話を聞いたとあるだけ。命を救われた話は出てきません。

救出の場面がくわしく書かれたのは、1624年の『ヴァージニア通史(Generall Historie)』です。ポカホンタスが亡くなって7年後でした。同じ本に載せた「1616年に王妃アンにあてた手紙」にも、この話が出てきます。

本当にあったのでしょうか。答えは「わからない」です。考え方は大きく3つ。1つめは、評判を取りもどしたいスミスが話をふくらませたという説。2つめは、何かは起きたが、それは仲間として迎え入れる儀式で、スミスが「処刑」と思いこんだという説。ジェームズタウンの発掘チームも、儀式の一部だった可能性が高いとしています。3つめは、作り話だという説です。マタポニ族の口承では、儀式の場に子どもは入れなかったので、ポカホンタスはそこにいなかったとされます。

スミスは1609年10月、火薬の爆発事故で大けがをしてイギリスへ帰り、二度とヴァージニアには戻りませんでした。

3誘拐と結婚:ポカホンタスが「レベッカ」になった1613〜1614年

1613年の春、ポカホンタスは父の都から遠いポトマック川ぞいの村にいました。それを知ったサミュエル・アーガル船長は、村の首長イオパサスに「ポウハタンと戦うなら味方になる」ともちかけます。イオパサスとその妻たちにさそわれ、ポカホンタスはアーガルの船トレジャー号に乗り、そのまま連れ去られました。イギリス側は、捕らわれた仲間と、うばわれた武器や道具を返すよう父に求めます。人質でした。

約1年、ポカホンタスはヘンリカスという町で、牧師アレクサンダー・ウィテカーから英語とキリスト教を学びます。そして洗礼を受け、「レベッカ」という名をもらいました。ジェームズタウンの発掘チームは、この名を「二つの民の母」という意味をこめたものと説明しています。

1614年4月5日、ジェームズ砦の中の教会で、ジョン・ロルフと結婚しました。17〜18歳ごろです。ロルフは、カリブ海(トリニダード島とも)から手に入れたタバコの種を育てた農園主。のちにタバコは、ヴァージニアを支える作物になります。ロルフが総督にあてた手紙には、結婚を望む自分の心が「入り組んだ迷路」にいる、と書かれていました。2010年、発掘チームはこの結婚式の教会の跡を見つけています。

結婚のあと、両者の間には「ポカホンタスの平和」と呼ばれる約8年の平和が続き、1615年には息子トマスが生まれました。ただ、本人がこの結婚を望んだのか、人質として選ぶ道がなかったのかは、彼女自身の言葉が残っていないためわかりません。

4ポカホンタスのその後:ロンドンの宮廷と、21歳ごろの死

1616年、ポカホンタスは夫と幼いトマスと一緒に大西洋を渡りました。費用を出したのはヴァージニア会社です。植民地にお金を出す人を集めるため、「キリスト教徒になった首長の娘」を見せる宣伝の旅でした。一行には、ほかにもポウハタンの人々が十数人いました。

ロンドンでは「レディ・レベッカ・ロルフ」として注目を集めます。1617年1月には、ホワイトホール宮殿で開かれた仮面劇の席で国王ジェームズ1世に会いました。ヴァージニア会社が作らせた肖像は、本人を見て描かれた、ただ一つの姿です。レースの大きなえりに背の高い帽子という、イギリスの貴婦人の服装でした。

ロンドンで、死んだと思っていたスミスとも8年ぶりに再会します。ポカホンタスは顔をそむけ、しばらく口をききませんでした。そしてスミスを「父」と呼び、イギリス人は「よくうそをつく」と責めたと、スミス自身が書いています。

1617年3月、ヴァージニアへ帰る船がテムズ川を下り始めてまもなく、ポカホンタスは重い病気になり、グレーヴセンドの町で亡くなりました。21歳ごろとされます。死因はわかっていません。肺炎、結核、赤痢などの説があり、マタポニ族の口承は毒を盛られたと伝えています。夫ロルフによると、最期に「人はみな死ぬもの。子どもが生きていれば十分」と語ったそうです。

3月21日、聖ジョージ教会に葬られました。しかし教会は1727年に火事で焼け、墓の正確な場所はわかりません。1958年からは、教会の庭に等身大のブロンズ像が立っています。トマスはイギリスに残って育ち、1635年にヴァージニアへ渡りました。

