Guy Fawkes Night

ガイ・フォークス・ナイト(ボンファイア・ナイト)の由来と歴史(詳しく)

いつから?なぜ?名前の意味は? ガイ・フォークス・ナイト(ボンファイア・ナイト)の本当の話を、確かな資料でたどります。

1ガイ・フォークス・ナイトの由来:国会の地下に36樽の火薬

1605年11月5日、日付が変わったばかりの真夜中。ロンドンの国会議事堂の地下にある倉庫で、ランタンを持った見回りの一行が、1人の男を見つけました。男の後ろには、まきと石炭の山。その下には、36樽の火薬が隠されていました。

男は「ジョン・ジョンソン」と名のりました。本当の名前はガイ・フォークス。その日の昼、国王ジェームズ1世が議会の開会式(ステート・オープニング)に出る予定でした。火薬に火がつけば、国王も貴族も議員も、建物ごと吹き飛ぶはずでした。

計画を考えたのは、ロバート・ケイツビーという紳士です。当時のイングランドではプロテスタントが国の宗教で、カトリック教徒は重い罰金を科されるなど、きびしい立場に置かれていました。新しい国王なら寛容になってくれる、という期待が裏切られ、ケイツビーを含む13人の仲間は、国王を殺して9歳の王女エリザベスを女王に立てる計画を練ったのです。仲間たちは1605年3月、議会の真下にある倉庫を借りる権利を手に入れ、火薬を少しずつ運びこみました。スペイン軍で戦った経験を持つフォークスが、火薬の番をまかされました。

計画をこわしたのは、1通の手紙でした。10月26日、カトリックの貴族モンティーグル卿のもとに、差出人不明の手紙が届きます。「議会に出るな、恐ろしい一撃が来る」という警告でした。手紙は国王の側近に渡り、11月4日の夜、地下の捜索が行われます。こうしてフォークスは捕らえられました。

その日の夜、ロンドンの人々は国王が無事だったことを祝って、たき火をたくことを許されました。これが、今に続くボンファイア・ナイトの始まりです。

ガイ・フォークス・ナイト(ボンファイア・ナイト)(Guy Fawkes Night)のイラスト

2ガイ・フォークス・ナイトの歴史:感謝の日から花火の夜へ

捕まったフォークスは、国王の許可のもとで拷問を受け、11月7日に自白しました。仲間の多くは中部のホルベッチ・ハウスに逃げこみ、11月8日、約200人の追手との撃ち合いでケイツビーらが命を落とします。1606年1月の裁判のあと、1月31日、フォークスは処刑台へ。絞首刑のあと体を引き裂かれる刑のはずでしたが、首の骨を折って先に亡くなりました。自分から飛び降りたとも言われます。

1606年1月には「11月5日の記念に関する法律」ができ、毎年この日に教会で感謝の礼拝をすることが決まりました。この法律は1859年まで250年以上続きます。最初のころの11月5日は、強い反カトリックの色を帯びていました。1625年にはローマ教皇と悪魔の人形が燃やされた記録もあります。

18世紀の終わりごろになると、子どもたちがフォークスの人形を作って小銭をねだるようになり、この日は「ガイ・フォークスの日」と呼ばれ始めます。19世紀後半には町ぐるみの催しが広まり、20世紀には花火メーカーが「ファイアワークス・ナイト(花火の夜)」と呼ぶほど、花火が主役になりました。

1605年の事件は、今も国の儀式に残っています。議会の開会式の前には、王室の衛兵ヨーメン・オブ・ザ・ガードが議事堂の地下を見回ります。この捜索が毎回の決まりになったのは、別の陰謀さわぎがあった1678年からで、今はおもに儀式として続いています。

2005年には、イギリスのテレビ番組が議事堂の一部を実物大で再現し、約1トンの火薬で爆破する実験をしました。結果、建物は粉々に。100メートル以内にいた人は助からず、フォークスは必要な量の2倍の火薬を用意していた計算になったそうです。

