
National Donut Day
ナショナル・ドーナツ・デーの由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? ナショナル・ドーナツ・デーの本当の話を、確かな資料でたどります。
1ナショナル・ドーナツ・デーの由来:戦場の「ドーナツ・ラッシー」
1917年、アメリカは第一次世界大戦に加わり、たくさんの若い兵士がフランスへ渡りました。キリスト教の慈善団体「救世軍」は、兵士たちのために何ができるかを調べ、前線の近くに「ハット」と呼ばれる休憩所を作ることにしました。焼き菓子を出し、手紙を書く紙や切手を用意し、服のほころびをつくろう場所です。
フランスへ渡った救世軍のボランティアは約250人。ハットの多くは前線近くの空き家などにあり、オーブンでパンやケーキを焼くのは大変でした。そこで、マーガレット・シェルダンとヘレン・パーヴィアンスという2人の女性が思いついたのが、鍋と油があれば作れるドーナツです。
道具は手元にある物で工夫しました。生地を輪の形にくりぬくのに使ったのは、ベーキングパウダーの缶や、コーヒーをいれる器具の筒。揚げたてのドーナツは、寒い前線にいる兵士たちの間で、たちまち大人気になりました。シェルダンは忙しい日の記録に「今日はパイを22個、ドーナツを300個、コーヒーを700杯作った」と書いています。
兵士たちは彼女たちを「ドーナツ・ガール」と呼びました。救世軍では女性の隊員を、スコットランドの言葉で「少女」を意味する「ラッシー」と呼んでいたので、今は「ドーナツ・ラッシー」という呼び名でも知られています。

2ナショナル・ドーナツ・デーの歴史:1938年、シカゴの募金から
戦争が終わって約20年後の1938年。アメリカは大恐慌のまっただ中で、仕事も食べ物もない人があふれていました。シカゴの救世軍は、困っている人を助けるお金を集めるために、ドーナツの日を始めました。もう一つの目的は、第一次世界大戦で兵士にドーナツを配った女性たちをたたえることでした。
つまりこの日は、お店の宣伝ではなく、慈善団体の募金の日として生まれたのです。日付は6月の第1金曜日。2026年は6月5日で、2027年は6月4日です。
戦場のドーナツは、次の戦争にも受けつがれます。第二次世界大戦では、アメリカ赤十字社の女性ボランティアがトラックやバスを改造した移動式の店で前線近くを回り、「ドーナツ・ドリー」と呼ばれました。赤十字が戦争中に配ったドーナツは、2億5400万個にのぼります。
今のナショナル・ドーナツ・デーは、ずいぶんにぎやかです。アメリカでは多くのドーナツ店が、この日に無料のドーナツを配ります。救世軍とドーナツチェーンが組んで、売り上げの一部を寄付する取り組みもあり、オーストラリアでも同じような募金が行われています。
🕰️ ナショナル・ドーナツ・デーの年表
- 1809年ワシントン・アーヴィングが、揚げた甘い生地の玉を「ダウ・ナッツ」と書く。
- 1847年ハンソン・グレゴリーが船の上でドーナツに穴をあけたと、のちに本人が語る。
- 1917〜1918年救世軍の女性たちが、フランスの前線近くで兵士にドーナツを揚げる。
- 1938年シカゴの救世軍が、募金のためにナショナル・ドーナツ・デーを始める。
- 1971年4月2日、大阪府箕面(みのお)市にミスタードーナツの日本1号店が開店。
- 2003年日本のミスタードーナツで「ポン・デ・リング」が発売される。
3doughnutとdonut、どっちが正しい?ドーナツの名前と穴のなぞ
英語のつづりは、もともと doughnut。dough(パンなどの生地)と nut(木の実)を合わせた言葉で、木の実のように小さく丸い生地から来たと考えられています。1809年、作家ワシントン・アーヴィングはニューヨークの歴史を書いた本の中で、豚の脂で揚げた甘い生地の玉を「ダウ・ナッツ」と紹介しています。オランダからの移民が持ちこんだ「オリークック」という揚げ菓子が、そのルーツの一つです。このころのドーナツには、まだ穴がありませんでした。
穴をあけたのはだれか。有名なのが、アメリカの船乗りハンソン・グレゴリーの話です。1847年、16歳のとき、船の上でブリキのこしょう入れを使って生地の真ん中をくりぬいたと、本人が語っています。ただし証拠は本人の話だけです。
