
Holi
ホーリー(色の祭り)の由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? ホーリー(色の祭り)の本当の話を、確かな資料でたどります。
1ホーリーの由来:火の中で守られた少年プラフラーダ
ホーリーの前の晩、北インドの町や村では、あちこちで大きなたき火が燃え上がります。人々は火のまわりを歩き、歌い、祈ります。この火には、ある少年の物語がこめられています。
昔、ヒラニヤカシプという悪い王がいました。王は「自分を神としてあがめよ」と命じましたが、息子のプラフラーダだけは、ヴィシュヌ神への祈りをやめません。怒った王は、何度も息子を殺そうとします。
最後に王が頼ったのが、妹のホリカでした。ホリカは火に焼かれない力を持っていました。ホリカはプラフラーダをひざにのせ、燃えさかる火の中に座ります。ところが焼け死んだのはホリカのほうで、少年は無事でした。のちに王も、ヴィシュヌ神の化身ナラシンハ(半分人、半分ライオンの姿)に倒されます。
この話はヒンドゥー教の聖典『バーガヴァタ・プラーナ』に出てきます。ホーリー前夜のたき火を「ホリカ・ダハン(ホリカを燃やす)」と呼ぶのは、この物語のためです。悪が燃え、善が勝つ。それがたき火の意味です。
もう1つの大事な物語が、クリシュナ神と恋人ラーダーの話です。マトゥラーやヴリンダーヴァンなど、クリシュナが育ったとされる地方では、ホーリーは2人の愛を祝う祭りとして、特に盛大に祝われます。色をかけ合う遊びも、クリシュナとラーダーのいたずらと結びつけて語られます。
南インドなどでは、シヴァ神が愛の神カーマを焼いてしまった神話と結びつける地域もあります。1つの祭りに、いくつもの物語が重なっているのです。

2ホーリーの歴史:皇帝も、シク教の指導者も祝った祭り
ホーリーはとても古い祭りです。ミーマーンサー・スートラやプラーナ文献といった古い聖典にも記録があり、4世紀ごろの詩人カーリダーサの作品や、7世紀にハルシャ王が書いたとされるサンスクリット語の劇『ラトナーヴァリー』にも、春の祭りとして登場します。
石にも残っています。南インドのベルールにある12世紀の寺院や、ハンピに残る15世紀の浮き彫りには、ホーリーを楽しむ人々が刻まれています。
驚くのは、ヒンドゥー教徒以外の支配者たちもこの祭りを楽しんだことです。イスラム教のムガル帝国の皇帝ジャハーンギールはホーリーを祝いました。一方で、皇帝アウラングゼーブは1665年に命令を出し、人前でのホーリーの祝いを禁じます。そして帝国最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルは、ホーリーのための歌を作りました。祭りは、時代の空気を映す鏡でもあったのです。
シク教の第10代指導者グル・ゴービンド・シングは、1701年、ホーリーの翌日に「ホーラー・モハッラー」という祭りを始めました。武術や模擬戦、詩の競い合いが行われる勇ましい祭りです。19世紀のシク王国の宮廷でもホーリーは盛大で、1837年、ラホールのランジート・シング王の宮廷では300マウンド(マウンドは昔の重さの単位で、合わせてトン単位)の色粉が使われたと記録されています。
19世紀以降、インドの人々が働き手としてカリブ海やインド洋、太平洋の島々へ渡ると、ホーリーも一緒に海を渡りました。今ではガイアナやトリニダード・トバゴでは「パグワー」、フィジーでは「パグア」と呼ばれて祝われています。
🕰️ ホーリー(色の祭り)の年表
- 古代古い聖典(ミーマーンサー・スートラやプラーナ文献)に、祭りの記録が残る。
- 4世紀ごろ詩人カーリダーサの作品に、春の祭りとして登場する。
- 7世紀ハルシャ王の劇『ラトナーヴァリー』にホーリーの祭りが描かれる。
- 12世紀南インド・ベルールの寺院の彫刻に、ホーリーを楽しむ人々が刻まれる。
- 17世紀前半ムガル帝国の皇帝ジャハーンギールがホーリーを祝う。
- 1665年皇帝アウラングゼーブが、人前でのホーリーの祝いを禁じる命令を出す。
- 1687年英語の記録に Houly というつづりで登場する。
- 1701年シク教のグル・ゴービンド・シングが、ホーリーの翌日の祭りホーラー・モハッラーを始める。
- 1837年ラホールのランジート・シング王の宮廷で、300マウンドの色粉が使われる。
