Black History Month

黒人歴史月間(ブラック・ヒストリー・マンス)の由来と歴史(詳しく)

いつから?なぜ?名前の意味は? 黒人歴史月間(ブラック・ヒストリー・マンス)の本当の話を、確かな資料でたどります。

1黒人歴史月間の由来:炭鉱で働いた少年が始めた「ニグロ歴史週間」

1926年2月、アメリカの黒人の学校や教会で、ある1週間が始まりました。名前は「Negro History Week(ニグロ歴史週間)」。言い出したのは、歴史学者のカーター・G・ウッドソンです。これが、今の黒人歴史月間(ブラック・ヒストリー・マンス)の出発点でした。

ウッドソンは1875年、バージニア州で生まれました。両親はどちらも、かつて奴隷にされていた人です。少年時代はウェストバージニア州の炭鉱で働き、学校にはほとんど通えませんでした。高校にきちんと入学できたのは20歳のとき。それでも学び続け、1912年にハーバード大学で歴史学の博士号を取ります。黒人としては、W・E・B・デュボイスに続いて2人目でした。

博士になったウッドソンが向き合ったのは、教科書の中に黒人がほとんど登場しないという現実でした。彼は「歴史を持たない民族は、世界から軽く見られ、消されてしまう危険がある」と考えます。

1915年9月、ウッドソンはシカゴで仲間と「黒人の生活と歴史を研究する協会(ASNLH)」を作りました。この夏のシカゴでは、奴隷解放から50年を祝う催し「リンカーン・ジュビリー」が開かれていました。翌1916年には研究雑誌を創刊。そして1926年、研究者だけでなく子どもたちにも黒人の歴史を届けようと始めたのが、ニグロ歴史週間です。

最初の年の反応は、大きくありませんでした。協力したのは、ノースカロライナ・デラウェア・ウェストバージニアの3州の教育局と、ボルティモア、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.の学校くらいでした。今でこそ「ニグロ」は差別的に響く言葉ですが、当時は黒人自身も使う、改まった呼び方でした。

黒人歴史月間(ブラック・ヒストリー・マンス)(Black History Month)のイラスト

2黒人歴史月間はなぜ2月?リンカーンとダグラス、2人の誕生日

2月12日はエイブラハム・リンカーン、2月14日はフレデリック・ダグラスの誕生日です。ウッドソンが2月の第2週を選んだのは、この2人の誕生日が入る週だったからです。

リンカーンは奴隷解放宣言を出した大統領。ダグラスは奴隷の身から逃げ出し、演説と新聞で奴隷制と戦った、19世紀でもっとも有名な黒人です。黒人の社会では19世紀の終わりから、この2人の誕生日を祝う習慣がありました。1897年には、教育者メアリー・チャーチ・テレルの働きかけで、ワシントンD.C.の学校がダグラスの誕生日の午後を「ダグラス・デー」にしています。ウッドソンは新しい記念日をゼロから作ったのではありません。人々がすでに祝っていた日に、歴史を学ぶ中身をのせたのです。

おもしろいのは、ダグラスの誕生日が「本人が選んだ日」だということです。奴隷として生まれた人は自分の誕生日を知らされないことが多く、ダグラスも生まれた年さえはっきりしませんでした。そこで自由の身になったあと、母が自分を「小さなバレンタイン」と呼んでいた記憶から、2月14日を誕生日にしたと伝えられています。母は約12マイル(約19キロ)離れた農園で働かされ、夜に歩いて会いに来ることが数回できただけでした。

2月には、ほかにも節目があります。黒人の権利を守る団体NAACP(全米黒人地位向上協会)が生まれたのは、1909年2月12日。リンカーンの生誕100年の日でした。

3黒人歴史月間の歴史:1週間が1か月になり、100周年へ

ニグロ歴史週間は少しずつ広がり、全米の市長たちが毎年この週を宣言するようになりました。1960年代、公民権運動が盛り上がると、大学のキャンパスで「1週間では足りない」という声が上がります。

