
Mother's Day & Father's Day in Japan
日本の母の日・父の日の由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? 日本の母の日・父の日の本当の話を、確かな資料でたどります。
1日本の母の日のはじまり:1913年、青山学院の3人の宣教師
日本の母の日は、3人の女性のリレーで始まりました。
1人目は、メアリー・J・ホルブルック。かつて東京の海岸女学校(青山学院の前身の一つ)で校長を務め、のちに宣教師のチャペルと結婚して「チャペル夫人」と呼ばれた人です。1909年、アメリカへ帰ったときに、母の日の運動を知りました。アメリカで最初の母の日の礼拝が開かれたのは1908年。まさに生まれたばかりの行事でした。
チャペル夫人は日本でも広めようとしましたが、病気になり、1912年に亡くなります。思いを託されたのが2人目、マイラ・E・ドレーパーです。青山女学院で教えていた彼女は、1913年、日本で最初の母の日の行事を開きました。青山学院は、ドレーパー夫人を「日本で最初に『母の日』の行事を行った人」と紹介しています。
3人目は、ファニー・G・ウィルソン。青山女学院の校長を務め、結婚してアレキサンダー夫人となった人です。彼女はその後も運動を続け、日本の有力な人々にはたらきかけました。
そして1932年5月8日、母の日は日本で初めて公式の形で祝われました。青山学院の資料センターには、この日のプログラムと、翌日の東京朝日新聞の記事が残っています。最初の行事から約20年。3人のリレーが、ようやくゴールに届いたのです。

2昭和の母の日:3月6日だった時代と「母の日大会」
実は昭和のはじめ、日本の母の日は5月ではありませんでした。
1931年(昭和6年)、全国の婦人会をまとめた「大日本連合婦人会」ができたとき、当時の皇后(香淳皇后(こうじゅんこうごう))の誕生日である3月6日を「母の日」と定めました。皇后の誕生日は「地久節(ちきゅうせつ)」と呼ばれていました。ただ、この3月6日の母の日は、一般にはあまり広まらなかったとされます。
一方で、5月の母の日も動き出します。1932年5月8日(5月の第2日曜日)には、東京市などが主催して日比谷公会堂で「母の日大会」が開かれました。アメリカと同じ「5月の第2日曜日にカーネーションを贈る」習慣を広めようとした、青山学院の関係者のはたらきかけがあったとされます。
1937年5月8日には、お菓子会社の森永製菓にかかわる会が主催して、東京の豊島園で第1回「森永母の日大会」が開かれました。企業が大きなイベントを開いたことで、母の日はさらに知られるようになります。
戦後の1949年ごろからは、アメリカにならって5月の第2日曜日が母の日として定着しました。その前の年の1948年にできた祝日法では、5月5日の「こどもの日」の意味に「母に感謝する」という言葉が入っています。日本では5月に、母に感謝する日が2回あるのです。
🕰️ 日本の母の日・父の日の年表
- 1909年チャペル夫人(ホルブルック)がアメリカで母の日の運動を知る。
- 1913年青山学院で教えていたドレーパー夫人が、日本で最初の母の日の行事を開く。
- 1931年大日本連合婦人会が、皇后の誕生日の3月6日を母の日と定める。
- 1932年5月8日日本で初めて公式に母の日が祝われる。日比谷公会堂で「母の日大会」。
- 1949年ごろ5月の第2日曜日が母の日として定着する。
- 1981〜1982年日本ファーザーズ・デイ委員会ができ、翌年に黄色いリボンキャンペーンとベスト・ファーザーの表彰が始まる。
3日本の父の日:1980年まで行事がなかった?
父の日が日本で広まったのは、母の日よりずっとあとです。
日本ファーザーズ・デイ委員会の説明によると、話は1980年にさかのぼります。日本のメンズファッションの業界団体の会長だった伊藤恭一さんが、ニューヨークでの国際会議で、アメリカの父の日のキャンペーンを知りました。そのころの日本には、「父の日」と名のつく行事がほとんどなかったといいます。
翌1981年、日本ファーザーズ・デイ委員会ができました。そして1982年、第1回の「父の日黄色いリボンキャンペーン」が始まります。合言葉は「黄色いリボンでお父さんに贈り物をしましょう」と「親のいない子に愛の手を」。同じ年に、その年の理想のお父さんを選ぶ「ベスト・ファーザー」の発表・表彰も始まりました。今では、毎年6月にニュースになる恒例の行事です。
その後も、1989年にはお父さんの似顔絵と作文のコンテストが始まりました。1994年には国連の「国際家族年」に合わせて、父の日に「よき家族であることを誓う日」という考え方も加えられています。
日本で父の日のシンボルカラーが黄色なのは、このキャンペーンから広まったものです。黄色いバラなどの黄色い花が父の日の贈り物として人気なのも、このキャンペーンの影響と言われます。
4よくある誤解とホント:日本の母の日・父の日
誤解1:母の日は戦後にアメリカから入ってきた。 最初の行事は1913年で、アメリカの最初の母の日(1908年)からわずか5年後です。戦後の1949年ごろに定着したのは「5月の第2日曜日」という日付のほうです。
誤解2:母の日は昔から5月。 1931年には、皇后の誕生日の3月6日が母の日とされたこともありました。日付が5月にそろうまでには、いくつもの動きがあったのです。
誤解3:父の日の黄色は、アメリカの伝統。 日本の父の日の黄色は、1982年に始まった日本の黄色いリボンキャンペーンから広まりました。日本ならではの色です。
誤解4:母の日・父の日は祝日。 どちらも日曜日で、国民の祝日ではありません。ただし、こどもの日(5月5日)は法律で「母に感謝する」日でもあります。
母の日の贈り物の習慣:お母さんが元気なら赤、亡くなっていれば白のカーネーションを贈る、という習慣が広く知られています。社会人になった人が、初めての給料で母親にプレゼントを買うきっかけにもなっています。
🎁 シンボルと小物
母の日の定番の花。母親が亡くなっている場合は白を贈る習慣もある。
日本の父の日のシンボル。1982年のキャンペーンから広まった。
黄色いバラやヒマワリが父の日の贈り物として人気。
💡Fun Facts日本の母の日・父の日の豆知識 6連発
日本で最初の母の日の行事は1913年。アメリカの最初の母の日の礼拝(1908年)から、わずか5年後でした。
Japan's first Mother's Day event was in 1913, only 5 years after the first one in America.
日本の母の日は、チャペル夫人・ドレーパー夫人・アレキサンダー夫人という、3人の女性宣教師のリレーで始まりました。
Three American women in Tokyo passed the idea of Mother's Day from one to the next.
1931年には、皇后の誕生日の3月6日が「母の日」とされたことがありました。
In 1931, a women's group in Japan chose March 6 for Mother's Day. It was the empress's birthday.
青山学院には、1932年5月8日の母の日のプログラムと、翌日の新聞記事が残っています。
A school in Tokyo still has the program from the Mother's Day event on May 8, 1932.
日本ファーザーズ・デイ委員会によると、1980年ごろの日本には「父の日」と名のつく行事がほとんどありませんでした。
Around 1980, Japan had almost no events for Father's Day.
こどもの日(5月5日)を決めた法律には、「母に感謝する」という言葉が入っています。
The law for Children's Day on May 5 says it is also a day to thank mothers.
▶️Videos & Links日本の母の日・父の日の動画とリンク集
Wynton Harvey - Fathers Day GiftAsk Steve Reruns - Unofficial and Fan-based ONLY
Japan encourages parents to let kids walk to school soloCBS Mornings
The Powerful Message About A Mother's LoveMarc Mero