- 1923年シャンティニケタンで「バサンタ・ウトサブ」が始まる。
- 2016年パキスタンの議会が、地方政府がホーリーを休日にできるとする決議を採択。
- 2025年・2026年2025年はホーリー当日(3月14日)、2026年はその前日(3月3日)に、地球上で皆既月食が起きる。
3「ホーリー」の意味:英語の holy(聖なる)とは別の言葉
「ホーリー」と聞くと、英語の holy(聖なる)を思いうかべる人もいるでしょう。でも、2つはまったく関係のない言葉です。holy は古い英語から、Holi はインドの言葉から来ています。
Holi は、ヒンディー語の holī(ホーリー)をそのまま英語にした言葉です。辞書によると、サンスクリット語の holā(ホーラー)が、プラークリット語という古い話し言葉を通って holī になりました。悪女ホリカ(Holikā)の名前と結びつけて説明されることも多く、前夜のたき火は今も「ホリカ・ダハン」と呼ばれています。
英語に入ったのは17世紀です。オックスフォード英語辞典の古い版には、1687年の Houly、1825年の Hoolee というつづりが記録されていて、Holi と書くのが定着したのは20世紀になってからでした。
英語では Festival of Colours(色の祭り)とも呼ばれます。地方によって名前もさまざまです。パールグナ月にちなんで「パグワー」と呼ぶ地域があり、西ベンガルでは神像をブランコにのせる「ドル・ジャトラ」、オディシャでは「ドラ・ジャトラ」、トリプラでは「パリ」。
1日目の夜のたき火をホリカ・ダハン、2日目の色の日をランワーリー・ホーリー(色のホーリー)やドゥルヘンディと呼び分けることもあります。日本語では「ホーリー祭」と書かれることが多く、「ホーリー」だけでも通じます。
4インドのホーリーの過ごし方:朝は色、昼はごちそう、そして仲直り
ホーリーの朝。白い古着を着た子どもたちが、色の粉を手にして待ちかまえています。赤、黄、緑、ピンク、青。最初の1人に粉がかかったら、もう誰も止められません。
色の粉は「グラール」。水鉄砲や水風船で色水をかけ合う人もいます。太鼓をたたき、歌い、踊りながら、グループで家から家へ回ります。家族、友だち、近所の人、そして通りがかりの知らない人まで、ほとんど誰にでも色をつけてよいのがこの日の決まりです。
昔の色粉は植物から作られていました。赤やオレンジはパラーシャ(「森の炎」とも呼ばれる木)の花、黄色はターメリック(ウコン)、緑はヘンナの葉、青は藍、マゼンタ(赤紫)はビーツ。今は工場で作られた粉がほとんどですが、肌や目にやさしい天然の色粉を選ぶ人も増えています。
色遊びが落ち着くと、家族や友だちを訪ねてごちそうを食べます。北インドで欠かせないのが、ミルクを煮つめた「コーヤ」やナッツを生地で包んで揚げた半月形のお菓子「グジヤ」。飲み物は、アーモンドやフェンネル、カルダモン、牛乳で作る冷たい「タンダイ」です。
そしてホーリーは「許しと新しい出発の祭り」でもあります。けんかしていた人どうしが顔を合わせ、色をつけ合って、笑ってやり直す。借りを返したり、許したりする日でもあります。全身が虹色になれば、誰がえらい人で誰が子どもかも、ちょっとわからなくなるのです。
🎁 シンボルと小物
ホーリー前夜に燃やす大きなたき火。悪女ホリカが焼かれた伝説にちなみ、悪が燃えて善が勝つことを表す。
ホーリーでかけ合う色の粉。昔は花・薬草・野菜などから作った。
色水を遠くまで飛ばす道具。子どもたちのいちばんの武器。
色水を入れて投げる。当たるとはじけて、一瞬で色まみれになる。
ホーリーはパールグナ月の満月の祭り。満月のときにしか起きない月食と重なる年もある。
クリシュナ神は笛を吹く姿で描かれることが多い。ホーリーの絵や歌によく登場する。
「森の炎」と呼ばれる木のオレンジ色の花。昔から赤やオレンジの色粉の材料になってきた。
🍽️ この日の食べ物
半月形の揚げ菓子。ミルクを煮つめたコーヤ、ココナッツ、ナッツ、干しぶどうを包む。北インドのホーリーの定番。
アーモンド、フェンネル、カルダモン、バラの花びら、サフランなどを牛乳と混ぜた冷たい飲み物。
甘いシロップにひたしたパンケーキのようなお菓子。西ベンガルのホーリー(ドル・ジャトラ)で好まれる。
