第2章|言語習得の科学2-1インプット仮説:わかる英語を大量に「i+1」は狙わなくていい。わかる英語を浴びれば勝手に混ざってくる

多読の効果を調べた49の研究、5,919人分のデータをまとめると、ある傾向が出てきました。効果が大きかったのは、英語圏で暮らしながら学ぶ人より、日本のように英語を外国語として学ぶ環境の人。子どもや中高生より、大人でした。この結果の土台には、1970年代の終わりから80年代のはじめにクラッシェンがまとめた仮説があります。強く批判されながら、40年たっても消えなかった考えです。それは、どんな仮説なのか。
この節の目次(6項目)
01クラッシェンの5つの仮説
アメリカの言語学者スティーブン・クラッシェンは、1970年代の終わりから80年代のはじめに、第二言語がどう身につくのかを説明する5つの仮説をまとめました。1982年の著書『Principles and Practice in Second Language Acquisition』は、今も本人のサイトで無料公開されています。
| 仮説 | ひとことで言うと |
|---|---|
| 習得と学習の区別 | 自然に身につく「習得」と、ルールを意識して覚える「学習」は別もの |
| 自然な順序 | 文法の要素は、だいたい決まった順番で身につく |
| モニター | 「学習」した知識は、話す・書くときのチェック係として働くだけ |
| インプット | 少しだけ上のレベルを含む、意味のわかる英語で習得が進む |
| 情意フィルター | 不安や緊張が強いと、インプットが頭に入りにくくなる |
このなかでいちばん有名なのが、4番目のインプット仮説です。クラッシェンは、人が今のレベルを「i」としたとき、「i+1」(少しだけ上の要素)を含む英語を、意味を理解しながら受け取ることで習得が進むと考えました。
ここで大事なのは「理解する」の中身です。クラッシェンの言う理解は、文法を分析できることではありません。メッセージの意味がわかることです。分からない部分があっても、場面や絵、前後の文から意味がつかめれば、それは「わかるインプット」になります。
02「i+1」をかみくだくと
たとえば、次の文はもう分かるとします。
- I like dogs.(犬が好きです)
そこに、こんな文が出てきたとします。
- I've liked dogs since I was little.(小さいころからずっと犬が好きです)
have + 過去分詞(現在完了)はまだ自信がない。でも、since I was little(小さいころから)と、犬の写真と、前後の話の流れから「昔から今までずっと好き」という意味はつかめます。これが「i+1」を含むインプットです。意味がわかったうえで、新しい形に何度も出会う。これをくり返すうちに、形が少しずつ自分のものになっていく、という考え方です。
クラッシェンはさらに、もう一歩ふみこんでいます。教材が「今日は現在完了」のように、+1を狙って1つずつ与える必要はないというのです。意味のわかる英語を十分な量だけ受け取っていれば、そのなかに自分にとっての+1は自然に含まれている、と書いています。
ポイント:「ちょうどいい難しさ」をピンポイントで探すより、「ほぼわかる英語」を大量に。これがインプット仮説の実践的な意味です。
逆に言えば、意味がつかめない英語は、いくら聞いても「i+1」になりません。ニュースを1日1時間流しても、内容がほとんど分からないなら、それはインプットではなく雑音に近い。英語を「聞き流すだけ」で伸びにくい理由はここにあります。
03モニター仮説:文法知識が働く3つの条件
クラッシェンは、ルールとして覚えた文法知識(学習)は、話したり書いたりするときの「チェック係(モニター)」として使われるだけだと考えました。しかも、チェック係が働くには3つの条件がそろう必要があるといいます。
- 時間がある:ふつうの会話では、ルールを思い出して当てはめる時間はほとんどない
- 形に注意を向けている:内容を伝えることに夢中だと、文法には気が回らない
- ルールを知っている:そもそも知らないルールは使えない
文法テストでは3つがそろいます。時間があり、問題が形に注目させ、ルールも覚えている。だから正解できる。ところが会話になると、1と2が崩れます。「三単現の s」はテストでは書けるのに、話すと He like soccer. と言ってしまう。これは多くの日本人が身に覚えのある現象で、モニター仮説で説明がつきます。
ただし、この「学習した知識は習得につながらない」という主張は、のちの研究で大きく修正されました。文法を勉強する意味については、この章の「明示的知識と暗示的知識」の節でくわしく見ます。
5つ目の「情意フィルター仮説」にも触れておきます。クラッシェンは、不安が強かったり自信がなかったりすると、心にフィルターがかかったようになり、わかるインプットを受け取っても習得に結びつきにくいと考えました。「緊張していると英語が頭に入らない」という実感に近い考えです。英語への不安と成績の関係は、その後たくさん調べられています。くわしくはこの章の最後の節「向き不向きはある?」で見ます。
04批判されたところ、生き残ったところ
クラッシェンの仮説は、英語教育を大きく動かしました。一方で、研究者からの批判も強いものでした。
- 確かめようがない:「i」や「+1」を、実験でどう測るのかがはっきりしない。「習得」と「学習」も、外から直接は見分けられない
