──こんな説明を聞いたことはありませんか。
けれど専門家は、これをはっきり否定します。
どこまでが本当で、どこからが言いすぎなのか。順番に見ていきましょう。
1きっかけは、ラジオの一言だった
あるラジオ番組で、こんな話が流れました。「日本人が英語を聞き取れないのは、周波数が違うからです」。
それを聞いた英語音声学の研究者が、すぐに反応しました。青山学院大学社会情報学部准教授の米山明日香先生です。投稿された言葉は、たった一言。「そんなわけない。」
この投稿には、こんな返信もつきました。「チューニングで聞き取れるなら、ぜひ合わせてみたい」。それに対する米山先生の返しが、話の核心をついています。ラジオの理屈でいくと、日本人は周波数の高い /s/ のような音を聞き取れないことになってしまう、と。
日本語の「さ・し・す・せ・そ」も、実はとても高い音を使っています。「高い音が聞こえないから英語がわからない」なら、日本人は日本語の「さしすせそ」も聞き取れないはず。この一点だけで、周波数のせい説はあやしくなります。
ただし、頭ごなしに「デタラメだ」と切り捨てるのはもったいない。この説がこれだけ広まったのには理由があるからです。まずは相手の言い分を、きちんと聞いてみましょう。
2「周波数のせい説」ってどんな話?
まず「周波数」とは、空気の振動が1秒間に何回くり返されるかを表す数字です。数字が大きいほど高い音に聞こえます。単位はHz(ヘルツ)。
そして「周波数のせい説」は、だいたい次の3段階で語られます。
この考え方のもとになったのは、フランスの耳鼻科の医師トマティス(Alfred Tomatis)です。特定の高さの音を強めたり弱めたりする装置を使った訓練法を提唱し、日本でも聞き流し系の教材が広まるときに、この説明がよく使われました。
つまりこれは、ただのウワサではなくひとつの「理論」として流通してきた話なのです。だからこそ、ちゃんと検証する価値があります。
3正しいところも、ちゃんとある
最初に、認められる部分は認めておきます。この説がここまで生き残ったのは、本当のことも混ざっているからです。
① 言語によって、使う音のバランスは違う
日本語は「か・き・く」のように、ほとんどの音が「子音+母音」の組み合わせでできています。一方の英語は strengths のように子音が続くことがあり、/s/ /ʃ/ /f/ /θ/ といったスーッという音(摩擦音)も多い。摩擦音は高い音なので、「英語のほうが高い音を多く使う」という傾向自体は間違っていません。
② 高い音が消えると、英語のほうが困る
英語では語尾の -s ひとつで、単数か複数か、三人称単数かどうかが決まります。もし高い音が聞こえなくなると、失われる情報は日本語より多い。英語が高い音に頼っている度合いが大きいのは事実です。
③ 母語によって耳の使い方が変わるのも本当
生まれて半年から1年くらいのあいだに、赤ちゃんは母語で使う音の区別は保たれる一方、母語で使わない区別には反応しにくくなっていきます。これは研究でしっかり確かめられている現象です。「母語が聞こえ方をつくる」という大きな話は正しい。周波数のせい説は、この本物の現象を「音の高さ」という一本の物差しに置きかえてしまった説明だと言えます。
ここまでが、この説の言い分。問題はここからです。「英語は高い音が多め」から「日本人には英語の高い音が聞こえない」までのあいだに、大きなジャンプがあります。
4でも、ここが決定的におかしい
おかしい点① 日本語の「さしすせそ」はどうなる?