🕰️ ガイ・フォークス・ナイト(ボンファイア・ナイト)の年表

  1. 1570年4月ガイ・フォークスがイングランド北部のヨークで生まれる(4月16日に洗礼)。
  2. 1603年ジェームズ1世がイングランド王に。フォークスはスペインの支援を求め、グイードと名のる。
  3. 1605年3月25日陰謀の仲間が、議会の真下にある倉庫を借りる権利を手に入れる。
  4. 1605年10月26日モンティーグル卿に、議会に出ないよう警告する差出人不明の手紙が届く。
  5. 1605年11月5日真夜中すぎ、36樽の火薬の番をしていたフォークスが捕まる。夜、ロンドンでたき火が許される。
  6. 1606年1月31日フォークスがウェストミンスターで処刑される。
  7. 1606年「11月5日の記念に関する法律」ができ、毎年の感謝の礼拝が決まる。
  8. 1641年フォークスが使ったとされるランタンが、オックスフォード大学に寄贈される。
  9. 1678年このころから、議会の開会前に地下を捜索するのが毎回の決まりになる。
  10. 1742年「Remember, remember」で始まるわらべ歌の、記録に残る最古の形。
  11. 1859年記念の法律が廃止される。行事は宗教色がうすれ、花火と催しの夜へ。
  12. 2005年テレビ番組の再現実験で、計画が成功していれば議場は吹き飛んでいたと示される。

3「guy」の意味:英語の「みんな」はガイ・フォークスから

Hi, guys!(やあ、みんな!)。英語の授業や動画でよく聞くこの guy、実はガイ・フォークスの名前です。

もともと Guy は、ただの男性の名前でした。フォークス自身は、スペインに支援を求めに行った1603年ごろから、イタリア風に「グイード(Guido)」とも名のっていました。18世紀の終わりから、子どもたちはフォークスの人形を作って見せて回り、最後にたき火で燃やすようになります。この人形が guy と呼ばれました。19世紀には、guy は「人形みたいに変な服を着た人」という意味になり、やがて悪い意味が消えて、ただの「男、やつ」に。今では you guys のように、男女を問わず「みんな」を指すこともあります。1人の男の名前が、英語でいちばん身近な言葉の1つになったのです。

子どもたちが人形を見せて小銭をもらうときの決まり文句は「a penny for the guy(ガイに1ペニーちょうだい)」。今ではほとんど見られなくなりました。

この夜にはいくつも呼び名があります。Guy Fawkes Night(ガイ・フォークス・ナイト)、Bonfire Night(たき火の夜)、Fireworks Night(花火の夜)。ニュースや看板では Bonfire Night がよく使われます。

そしてこの日の合言葉が、古いわらべ歌の最初の一行 Remember, remember the fifth of November(覚えておけ、11月5日を)。いちばん古い記録は1742年のものです。わらべ歌はこのあと「火薬と反逆と陰謀を忘れる理由はない」と続きます。

4イギリスでの過ごし方:たき火と花火とパーキン

11月のイギリスは、夕方4時半にはもう暗くなります。冷たい空気の中、町の公園やグラウンドに家族連れが集まり、大きなたき火の炎が夜空をこがします。てっぺんには、古着に新聞紙を詰めた人形「ガイ」が座っていることも。やがて「ヒュー、パーン!」という音とともに、何十発もの花火が上がります。

今のボンファイア・ナイトは、自宅の庭でする家庭もありますが、多くは地域の慈善団体などが開く有料の催しです。入場料は地域の活動資金になります。イギリスでは花火を夜11時から朝7時まで上げてはいけない決まりがありますが、11月5日だけは夜12時まで許されています。

寒い夜のお楽しみは、温かい食べ物です。イングランド北部の名物は「パーキン」。オートミールと黒い糖蜜、ショウガで作るしっとりしたケーキで、何日か缶に入れておくとねっとりしてきます。リーズでは11月5日が「パーキン・ナイト」と呼ばれたほどです。ほかにも、黒い糖蜜で作る苦みのある固いあめ「ボンファイア・トフィー(別名プロット・トフィー=陰謀のトフィー)」、りんごを赤いあめでくるんだ「トフィー・アップル」が定番です。

ちなみに、ガイ・フォークス・ナイトは祝日ではありません。11月5日も学校や会社はふつうにあり、人々は仕事が終わってから、手袋とマフラー姿でたき火へ向かいます。花火の煙のにおいは、イギリスの子どもにとって「冬が来た」合図なのです。

