
Anzac Day
アンザック・デーの由来と歴史(詳しく)
いつから?なぜ?名前の意味は? アンザック・デーの本当の話を、確かな資料でたどります。
1アンザック・デーの由来:1915年4月25日、ガリポリの夜明け
1915年4月25日の夜明け前。トルコのガリポリ半島の浜に、オーストラリアとニュージーランドの兵士たちを乗せたボートが近づいていきました。第一次世界大戦で、両国の部隊にとって初めての大きな戦いです。
ところが、ボートは予定より約2km北の入り江に着いてしまいます。潮の流れか、方向のまちがいが原因と考えられています。目の前は急な崖と深い谷。オスマン帝国(今のトルコ)の軍も激しく守り、戦いは長引きました。約8か月後、連合国軍は撤退します。この戦いで、オーストラリア兵8,709人、ニュージーランド兵2,721人が亡くなりました。オスマン帝国側の犠牲もとても大きなものでした。
翌年の1916年4月25日、ロンドンでの行進やエジプトでの催しなど、各地で最初の追悼が行われ、この日は「アンザック・デー」と呼ばれるようになりました。今では第一次世界大戦だけでなく、すべての戦争や平和維持活動で亡くなった人々を追悼する日です。

2ANZACの意味:5文字の略語が、法律で守られる言葉に
ANZAC は「Australian and New Zealand Army Corps(オーストラリア・ニュージーランド軍団)」の頭文字です。オーストラリア戦争記念館によると、エジプトにいた通信兵が考え出した略語でした。
この5文字は、やがて特別な言葉になります。兵士が上陸した入り江は「アンザック湾(Anzac Cove)」と名づけられ、ガリポリで戦った兵士自身も「アンザック」と呼ばれるようになりました。オーストラリアでは1921年から、この言葉の使い方が国の法律で決められています。勝手に商品名などに使うことはできません。
有名なのがアンザックビスケットです。オートミールとゴールデンシロップで作る素朴なおやつで、お店で売るときは「ビスケット」と呼ぶ決まりがあり、アメリカ風に「クッキー」と呼んではいけません。
3アンザック・デーの過ごし方:夜明けの式典と「ツーアップ」
アンザック・デーの1日は、まだ暗いうちに始まります。各地の戦争記念碑の前で開かれる「ドーン・サービス(夜明けの式典)」です。昔から、上陸が始まった時刻とされる午前4時28分ごろに行われてきました。追悼の詩が読み上げられると、全員で「Lest we forget(忘れることのないように)」と唱えます。続いてラッパで「ラスト・ポスト」が吹かれ、1分間の黙とう。胸にローズマリーの小枝をつける人もいます。
明るくなると、町では退役軍人の行進があります。祖父や曾祖父の勲章を、孫やひ孫が右胸につけて歩く姿も見られます。2020年は新型コロナで行進が中止になり、人々は自宅の前の道に立って、夜明けに黙とうしました。首都キャンベラの戦争記念館の式典には、2023年に約3万人が参加しました。
午後になると、パブやクラブでは「ツーアップ」が始まります。2枚の硬貨を板にのせて空に放り投げ、表と裏の出方を当てる賭けの遊びです。第一次世界大戦の兵士たちが夢中になった遊びで、ふだんはギャンブルとして禁止されていますが、ニューサウスウェールズ州などではアンザック・デーには法律で認められています。
🎁 シンボルと小物
上陸の時刻に合わせ、まだ暗いうちに始まる追悼式。
式典で吹かれるラッパの曲。そのあと1分間の黙とうをします。
胸につける小枝。『ハムレット』にも「ローズマリーは思い出のしるし」というせりふがあります。
2枚の硬貨を投げて表裏を当てる遊び。アンザック・デーには合法になる州があります。
オートミールとゴールデンシロップのおやつ。売るときに「クッキー」と呼んではいけません。
4日本との意外なつながり:アンザックの船団を守った巡洋艦「伊吹」
1914年11月、オーストラリアとニュージーランドの兵士を乗せた船団が、西オーストラリアのアルバニーからインド洋へ出発しました。オーストラリア軍だけで、約2万人の兵士と7,500頭の馬です。この船団を護衛した軍艦の中に、日本海軍の巡洋艦「伊吹」がいました。当時の日本はイギリスと日英同盟を結び、連合国側だったからです。
