黒死病は私たちの遺伝子に「傷あと」を残した? 700年前の骨のDNAをめぐる大論争

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黒死病の原因となった細菌のゲノム(全遺伝情報)は、当時の犠牲者の骨から読み取られている
2011年、ロンドンの墓地に埋葬された犠牲者の歯からペスト菌のゲノムが復元された。
- 対象
- ロンドンとデンマークの人骨
- 規模
- 古代DNA抽出物206点
- 研究の種類
- 古代DNA解析・細胞実験
- 確かさ
- ★★☆☆☆
黒死病を生き延びた人に多い遺伝子の型が見つかった、と2022年に発表。だが2025年、別チームが「統計に問題があり証拠は不十分」と反論。決着はまだついていない。
ひとことで言うとペストが人の遺伝子を変えたかも、という研究と、それへの反論がある。
1346年ごろから数年のあいだに、ヨーロッパ・中東・北アフリカを襲った黒死病。ペスト菌による大流行で、地域によっては人口の30〜50%が亡くなったともいわれます。
これほどの大災害なら、生き残った人々の遺伝子にも何か跡が残っているのでは?
2022年、その「跡」を見つけたという研究が発表され、世界中で話題になりました。ところが、話はそこで終わりませんでした。
01犯人の細菌は、骨から読み取られた
まず、黒死病の原因については、古代DNA研究で大きな進展がありました。
2011年、ロンドンの黒死病の犠牲者の墓地から得たDNAで、ペスト菌(Yersinia pestis)のゲノムが復元されました。さらに2022年には、中央アジアのキルギスにある14世紀の墓地の人骨から、大流行の起点に近い系統のペスト菌が見つかり、黒死病の源が天山山脈周辺だった可能性が示されています。
02「生き延びやすい遺伝子」が見つかった?
さらに研究チームは、ペストから身を守るのに役立った型の一部が、現代では自己免疫疾患(クローン病など)のなりやすさと関係していると報告しました。
「過去のパンデミックを生き延びた代償を、今の私たちが払っているのかもしれない」――とても魅力的なストーリーです。

03どんでん返し:「その証拠は不十分」
2025年、同じ『Nature』に、米ハーバード大学やペンシルベニア大学などの研究者による反論が掲載されました。
特にERAP2については、元の研究で推定された自然選択の強さが、これまでに人類で知られている一般的な変異のどれよりも何倍も大きい値でした。反論チームは、ERAP2の変異の頻度が黒死病の前後で有意に変わったという証拠は、元のデータからは得られない、としています。元の研究チームも同じ『Nature』で「返答(Reply)」を出し、さらに元論文には訂正(Author Correction)も出されました。議論は今も続いています。
04それでも残る大きな問い
反論チームが示したのは「証拠が不十分」という点で、黒死病の間に免疫遺伝子が自然選択を受けた可能性そのものが否定されたわけではありません。問題は、「どの遺伝子が」「どれくらいの強さで」選ばれたかを、今のデータで言えるかどうかです。
古代DNAは量が少なく壊れやすいため、解析には特有の難しさがあります。答えを出すには、より多くの人骨から、より質の高いデータを集める必要があります。
05まとめ
- 黒死病の原因菌のゲノムは、犠牲者の骨から復元されている
- 2022年、黒死病の前後でERAP2などの免疫遺伝子の型が変化したと報告された
- 2025年、統計の問題を指摘する反論が出て、証拠は不十分という見方も強い
- 「パンデミックが遺伝子を変えた可能性」は残るが、決着はまだ
700年前の人々のDNAをめぐって、現代の科学者たちが真剣に議論している。それ自体が、科学という営みのいちばん健全な姿なのかもしれません。
この研究を英語で読もう原田英語の English CornerThe Black Death swept across Europe, the Middle East and North Africa from around 1346, and in some regions…
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4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く
原田英語の English Corner
この研究を英語で読もう
The Black Death was a terrible disease in the 1300s. In some places, 30 to 50 percent of people died. In 2022, scientists studied DNA from old bones in London and Denmark. They said one type of a gene called ERAP2 helped people survive.
