こんな主張をした一人のフランス人医師がいました。そして1993年、Nature誌に掲載されたモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」の研究が世界を騒然とさせます。
音の周波数と脳の関係は、英語学習にどこまで科学的に有効なのか?──最新の研究を総ざらいします。
1Nature誌を騒がせた「2台のピアノのためのソナタ K.448」──モーツァルト効果とは何か
1993年、科学雑誌Natureにわずか1ページの短報が掲載されました。カリフォルニア大学アーバイン校のフランシス・ラウシャーらによるその論文は、世界中に衝撃を与えます。
モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448」をたった10分間聴いただけで、空間推論能力がIQ換算で8〜9ポイント向上した──というのです。
Rauscher, Shaw & Ky(1993)Nature, 365, 611
この発見は「モーツァルト効果」としてメディアで爆発的に広まりました。ジョージア州知事は州予算10万5千ドルを投じて新生児全員にクラシック音楽CDを配布する政策を打ち出し、関連CDは飛ぶように売れました。
しかし、科学界の反応はもっと慎重でした。1999年のNature誌では、ハーバード大学のクリス・チャブリスが16研究のメタ分析を実施し、効果は空間推論の特定課題に限定され、当初報告より大幅に小さいことを示しました。さらに別の研究チームは、モーツァルトでなくてもシューベルトやスティーヴン・キングの朗読でも同様の効果が見られ、「楽しい」と感じる刺激なら何でも一時的な認知向上をもたらす可能性があると結論づけています。
ただし、てんかんへの効果は本物だった──2021年、ダートマス大学の研究チームがNature Scientific Reportsに発表した論文では、K.448が脳のてんかん様放電を有意に減少させることが頭蓋内脳波計で確認されました。被験者の約84%で有意な効果が見られ、しかもこの効果は他の音楽では再現できませんでした(唯一の例外がモーツァルトのピアノソナタ K.545)。楽曲のソナタ形式の構造と、128bpmの一定した16分音符リズムが脳の神経同調を引き起こしている可能性が示唆されています。
つまり「モーツァルトを聴けば頭が良くなる」は神話ですが、特定の音楽が脳に測定可能な影響を与えることは科学的事実です。この知見が、英語学習における「音」の力を考える上での出発点になります。
2「言語には固有の周波数がある」──トマティス博士の3つの法則
モーツァルト効果の何十年も前から、音と言語の関係を研究し続けた先駆者がいました。フランスの耳鼻咽喉科医、アルフレッド・A・トマティス博士(1920-2001)です。
トマティスは1950年代、パリのオペラ歌手たちを治療する中で画期的な発見をしました。
トマティスの3法則(1957年フランス科学アカデミー承認)
トマティスはさらに、フランス語話者、英語話者、ドイツ語話者など多数の母語話者の発話を収集・分析し、各言語に固有の「優勢周波数帯(パスバンド)」が存在することを発見しました。彼はこの周波数帯の違いが、外国語習得の困難さの根本原因であると主張したのです。
BBCの2019年の特集記事でも、パリの語学学校Sound Senseがトマティス・メソッドを採用し、フランス人ビジネスマンの英語発音改善に「電子耳」を使用していることが紹介されています。
3日本語と英語、周波数の”絶望的なズレ”──なぜ日本人は英語が聞き取れないのか
トマティスの理論に基づくと、日本人が英語を聞き取れない最大の理由が見えてきます。日本語の優勢周波数帯(125〜1,500 Hz)と、イギリス英語の優勢周波数帯(2,000〜12,000 Hz)は、ほとんど重なっていないのです。
母音5つ(あいうえお)が中心
子音の種類が少なく低周波
高周波の聞き分けが不得意
この「周波数のズレ」を実験的に裏付ける研究があります。日本の研究チームが実施した近赤外分光法(NIRS)を使った実験では、2,500〜10,000 Hzの高周波帯域を増幅した英語音声を聴かせたところ、日本語話者の言語処理領域(ブローカ野・BA22)の脳活動が有意に増大しました。特に効果が大きかったのは7,000〜8,500 Hzの帯域で、これはまさに日本語にはほぼ存在しない周波数帯です。
RとLの聞き分けと周波数:日本人が苦手とするRとLの区別も、周波数の問題と深く関係しています。トマティス・メソッドの研究者によると、これらの音素の境界を識別する能力は、母語環境で特定の周波数帯への感受性が失われることで低下します。新生児は全ての言語の音素を弁別できますが、成長とともに母語にない音の識別能力を失っていくのです。
では、この「閉じた耳」を再び「開く」ことは可能なのでしょうか?
4トマティス・メソッドの科学的検証──効果はあるのか?
トマティス・メソッドは世界2,000以上のセンターで実践されていますが、科学的評価はどうなのでしょうか?