- インプットだけでは足りない:カナダでフランス語漬けの授業(イマージョン教育)を受けた生徒は、聞く・読むは大きく伸びたのに、話す・書くの文法の正確さには差が残った。これが次の節のアウトプット仮説につながった
- 文法の説明は役に立つ:のちのメタ分析で、ルールを説明する指導には、はっきりした効果があると示された
それでもクラッシェンの考えは消えていません。Lichtman & VanPatten(2021)は「クラッシェンは正しかったのか?40年後」という論文で、「習得と学習」は今の「暗示的学習と明示的学習」に、「自然な順序」は「決まった順で発達すること」に、そして「インプットが中心」という考えは、今のすべての主要な理論に形を変えて受けつがれていると整理しています。
つまり、細かい主張には修正が入ったが、「意味のわかるインプットが土台」という核心は今も研究の真ん中にある。これが2020年代の落ち着いた評価です。
05研究が示す「量」の力:多読のメタ分析
「わかる英語を大量に」を実際に確かめた研究として、多読(やさしい本をたくさん読む学習法)の研究があります。
Nakanishi(2015)は、34本の研究、合計3,942人のデータをまとめるメタ分析(たくさんの研究の結果を統計的にまとめる方法)を行いました。多読をした学習者は、しなかった学習者より読解力が伸びており、効果の大きさは「中くらい」でした。Jeon & Day(2016)も49の研究、5,919人を分析し、同じく小〜中くらいの効果を確かめています。しかも、大人のほうが子どもや中高生より効果が大きく、英語を外国語として学ぶ環境(日本はこちら)のほうが、英語圏で暮らしながら学ぶ環境より効果が大きかったのです。
では、「わかる」とはどのくらいわかればいいのか。Hu & Nation(2000)は、物語文で知っている単語の割合を変えて理解度を調べ、辞書なしで十分に理解するには、本文の単語の98%程度を知っていることが目安になると提案しました。1ページ250語なら、知らない単語は5語程度です。この「98%」は今もよく引用されますが、後の再現研究では結果が一致しないこともあり、厳密な線というより「ほとんど知っている単語で読める」ことの目安と考えるのが安全です。
ポイント:教科書を精読するのは大事。でもそれだけでは「量」が足りません。精読で分かるようになった英語を、やさしい素材で大量に浴びる。この2本立てが研究とよく合います。
06日本の学習者は明日から何をするか
インプット仮説を毎日の勉強に落とすと、次のようになります。
1. 素材は「ほぼわかる」で選ぶ
読み物なら、知らない単語が1ページに数個まで。辞書を引かずに、話の筋がつかめるもの。リスニングなら、スクリプトを見ればほぼ分かり、見なくても半分以上は意味がとれるもの。背伸びした素材は「精読用」に回し、量をこなす素材とは分けます。
2. 毎日の「わかる英語」の時間を決める
| レベル | 読む | 聞く |
|---|---|---|
| 初級(英検3級前後) | やさしい読み物を10分 | 絵や字幕つきのやさしい動画を10分 |
| 中級(英検2級前後) | レベル別ニュースや Graded Readers を15分 | 学習者向けポッドキャストを15分 |
| 上級(準1級以上) | 興味のある分野のネット記事や洋書を20分 | ネイティブ向けの番組を20分 |
3. 分からなくても止まらない
多読では、1語ずつ辞書を引かず、分からない部分は飛ばして先へ進みます。同じ語に3回出会えば、たいてい意味の見当がつきます。
4. 時間か語数を記録する
「今週は何分、何語」と記録すると、量が目に見えて続けやすくなります。
5. ときどき「+1」を拾い上げる
1日の終わりに、気になった表現を1つだけノートに書き写す。インプットのなかの+1に、自分で光を当てる作業です(次の節以降の「気づき」につながります)。
言葉は「意味がわかる英語」を大量に浴びて育つ。土台はここ
今日からのやり方
- 知らない単語が1ページに数個までの、やさしい読み物か動画を1つ選ぶ
- 毎日10〜20分、辞書を引かずに意味をつかむことだけに集中して読む・聞く
- 分からない部分は止まらずに飛ばし、話の流れから推測する
- 読んだ語数か時間をメモし、1週間ごとに合計を見る
- 1日の終わりに、気になった表現を1つだけノートに書き写す
レベル別:あなたならこうする
絵本や学習者向けのレベル別読み物の一番やさしい段階から。音声つきの素材を選び、聞きながら目で追うと「わかる」の範囲が広がります。1日10分で十分です。
Graded Readers やレベル別ニュースで、少し物足りないくらいの段階を量で攻めます。精読する教材とは別に「量の素材」を必ず1つ持ちましょう。
興味のある分野のネイティブ向け記事・番組へ。同じテーマを続けて読むと、語彙が重なって理解が楽になります。分からない語が多すぎる素材は、量の素材から外します。
よくある失敗と対策
意味がほとんど分からない英語は、インプットではなく雑音に近いものです。半分以上の意味がつかめる素材に下げましょう。
量の素材では辞書を引かないのが基本です。辞書は精読用の素材で使い、量の素材では推測で先へ進みます。
インプットは土台ですが、話す・書く力は使う練習でも伸ばす必要があります。次の節のアウトプットと組み合わせましょう。
1 MIN
今日読める「ほぼわかる英語」を1つ選び、辞書なしで5分読んでみる
友だちに出したい、この節の3問
タップで答え。「X で出題する」で、そのまま問題として出せます。
2-1クラッシェンの「i+1」、「+1」は狙って作らなくていい?