1969年2月、オハイオ州のケント州立大学で、黒人の教員と学生団体「ブラック・ユナイテッド・スチューデンツ」が1か月の黒人歴史月間を提案しました。最初の月間は、1970年1月2日から2月28日まで。学生たちの黒人文化センター「クンバ・ハウス」を中心に開かれました。最初の年は2か月近くあったのです。

1976年はアメリカ建国200年。国中が自分たちの歴史を見直していたこの年、ウッドソンの協会は週間を月間に広げます。2月10日、ジェラルド・フォード大統領は、大統領として初めて黒人歴史月間を認めるメッセージを出しました。「あまりにも見過ごされてきた黒人アメリカ人の業績をたたえる機会をつかもう」という呼びかけです。協会が求めていたのは正式な「宣言」でしたが、フォードが出したのは「メッセージ」でした。その後も、歴代の大統領が2月を黒人歴史月間として認めてきました。

1986年には連邦議会が法律(公法99-244)を通し、1986年2月を「全米黒人(アフロ・アメリカン)歴史月間」としました。大統領が署名したのは2月11日です。

毎年の月間には、協会(今の名前はASALH)がテーマを決めます。2025年は「アフリカ系アメリカ人と労働」。そして2026年は、ニグロ歴史週間からちょうど100年。テーマは「黒人の歴史をたたえてきた100年」でした。

🕰️ 黒人歴史月間(ブラック・ヒストリー・マンス)の年表

  1. 1897年ワシントンD.C.の学校が、ダグラスの誕生日の午後を「ダグラス・デー」にする。
  2. 1909年2月12日リンカーン生誕100年の日に、NAACP(全米黒人地位向上協会)が生まれる。
  3. 1912年カーター・G・ウッドソンがハーバード大学で歴史学の博士号を取る。
  4. 1915年9月ウッドソンらがシカゴで「黒人の生活と歴史を研究する協会(ASNLH)」を作る。
  5. 1926年2月第1回「ニグロ歴史週間」。リンカーンとダグラスの誕生日が入る2月第2週。
  6. 1970年1月2日〜2月28日ケント州立大学で、最初の黒人歴史月間が開かれる。
  7. 1976年2月10日フォード大統領が、大統領として初めて黒人歴史月間を認めるメッセージを出す。
  8. 1986年2月11日1986年2月を「全米黒人(アフロ・アメリカン)歴史月間」とする法律(公法99-244)が成立。
  9. 1987年10月1日ロンドンでイギリス最初の黒人歴史月間が始まる(10月)。
  10. 1995年12月カナダ下院が、2月を黒人歴史月間とする動議を全会一致で可決。
  11. 2008年カナダ上院でも、ドナルド・オリバー議員の動議が認められる。
  12. 2026年2月ニグロ歴史週間から100年。テーマは「黒人の歴史をたたえてきた100年」。

4「Black History Month」の意味:ニグロ、ブラック、アフリカン・アメリカン

英語の名前は Black History Month。「黒人の歴史の月」という意味で、日本語では「黒人歴史月間」と訳されます。

この100年で、呼び名は時代とともに変わってきました。1926年の名前は Negro History Week。1960年代の公民権運動のころから、黒人自身が誇りをこめて Black という言葉を使うようになり、1970年に生まれた名前は Black History Month でした。1980年代の終わりごろからは African American(アフリカ系アメリカ人)という言い方も広まります。大統領の宣言でも、National African American History Month と書いた年もあれば、National Black History Month と書いた年もあります。

ウッドソンの協会の名前も変わりました。最初は「ニグロ」の名を使っていましたが、1976年のフォード大統領のメッセージでは「アフロ・アメリカン」の協会として紹介され、今は「アフリカン・アメリカン」の名を持つASALHになっています。