🎁 シンボルと小物

🔥たき火(ボンファイア)bonfire

1605年11月5日の夜、国王の無事を祝ってたかれたのが始まり。bonfire はもともと bone fire(骨を燃やす火)から来たという説がある。

🎆花火fireworks

火薬の事件を、火薬の花火で祝う。20世紀には「ファイアワークス・ナイト」と呼ばれるほど主役になった。

🧍ガイ(人形)guy

古着に詰め物をして作るフォークスの人形。たき火のてっぺんで燃やされる。英語の guy(男、やつ)の語源。

🛢️火薬の樽barrel of gunpowder

陰謀で議会の地下に運びこまれたのは36樽。オタリー・セント・メアリーでは燃えるタール樽をかついで走る。

🏮ランタンlantern

フォークスが持っていたとされるランタンは、オックスフォードのアシュモレアン博物館にある。

🎭ガイ・フォークスのお面Guy Fawkes mask

『Vフォー・ヴェンデッタ』のためにデザインされた笑う顔のお面。今では抗議活動のシンボル。

🏛️国会議事堂Houses of Parliament

ロンドンのウェストミンスター宮殿。開会式の前には今も地下が見回られる。

🍽️ この日の食べ物

🍰パーキンparkin

オートミール・黒い糖蜜・ショウガのケーキ。イングランド北部、特にヨークシャーの名物。リーズでは11月5日を「パーキン・ナイト」と呼んだ。

🍬ボンファイア・トフィーbonfire toffee

黒い糖蜜で作る、ほろ苦い固いあめ。別名トリークル・トフィー、プロット(陰謀)・トフィー。

🍎トフィー・アップルtoffee apple

りんごを赤いあめでくるんだお菓子。ハロウィンからボンファイア・ナイトの時期の定番。

5海外のガイ・フォークス・ナイト:ルイスの火祭りとタール樽

イギリス最大のボンファイア・ナイトが開かれるのは、ロンドンではありません。イングランド南部の人口1万7000人ほどの町、ルイスです。新聞『デイリー・テレグラフ』に「世界のボンファイアの首都」と呼ばれたこの町には、例年数万人が集まり、2024年は約4万人、多い年には8万人が訪れたと言われます。

ルイスには7つの「ボンファイア・ソサエティ(たき火の会)」があり、それぞれが行列と花火を準備します。しま模様のセーターを着た参加者がたいまつを掲げて町を練り歩き、16世紀に火あぶりにされたプロテスタントの殉教者17人を悼んで、17本の燃える十字架を運びます。行列の最後には、毎年ガイ・フォークスと、事件当時のローマ教皇パウルス5世の巨大な人形が燃やされます。そのときどきの政治家や有名人の人形が登場するのも名物です。

燃えるタール樽を川に投げこむ場面もあります。1847年、騒ぎを止めようとした役人が川に投げこまれた事件を表しているとされます。ある新聞は、この夜を「ハロウィンとマルディグラの正面衝突」とたとえました。

イングランド南西部の町オタリー・セント・メアリーでは、さらに過激です。タールをしみこませた樽に火をつけ、住民がかついで通りを走るのです。樽は全部で17個、最大で30キロにもなります。かつげるのは、町で生まれた人か、人生の大半をこの町で暮らした人だけ。17世紀から続くと言われるこの伝統の夜には、人口約7000人の町に1万人以上が集まります。

6日本とのつながり:1605年、日本では徳川秀忠が将軍に

ガイ・フォークスが地下室で捕まった1605年、日本は江戸時代の始まりのころでした。この年、徳川家康は将軍の位を息子の秀忠にゆずっています。地球の反対側で、徳川の世が固まりつつあったころ、イギリスでは国王暗殺計画が見破られていたのです。

日本にガイ・フォークス・ナイトの習慣はありませんが、意外なところでガイ・フォークスの顔を見かけます。白い顔に赤いほお、くるんとした口ひげのお面です。これは1982年から連載されたイギリスのコミック『Vフォー・ヴェンデッタ』で、画家デヴィッド・ロイドがデザインしたもの。2005年の映画化のあと、2008年にネット上の集団「アノニマス」が抗議活動で使い始め、世界中のデモで見られるようになりました。国王を倒そうとした男の顔が、400年後には「権力への抵抗」のシンボルになったわけです。

