
Memorial Day
メモリアル・デー(戦没将兵追悼記念日)の由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? メモリアル・デー(戦没将兵追悼記念日)の本当の話を、確かな資料でたどります。
1メモリアル・デーの由来:南北戦争と「墓を花で飾る日」
1861年から1865年まで続いたアメリカの南北戦争では、約62万人の兵士が亡くなりました。アメリカの歴史で最も多くの死者を出した戦争です。戦争のあと、町や村の人々は、春になると兵士の墓に花を供えるようになりました。
最も早い記念式の一つが、1865年5月1日、南部のサウスカロライナ州チャールストンで開かれました。町の競馬場は、戦争中、北軍の捕虜を入れる収容所になっていて、亡くなった257人の兵士がまとめて埋められていました。奴隷の身分から自由になったばかりの黒人の人々が、その兵士たちをきちんと埋葬し直し、花を供えて、約1万人で行進したのです。歴史家のデイヴィッド・ブライトは、これを「最初のメモリアル・デー」と呼んでいます。
ほかにも、ジョージア州コロンバスの女性たちの会や、ニューヨーク州ウォータールーの町(1866年5月5日)など、「ここが始まり」とされる場所はいくつもあります。墓を花で飾ることから、この日はもともと「デコレーション・デー(飾りの日)」と呼ばれていました。

2メモリアル・デーの歴史:5月30日から「最終月曜日」へ
国としての記念日が始まったのは1868年です。北軍の元兵士の会のリーダー、ジョン・A・ローガン将軍が5月5日に命令を出し、5月30日を兵士の墓を飾る日に決めました。なぜ5月30日か。どの戦いの記念日でもない日を選んだという説や、北部で花がいちばんよく咲くころだから、というローガン夫人の話が伝わっています。
1868年5月30日、首都ワシントンのとなりにあるアーリントン国立墓地では、のちに大統領になるジェームズ・ガーフィールドが演説し、約5000人が2万人の兵士の墓を小さな星条旗で飾りました。
「メモリアル・デー」という名前は1882年に初めて使われ、第二次世界大戦のあとに広まりました。法律で正式な名前になったのは1967年です。第一次世界大戦のころからは、南北戦争だけでなく、アメリカのすべての戦争で亡くなった兵士をしのぶ日になりました。
大きな変化は1968年。祝日を月曜日に移して3連休を増やす法律ができ、1971年から5月の最終月曜日になりました。
🕰️ メモリアル・デー(戦没将兵追悼記念日)の年表
- 1865年5月1日、チャールストンで自由になった黒人の人々が、北軍兵士257人を埋葬し直し、約1万人で行進する。
- 1868年ローガン将軍の命令で、5月30日に最初の全国的な「デコレーション・デー」。アーリントンで2万人の墓を旗で飾る。
- 1882年「メモリアル・デー」という名前が初めて使われる。
- 1966年ジョンソン大統領が、ニューヨーク州ウォータールーを「公式の発祥地」とする。
- 1967年連邦法で「メモリアル・デー」が正式な名前になる。
- 1971年1968年の法律により、5月の最終月曜日に移る。
3アメリカではどう過ごす?午後3時の黙とうと、25万本の旗
メモリアル・デーの前、アーリントン国立墓地では「フラッグス・イン」が行われます。陸軍の第3歩兵連隊の兵士約1500人が、約4時間で、墓石の一つひとつに約25万本の小さな星条旗を立てていくのです。当日は大統領が「無名戦士の墓」に花輪を供え、演説をします。
この日の国旗のあげ方には決まりがあります。朝、旗をいったんいちばん上まであげてから半旗の位置まで下ろし、正午までそのまま。正午になると、旗をいちばん上に戻します。2000年にできた法律で、午後3時には、それぞれの場所で少しの間手を止めて黙とうすることも呼びかけられています。式典では、ラッパの曲「タップス」が流れます。1862年、北軍が「消灯」の合図として使い始めた曲です。
赤いポピーの花も、この日のシンボルです。第一次世界大戦の詩『フランダースの野に』に心を動かされたアメリカの女性モイナ・マイケルが広め、1920年に退役軍人の会が正式なシンボルにしました。
その一方で、メモリアル・デーは「夏の始まり」でもあります。多くの会社が休みになる3連休で、週末旅行に出かけたり、庭でバーベキューやパーティーを開いたりする人もたくさんいます。自動車レースのインディ500も、この週末の名物です。
🎁 シンボルと小物
この日は正午まで半旗にします。アーリントン国立墓地では約25万本の小旗が立ちます。
第一次世界大戦の戦場に咲いた花。戦没者を思うしるしとして胸につけます。
1862年に「消灯」の合図として使われ始めたラッパの曲。今は追悼の式典で必ず流れます。
もとの名前「デコレーション・デー」は、墓を花で飾ることから。
4日本と世界の戦没者を悼む日:8月15日の正午、6月6日の午前10時
戦争で亡くなった人を悼む日は、世界中にあります。日本では8月15日の終戦の日に、政府が「全国戦没者追悼式」を開きます。1963年から毎年この日に行われ、1965年からは東京の日本武道館が会場です。第二次世界大戦で亡くなった約310万人の日本人を追悼し、正午の時報に合わせて1分間の黙とうをします。
韓国では6月6日が「顕忠日」。午前10時に全国でサイレンが鳴り、人々は1分間の黙とうをします。イギリスは11月の第2日曜日に戦没者追悼日曜日があり、午前11時に2分間の黙とう。オーストラリアとニュージーランドは4月25日のアンザック・デーで、夜明けの礼拝が開かれます。
アメリカのメモリアル・デーとよくまちがえられるのが、11月11日の「ベテランズ・デー(退役軍人の日)」です。メモリアル・デーは、戦争などで亡くなった兵士をしのぶ日。ベテランズ・デーは、軍で働いたすべての人、今生きている人も含めて感謝する日です。似ているようで、思いを向ける相手がちがうのです。ちなみに11月11日は、第一次世界大戦が終わった休戦の日。イギリスなどでは同じ日を「リメンブランス・デー」として戦没者を悼みます。
💡Fun Factsメモリアル・デー(戦没将兵追悼記念日)の豆知識 5連発
アーリントン国立墓地の「フラッグス・イン」では、約1500人の兵士が約4時間で約25万本の旗を立てます。
At Arlington, soldiers put about 250,000 small flags on graves in about four hours.
ラッパの曲「タップス」は、1862年に北軍で「消灯」の合図として使われ始めました。お葬式で使われたのは、銃の音で敵に居場所を知られないためだったという話があります。
Taps was first a song for lights out. Now people play it to remember soldiers.
1911年、南北戦争の元兵士の会は、メモリアル・デーに自動車レースのインディ500を開くことに強く反対しました。
In 1911, old soldiers did not want a car race on Memorial Day.
「メモリアル・デーの発祥地」は1966年にニューヨーク州ウォータールーと決められましたが、研究者からは疑問の声もあります。
In 1966, the government named Waterloo, New York, the birthplace of Memorial Day. But other towns say it started with them.
国旗は朝、いったん旗ざおのいちばん上まで勢いよくあげてから半旗にし、正午にまた上に戻します。
On Memorial Day, flags stay halfway down the pole until noon.
▶️Videos & Linksメモリアル・デー(戦没将兵追悼記念日)の動画とリンク集
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