途中、ドイツの軍艦エムデンが近くに現れます。オーストラリアの軍艦シドニーが戦いに向かい、船団を守るのは伊吹だけになりました。伊吹の艦長は自分も戦いに行きたいと申し出ましたが、船団のそばを離れないよう命じられたといいます。のちに第二次世界大戦で、日本とオーストラリアは敵として戦うことになります。
横浜市保土ケ谷区の英連邦戦死者墓地には、オーストラリアやニュージーランドなどの兵士1,555人が眠っています。
5アンザック・デーのよくある誤解とホントのところ
誤解1:戦争に勝ったお祝いの日
ホント:ガリポリの戦いは撤退で終わりました。アンザック・デーは勝利を祝う日ではなく、亡くなった人々を思い、戦争の重さを考える日です。
誤解2:アタテュルクの有名な追悼の言葉は本人のもの
ホント:トルコ建国の父アタテュルクが「ジョニー(連合国の兵)もメフメト(トルコの兵)も、この地で隣り合って眠る」と語ったという言葉は、両国の記念碑に刻まれています。ただし歴史家は、彼が実際にそう言った直接の証拠を見つけていません。
誤解3:オーストラリアだけの日
ホント:ニュージーランドでも大切な日で、1920年の法律で祝日になりました。2013年には、アンザック・デーが土日に重なったときに月曜日を休みにする法律もできています。トンガでも国の祝日です。
🕰️ アンザック・デーの年表
- 1914年11月オーストラリアとニュージーランドの兵士の船団がアルバニーから出発。日本の巡洋艦「伊吹」も護衛につく。
- 1915年4月25日アンザック軍団がガリポリ半島に上陸。
- 1915年12月〜1916年1月連合国軍がガリポリから撤退。
- 1916年4月25日最初のアンザック・デー。ロンドンなどで追悼の行進。
- 1927年オーストラリアのすべての州で、アンザック・デーが何らかの形で祝日になる。
- 1928年シドニーの戦没者記念碑で夜明けの献花。今に続くドーン・サービスの始まりとされる。
💡Fun Factsアンザック・デーの豆知識 6連発
上陸したボートは、予定より約2km北の入り江に着いてしまいました。そこが今の「アンザック湾」です。
The boats landed about 2 kilometers north of the plan. That place is now called Anzac Cove.
アンザックビスケットをお店で売るときは「ビスケット」と呼ぶ決まりで、「クッキー」は使えません。
In shops, Anzac biscuits must not be called cookies.
「アンザック」と「ビスケット」が並んだ、知られているいちばん古いレシピ(1916年6月の新聞)は、オートミールの入らないしょうがビスケットでした。
The oldest known Anzac biscuit recipe, from 1916, had no oats. It was a ginger biscuit.
1914年、アンザックの兵士と7,500頭の馬を運ぶ船団を、日本の巡洋艦「伊吹」が護衛しました。
In 1914, a Japanese ship helped protect the Anzac soldiers on their trip across the ocean.
式典で唱える詩「追悼の頌歌」は、1914年9月にイギリスの詩人ローレンス・ビニヨンがコーンウォールの崖の上で書いたものです。
The poem read on Anzac Day was written by Laurence Binyon in 1914.
2020年は新型コロナで行進が中止になり、多くの人が自宅の前の道に立って夜明けに追悼しました。
In 2020, many people stood in their driveways at dawn because the marches were canceled.
▶️Videos & Linksアンザック・デーの動画とリンク集
What Is ANZAC Day? ANZAC Day History & Facts For Kids, Families & Schools - BY ETRAFFICETRAFFIC
Anzac Special: The Gallipoli StoryBehind the News
