
Burns Night
バーンズ・ナイトの由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? バーンズ・ナイトの本当の話を、確かな資料でたどります。
1バーンズ・ナイトの由来:農夫の詩人ロバート・バーンズ
1759年1月25日、スコットランド南西部のアロウェイという村で、ロバート・バーンズは生まれました。生まれたのは、父親が自分の手で建てた小さな家。今は博物館「バーンズ・コテージ」になっています。
バーンズは農場で働きながら、詩や歌を書きました。のちには税金を取りしまる役人の仕事もしています。彼の作品の多くは、英語ではなく「スコッツ語」で書かれました。スコットランドのふつうの人々が話していた言葉です。畑でネズミの巣をうっかり壊してしまったことを書いた詩「ネズミに寄せて」の一節は、のちにアメリカの作家スタインベックの小説『二十日鼠(はつかねずみ)と人間』の題名になりました。
バーンズは1796年7月21日、37歳の若さで亡くなります。それでも今、彼はスコットランドの「国民的詩人」です。2009年にスコットランドのテレビ局が行った投票では、映画『ブレイブハート』の英雄ウィリアム・ウォレスをわずかにおさえて「もっとも偉大なスコットランド人」に選ばれました。

2バーンズ・サパーの歴史:誕生日をまちがえた最初のクラブ
最初のバーンズ・サパーは1801年。バーンズが亡くなって5年後の命日(7月21日)に、生まれた家「バーンズ・コテージ」で開かれました。つまり最初は、誕生日ではなく命日の集まりだったのです。
翌年、港町グリーノックのバーンズ・クラブが、彼の誕生日を祝う夕食会を開きます。日付は1802年1月29日。ところが1803年、教会の記録を調べると、本当の誕生日は1月25日だったとわかりました。それ以来、夕食会は1月25日ごろに開かれるようになりました。
スコットランドの人々が世界中に移り住むにつれて、バーンズ・サパーも海をこえて広がりました。バーンズをたたえる記念切手を世界で最初に出したのは、イギリスではなく、1956年のソビエト連邦です。2021年には、多くのバーンズ・サパーがオンラインで開かれました。
🕰️ バーンズ・ナイトの年表
- 1759年1月25日ロバート・バーンズがスコットランドのアロウェイで生まれる。
- 1786年詩「ハギスに寄せて」を書く。ハギスがスコットランドの国民食になるきっかけに。
- 1788年「オールド・ラング・サイン」を歌の本の編集者に送る。
- 1796年7月21日37歳で亡くなる。
- 1801〜1803年命日に最初のバーンズ・サパー。翌年グリーノックで誕生日の会(1月29日とかんちがい)、1803年に本当の誕生日が判明。
- 1881年日本の『小学唱歌集』に、同じメロディーの「蛍の光」がのる。
3バーンズ・サパーの過ごし方:料理にむかって詩を読む夜
正式なバーンズ・サパーには、決まった流れがあります。
まず司会があいさつし、バーンズの作とされる短い食前の祈り「セルカーク・グレース」を唱えます。スープのあと、いよいよ主役の登場です。バグパイプの演奏に先導されて、ハギスが運ばれてきます。だれかがバーンズの詩「ハギスに寄せて」(1786年)を朗読し、詩の途中でナイフを入れて、ハギスを切り開きます。
ハギスは、羊の心臓・肝臓・肺を細かくきざみ、玉ねぎ、オート麦、脂、香辛料とまぜて、羊の胃袋などにつめて煮た料理です。つけ合わせは「ニープス・アンド・タティーズ」(カブとジャガイモのマッシュ)。スコッチ・ウイスキーで乾杯します。
食事のあとはスピーチの時間。バーンズの生涯をたたえる「不滅の記憶」の乾杯、男性から女性への「お嬢さんたちへの乾杯」、女性からのお返しのスピーチと続きます。冗談を言い合うのが楽しみです。最後に全員で手をつなぎ、「オールド・ラング・サイン」を歌って夜が終わります。
🎁 シンボルと小物
羊の内臓とオート麦などをつめて煮た料理。夜の主役で、詩をささげられる。
ハギスの入場を先導する楽器。お客さんの出むかえにも使われる。
乾杯の飲み物。ハギスといっしょに少しだけ飲む。
スコッツ語の詩や歌。夕食会では朗読したり歌ったりする。
夜の最後に、全員で手をつないで歌う。
4日本との意外な関係:「蛍の光」はバーンズが書き留めた歌
