
St. Patrick's Day
セント・パトリックス・デーの由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? セント・パトリックス・デーの本当の話を、確かな資料でたどります。
1セント・パトリックス・デーの由来:守護聖人は「さらわれた少年」だった
16歳くらいの少年が、海の向こうから来た男たちにさらわれました。連れて行かれたのは、見知らぬ島アイルランド。少年はそこで奴隷として、6年間、家畜の番をさせられます。この少年が、のちのアイルランドの守護聖人、聖パトリックです。
パトリックが生まれたのは、ローマ帝国の支配が終わりかけていたころのブリテン島(今のイギリス)。父は町の役人で教会の執事、祖父は司祭という家でした。つまり、アイルランドの守護聖人はアイルランド人ではなかったのです。
パトリック自身が書いた『告白(Confessio)』によると、ある夜「逃げなさい」という声を聞き、約200ローマ・マイル(約300km)を歩いて港へ行き、船に乗せてもらって故郷に帰りました。ところが彼は、のちに自分の意思で、かつて奴隷にされた島へ戻ります。キリスト教を伝えるためでした。
パトリックが生きたのは5世紀。正確な年はわかっていません。ラテン語で書いた文章は2つしか残っておらず、残りの多くの話はずっと後の時代に作られた伝説です。3月17日は、彼が亡くなった日だと伝えられています。
意外なことに、パトリックはローマ教皇から正式に「聖人」と認められる手続き(列聖)を受けたことはありません。正式な手続きができる前の時代の人で、人々が昔から聖人として敬ってきたのです。
1600年代の初め、アイルランド出身の修道士ルーク・ワディングの働きかけで、3月17日はカトリック教会の暦に正式に入りました。この日は四旬節(イースター前のがまんの期間)の最中ですが、聖パトリックの日だけは食事や飲酒の制限がゆるめられます。

2セント・パトリックス・デーの歴史:最初のパレードはアメリカだった
セント・パトリックス・デーのパレードは、アイルランドで生まれたと思いますよね。でも記録に残る最初のパレードは、1601年、今のアメリカ・フロリダ州にあったスペインの植民地セント・オーガスティンでのものです。
1762年3月17日には、イギリス軍にいたアイルランド人の兵士たちが、ふるさとを思いながらニューヨークの町を行進しました。これが今も続くニューヨークのパレードの始まりです。
パレードを大きくしたのは、19世紀のジャガイモ飢饉(ききん)です。1845年に大飢饉が始まると、その後の6年ほどで約100万人のアイルランドの人々がアメリカへ渡りました。貧しく差別も受けた移民たちにとって、3月17日は「自分たちはアイルランド人だ」と胸を張れる日になったのです。カナダのモントリオールでも、1824年から毎年パレードが続いています。
一方、本場アイルランドでは、長い間この日は静かな宗教の日でした。国の祝日になったのは1903年。最初のパレードも同じ年、南部の町ウォーターフォードで開かれました。しかも1927年から1961年まで、3月17日はパブでお酒を売ることが法律で禁止されていました。
流れが変わったのは1990年代です。アイルランド政府は観光のためにこの日を盛り上げようと考え、1996年、ダブリンで数日間にわたる「セント・パトリックス・フェスティバル」が始まりました。2010年からは、アイルランド政府観光庁の呼びかけで、世界の有名な建物を緑にライトアップする「グローバル・グリーニング」が始まり、これまでに50か国の300以上の場所が参加しています。
🕰️ セント・パトリックス・デーの年表
- 5世紀ブリテン島生まれのパトリックが、アイルランドでキリスト教を広める。3月17日は彼が亡くなった日と伝えられる。
- 1601年スペイン領セント・オーガスティン(今のアメリカ・フロリダ州)で、記録に残る最初のパレード。
- 1600年代初め修道士ルーク・ワディングの働きかけで、3月17日がカトリック教会の暦に正式に入る。
- 1680年代3月17日に緑のリボンやシャムロックを身につける習慣が記録される。
- 1726年パトリックがシャムロックで三位一体を説明したという話が、初めて文章に書かれる。
- 1762年ニューヨークでアイルランド系の兵士たちが行進。今に続くニューヨークのパレードの始まり。
- 1783年聖パトリック勲章が作られ、青が聖パトリックの色になる。
- 1824年カナダのモントリオールで、今も毎年続くパレードが始まる。
- 1845年〜アイルランドの大飢饉。その後の数年で約100万人がアメリカへ渡る。
