「日本語で考えることから離れよ」という主張に、「母語を捨てたら思考が浅くなる」という反論が殺到。
──だが、この論争はそもそも「すれ違い」だった可能性が高い。言語習得の科学から、その正体を解き明かします。
1何が起きたのか──「脱日本語」発言と炎上の構図
見知らぬ外国人にその母語で話しかけ、相手が驚く様子を投稿してSNS総フォロワー480万人を超えるKazu Languagesさん。操れる言語は15以上、簡単なやり取りなら60言語以上にのぼるといいます。その学習法を毎日新聞が紹介したところ、一つの言葉がX上で火種になりました。
この「脱日本語」という方針に対し、Xでは賛否が真っ二つに割れました。批判側の代表的な声はこうです。
| 「母国語による思考を放棄したら思考の水準が低下するだけでは」 → 母語軽視への警戒 |
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| 「凡人は母語をやってから外国語をやってね。文法の助けにはなるけど、単語や抽象的な概念で死ぬので、母語は必須」 → 学習効率への懸念 |
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一方、擁護側はこう反論します。
| 「その単語を頭の中で日本語に直すのをやめよう、と言ってるだけでは。超普通の学び方だと思うんですけど」 → 発言の意図を限定的に解釈 |
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| 「韓国語は日本語で、ドイツ語とロシア語は英語で学ぶと早い」 → 言語ごとに媒介を使い分ける実感 |
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面白いのは、擁護側の最後の声です。「日本語で学ぶ言語」と「英語で学ぶ言語」を使い分けている。実はこの何気ない一言に、論争を解く鍵が隠れています。
2論争の正体は「初級」と「上級」のすれ違いだった
結論から言えば、この炎上は「同じ言葉を、違う学習段階の話として受け取ったこと」から生まれたすれ違いです。「脱日本語」という言葉には、実は二つの意味が混ざっています。
批判側は「解釈A(母語を捨てる)」を思い浮かべて反論し、擁護側は「解釈B(翻訳をやめる)」を思い浮かべて擁護した。だから議論がかみ合わなかったのです。そして第二言語習得(SLA)研究の観点から見ると、どちらの立場にもきちんとした根拠があります。次のセクションから、両方の科学的裏付けを一つずつ見ていきましょう。
言語習得の議論が炎上するときの典型パターンがこれです。「どの段階の学習者を想定しているか」を揃えずに話すと、正しい者同士が延々とすれ違う。まず前提を揃えることが、生産的な議論の第一歩になります。
3「脱日本語」が正しい科学的根拠──翻訳は消えていく
まず、擁護側(=解釈B)を支える科学から。外国語を学び始めたばかりの頃、私たちは英文を読むとき無意識に頭の中で和訳しています。”I have a book” を見て「私は・持っている・本を」と組み替える、あの作業です。これを「メンタル・トランスレーション(心内翻訳)」と呼びます。重要なのは、この和訳作業が「消耗品」だということ。習熟度が上がると、翻訳という中間ステップは自然に脱落していきます。バイリンガルを対象にした研究では、学習初期に現れた翻訳の癖が数年で消え、その頃には聞いた文をそのまま自然に理解できるようになっていたと報告されています。翻訳は「卒業するもの」なのです。
| 初級 | 英語 → いったん日本語に変換 → 意味を理解 ワーキングメモリの大半を「処理」に取られ、内容を覚えておく余裕がない |
| 中級 | 英語 → 変換が薄れる → 意味を理解 処理が自動化し始め、内容を保持する余裕が生まれる |
| 上級 | 英語 → そのまま理解 翻訳ステップが消滅。母語話者に近い直接処理へ |
なぜ翻訳が消えると有利なのか。鍵はワーキングメモリ(作業記憶)です。人間が同時に処理できる情報量には限りがあります。初級者は、単語を認識して和訳して文法を組み立てる「処理」だけでメモリを使い果たし、肝心の内容を覚えておくスペースが残りません。研究でも、習熟度が上がるほど処理が自動化し、記憶や理解にまわせる余裕が増えることが確認されています。つまりKazuさんの「日本語で考えることから離れる」は、SLA的に言えば「翻訳という消耗ステップを早めに手放し、直接処理を鍛えよ」という指針。これは擁護側が言うとおり、決して奇抜な主張ではなく、むしろ王道です。
シャドーイングや多読が効くのも同じ理由です。和訳を挟まず「音のまま」「英語のまま」処理する回数を増やすことで、翻訳ステップの自動的な脱落を早められます。「脱日本語」はゴールであり、そこへ向かう訓練方針でもあるのです。
4「まずは母語」も正しい科学的根拠──心理類型論
では批判側は間違っていたのか。いいえ、こちらにも確かな根拠があります。ポイントは「スタート地点」の話をしているということ。まったくのゼロから外国語を始めるとき、意味の取っかかりになるのは、すでに持っている言語しかありません。「apple=りんご」のように、新しい単語を既知の概念に結びつけて覚える。この足場を完全に外してしまうと、初級者は「意味の空中分解」を起こします。批判側が言う「単語や抽象的な概念で死ぬ」は、まさにこの現象を指しています。ここで効いてくるのが、SLA研究の重要概念「心理類型論(psychotypology)」です。学習者は、新しい言語を学ぶとき、「自分がすでに知っている言語のうち、その言語に一番近いと感じるもの」から知識を借りてくるという研究知見があります。