短いつづりの donut が本に出てくるのは1900年が最初です。1920年代にドーナツ製造機の会社が、外国の客にも読みやすいように使い始めたという説もあります。1950年には「ダンキン・ドーナツ」という店名が生まれ、今ある会社で donut を使う最も古い例になっています。それでも英語の文章では、今も doughnut のつづりのほうが多く使われています。どちらも正しい英語です。
4日本のドーナツ:アメリカで消えたミスドが、日本で大人気
日本でドーナツが売られた古い記録は、1914年。東京の上野公園で開かれた東京大正博覧会で、実演販売が行われました。
大きく広まったのは1971年です。4月2日、大阪府箕面市にミスタードーナツの日本1号店が開店しました。運営したのは、もともと掃除用品の会社だったダスキン。創業者がアメリカでフランチャイズのしくみを学ぶ途中、ミスタードーナツを見て、日本に持ちこんだのです。
おもしろいのは、そのあと。ミスタードーナツは1955年にアメリカのボストンで生まれた店ですが、1990年にダンキン・ドーナツと同じ会社に買収され、北アメリカの店はほとんどダンキンに変わってしまいました。本国ではほぼ姿を消したのに、日本では町の定番の店になったのです。
2003年には、ブラジルのチーズパン「ポン・デ・ケージョ」をヒントにした「ポン・デ・リング」が登場。日本で人気になったもちもちのドーナツは、ハワイを通ってアメリカでも「モチ・ドーナツ」として広まりました。戦場で生まれた「ありがとう」の記念日は、こうして太平洋を行き来するドーナツの物語にもつながっています。
5よくある誤解とホント:アメリカ兵の「ドウボーイ」はドーナツから?
誤解:第一次世界大戦のアメリカ兵を「ドウボーイ」と呼ぶのは、ドーナツを食べていたから
ホント:この呼び名は、70年ほど前のアメリカ・メキシコ戦争(1846〜1848年)のころから歩兵のあだ名として使われていました。救世軍のドーナツが由来という話は、時代が合いません。
誤解:ナショナル・ドーナツ・デーはドーナツ会社が作った日
ホント:始めたのはシカゴの救世軍で、募金のための日でした。今はお店のサービスでにぎわいますが、もとの主役は戦場でドーナツを揚げた女性たちです。
🎁 シンボルと小物
前線近くでも、生地と油と鍋があれば作れました。兵士たちにたちまち大人気になりました。
ドーナツとセットで配られました。忙しい日は700杯もいれたという記録があります。
前線近くには型抜きがなく、缶などで生地を輪の形にくりぬきました。
救世軍が前線近くの空き家などに作った休憩所。ドーナツやコーヒーを出し、手紙の紙や切手も用意しました。
💡Fun Factsナショナル・ドーナツ・デーの豆知識 5連発
救世軍のシェルダンは、ある忙しい日に「パイ22個、ドーナツ300個、コーヒー700杯」を作ったと記録しています。
One woman made 300 donuts and 700 cups of coffee in one day.
第二次世界大戦中、アメリカ赤十字社は2億5400万個のドーナツと1億6300万杯のコーヒーを兵士に配りました。
In World War II, the Red Cross gave soldiers 254 million donuts.
国民1人あたりのドーナツの消費量とドーナツ店の数が世界一多いのは、カナダだと言われています。
People in Canada eat more donuts per person than people in any other country.
アメリカには、6月の第1金曜日のほかにも「ジャム入りドーナツの日(6月8日)」「クリーム入りドーナツの日(9月14日)」などがあります。
America also has a Jelly-Filled Donut Day and a Cream-Filled Donut Day.
ミスタードーナツの日本1号店は、1971年に大阪府箕面市のスーパーの敷地内にできました。2001年にいったん閉店しましたが、2004年に同じ場所で再オープンしました。
The first Mister Donut shop in Japan opened in Osaka in 1971.