- 1903年アイルランドで国の祝日になる。ウォーターフォードで国内初のパレード。
- 1927〜1961年アイルランドで、3月17日のパブでの酒類販売が法律で禁止される。
- 1962年シカゴ川を初めて緑に染める。
- 1992年東京・表参道で、日本初のセント・パトリックス・デー・パレード。
- 2010年世界の名所を緑にライトアップする「グローバル・グリーニング」が始まる。
3名前と色の意味:聖パトリックの色は、もとは「青」だった
アイルランド語では、この日を Lá Fhéile Pádraig(ロー・エーレ・パードリグ。Fh は発音しない)と呼びます。「パトリックの祭りの日」という意味です。
英語の短い呼び方は St. Patrick's Day のほか、Paddy's Day。Paddy(パディ)はアイルランド語の名前 Pádraig(パードリグ)の愛称です。アメリカでは St. Patty's Day と書く人もいますが、アイルランドの人からは「Patty は女性の名前 Patricia の愛称だよ」とよくつっこまれます。
この日といえば緑。でも、聖パトリックと結びついた色は、もともと青でした。1783年にイギリス王がアイルランドの騎士団「聖パトリック勲章」を作ったとき、その色に選んだのが空色に近い青で、今も「セント・パトリックス・ブルー」と呼ばれています。
一方、緑はもっと民衆の色でした。1680年代には、もう3月17日に緑のリボンやシャムロックを身につける習慣がありました。1790年代、イギリスからの独立を求めた「ユナイテッド・アイリッシュメン」が緑をシンボルにし、1798年に反乱を起こします。緑を身につけることが、アイルランド人としての誇りを示すことになったのです。「エメラルドの島」というアイルランドの呼び名が初めて詩に出てきたのも、1795年のことでした。
今では「the wearing of the green(緑を身につけること)」が、この日のいちばんの決まりごとです。
4海外のセント・パトリックス・デー:川も、タワーも、緑に染まる日
シカゴの町の真ん中を流れるシカゴ川。毎年3月、この川があっという間に目の覚めるような緑色に変わります。
始まりは1962年。もともと配管工たちは、川に汚水を流している場所を探すために、水に色をつける染料を使っていました。それを見て「この日に川を緑にしよう」と思いついたのです。最初の年に使った染料は約100ポンド(約45kg)。今は環境にやさしい植物性の染料を約40ポンドだけ使い、3月17日より前の土曜日(17日が土曜日なら当日)の朝にまきます。染料の正確な中身は秘密です。
ニューヨークのパレードは、1762年から続く世界有数のパレードです。5番街を約15万人が行進し、約200万人が見物します。行進するのは、学校のマーチングバンド、消防士、警察官、アイルランド系の団体など。バグパイプの音が町中に響きます。
アメリカで、アイルランドにルーツがあると答えた人は約3860万人(2020年の国勢調査)。アイルランド共和国の人口(約546万人)の約7倍です。だからアメリカでは、アイルランド系でない人も「今日だけはみんなアイルランド人」と言って楽しみます。緑の服を着ていない人は友だちにつねられる、という子どもの遊びもあります。
ワシントンでは、毎年アイルランドの首相がアメリカ大統領に、シャムロックを入れたクリスタルの器を贈ります。始まりは1952年、アイルランドの大使がトルーマン大統領にシャムロックを送ったことでした。
食卓には、コンビーフとキャベツの煮込み。ところがこれは、実はアイルランドではなくアメリカ生まれの料理です(詳しくは「誤解とホント」で)。
🎁 シンボルと小物
三つ葉のクローバーの仲間。名前はアイルランド語の seamróg(若いクローバー)から。この日は胸に本物の葉を飾る。
アイルランドの民話に出てくる小さな妖精。靴を作る職人で、虹のふもとに金の壺をかくしているとされる。最古の記録は8世紀の物語。
アイルランドの国のシンボル。硬貨やパスポート、ギネスビールのラベルにも描かれている。
「エメラルドの島」アイルランドの色。1790年代から、アイルランドの誇りを表す色になった。
虹のふもとにレプラコーンがかくしているという宝物。カードや飾りの定番。
十字に輪を重ねたアイルランドの古い十字架の形。教会や墓地でよく見られる。
🍽️ この日の食べ物
アメリカのセント・パトリックス・デーの定番料理。実はアメリカに渡ったアイルランド移民が生んだ料理。corned は粒の大きい塩(corns)で漬けたという意味。
アイルランドの家庭料理。塩漬けの豚肉とキャベツ、ジャガイモをいっしょに煮る。
イーストの代わりに重曹でふくらませる、アイルランドの素朴なパン。表面に十字の切れ目を入れて焼く。