5マタポニ族の口承が語る、もう一つのポカホンタス

ここまでの話の多くは、スミスやロルフなどイギリス人が書いた記録がもとです。ポカホンタス本人が書いたものは、1行も残っていません。

2007年、ヴァージニア州のマタポニ族のリンウッド・カスタロー(リトル・ベア)とアンジェラ・ダニエル(シルバー・スター)が、『The True Story of Pocahontas: The Other Side of History(ポカホンタスの本当の話:歴史のもう一つの側面)』を出しました。部族の中で語りつがれてきた話をまとめた本です。

部族の口承では、マトアカは「二つの川の間の花」、ポカホンタスは「笑う、楽しげな子」という意味だとされます。母はポウハタンの最初の妻で、ポカホンタスは母の名をもらったとも伝えます。さらに、彼女にはココウムという最初の夫がいて、誘拐のあとイギリス人に殺されたと語ります。ココウムの名は、イギリス側の記録にも1か所だけ出てきます。そして、彼女の死は病気ではなく毒によるものだった、としています。

こうした口承には、ほかの歴史家から異論もあります。400年近く正確に語りつがれたのか、確かめる方法がないからです。いっぽうで、イギリス人の記録も、書いた人の立場や都合でかたよっているかもしれません。アメリカ国立公園局のページは、記録と口承を並べ、食いちがう点をそのまま示しています。

6ディズニー『ポカホンタス』と先住民の声:映画はどう作られた?

1995年6月、ニューヨークのセントラルパークで、ディズニーのアニメ映画『ポカホンタス』のプレミア上映が開かれました。世界の興行収入は約3億4,600万ドル。翌1996年のアカデミー賞では、主題歌「カラー・オブ・ザ・ウィンド」が歌曲賞を、アラン・メンケンとスティーヴン・シュワルツの音楽が作曲賞(ミュージカル・コメディ部門)を受けました。

主人公の話す声はアイリーン・ベダード。アラスカ生まれで、母はイヌピアットとユピック、父はクリーの血を引く先住民の俳優です。歌はジュディ・キューン、スミスの声はメル・ギブソンでした。

作り手は、10〜11歳だった少女を大人の女性に変え、スミスとの恋を物語の中心にしました。ロルフとの結婚は、子ども向けには複雑で暴力的すぎるとして描いていません。

先住民の側からは批判が出ました。ポウハタンの子孫を名のる団体の代表ロイ・クレイジー・ホースは「歴史をゆがめている」とする文章を発表し、正確さのための協力の申し出も断られたと書いています。助言役を務めたポウハタンの子孫シャーリー・カスタロー=マクゴーワンも、のちに「自分の名前が載っていなければよかった」と語りました。いっぽう、父ポウハタンの声を演じた活動家ラッセル・ミーンズは、映画をほめています。先住民の中でも、評価は分かれたのです。

ちなみに、ポカホンタスの相棒のアライグマはミーコ。英語の raccoon(アライグマ)は、ほかならぬポウハタンの言葉から英語に入った単語です。

🎬Film vs. History映画と史実、ここが違う

左が映画の描き方、右が記録からわかる本当の話です。カードを押すと右側がめくれます。

🎞️ ポカホンタスが出てくるおもな映画

ポカホンタスPocahontas(1995)ディズニー(アニメ)

アカデミー賞の歌曲賞と作曲賞を受けた名作。風景と音楽は見事だが、10歳ほどだった少女を大人にし、スミスとの恋に作りかえている。ポウハタンの子孫の団体などから強い批判が出た。

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ポカホンタスII イングランドへの旅立ちPocahontas II: Journey to a New World(1998)ディズニー(アニメ・ビデオ作品)

イギリスへの旅が舞台。国王ジェームズ1世に会う場面は史実にもとづくが、ロルフとの出会いの順序は逆で、彼女の死も描かれない。声はアイリーン・ベダードが続投。

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ニュー・ワールドThe New World(2005)テレンス・マリック監督(実写)

言語学者が記録から組み立て直したポウハタン語を俳優が話す。主演は撮影当時14歳のクオリアンカ・キルヒャー。ベダードは母親役。スミスとの恋はやはり史実とは言えない。