日本語の「さ」の子音は、英語の /s/ とほぼ同じ音です。エネルギーの中心は4000Hzより上。「し」も「つ」も「ち」も同じように高い音を使っています。
もしこの説がいうように、日本人の耳が1500Hzくらいまでしか働かないなら、「さ」と「しゃ」の区別も、「つ」と「ち」の区別もつかないはずです。どちらも、高い音の形の違いで聞き分けている音だからです。虫の鳴き声(4000〜8000Hzあたり)も、鈴の音も聞こえないことになる。もちろん、そんなことは起きていません。
そもそも人が聞き取れる音の範囲は、だいたい20Hzから20000Hz。これは日本人でもアメリカ人でも同じです。変わるのは年齢や耳の状態であって、母語によって聞こえる範囲が変わるわけではありません。
おかしい点② 実際に測ったら、ほとんど同じだった
「言語ごとに音の高さが違う」なら、測ればわかるはずです。そして実際に測った研究があります。
英語・日本語・ドイツ語・フランス語・中国語など12の言語について、話し声に含まれる音の高さの分布を同じ手順・同じ機材で測定した国際的な研究です(Byrne ほか 1994、米国音響学会誌)。結果は、どの言語もよく似ていました。細かい差はあるものの、そのほとんどはごくわずかで、他と大きく違う言語は見つかりませんでした。
よく見かける「日本語と英語の帯が離れている図」は、この実測データではなく、トマティスの理論をもとにした図が広まったものです。データを見に行った瞬間に崩れてしまう図だと言っていいでしょう。
おかしい点③ 「聞こえる」と「聞き分ける」は別の話
ここがいちばん大事なところです。
たとえば right と light。これが難しいのは、音が聞こえていないからではありません。どちらもちゃんと耳に届いている。でも脳が、両方とも日本語の「ラ行」というひとつの引き出しに入れてしまうのです。
そして重要なのは、この仕分け方は大人になってからでも変えられるということ。いろいろな人の声で /r/ と /l/ を聞き分ける練習をすると、大人の日本語話者でも成績がはっきり伸びることが、何度も確かめられています。もし「子どものときに聞かなかったから耳が壊れた」のなら、こんな改善は起きないはずです。
これは希望のある話です。原因が「耳の性能」ではなく「脳の仕分け方」なら、練習で書きかえられるということ。何歳からでも変えられます。
5じゃあ、なぜ聞き取れないの?
周波数が原因でないなら、何が壁になっているのか。研究が示しているのは、次の4つです。
日本語にない音(/θ/ /v/ や、/r/ と /l/ の違いなど)を、脳がいちばん近い日本語の音に置きかえてしまう。だから thin と sin が同じに聞こえる。「聞こえない」のではなく「区別する必要がなかったから区別していない」だけです。
日本語は「タ・ヌ・キ」のように、ほぼ均等な長さで音を区切ります。一方の英語は、強く読まれる部分を目印にして単語の切れ目を見つけます。区切りの物差しが違うのです。
だから an American は「アナメリカン」とひとかたまりに聞こえ、知っているはずの American が見つからなくなる。Take it easy. が「テイキリーズィ」に聞こえるのも同じ理由です。単語を知らないのではなく、どこで切ればいいかがわからない。これが「知っている単語なのに聞き取れない」の正体です。
自然な速さで話されると、単語は辞書で見る発音とは別の姿になります。起きているのは、おもに次の4つです。
消える:next day の t、old friend の d が落ちる
変わる:water、better の t がラ行に近い音に(アメリカ英語)
弱くなる:to は軽い「トゥ」、and は「ン」、can は「クン」に縮む
たとえば What do you want to do? は「ワット ドゥー ユー ウォント トゥー ドゥー」のようには発音されません。実際には「ワドゥユ ワナ ドゥー」に近い音です。I can do it. も「アイ キャン ドゥー イット」ではなく「アイクン ドゥーイッ」。
つまり、知っている単語の「別の顔」を知らないことが原因です。ここは周波数をいくらいじっても解決しません。
最後は身も蓋もない話ですが、英語に触れている合計時間が足りない。週に数十分では、脳が音の仕分け方を作り直すだけの材料が集まりません。
6今日からできる4つの練習
原因が「耳」ではなく「仕分け方」だとわかれば、やることは決まります。
STEP 1
STEP 2
STEP 3
STEP 4
そのうえで、意味を追いながら英語を聞く時間を増やしていく。BGMのような聞き流しではなく、内容をわかろうとしながら聞く時間が、いちばん効きます。
まとめ
「周波数のせい」は、聞き取れない理由を生まれつきの耳のせいにします。
やさしい説明に見えて、努力の行き先を消してしまう説明でもあります。
聞き取れないのは、耳が悪いからじゃない。
その音を、まだ「別の音」として分けていないだけ。
専門家の「そんなわけない。」は、冷たい否定ではありません。耳のせいにして立ち止まっている人を、動ける場所に引き戻すための一言です。音の仕分け方は、今日からの練習で変えられます。