But in 2025, another team said the evidence was not strong enough. Scientists are still discussing this question today.
63 words ・ CEFR A2
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黒死病は1300年代の恐ろしい病気でした。地域によっては、人口の30〜50%が亡くなりました。2022年、科学者たちはロンドンとデンマークの古い骨からとったDNAを調べました。彼らは、ERAP2という遺伝子のある型が、人々が生き延びる助けになったと述べました。
しかし2025年、別のチームが、その証拠は十分に強くないと言いました。科学者たちは今もこの問題について議論しています。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the passage mainly about?
黒死病が遺伝子に影響したかどうかをめぐる研究と反論が中心なので B。
Q2. What did the 2025 team say?
another team said the evidence was not strong enough とあるので A。
Q3. In this passage, "survive" means to ...
survive は「生き延びる」。病気の流行の中でも生き続けることなので C。
The Black Death swept across Europe, the Middle East and North Africa from around 1346, and in some regions it killed 30 to 50 percent of the population. Scientists have already reconstructed the genome of the plague bacteria from victims' remains.
In 2022, a team from McMaster University and the University of Chicago analyzed 206 ancient DNA samples from people buried in London and Denmark before, during and after the pandemic. They reported that a variant of the immune gene ERAP2 became more common and helped immune cells control the bacteria. However, in 2025, other researchers argued that the statistical methods had problems and the evidence was insufficient. The original team responded, and the debate continues.
116 words ・ CEFR B1
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黒死病は1346年ごろからヨーロッパ、中東、北アフリカを襲い、地域によっては人口の30〜50%の命を奪いました。科学者たちはすでに、犠牲者の遺骨からペスト菌のゲノムを復元しています。
2022年、マクマスター大学とシカゴ大学のチームは、大流行の前・最中・後にロンドンとデンマークで埋葬された人々の古代DNA試料206点を分析しました。彼らは、免疫遺伝子ERAP2のある変異型がより一般的になり、免疫細胞が細菌を抑えるのを助けたと報告しました。しかし2025年、別の研究者たちは、統計的方法に問題があり証拠は不十分だと主張しました。元のチームは返答し、議論は続いています。
4択リーディングクイズ
Q1. What did the 2022 team compare?
people buried in London and Denmark before, during and after the pandemic のDNAを分析したので D。
Q2. What did the 2025 researchers criticize?
the statistical methods had problems and the evidence was insufficient と主張したので A。
Q3. What can we infer from "the debate continues"?
反論と返答が続いている=まだ結論に合意していないと読み取れるので B。
When the Black Death arrived around 1346, it killed an estimated 30 to 50 percent of people in some regions. Ancient DNA has already named the killer. In 2011, the genome of the plague bacterium was reconstructed from victims buried in London. A harder question is whether the pandemic changed human genes.
In 2022, researchers analyzed 206 ancient DNA extracts from people buried in London and Denmark before, during and after the outbreak. Looking at immune-related regions, they reported unusually large shifts in certain variants, especially in a gene called ERAP2. In lab experiments, immune cells carrying the favored version controlled the bacterium better.
Some of these protective variants are linked today to autoimmune conditions such as Crohn's disease. In 2025, a separate group pushed back hard. They argued that the enrichment vanishes under proper statistical comparisons, that the frequency estimates contained technical errors, and that the authors had not adequately corrected for multiple testing.
They added that the implied selection on ERAP2 would be far stronger than any known for a common human variant. The original authors replied, and a correction was issued. Natural selection during the pandemic is plausible, but researchers disagree about which genes it acted on.