ウッドソン自身は、名前についてこんなこだわりを持っていました。学ぶべきなのは「ニグロの歴史」という別の歴史ではなく、「歴史の中のニグロ」だ、と。黒人の歴史をアメリカの歴史から切りはなすのではなく、その中に正しく書き入れる。これが彼の目標でした。

month(月)は、moon(月)と同じところから生まれた言葉です。カレンダーの「月」と夜空の「月」が同じ言葉なのは、日本語と英語の意外な共通点です。

5アメリカでの過ごし方:学校が「生きたろう人形館」になる月

2月になると、アメリカの学校の廊下には、黒人の歴史上の人物を紹介する掲示や年表が貼り出されます。図書館には特集コーナーができ、授業では奴隷制や公民権運動の歴史、黒人の科学者や作家、音楽家について学びます。

小学校で人気なのが「リビング・ワックス・ミュージアム(生きたろう人形館)」です。子どもたちは1人1人、黒人の歴史上の人物を調べ、その人の服装をして体育館などに並びます。見学者がボタンを押すと「人形」が動き出し、「私はローザ・パークスです」と自分の人生を語りはじめる、という仕かけの学校もあります。飛行士のベシー・コールマン、奴隷解放運動家のソジャーナ・トゥルース、体操のシモーン・バイルズなど、選ばれる人物は昔の偉人から今のスターまでさまざまです。

集会では、「黒人の国歌」とも呼ばれる歌『リフト・エヴリ・ヴォイス・アンド・シング』がよく歌われます。この歌詞は、もとはリンカーンの誕生日を記念して書かれた詩で、1900年にフロリダ州ジャクソンビルの500人の生徒が初めて声に出しました。

2月14日のころには「ダグラス・デー」の催しもあります。何千人もの人が集まり、黒人の歴史資料の手書きの文字を、みんなで打ちこんでデジタル化する「書き起こしマラソン」です。ダグラスの誕生日を祝うケーキのコンテストまであります。

授業でよく取り上げられるのは、地下鉄道(奴隷の逃亡を助けた秘密のネットワーク)で約13回、奴隷州のメリーランドへもどり、約70人を自由へ導いたハリエット・タブマン。ピーナッツの研究で知られる科学者ジョージ・ワシントン・カーヴァー。そして1955年にバスの席を譲らなかったローザ・パークスです。

🎁 シンボルと小物

📅2月February

リンカーン(12日)とダグラス(14日)の誕生日がある月。イギリス・アイルランドは10月。

📚歴史の本history books

学校や図書館に特集コーナーができ、黒人の作家や偉人の本が並ぶ。

🎶リフト・エヴリ・ヴォイス・アンド・シングLift Every Voice and Sing

「黒人の国歌」と呼ばれる歌。もとはリンカーンの誕生日のための詩で、1900年に500人の生徒が初めて声に出した。

🟥赤・黒・緑red, black and green

1920年にマーカス・ガーヴィーの団体が定めた「汎アフリカ旗」の色。月間の飾りによく使われる。

⭐北極星North Star

逃亡する人々が北を目指す目印にした星。ダグラスは自分の新聞を『ノース・スター』と名づけた。

🚌モンゴメリーのバスMontgomery bus

1955年、ローザ・パークスが席を譲らなかったバス。381日間のボイコットにつながった。

🎂ダグラス・デーのケーキDouglass Day cake

2月14日ごろの「ダグラス・デー」では、誕生日ケーキのコンテストも開かれる。

🍽️ この日の食べ物

🍗ソウルフードsoul food

アメリカ南部の黒人の家庭料理。フライドチキン、青菜の煮込み、コーンブレッドなど。月間の食事会で出されることもある。

🥧スイートポテトパイsweet potato pie

さつまいものパイ。南部の黒人家庭の定番のデザート。

🥜ピーナッツpeanuts

科学者カーヴァーが研究した作物。1916年に「105通りの食べ方」を紹介する冊子を出した。ピーナッツバターの発明者ではない。

🍰誕生日ケーキbirthday cake

ダグラス・デーでは、自分で誕生日を選んだダグラスのためにケーキを焼くコンテストがある。

6海外の黒人歴史月間:カナダは2月、イギリスは10月の理由

アメリカの外にも、黒人歴史月間は広がっています。ただし、月は国によって違います。

カナダはアメリカと同じ2月です。1979年にトロント市が国内で初めて黒人歴史月間を宣言し、1993年にオンタリオ州が続きました。1995年12月、カナダで初めての黒人女性の国会議員ジーン・オーガスティンの動議を、下院が全会一致で可決。2008年には、初めての黒人男性の上院議員ドナルド・オリバーの動議が上院で認められました。

