
Australia Day
オーストラリア・デーの由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? オーストラリア・デーの本当の話を、確かな資料でたどります。
1オーストラリア・デーの由来:1788年1月26日、11隻の船
1788年1月26日、イギリスから8か月あまりかけてやってきた11隻の船団が、今のシドニーにある入り江「シドニー・コーブ」に錨(いかり)をおろしました。率いていたのはアーサー・フィリップ。「第一船団(ファースト・フリート)」と呼ばれるこの船団に乗っていた約1400人のうち、半分以上は囚人。それを見張る兵士たちもいっしょでした。最後の船が錨をおろしたのは、午後3時ごろだったといわれます。
ここからイギリスの植民地づくりが始まりました。オーストラリア・デーは、この日を記念しています。
でも、そこは無人の土地ではありませんでした。アボリジナルの人々の祖先がこの大陸にやってきたのは、5万〜6万5000年前と考えられています。ヨーロッパ人が来たころには、250をこえる言葉が話されていました。人類の歴史の中でも、とびぬけて長く続いてきた文化です。

2オーストラリア・デーの歴史:名前も日付も、少しずつ決まった
最初にこの日を祝った記録は1808年。刑期を終えた元囚人たちが中心でした。1818年には、ニューサウスウェールズ植民地の総督マッコーリーが30周年を祝って、大砲を30発鳴らしました。50周年の1838年には50発。これがオーストラリアで最初の祝日だったといわれます。
当時の呼び名は「記念日(Anniversary Day)」や「建設記念日(Foundation Day)」。実は第一次世界大戦中の1915年には、けがをした兵士のための募金の日として、7月30日に「オーストラリア・デー」が開かれたこともあります。
1935年には、すべての州が1月26日を祝い、「オーストラリア・デー」という名前も決まりました。ただしニューサウスウェールズ州だけは「記念日」の名前を使い続け、全国で名前がそろったのは1946年です。1949年1月26日には、オーストラリアの「市民権」の制度が始まります。そして1994年、どの州も曜日に関係なく1月26日に祝うことになり、今の形が整いました。
🕰️ オーストラリア・デーの年表
- 5万〜6万5000年前アボリジナルの人々の祖先がオーストラリア大陸にたどり着いたと考えられている。
- 1788年1月26日アーサー・フィリップの第一船団11隻がシドニー・コーブに到着。
- 1818年マッコーリー総督が30周年を祝い、大砲30発。最初の公式なお祝い。
- 1935年すべての州が1月26日を祝い、「オーストラリア・デー」の名前に決まる(ニューサウスウェールズ州がそろうのは1946年)。
- 1938年150周年の日に、先住民の人々が「追悼の日」の抗議を行う。
- 1994年全国で曜日に関係なく1月26日を祝日とする形になる。
3オーストラリア・デーの過ごし方:フェリーレースと市民権の式典
南半球の1月は真夏です。この日は、家族や友だちと公園や浜辺でバーベキューをして過ごす人がたくさんいます。
シドニーの1日は、夜明けの静かな時間から始まります。日の出とともに港で「夜明けの振り返り」があり、続いて先住民の文化をたたえる朝の儀式「ウグロラ」。昼には港で、通勤フェリーが競走する「フェリーソン」。シドニー湾のボートのレースは、1837年から続く伝統です。夜は花火で終わります。
もう一つの大切な行事が、市民権の式典です。外国生まれの人がオーストラリアに忠誠をちかい、正式に国民になります。2011年には、300をこえる式典で、143か国出身の約1万3000人がオーストラリア人になりました。前の晩には、その年の「オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」が発表されます。
🎁 シンボルと小物
シドニー湾で通勤フェリーが競走する、この日の名物。
外国生まれの人が正式にオーストラリア国民になる式。全国の町で開かれる。
真夏の祝日の定番の過ごし方。公園や浜辺で家族と楽しむ。
黒・赤・黄の旗。インベージョン・デーの行進でかかげられる。
4なぜ「インベージョン・デー(侵略の日)」と呼ばれるのか
アボリジナルとトレス海峡諸島の人々の多くにとって、1月26日は、土地や家族、言葉や命を奪われる歴史が始まった日です。そのため、この日を「インベージョン・デー(侵略の日)」や「サバイバル・デー(生き延びた日)」と呼ぶ人がいます。
抗議の歴史は長く、150周年の1938年には先住民の人々が「追悼の日(Day of Mourning)」を開きました。200周年の1988年には、シドニーのお祝いに250万人以上が集まるいっぽうで、先住民の人々が「侵略の日」の集会を開いています。2018年のメルボルンでは、抗議の行進に数万人が集まったと伝えられます。若者に人気のラジオ局 triple j は、1998年から1月26日に放送してきた人気曲ランキングを、聞き手の調査(約60%が賛成)をふまえて、2018年から別の日に移しました。
いっぽうで、日付を変えずに祝いたいという人も多くいます。2026年1月の世論調査では、60.5%が1月26日のままでよいと答え、72%が「オーストラリア・デー」という名前を支持しました。ただし調査によって結果はばらつき、若い世代ほど変更を望む声が多い傾向もあります。公式の行事は「振り返り、敬い、祝う」をかかげ、先住民の儀式を組み入れるようになっています。
5よくある誤解とホント:1月26日は「建国記念日」ではない
オーストラリア・デーは「オーストラリアの建国記念日」と紹介されることがあります。でも、オーストラリアという国(連邦)が生まれたのは1901年1月1日。それまでは6つの植民地に分かれていました。また、植民地が正式に宣言されたのも、1788年の2月7日です。1月26日は、あくまで船団が着いた日なのです。
日本にも、日付をめぐって議論が続いた祝日があります。2月11日の建国記念の日は、戦後に一度なくなり、意見が大きく分かれた末に1966年に復活しました。国の「始まりの日」をいつにするかは、どの国にとっても簡単な問題ではないのです。
💡Fun Factsオーストラリア・デーの豆知識 6連発
1915年、第一次世界大戦中の「オーストラリア・デー」は7月30日でした。けがをした兵士のための募金の日だったのです。
In 1915, Australia Day was on July 30. People raised money for hurt soldiers.
オーストラリアで最初の祝日は、1838年の50周年の1月26日だったといわれます。大砲が50発鳴らされました。
In 1838, people fired 50 guns for the 50th anniversary.
オーストラリアの「市民権」の制度は、1949年1月26日に始まりました。今もこの日に多くの人が国民になります。
Australian citizenship started on January 26, 1949.
2011年のオーストラリア・デーには、143か国出身の約1万3000人が市民権の式典でオーストラリア人になりました。
In 2011, about 13,000 people from 143 countries became Australians on this day.
ラジオ局 triple j の人気曲ランキング「Hottest 100」は1998年から1月26日に放送されていましたが、2018年から1月の第4週末に移りました。
A famous radio countdown moved away from January 26 in 2018.
オーストラリアという国(連邦)の誕生日は、実は1901年1月1日です。
Australia became one nation on January 1, 1901.
▶️Videos & Linksオーストラリア・デーの動画とリンク集
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