羊肉、ジャガイモ、タマネギをじっくり煮込んだ、アイルランドを代表する煮込み料理。
マッシュポテトにキャベツやケールを混ぜた料理。バターをたっぷりのせて食べる。
5本場アイルランドのセント・パトリックス・デー:教会、パレード、そして乾杯
アイルランドでは、3月17日は国の祝日です。もともと宗教の祝日なので、朝は教会のミサに行く家族も多く、胸にはシャムロックの小さな葉を飾ります。
首都ダブリンでは、3月17日を最後の日として数日間のフェスティバルが開かれます。2027年は3月13日から17日まで。メインのパレードには、2009年に67万5000人以上が集まりました。地元の団体や、世界中から来たマーチングバンドが通りを行進します。
昔からの習慣もあります。20世紀の初めごろまでは、紙で作った十字に色とりどりの絹のリボンを飾り、まん中に緑のバラ飾りをつけた「セント・パトリックス・デー・クロス」を子どもたちが身につけていました。
1日の終わりには「シャムロックを溺れさせる(drowning the shamrock)」という乾杯があります。胸に飾っていたシャムロックをグラスに落とし、聖パトリックやアイルランドに乾杯して飲みほします。最後にシャムロックを肩ごしに投げると幸運が来る、とも言われます。
日付にまつわる珍しい話も。2008年は3月17日がイースター直前の「聖週間」と重なったため、教会での聖パトリックの祝日が3月15日に移されました。次に同じことが起きるのは2160年です。
また、アイルランドの家庭で昔から食べられてきたのは、コンビーフではなく、塩漬けの豚肉(ベーコン)とキャベツの煮込みです。
6日本のセント・パトリックス・デー:表参道を緑の行列が行く
毎年3月、東京・原宿の表参道を、緑の帽子や服を身につけた人々が行進します。日本で最初のセント・パトリックス・デー・パレードが開かれたのは1992年。主催したのは、アイルランドを日本に紹介する団体「アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン」で、約1000人がバグパイプや太鼓と一緒に歩きます。
横浜の元町でも2004年からパレードが開かれ、「春の到来を告げる祭り」として知られています。2007年3月17日には、東京タワーが緑色にライトアップされました。アイリッシュパブでは、この日だけ特別なメニューやライブ演奏があります。
実は、日本人は知らないうちにアイルランドと深くつながっています。たとえば、明治時代から歌われてきた唱歌「庭の千草」。原曲は、アイルランドの詩人トーマス・ムーアが1805年に書いた『夏の名残のばら(The Last Rose of Summer)』です。日本では1884年(明治17年)、文部省の『小学唱歌集』に入りました。
もう1人は、『怪談』で知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。1850年にギリシャの島で生まれ、アングロ・アイリッシュ(イギリス系アイルランド人)の父を持ち、2歳でダブリンに移って、少年時代の多くをアイルランドで過ごしました。1890年に来日して松江で英語を教え、日本の幽霊や妖怪の話を英語で世界に紹介しました。
緑の服で春を迎えるパレードに、明治の唱歌、松江の怪談。遠く離れた二つの島国は、意外な糸でつながっているのです。
7セント・パトリックス・デーのよくある誤解とホントのところ
誤解1:「聖パトリックはアイルランド人」
生まれはブリテン島(今のイギリス)です。16歳ごろにさらわれてアイルランドへ連れて行かれ、のちに自分の意思で戻りました。
誤解2:「聖パトリックがアイルランドからヘビを追い出した」
アイルランドには、最後の氷河期のあと、もともとヘビがいませんでした。パトリックがヘビを追い払う話が書かれるようになったのは12世紀の終わりごろで、ずっと後の伝説です。
誤解3:「シャムロック=四つ葉のクローバー」
シャムロックは三つ葉です。パトリックが3枚の葉を使ってキリスト教の「三位一体(父と子と聖霊)」を説明したという話は有名ですが、これが文章に書かれたのは1726年が最初。四つ葉のクローバーは幸運のしるしで、シャムロックとは別物です。
誤解4:「レプラコーン(妖精)は緑の服」
今の絵では緑の服に緑の帽子ですが、20世紀より前のレプラコーンは、普通赤い服を着ていると考えられていました。緑になったのは、アイルランドの色と結びついてからです。
誤解5:「コンビーフとキャベツはアイルランドの伝統料理」
これはアメリカに渡ったアイルランド移民が作った料理です。故郷では牛肉は高く、豚の塩漬け肉を食べていました。アメリカでは牛肉のコンビーフが安く手に入ったので、ベーコンの代わりに使ったのです。