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🕰️Timeline年表

  1. 1596年ごろポカホンタス(アモヌート)が、最高首長ワフンセナカウ(ポウハタン)の娘として生まれる。
  2. 1607年5月14日イギリスの入植者がジェームズタウンに上陸し、砦を築く。
  3. 1607年12月ジョン・スミスが捕らえられ、ウェロウォコモコでポウハタンに会う。ポカホンタスは10〜11歳ごろ。
  4. 1609年10月火薬の事故で大けがをしたスミスがイギリスへ帰る。
  5. 1613年春サミュエル・アーガルがポカホンタスを船に誘いこんで連れ去り、人質にする。
  6. 1614年4月5日洗礼名レベッカとなったポカホンタスが、ジェームズ砦の教会でジョン・ロルフと結婚する。
  7. 1615年息子トマス・ロルフが生まれる。
  8. 1616年ヴァージニア会社の宣伝のため、一家でイギリスへ渡る。
  9. 1617年1月ホワイトホール宮殿の仮面劇で、国王ジェームズ1世に会う。
  10. 1617年3月21日帰国の途中に亡くなり、グレーヴセンドの聖ジョージ教会に葬られる。
  11. 1624年スミスが『ヴァージニア通史』で、ポカホンタスに命を救われた話をくわしく書く。
  12. 1995年6月ディズニーのアニメ映画『ポカホンタス』が公開される。

👤Peopleこの話の人物

ポカホンタス(アモヌート、マトアカ)Pocahontas (Amonute, Matoaka) ・ 1596ごろ〜1617
ポウハタンの最高首長の娘

子どものころからジェームズタウンの砦に出入りし、両者の間をつなぐ役を果たした。1613年に人質となり、洗礼名レベッカとしてジョン・ロルフと結婚。イギリスで21歳ごろ亡くなった。

ワフンセナカウ(ポウハタン)Wahunsenacawh (Powhatan) ・ 生年不明〜1618
ポウハタン連合の最高首長

今のヴァージニア州東部で28〜32の部族をたばねた。イギリス人はふるさとの村の名から「ポウハタン」と呼んだ。1618年4月に、その死がイギリス人に伝えられた。

ジョン・スミスJohn Smith ・ 1580〜1631
ジェームズタウンの指導者の一人

1608年に植民地の議長となった軍人。1609年に火薬の事故でイギリスへ帰った。ポカホンタスに命を救われた話は、1624年の本でくわしく書いた。

ジョン・ロルフJohn Rolfe ・ 1585ごろ〜1622
タバコ農園主、ポカホンタスの夫

1609年、ヴァージニアへ向かう船がバミューダで難破し、10か月ほど島で過ごしたのちに到着した。カリブ海から手に入れたタバコの種を育て、1614年にポカホンタスと結婚した。

アイリーン・ベダードIrene Bedard ・ 1967〜
俳優、ディズニー映画のポカホンタスの声

アラスカ州アンカレッジ生まれ。母はイヌピアットとユピック、父はクリーの血を引く。1995年と1998年のディズニー映画で主人公の話す声を演じ、2005年の『ニュー・ワールド』ではポカホンタスの母を演じた。

🔊Read in English英語で読もう:The Real Pocahontas

このページの話を、やさしい英語(CEFR A2)で。▶で英文をタイトルから通して聞けます。「和訳」ボタンで日本語訳を表示できます。

The Real Pocahontas

CEFR A2
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252 words

Her real name was Amonute. Pocahontas was only a nickname, and it probably meant a playful child. Her father, Powhatan, was the leader of about 30 tribes in Virginia. In May 1607, English men built a fort at a place they called Jamestown. At that time, Pocahontas was only about ten or eleven years old. She sometimes visited the fort and played with the English boys.

彼女の本当の名前はアモヌートでした。ポカホンタスはただのあだ名で、たぶん「遊び好きな子」という意味でした。父のポウハタンは、ヴァージニアの約30の部族をたばねるリーダーでした。1607年5月、イギリスの男たちが、ジェームズタウンと名づけた場所に砦を作りました。そのころ、ポカホンタスはまだ10歳か11歳ほどでした。彼女はときどき砦を訪れて、イギリスの少年たちと遊びました。

In December 1607, Powhatan's men caught an English captain named John Smith. Many years later, Smith wrote an exciting story about it. He said that Pocahontas saved his life by putting her head on his. But this story is not in his first report from 1608. Some historians think it was really a special ceremony to welcome him. Nobody knows for sure.