200 words ・ CEFR B2
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1346年ごろに黒死病がやって来ると、地域によっては推定で人口の30〜50%が命を落としました。原因となった病原体は、古代DNAによってすでに突き止められています。2011年、ロンドンに埋葬された犠牲者からペスト菌のゲノムが復元されたのです。もっと難しいのは、この大流行が人間の遺伝子を変えたかどうかという問いです。
2022年、研究者たちは、流行の前・最中・後にロンドンとデンマークで埋葬された人々から得た206点の古代DNA抽出物を分析しました。免疫に関わる領域を調べたところ、特定の変異、特にERAP2という遺伝子で異常に大きな変化があったと報告しました。実験室の実験では、有利だった型を持つ免疫細胞のほうが細菌をよく抑えました。
こうした防御的な変異の一部は、今日ではクローン病のような自己免疫疾患と関連しています。2025年、別のグループが強く反論しました。適切な統計的比較をすると偏りは消えること、頻度の推定に技術的な誤りがあったこと、多重検定の補正が十分でなかったことを主張したのです。
さらに、ERAP2に想定される選択は、人間のありふれた変異で知られているどの選択よりもはるかに強いものになると指摘しました。元の著者たちは返答し、訂正も出されました。大流行の間に自然選択が起きたことは十分ありえますが、それがどの遺伝子に働いたのかについては、研究者の意見が分かれています。
4択リーディングクイズ
Q1. Which statement best summarizes the passage?
2022年の主張と2025年の反論・返答を紹介し、未解決だとまとめているので B。
Q2. Which of the following was NOT one of the 2025 group's criticisms?
批判は統計的比較・頻度推定の誤り・多重検定補正の3点。骨の年代が違うとは述べていないので D。
Q3. Why does the author mention that the implied selection on ERAP2 would be "far stronger than any known"?
既知のどの例よりも極端に強い選択は不自然であり、反論側が強い証拠なしには信じにくいと示すための指摘。正解は C。
重要単語
- plagueC1名詞ペスト・疫病The plague spread quickly across Europe.
動詞で「悩ませる」(be plagued by ~「~に悩まされる」)も入試頻出。 - natural selectionB2名詞(句)自然選択Natural selection can change gene frequencies.
ダーウィンの進化論の中心概念。「自然淘汰」とも訳される。 - variantC1名詞(遺伝子の)変異型・バリアントOne gene variant may have helped people survive.
vary(変わる)の仲間。ウイルスの「変異株」も variant。 - pandemicB2名詞世界的大流行The Black Death was one of the deadliest pandemics.
pan-(すべて)+demos(人々)。epidemic(流行)より規模が大きい。 - autoimmune diseaseC1名詞(句)自己免疫疾患Some protective variants are linked to autoimmune diseases today.
auto-(自分)+immune(免疫の)。免疫が自分の体を攻撃してしまう病気。 - reanalysisC1名詞再解析A reanalysis questioned the original findings.
re-(再び)+analysis。複数形は reanalyses。 - insufficientB2形容詞不十分なThe evidence was insufficient to support the claim.
in-(否定)+sufficient(十分な)。insufficient evidence は論争の定番表現。
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14世紀の黒死病。2022年、当時の人骨のDNAから「生き延びやすい遺伝子の型」が見つかったと話題に。だが2025年、別チームが同じ雑誌で「証拠は不十分」と反論した。
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出典・参考文献(5件)タップで表示
- Klunk et al. (2022) Evolution of immune genes is associated with the Black Death, Naturedoi.org
- Barton et al. (2025) Insufficient evidence for natural selection associated with the Black Death, Naturedoi.org
- Vilgalys et al. (2025) Reply to: Insufficient evidence for natural selection associated with the Black Death, Naturedoi.org
- Spyrou et al. (2022) The source of the Black Death in fourteenth-century central Eurasia, Naturedoi.org
- Bos et al. (2011) A draft genome of Yersinia pestis from victims of the Black Death, Naturedoi.org
※本記事は上記の研究・公開資料をもとに、原田英語が独自の言葉で解説したものです。引用は著作権法第32条の範囲で行い、出典を明記しています。画像はすべてオリジナルのイメージです。研究結果には限界や個人差があります。誤りのご指摘は原田英語のお問い合わせフォームから。