イギリスは10月です。始まりは1987年10月1日のロンドン。ガーナ出身のアクヤーバ・アダイ=セボが、大ロンドン議会(1986年に廃止)の仕事を引きついだ組織の仲間と立ち上げました。きっかけは、同僚の6歳の息子が母親に「どうしてぼくは白人になれないの?」と聞いたこと。アダイ=セボは、アフリカが世界の文明にしてきた貢献を祝い続ける場が必要だと考えたといいます。

なぜ10月なのでしょう。仲間のアンセル・ウォンは、長い夏休みが明けて新しい学年が始まり、子どもたちがまだ勉強に追われていない時期だから、と説明しています。アフリカでは実りの季節で、昔からリーダーたちが集まって争いを収める時期でもありました。そして「アメリカをそのまままねるのではなく、イギリスの形にしたかった」という思いもあったそうです。

アイルランドも10月です。2010年、19世紀に奴隷制廃止運動がさかんだったコーク市で始まりました。1845年には、ほかならぬフレデリック・ダグラスがコークを訪れ、演説をしています。ドイツでは1990年からベルリンで2月に、オランダでは2015年から10月に「ブラック・アチーブメント・マンス」が開かれています。

7日本と黒人の歴史:信長に仕えた弥助と、1919年の「人種平等」

日本では、黒人歴史月間は祝日でも公式の記念日でもありません。でも日本と黒人の歴史には、意外なつながりがあります。

1581年3月、京都。イエズス会の宣教師ヴァリニャーノのお供として、アフリカ出身とされる1人の男性が織田信長の前に現れました。見物人が押し寄せ、宣教師の住まいの戸が壊れるほどの騒ぎだったといいます。信長は肌の色が本物かどうか疑い、体を洗わせたと伝えられています。『信長公記』は、その力は10人の男にまさると書いています。信長は彼に「弥助」という名を与え、刀と屋敷、扶持(給料)まで与えます。翌1582年の本能寺の変では、信長の息子・信忠のもとで戦いました。刀や扶持を与えられたことから武士の身分になったと見る研究者がいる一方、当時の「侍」の意味そのものがあいまいなため、弥助を「侍」と呼べるかどうかは今も議論が続いています。

時代は進んで1919年1月7日、ニューヨーク。パリ講和会議に向かう途中の黒岩涙香が、ホテルのウォルドーフ・アストリアで黒人の活動家たちと会いました。涙香は新聞「萬朝報」の創業者で、『巌窟王』『噫無情』の翻案でも知られる人です。会を開いたのは、黒人女性向けのヘアケア商品で成功し、アメリカで最初に自力で百万長者になった女性とされるマダム・C・J・ウォーカー。活動家たちは、日本が会議に出そうとしていた「人種差別撤廃提案」に期待を寄せていました。話し合いの詳しい中身はよくわかっていませんが、涙香は協力を約束したと伝えられています。

4月11日、国際連盟の規約を話し合う委員会で、提案は出席した17人のうち11人の賛成を集めました(反対はゼロ)。しかし、議長のウィルソン米大統領が「全会一致が必要」として退けました。日本の提案には、移民の問題など自国民への差別をなくしたいという国益の面も大きかった、と研究者は指摘しています。それでも、海の向こうで日本の提案に希望を重ねた人たちがいたのです。

今の日本では、横田基地など在日アメリカ軍の基地や、インターナショナルスクールで、2月に黒人歴史月間の行事が開かれています。

8黒人歴史月間のよくある誤解とホント:「一番短い月を押しつけられた」は本当?

