
End of the War Memorial Day
終戦の日(8月15日)の由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? 終戦の日(8月15日)の本当の話を、確かな資料でたどります。
1終戦の日とは?1945年8月15日の正午に何があったのか
1945年(昭和20年)8月15日の正午。日本中の人が、家や職場、学校の校庭で、ラジオの前に集まっていました。流れてきたのは、昭和天皇の声でした。多くの人にとって、天皇の声を聞くのはこれが初めてでした。この放送は「玉音放送」と呼ばれます。
国立公文書館の資料によると、ポツダム宣言の受諾は前日の8月14日の御前会議で決まりました。同じ日の閣議で「終戦の詔書」の文言がいくつか直されて確定し、その詔書が15日正午に玉音放送として国民に伝えられました。
放送は生放送ではありません。天皇は14日の夜11時すぎに宮内省で詔書を読み上げ、それがレコード盤に録音されました。その夜には、終戦に反対する一部の陸軍の将校がこの録音盤を奪おうとする事件も起きましたが、録音盤は見つからず、予定どおり放送されました。
ただ、放送を聞いた人の多くは、内容がよくわからなかったと言われています。詔書にはむずかしい漢語が多く、ラジオの雑音もひどかったからです。そのあとのアナウンサーの説明で、ようやく戦争が終わったことを知った人もいました。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という一節は、今もよく引用されます。

2終戦の日の歴史:正式な名前と全国戦没者追悼式
8月15日は国民の祝日ではありません。法律で決まった祝日ではなく、政府の閣議決定で位置づけられた日です。1982年4月13日の閣議決定で、正式に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされました。ニュースなどで使われる「終戦の日」「終戦記念日」は、そのよび名です。
この日の中心になるのが、政府主催の全国戦没者追悼式です。最初の式は1952年5月2日に東京の新宿御苑(しんじゅくぎょえん)で開かれました。1963年からは毎年8月15日に行われるようになり、1965年からは日本武道館が会場です。式では天皇・皇后両陛下や首相、全国から集まった遺族が参列し、正午の時報に合わせて1分間の黙とうをささげます。
追悼の対象は、戦争で亡くなった約310万人の日本人です。そのうち約230万人が軍人・軍属、約80万人が空襲や原爆などで亡くなった一般の人々とされています。
同じ正午、兵庫県の甲子園球場では、夏の全国高校野球の試合が中断されます。サイレンを合図に、選手も審判も観客も立ち上がり、1分間黙とうします。この習慣は1963年の第45回大会から続いています。
また8月15日は、多くの地域で月遅れのお盆の時期にも重なります。家族が集まり、亡くなった人をしのぶ季節でもあるのです。
🕰️ 終戦の日(8月15日)の年表
- 1945年8月14日御前会議でポツダム宣言の受諾が決まり、閣議で「終戦の詔書」の文言が確定。夜、天皇が詔書を読み上げて録音する。
- 1945年8月15日正午、玉音放送で戦争の終わりが国民に伝えられる。
- 1945年9月2日東京湾の戦艦ミズーリ上で降伏文書に署名。
- 1952年5月2日第1回の全国戦没者追悼式が新宿御苑で開かれる。
- 1963年8月15日に政府主催の全国戦没者追悼式を行うようになる。甲子園の正午の黙とうも始まる。
- 1982年4月13日閣議決定で8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とする。
3海外の終戦の日:8月15日の国、9月2日・3日の国
「第二次世界大戦が終わった日」は、国によってちがいます。
いちばん大きな分かれ目は9月2日です。1945年のこの日、東京湾に浮かぶアメリカの戦艦ミズーリの上で、日本の代表が連合国への降伏文書に署名しました。国立公文書館にも、この日に降伏文書調印に関する詔書が出されたことを示す資料が残っています。アメリカは、この9月2日を正式な「VJデー」(対日戦勝記念日)としています。
一方、8月15日を区切りとする国もあります。イギリスはこの日を「VJデー」とし、オーストラリアでは「VPデー」(太平洋戦争の勝利の日)と呼びます。韓国にとって8月15日は、日本の統治から解放されたことを祝う「光復節」という祝日です。北朝鮮もこの日を解放の記念日としています。
さらに9月3日を記念日とする国もあります。中国はこの日を「抗日戦争勝利記念日」とし、ロシアも9月3日を第二次世界大戦の終結に関わる記念日にしています。
同じ戦争の終わりでも、どの出来事を区切りにするかで日付が変わります。8月15日は、日本国内で戦争の終わりが伝えられた日、というのが正確な言い方かもしれません。
4よくある誤解とホント:8月15日にすべてが終わった?
誤解1:8月15日で戦闘はすべて止まった。
玉音放送のあとも、樺太(今のサハリン)や千島列島など、ソ連軍との戦闘が続いた地域がありました。千島列島の占守島では、8月18日から戦闘が起きています。
誤解2:終戦の日は国民の祝日。
祝日ではありません。正式な位置づけは、1982年の閣議決定による「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。
誤解3:玉音放送は生放送だった。
前の夜に録音したレコードを放送しました。放送で使われた録音盤の音声は、2015年に宮内庁が公開しています。
誤解4:放送を聞いて、すぐにみんなが内容を理解した。
むずかしい言葉と聞き取りにくい音のため、すぐにはわからなかった人も多かったと言われます。
誤解5:戦争で亡くなったのは兵士だけ。
追悼の対象となる約310万人のうち、約80万人は空襲や原爆などで亡くなった一般の人々です。東京や大阪などの都市だけでなく、全国の多くの町が空襲を受けました。
🎁 シンボルと小物
1945年8月15日正午、人々はラジオの前に集まって玉音放送を聞いた。
毎年この時刻に、全国で1分間の黙とうがささげられる。
全国戦没者追悼式では、参列者が白い菊の花を供える。
世界で平和のシンボルとされる鳥。
💡Fun Facts終戦の日(8月15日)の豆知識 5連発
玉音放送の録音盤は1枚に約3分しか入らなかったため、約5分の詔書は複数の盤に分けて録音されました。
Each record could hold only about 3 minutes, so the message used more than one record.
玉音放送の番組は、詔書の部分が約5分、前後のニュースや説明を合わせると約37分半ありました。
The emperor's part was about 5 minutes, but the whole radio program was about 37 and a half minutes.
甲子園の夏の高校野球では、1963年の第45回大会から、8月15日正午に試合を止めて1分間の黙とうをしています。
Since 1963, high school baseball games at Koshien stop at noon on August 15 for one minute.
全国戦没者追悼式の第1回は8月ではなく、1952年5月2日に新宿御苑で開かれました。
The first national memorial ceremony was held in May 1952, not in August.
アメリカのトルーマン大統領は日本の受諾を発表したとき、VJデーの宣言は正式な署名を待つと述べました。そのため、アメリカのVJデーは9月2日です。
The U.S. president said V-J Day had to wait for the signing, so it is September 2.
▶️Videos & Links終戦の日(8月15日)の動画とリンク集
The Day Japan Surrendered, Ending WWII | NBC NewsNBC News
Did Japan Surrender Because of the Atomic Bomb?Real Time History
The forgotten Civil War roots of Memorial DayAmerican Experience | PBS