💡Fun Factsセント・パトリックス・デーの豆知識 10連発
シカゴ川を初めて緑に染めた1962年は、約100ポンド(約45kg)の染料を使った。今は植物性の染料を約40ポンドに減らし、中身は秘密にされている。
In 1962, Chicago used about 100 pounds of dye to make the river green.
20世紀より前、レプラコーンは赤い服を着ていると考えられていた。
Long ago, people thought leprechauns wore red, not green.
アイルランドでは1927年から1961年まで、3月17日はパブでお酒を売ってはいけなかった。
From 1927 to 1961, pubs in Ireland could not sell alcohol on March 17.
2008年は3月17日が聖週間と重なり、教会の聖パトリックの祝日が3月15日に移された。次に同じことが起きるのは2160年。
In 2008, the church moved the day to March 15. This will not happen again until 2160.
ホワイトハウスへのシャムロックの贈り物は、1952年にトルーマン大統領へ送られたのが始まり。今はアイルランド首相がクリスタルの器に入れて手渡す。
Every year, the leader of Ireland gives shamrocks to the American president.
2013年のセント・パトリックス・デー、カナダの宇宙飛行士クリス・ハドフィールドが国際宇宙ステーションから『ダニー・ボーイ』を歌った。
In 2013, an astronaut sang an Irish song from space on St. Patrick's Day.
アメリカでアイルランドにルーツがある人は約3860万人。アイルランド共和国の人口の約7倍。
More than 38 million Americans have Irish roots. That is about seven times the population of Ireland.
パトリックは、逃げ出したとき約200ローマ・マイル(約300km)を歩いて港までたどり着いたと書いている。
After he escaped, Patrick walked about 300 kilometers to find a ship.
小学唱歌「庭の千草」の原曲は、アイルランドの詩人トーマス・ムーアの『夏の名残のばら』(1805年)。
A famous Japanese school song comes from an Irish poem written in 1805.
モントセラトでは、3月17日はアイルランドの祝日であると同時に、1768年の奴隷たちの反乱計画を記念する日でもある。
On Montserrat, March 17 also remembers enslaved people who planned to fight for freedom in 1768.
▶️Videos & Linksセント・パトリックス・デーの動画とリンク集
St. Patrick’s Day Facts for Kids | March Holiday LessonHomeschool Pop
St. Patrick's Day: Bet You Didn't Know | HistoryHISTORY
VeggieTales | The Story of St. PatrickVeggieTales Official
▶ YouTubeで「who was Saint Patrick for kids」をもっと見る
Saint Patrick's Day - Wikipedia英語版ウィキペディア。世界各地の祝い方まで詳しい。
聖パトリックの祝日 - Wikipedia日本語版ウィキペディア。日本でのパレードの情報も。
Saint Patrick - Wikipedia聖パトリック本人の生涯と伝説についての記事。
History of St. Patrick's Day - HISTORYアメリカでのパレードやシカゴ川の歴史がわかる。
St. Patrick's Festival(公式サイト)ダブリンのフェスティバルの公式サイト。日程やパレードの情報。
Leprechaun - Wikipediaレプラコーンの伝説と、昔は赤い服だった話。