誤解1:「一番短い月を、わざと押しつけられた」
よく聞く話ですが、事実とは違います。2月を選んだのは黒人の歴史学者ウッドソン本人で、理由はリンカーンとダグラスの誕生日でした。しかも1926年に始まったのは「1週間」で、月の長さは関係ありませんでした。1か月に広げたのも、大学の黒人学生たちとウッドソンの協会です。協会のために書いたマーシャル大学のバーニス・モリス教授も、「2月を選んだことに、悪意のある理由はなかった」と述べています。

誤解2:「黒人だけのための行事」
ウッドソンの目標は、黒人の子どもが誇りを持てるようにすることと同時に、すべての人の歴史の見方を正すことでした。1986年のレーガン大統領の宣言も、この月の一番の目的を「すべてのアメリカ人」に自由と平等を求める闘いを知ってもらうことだ、と書いています。

誤解3:「だれもが大賛成している」
黒人の中にも反対の声はあります。俳優のモーガン・フリーマンは2005年のテレビのインタビューで、この月間を「ばかげている」と言いました。黒人の歴史はアメリカの歴史であり、1か月に閉じこめるべきではない、という意見です。一方で、特別な月があるからこそ学校で取り上げられる、と考えて支持する人も多く、議論は今も続いています。

誤解4:「ローザ・パークスは、疲れていたから席を譲らなかった」
1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリーのバスで、白人に席を譲らず逮捕された42歳のローザ・パークス。体が疲れていたから、という話が広まりましたが、本人は「疲れていたのは、言いなりになることにだった」と語っています。この逮捕から始まったバスのボイコットは、381日間続きました。

💡Fun Facts黒人歴史月間(ブラック・ヒストリー・マンス)の豆知識 10連発

No.1

フレデリック・ダグラスは自分の誕生日を知りませんでした。母に「小さなバレンタイン」と呼ばれた記憶から、2月14日を誕生日に選んだと伝えられています。

Frederick Douglass did not know his birthday. He chose February 14 himself.

No.2

NAACP(全米黒人地位向上協会)は、1909年2月12日、リンカーンの生誕100年の日に生まれました。

The NAACP started on February 12, 1909, Lincoln's 100th birthday.

No.3

最初の黒人歴史月間(ケント州立大学)は、1970年1月2日から2月28日まで。2か月近くありました。

The first Black History Month in 1970 ran from January 2 to February 28.

No.4

1976年、フォード大統領が出したのは正式な「宣言」ではなく「メッセージ」でした。協会は宣言を求めていました。

In 1976, President Ford sent a message, not an official proclamation.

No.5

ウッドソンは1903年から1907年まで、フィリピンで学校の監督官として働いていました。

Carter G. Woodson worked in the Philippines from 1903 to 1907.

No.6

「黒人の国歌」と呼ばれる『リフト・エヴリ・ヴォイス・アンド・シング』は、もとはリンカーンの誕生日のために書かれた詩です。

Lift Every Voice and Sing was first written as a poem for Lincoln's birthday.

No.7

ピーナッツの研究で有名なジョージ・ワシントン・カーヴァーは、ピーナッツバターの発明者ではありません。よくある誤解です。

George Washington Carver did not invent peanut butter. That is a common mistake.

No.8

ハリエット・タブマンは約13回、奴隷州のメリーランドへもどり、約70人を自由へ導きました。本人は「一人の乗客も失わなかった」と語っています。

Harriet Tubman went back about 13 times and led about 70 people to freedom.

No.9

カナダの10ドル札には、1946年に映画館の白人専用の席から動かず逮捕されたヴィオラ・デズモンドが描かれています。この札は2018年に登場しました。

Viola Desmond, a Black Canadian woman, is on Canada's 10-dollar bill.

No.10

2026年はニグロ歴史週間から100年。ASALHのテーマは「黒人の歴史をたたえてきた100年」でした。

In 2026, the celebration of Black history turned 100 years old.

▶️Videos & Links黒人歴史月間(ブラック・ヒストリー・マンス)の動画とリンク集

Black History for Kids: Meet the Icons Who Made a DifferenceFresberg Cartoon – Learning & History for Students

Black History Month | All You Need to Know | NewsroundBBC Newsround

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