甘い豆のあんを包んで焼いた平たいパン。マハーラーシュトラ州のホーリーのごちそう。
すりつぶした豆の生地を揚げた団子を、ヨーグルトにひたした軽食。タンダイといっしょに出されることが多い。
5地方で全然違うホーリー:棒でたたく村、花びらの寺、武術の祭り
インドは広く、ホーリーの祝い方も土地によって驚くほどちがいます。
クリシュナとラーダーの故郷とされるウッタル・プラデーシュ州のバルサナでは、「ラトマール・ホーリー(棒のホーリー)」が行われます。クリシュナの村ナンドガオンの男たちが「婿どの」としてラーダーの村バルサナを訪れ、村の女性たちに棒(ラーティー)でたたかれます。昔、クリシュナが仲間とラーダーたちに色をかけに来て、棒で追い返されたという伝説を再現したもの。もちろん、みんな笑いながらです。
近くのヴリンダーヴァンでは、祝いが1週間以上続きます。バーンケー・ビハーリー寺院では、色の粉の代わりにマリーゴールドやバラの花びらを参拝者に降らせる「花のホーリー」が有名です。
西ベンガル州のシャンティニケタンでは、1923年から「バサンタ・ウトサブ(春の祭り)」が開かれています。詩人タゴールが大切にした祭りで、人々は春の歌を歌いながら歩きます。
北東部のマニプル州では、ホーリーが地元の祭り「ヤオサン」と合わさり、5日間続きます。初日の夜にわらの小屋を燃やし、子どもたちは家を回ってお金を集め、満月の下で男女が輪になって踊る「タバル・チョンバ」が行われます。
パンジャブ州では、ホーリーの翌日にシク教の「ホーラー・モハッラー」。青い衣装のニハング(シク教の戦士)たちが、武術や模擬戦を披露します。西部のコンカン地方では「シムガ」と呼ばれる祭りが1か月近く続き、色遊びは5日後の「ラング・パンチャミー」に行われます。
6日本とホーリー:どんど焼き、節分、そして西葛西
ホーリーは日本人には遠い祭りに見えるかもしれません。でも、よく見ると似たところがたくさんあります。
まず、火。ホーリー前夜のホリカ・ダハンでは、地域の人が木を集めて大きなたき火を燃やします。日本の小正月に行われる「どんど焼き(左義長)」も、正月飾りを集めて燃やし、その年の無病息災を願う火の行事です。どちらも「火で悪いものをはらい、新しい季節を迎える」行事だといえます。
次に、季節の変わり目のおはらい。ホーリーは冬の終わりと春の始まりを祝う祭りです。日本の節分も、立春の前の日に豆をまいて鬼を追い払います。悪を追い出して春を迎えるという点で、2つはよく似ています。
日本のインドとのつながりで知られるのが、東京都江戸川区の西葛西です。2000年前後、コンピューターの「2000年問題」への対応でインドのIT技術者が日本に招かれ、西葛西の周辺に多く住むようになりました。2018年には、日本に住むインドの人約3万5000人のうち、約1割が江戸川区に住んでいたとされます。駅の北側には北インド料理、南側には南インド料理の店が多いともいわれます。
もう1つ、ホーリーには日本の「無礼講」に近い空気があります。この日は、ふだんは遠慮がある相手にも色をつけてよい日。そして色を落としたあとは、すっきり仲直り。「ハメをはずしたあと、元の関係に戻る」という知恵は、国がちがっても通じるのかもしれません。
7ホーリーのよくある誤解とホントのところ
誤解1:「ホーリーは英語の holy(聖なる)から来た名前」
まったく別の言葉です。Holi はヒンディー語で、サンスクリット語の holā から来ています。
誤解2:「ホーリーは色をかけるだけのお祭り」
前の晩には、悪を燃やすたき火「ホリカ・ダハン」があり、祈りや歌もささげられます。色遊びは2日目の行事です。
誤解3:「インド中が同じ日に、同じように祝う」
北インドでは盛大ですが、南インドの一部の州では休日になりません。マニプルでは5日間、コンカン地方では1か月近く続き、ネパールでは丘陵地帯と南部のタライ地方で祝う日が1日ずれます。暦の計算の仕方で、日付が1日違う資料もあります。
誤解4:「ホーリーの色粉は安全な天然素材」
昔は花や薬草から作りましたが、今は工場で作った粉が中心です。2007年の研究では、合成染料のマラカイトグリーンがデリーで目の炎症の原因になっていたことが報告され、2009年の研究では、金属をふくむ工業用の染料が皮膚のトラブルを起こすことも指摘されました。
誤解5:「ホーリーはヒンドゥー教徒だけの祭り」