Xで「韓国語は日本語で、ドイツ語とロシア語は英語で学ぶと早い」と書いた人は、無意識にこの心理類型論を実践していたのです。日本語と近い韓国語は日本語で、日本語と遠くて英語と近いドイツ語は英語で──理にかなっています。
つまり「まずは母語」派の主張は、正確には「まずは、その言語に一番近い既知の言語を足場にせよ」ということ。日本人にとって日本語が唯一の既知言語なら、当然それが足場になる。批判側の直感は、心理類型論という形できちんと裏づけられているのです。
5なぜ多言語話者は「英語で学ぶ」のか──媒介言語の戦略
Kazuさんは「英語を使って学ぶのはお勧め」「最近はフランス語で別の言語を学んでいる」と語っています。母語である日本語ではなく、あえて外国語を「学びの土台」にする。これは多言語話者に共通する高度な戦略で、SLA研究では「L3習得(第三言語習得)」という分野で盛んに研究されています。ここでの原則はシンプルです。「学びたい言語に、より近い言語を媒介にせよ」。日本語を母語とする人がスペイン語やイタリア語やドイツ語を学ぶとき、日本語からは文法も語彙もほとんど借りられません。ところが英語を経由すれば、語順の感覚も、ラテン系の語彙も、活用という概念も、すでに持っている英語の知識から大量に転用できる。日本語という「遠い足場」より、英語という「近い足場」のほうが効率がいいのです。
語順も語彙も活用も、すべてゼロから丸暗記。
「遠い足場」から毎回ジャンプする消耗戦。
語順の感覚も流用可能。
「近い足場」から小さく踏み出すだけで届く。
これが、多言語話者が意図的に「脱日本語」する本当の理由です。日本語が劣っているからではありません。学ぶ言語との距離が近い言語を足場に選ぶという、心理類型論の合理的な応用にすぎないのです。
一つ言語が増えるたびに、次の言語への「近い足場」も増えていく。多言語話者が加速度的に言語を習得できるのは、この足場のネットワークが有機的につながっていくからです。擁護側が「多言語を有機的に繋げる利点」と表現したのは、まさにこの現象を指しています。
6「思考の水準が下がる」批判は当たっているか
炎上の核心にあったのは「母語による思考を放棄したら、思考の水準が下がる」という批判でした。これは検討に値する重要な問いです。答えは──「何を『脱日本語』と呼ぶかによる」です。
抽象的で複雑な思考(哲学的な議論、緻密な論理構成、微妙なニュアンスの表現)は、最も習熟した言語で行うのが最も深くなります。多くの日本人にとって、それは今も日本語です。だから「母語での思考そのものを捨てよ」という意味なら、批判は正しい。抽象概念を扱う力は、母語の豊かさに支えられているからです。しかしKazuさんの発言を素直に読めば、彼が言っているのは「学習中の外国語を、いちいち日本語に変換せず、その言語のまま処理せよ」という限定的な話。母語で人生や仕事を考えることまで否定しているわけではありません。実際、彼は日本語で丁寧にインタビューに答え、自分の哲学を明確に言語化しています。母語の思考力は、まったく損なわれていません。
結論:「翻訳をやめる脱日本語」は思考を鍛える。「母語を捨てる脱日本語」は思考を痩せさせる。両者はまったくの別物です。批判側が守ろうとした「母語という知的基盤」の価値は本物であり、擁護側が指す「翻訳からの卒業」の効用もまた本物。二つは矛盾しません。
7あなたは今どの段階?──母語依存度セルフチェック
「脱日本語」を目指すべきかどうかは、今のあなたの段階で決まります。以下のチェックで、自分の現在地を確かめてみましょう。当てはまる項目が多いほど、まだ翻訳に頼っている段階です。
| □ | 英文を見ると、後ろから返り読みして和訳している |
| □ | 知らない単語に出会うと、まず「日本語で何?」と考える |
| □ | 読み終えても、内容より「訳すこと」に疲れている |
| □ | 英語で聞かれると、日本語で考えてから英語に直して答える |
| □ | “dog” は瞬時にわかるが “reluctant” は和訳しないとわからない |
| 4〜5個 初級 |
まだ翻訳段階。「脱日本語」を焦る必要はありません。むしろ日本語の解説で文法の土台を固めつつ、少しずつ「英語のまま」触れる量を増やす時期。 |
| 2〜3個 中級 |
翻訳が薄れ始めた移行期。ここが「脱日本語」の勝負どころ。簡単な英語は英語のまま、難しいものだけ和訳、と意識的に切り替えていきましょう。 |
| 0〜1個 上級 |
すでに直接処理ができています。Kazuさんの言う「脱日本語」を実践中。次は英語を媒介に、第三の言語へ足場を広げる段階です。 |
8段階別・今日からの実践法
論争の答えが「段階による」なら、実践も段階で変わります。自分の現在地に合った方法から始めてください。
共通するのは「今より一段だけ翻訳を減らす」という方向性です。いきなり全部を英語で、と気負う必要はありません。翻訳は少しずつ薄れ、ある日ふと「そのまま読めている」自分に気づく。それが「脱日本語」の到達点です。
まとめ──「脱」の前に「経由」がある
「母語で考えるな」も「まずは母語から」も、
どちらも正しかった。見ていた学習段階が違っただけです。
母語という土台に立ち、翻訳という足場を一段ずつ外していく。
「脱日本語」とは母語を捨てることではなく、母語から巣立つことだ。