1607年12月、ポウハタンの部下たちが、ジョン・スミスというイギリスの船長を捕まえました。何年もあとになって、スミスはそのときのことを、はらはらする話として書きました。ポカホンタスが自分の頭を彼の頭の上にのせて、命を救ってくれたというのです。でも、この話は1608年の彼の最初の報告には出てきません。本当は彼を迎え入れるための特別な儀式だった、と考える歴史家もいます。確かなことは、だれにもわかりません。

In 1613, the English took Pocahontas onto a ship and kept her for about a year. During that time, she learned English and became a Christian named Rebecca. In 1614, she married John Rolfe, a man who grew tobacco. The marriage brought peace for some years, and soon they had a son named Thomas.

1613年、イギリス人はポカホンタスを船に乗せて連れ去り、約1年間とらえておきました。その間に、彼女は英語を学び、レベッカという名のキリスト教徒になりました。1614年、彼女はタバコを育てていたジョン・ロルフと結婚しました。この結婚で何年かの平和が訪れ、まもなく2人にはトマスという息子が生まれました。

In 1616, the family sailed to England. A company in London wanted people to see her and give money to the colony. She met King James and saw John Smith again. In March 1617, on the way home, she became very sick and died in England. She was only about 21 years old. Her real life was much harder than the movie, and her people still tell her story today.

1616年、一家は船でイギリスへ渡りました。ロンドンの会社は、人々に彼女を見せて、植民地にお金を出してもらいたかったのです。彼女はジェームズ王に会い、ジョン・スミスとも再会しました。1617年3月、帰る途中で重い病気になり、彼女はイギリスで亡くなりました。まだ21歳ほどでした。本当の人生は映画よりずっと厳しいものでした。そして彼女の部族の人々は、今もその物語を語りついでいます。

❓FAQよくある質問

ポカホンタスは実在の人物ですか?

はい、実在の人物です。1596年ごろ、今のアメリカ・ヴァージニア州で、ポウハタン連合の最高首長ワフンセナカウの娘として生まれ、1617年3月にイギリスで亡くなりました。ただしディズニー映画の物語の多くは作り話です。

ポカホンタスの本名は?名前の意味は?

本名はアモヌートで、マトアカという秘密の名もありました。ポカホンタスは子どものころのあだ名で、「遊び好きな子」「いたずらっ子」などの意味だとされますが、はっきりしません。洗礼を受けてからはレベッカと名のりました。

ポカホンタスとジョン・スミスは恋人だったのですか?

恋人だったことを示す記録はありません。1607年に出会ったとき、ポカホンタスは10〜11歳ごろ、スミスは26〜27歳でした。2人の恋は、映画などで後から作られた話と考えられています。

ポカホンタスがスミスを救った話は本当ですか?

わかっていません。この話を書いたのはスミス本人だけで、詳しく出てくるのは1624年の本です。1608年の最初の報告には出てきません。スミスが話を盛ったという説、迎え入れる儀式をスミスが処刑と思いこんだという説などがあります。

ポカホンタスはその後どうなりましたか?

1613年にイギリス人に誘拐されて人質となり、1614年にジョン・ロルフと結婚しました。1616年に夫と息子とイギリスへ渡り、国王ジェームズ1世にも会いましたが、帰国の途中の1617年3月に、21歳ごろで亡くなりました。

ポカホンタスの死因は何ですか?

はっきりわかっていません。肺炎、結核、赤痢などの説があります。部族の口承を伝えるマタポニ族の本は、毒を盛られたと伝えています。

ポカホンタスに子孫はいますか?

います。息子トマス・ロルフはイギリスで育ち、1635年にヴァージニアへ渡りました。トマスの娘ジェーンはロバート・ボーリングと結婚し、その子孫はヴァージニアの多くの家系に広がりました。

▶️Videos & Links動画とリンク集

How Pocahontas Redefined How Europeans Saw Native AmericansSmithsonian Channel

The Truth Behind the Legend of PocahontasPBS Origins

The Story of Pocahontas for Kids | History Made EasyBedtime History

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