火で季節の区切りを祝う点では、日本の小正月のどんど焼きや、お盆の送り火とも比べられます。ただし、ガイ・フォークス・ナイトは自然や神様ではなく、実際に起きた1つの事件を記念する火祭りであるところが大きな違いです。

7ガイ・フォークスのよくある誤解とホントのところ

誤解1:ガイ・フォークスが計画のリーダーだった
リーダーはロバート・ケイツビーです。フォークスは火薬の番をまかされた実行役でした。現場で捕まったので、名前だけが有名になりました。

誤解2:ガイ・フォークスは英雄としてたたえられている
もともとは「国王が助かったこと」を祝う日です。たき火で燃やされるのはフォークスの人形のほうでした。今では「誠実な意図で議会に入った最後の男」と冗談めかして乾杯されることもあると、ヨーク大学の歴史家ジェームズ・シャープは紹介しています。

誤解3:火薬は古くて、どうせ爆発しなかった
火薬は傷んでいたと記録されていますが、2005年の再現実験では、傷んだ火薬でも大きな爆発が起き、半分しか爆発しなくても議場の全員が死んだと計算されています。

誤解4:フォークスは火あぶりにされた
処刑は絞首刑でした。人形を燃やす習慣から、そう思いこまれがちです。

誤解5:ルーツは古代ケルトの火祭り
秋の火祭りの伝統と結びつける説もありますが、異論があります。11月5日という日付ははっきり1605年の事件から来ています。

💡Fun Factsガイ・フォークス・ナイト(ボンファイア・ナイト)の豆知識 10連発

No.1

フォークスが使ったとされるランタンは、オックスフォードのアシュモレアン博物館にある。1641年、元オックスフォード大学の学生監ロバート・ヘイウッドが大学に寄贈した。

A lantern said to belong to Guy Fawkes is now in a museum in Oxford. It was given to the university in 1641.

No.2

拷問の直後にフォークスが書いた署名「Guido」は、ほとんど読めない走り書き。8日後の署名はもう少し読める。2つの署名は、彼が受けた苦しみを今に伝えている。

After he was tortured, Guy Fawkes could hardly write his name. His signature looks like a weak scribble.

No.3

議会の開会式の前には、今もヨーメン・オブ・ザ・ガードが議事堂の地下を見回る。1605年の事件にちなむ、今も続く用心の儀式。

Before the State Opening of Parliament, guards still search the rooms under the building.

No.4

陰謀の仲間は、議会の地下倉庫を「こっそり掘って」入ったのではない。1605年3月25日、ジョン・ウィニアードという人から、普通に倉庫を借りる権利を手に入れていた。

The plotters did not dig into the room under Parliament. They simply got the right to use it in March 1605.

No.5

捕まったとき、フォークスは「ジョン・ジョンソン」というありふれた偽名を名のった。ジェームズ1世は、口を割らない彼を「ローマ人のような覚悟」と評した。

When he was caught, Guy Fawkes said his name was John Johnson.

No.6

計画が成功していたら、王女エリザベス(当時9歳)が名ばかりの女王として立てられる予定だった。

The plotters wanted to make the king's 9-year-old daughter the new queen.

No.7

2005年の再現実験では約1トンの火薬で議場の模型が吹き飛んだ。計算上、フォークスは必要な量の2倍の火薬を用意していた。

In a test in 2005, scientists found that Fawkes had twice as much gunpowder as he needed.

No.8

ニュージーランドで家庭用花火を買えるのは、11月2日から5日までの4日間だけ。2007年から購入は18歳以上になった。

In New Zealand, fireworks are on sale for only four days a year, around November 5.

No.9

『Vフォー・ヴェンデッタ』のガイ・フォークスのお面は、2011年にはアマゾンでいちばん売れたお面と報じられた。お面が1つ売れるたびに、権利を持つワーナーに使用料が入る。

The Guy Fawkes mask became the best-selling mask on Amazon in 2011.

No.10

ルイスでは、殉教者17人を悼んで17本の燃える十字架が運ばれる。オタリー・セント・メアリーで燃やすタール樽も全部で17個。

In Lewes, people carry 17 burning crosses to remember 17 people who died long ago.

▶️Videos & Linksガイ・フォークス・ナイト(ボンファイア・ナイト)の動画とリンク集

Guy Fawkes and The Gunpowder Plot | History KS1| BBC TeachBBC Bitesize for Teachers

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