「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」は、スコッツ語で「遠い昔」「なつかしい日々」という意味です。バーンズは1788年、この歌を歌の本の編集者に送り、「老人が歌うのを書き取った」と書きそえました。実際、1711年の古い歌にも同じような歌詞があり、バーンズは昔からの歌を手直ししたと考えられています。今のメロディーも、バーンズが考えていた曲とは別のものだといわれます。
このメロディーに日本語の歌詞をつけたのが「蛍の光」です。1881年の『小学唱歌集』にのり、卒業式や紅白歌合戦の最後、お店の閉店の音楽として、すっかり日本の歌になりました。実は韓国でも、1945年から1948年まで、このメロディーで国歌が歌われていました。
スコットランドでは、この歌を大みそかの真夜中にも歌います。輪になって手をつなぎ、最後の節で腕を胸の前で交差させて、となりの人の手をにぎり直すのが本来のやり方です。
5よくある誤解とホント:ハギスは動物?スコットランド生まれ?
スコットランドには「ハギスは山にすむ野生動物だ」という冗談があります。ある調査では、スコットランドを訪れたアメリカ人の33%が、ハギスを動物だと思っていたそうです。
もう一つの意外な話。ハギスはスコットランドの国民食ですが、文字で残る最古のレシピは、1430年ごろのイングランドのものです。ハギスを国民食に押し上げたのは、バーンズの詩「ハギスに寄せて」でした。
そしてアメリカでは、本場のハギスを輸入できません。1971年から、羊の肺を使った食べ物が禁止されているためです。アメリカで売られるハギスは、肺を使わずに作られています。いっぽう、肉を使わないベジタリアン・ハギスは1984年に売り出され、今では売り上げの25〜40%をしめるほどです。
💡Fun Factsバーンズ・ナイトの豆知識 6連発
最初に誕生日のバーンズ・サパーを開いたグリーノックのクラブは、1802年1月29日に祝いました。本当の誕生日が1月25日だとわかったのは、その翌年です。
The first birthday supper was on January 29, 1802. But Burns was really born on January 25.
バーンズの記念切手を世界で最初に出した国は、1956年のソビエト連邦でした。
The first stamp for Burns came from the Soviet Union in 1956, not from Britain.
スタインベックの小説『二十日鼠と人間』(Of Mice and Men)の題名は、バーンズの詩「ネズミに寄せて」の一節から取られています。
The title of the book Of Mice and Men comes from a poem by Burns.
ボブ・ディランは、人生でいちばん影響を受けた歌詞として、バーンズの「赤い赤いバラ」をあげています。
Bob Dylan said Burns's "A Red, Red Rose" changed his life more than any other song.
アメリカでは1971年から、羊の肺を使った本場のハギスを輸入できません。
Real Scottish haggis cannot go into the United States. The law does not allow sheep lungs in food.
「蛍の光」と同じメロディーは、韓国で1945年から1948年まで国歌のメロディーとして使われていました。
The tune of "Auld Lang Syne" was once used for the national anthem of South Korea.
▶️Videos & Linksバーンズ・ナイトの動画とリンク集
What is Burns Night and how is it celebrated? | NewsroundBBC Newsround
Address to a Haggis | Burns Night 2024BBC Scotland
The Story of Robert BurnsBrand Scotland