✅ ポジティブな研究結果
ギルモアが225名の学習・コミュニケーション障害児を対象に行ったメタ分析(5研究統合)では、言語(効果量 d=0.41)、認知(d=0.30)、心理運動(d=0.32)、社会行動(d=0.31)の各領域で正の効果が確認されました。
またアンティオキア大学のサカリン(2013)の研究では、トマティス・メソッド第1フェーズ(15日間、1日2時間)を受けた児童群が、対照群と比較して処理速度、音韻認識、音読効率において統計的に有意な改善を示しました。
さらに複数の研究が、トマティス介入により外国語学習の所要時間が半分に短縮される可能性を示唆しています。
⚠️ 留意すべき限界
ただし、これらの研究にはいくつかの重要な限界があります。
科学的評価の現状:トマティス・メソッドの基本的な前提──「高周波音への曝露が聴覚処理能力を改善し得る」──は、神経可塑性の研究で支持されています。ただし、「言語ごとの固有周波数帯」の概念は、音声学的にはやや単純化されすぎているとする批判もあります。実際の言語音声は単一の周波数帯に収まるものではなく、基本周波数、フォルマント周波数、子音のノイズ成分など多層的な周波数構造を持っています。
5音楽が第二言語習得を加速する──57研究・3,181名のメタ分析
トマティス・メソッドの是非はさておき、「音楽が言語学習を助ける」という主張自体は、近年の大規模研究で強力に支持されています。
2024年に発表された57独立研究・3,181名を統合したメタ分析では、音楽的能力と第二言語習得の間に統計的に有意な正の相関(z = 0.33)が確認されました。この関係は、出版バイアスを考慮した後も維持されていたのです。
音楽能力 × 第二言語習得の関係(2024, PMC)
なぜ音楽が言語習得を助けるのでしょうか?パテルのOPERA仮説(2011)は、音楽訓練が言語処理を強化する5つの条件──Overlap(神経回路の重複)、Precision(音楽はより精密な処理を要求)、Emotion(情動的関与)、Repetition(反復)、Attention(注意)──を提唱しています。
さらに注目すべき研究があります。シェーンら(2008)は、歌の中に埋め込まれた人工言語の構造を、通常の発話で聴かせるよりも歌で聴かせた方が有意に速く学習できたことを示しました。音楽のメロディとリズムが、言語の音韻パターンの学習を促進する「足場(scaffold)」として機能しているのです。
ルトケら(2013)の研究では、「聴いて歌う」方式の学習が、わずか15分で外国語フレーズの逐語記憶を促進することが示されました。この効果は音楽のトレーニング歴に関係なく生じたため、特別な音楽的才能がなくても音楽を活用した言語学習の恩恵を受けられることがわかります。
6「英語耳」を鍛えるクラシック音楽セレクション
トマティス・メソッドでは、モーツァルトの楽曲が中核的に使用されます。これは偶然ではありません。モーツァルトの音楽は高周波の倍音が豊富で、明瞭な構造と予測可能な展開を持つため、脳の聴覚処理系を効率的に刺激するとされています。
ここでは、科学的知見に基づいた「英語耳トレーニング」に適したクラシック音楽をご紹介します。
聴き方のポイント:トマティス・メソッドの知見によると、高周波成分をより効果的に受け取るには骨伝導も重要です。通常のイヤホンに加え、骨伝導ヘッドホンの使用や、スピーカーの高音域を少し強調する設定も試してみてください。ただし、音量を上げすぎると聴覚を損傷するリスクがあるので注意が必要です。
7洋楽で英語耳を育てる──科学的に正しい「リスニング・トレーニング曲」15選
クラシック音楽による高周波トレーニングに加えて、英語の歌詞がある洋楽はさらに直接的な英語耳トレーニングになります。研究が示す「効果的な洋楽学習」の条件は以下の3つです。
🔰 初級者向け(ゆっくり・明瞭・シンプル)
📈 中級者向け(自然な速度・日常表現・スラング)
🔥 上級者向け(速い・詩的・複雑な表現)
研究に基づく「洋楽リスニング5ステップ」
まず歌詞を見ずに聴く(1回目)
歌詞を見ながら聴く(2〜3回目)
一緒に歌う(シャドーイング)
歌詞なしで再び聴く(確認)
数日後に同じ曲でリピート(間隔反復)
8注意!「聴くだけで英語ペラペラ」のウソとホント
ここまでの科学的知見を踏まえた上で、冷静に注意点を確認しましょう。
「クラシック音楽を聴くだけで英語が話せるようになる」
「日本語の周波数帯が狭いから、日本人は英語が不可能」
「高周波の音楽さえ聴けば全て解決」
科学が支持する「音楽×英語学習」の有効な使い方
まとめ──音を味方につけた者が、英語を制する
「英語が聞き取れない」のは才能の問題ではない。
耳の「チューニング」と、脳の「音声処理回路」の問題──
そしてそれは、科学的に再訓練可能なのです。
まずは今夜、モーツァルトのK.448を流しながら、
お気に入りの洋楽の歌詞を追ってみてください。
あなたの耳は、まだ「開かれて」いない周波数で満ちている。
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