クラッシェン本人は、教材で「+1」を狙い撃ちする必要はないと書いています。意味がわかる英語を十分な量だけ聞いたり読んだりしていれば、少し上の要素は自然に混ざってくる、という考えです。
2-1英語の多読、効果は子どもより大人のほうが大きかった?
49の研究をまとめた Jeon & Day(2016)のメタ分析では、多読の効果は子ども・中高生より大人で大きく、英語を外国語として学ぶ環境(日本のような環境)で大きいという結果でした。大人のやり直しにこそ向いた方法です。
2-1クラッシェンのインプット仮説は「間違い」だったの?
1980年代には「検証できない」と強く批判されました。しかし2021年の論文は、「意味のわかるインプットが学習の中心」という考えは、名前を変えて今の主要な理論に生き残っていると整理しています。
PRACTICE KIT
この節の実践キット
このサイトで練習する
原田英語のサイトで練習する
使えるサイト・アプリ
動画で学ぶ
もっと詳しく(コラム)
この節の根拠(研究・公式情報)
習得と学習の区別、自然な順序、モニター、インプット(i+1)、情意フィルターの5仮説を示した本。i+1は狙わなくても、わかるインプットが十分なら自然に含まれると述べている。
Krashen, S. D. (1982). Principles and Practice in Second Language Acquisition. Pergamon.出典を開く ↗クラッシェンの仮説は一時強く批判されたが、習得と学習の区別、発達の順序、インプットの中心的な役割は、名前を変えて今の理論に生きていると論じた。
Lichtman, K., & VanPatten, B. (2021). Was Krashen right? Forty years later. Foreign Language Annals, 54(2), 283–305.出典を開く ↗34研究・3,942人をまとめ、多読をした学習者はしなかった学習者より読解力が伸びた(中程度の効果, d = 0.46)。
Nakanishi, T. (2015). A meta-analysis of extensive reading research. TESOL Quarterly, 49(1), 6–37.出典を開く ↗49研究・5,919人の分析で多読に小〜中程度の効果。大人は子ども・中高生より、外国語環境(EFL)は第二言語環境(ESL)より効果が大きかった。
Jeon, E.-Y., & Day, R. R. (2016). The effectiveness of ER on reading proficiency: A meta-analysis. Reading in a Foreign Language, 28(2), 246–265.出典を開く ↗物語文で既知語の割合を変えて理解度を調べ、辞書なしで十分に理解するには既知語98%程度が目安と提案。ただし後の再現研究では結果が一致しない部分もある。
Hu, M. H.-C., & Nation, P. (2000). Unknown vocabulary density and reading comprehension. Reading in a Foreign Language, 13(1), 403–430.出典を開く ↗よくある質問
インプットだけで話せるようになりますか?
聞く・読む力の土台はインプットで育ちますが、それだけで話す・書く力が十分に伸びるとは限りません。カナダのイマージョン教育の研究では、インプットは豊富でも話す・書くの正確さに差が残りました。アウトプットとやりとりを組み合わせましょう。
どのくらいの量をこなせばいいですか?
研究で決まった「必要な時間」はありません。多読のメタ分析では、長く続けたプログラムほど効果が大きい傾向がありました。まずは毎日10〜20分を、数か月続けることを目標にしてください。
洋画を英語字幕なしで見るのはインプットになりますか?
内容の半分以上が分かるならなります。ほとんど分からない場合は、英語字幕つきにする、同じ場面を何度も見る、学習者向けの動画に下げる、のどれかで「わかる」状態をつくりましょう。