ムガル帝国の皇帝が祝い、シク教にはホーリーと結びついたホーラー・モハッラーがあります。パキスタンでは2016年、地方政府がホーリーを休日にできるようにする決議が議会で採択されました。アメリカのユタ州やニューヨークでも、宗教を問わず多くの人が参加します。
誤解6:「カラーランはホーリーそのもの」
色の粉をかけながら走るイベントは、ホーリーから着想を得た商業イベントです。宗教的な意味やたき火はありません。
💡Fun Factsホーリー(色の祭り)の豆知識 10連発
1837年、ラホールのランジート・シング王の宮廷では、300マウンド(トン単位)の色粉が使われたと記録されている。
In 1837, people at a king's palace in Lahore used tons of colored powder for Holi.
ムガル帝国では、皇帝ジャハーンギールがホーリーを祝い、アウラングゼーブは1665年に人前での祝いを禁止。最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルはホーリーの歌を作った。
One Mughal emperor banned Holi in public. A later emperor wrote a song for it.
Holi が英語に入ったのは17世紀。1687年には Houly、1825年には Hoolee とつづられていた。
In 1687, English writers spelled Holi as Houly.
ホーリーは満月の祭り。2025年はホーリー当日、2026年はその前日に皆既月食が起きた。月食は満月のときにしか起きない。
In 2025, there was a total lunar eclipse on the day of Holi.
バルサナのラトマール・ホーリーでは、男たちは「婿どの」として村を訪れ、女性たちに棒でたたかれる。
In Barsana, men visit as sons-in-law, and women hit them with sticks.
ヴリンダーヴァンは「未亡人の町」とも呼ばれ、1万5000〜2万人の未亡人が暮らすとされる。彼女たちも寺院でホーリーを祝ってきた。
Thousands of widows live in Vrindavan. They also celebrate Holi at temples.
ネパールでは、丘陵地帯と南部のタライ地方でホーリーの日が1日違う。
In Nepal, people in the hills and in the south celebrate Holi on different days.
マニプルのヤオサンでは、子どもたちが家を回ってお金を集める「ナカテン」という習慣がある。ハロウィンのお菓子集めに少し似ている。
In Manipur, children go from house to house and ask for money.
南インドのベルールにある12世紀の寺院や、ハンピの15世紀の浮き彫りにも、ホーリーの場面が刻まれている。
Holi appears on temple walls that are more than 800 years old.
西ベンガルのホーリーでは、甘いお菓子マールプアが食べられる。16世紀の聖者チャイタニヤが、このお菓子を人にふるまうよう信者に勧めたと伝わる。
In West Bengal, people eat sweet pancakes called malpua at Holi.
▶️Videos & Linksホーリー(色の祭り)の動画とリンク集
Get an Up-Close Look at the Colorful Holi Festival | National GeographicNational Geographic
Holi 2023: What is the Hindu Festival and Why is it Celebrated? NewsroundBBC Newsround
Holika Dahan Katha | Mahavatar Narsimha | Netflix IndiaNetflix India

