大腸菌が3万世代かけて「できなかったこと」をやった日。進化のテープは巻き戻せるか

読む前に予想してみよう!
大腸菌の長期進化実験では、12集団すべてがほぼ同時にクエン酸を利用できるようになった
3万世代以上どの集団も獲得せず、約3万1500世代までに1集団だけが獲得した。
- 対象
- 大腸菌12集団(実験室)
- 規模
- 3万世代超/リプレイ実験で計10兆個を超える細胞を検査
- 研究の種類
- 長期進化実験+リプレイ実験+ゲノム解析
- 確かさ
- ★★★☆☆
大腸菌12集団の進化実験で、1集団だけが3万世代以上かけてクエン酸を食べる力を獲得。凍らせた祖先から進化をやり直すと“歴史の下地”が見えた。
ひとことで言うと大腸菌が何万世代もかけて新しいエサを食べられるように進化した!
論文スペック表研究デザイン・規模・結果・その後(玄人向け)
- 研究デザイン
- 長期進化実験(LTEE)+凍結サンプルからのリプレイ実験+ゲノム解析
- 対象
- 同じ祖先から分けた大腸菌12集団。ブドウ糖の少ない培地で毎日1%を植え継ぐ
- 記録の残し方
- 1988年開始。500世代ごとにサンプルを凍結保存
- 主な結果
- 約3万1500世代までに1集団だけがCit⁺(好気的クエン酸利用)を獲得
- リプレイ実験
- 祖先株約8.4兆個と初期の60クローン約9兆個からはCit⁺が出ず、後の時代のクローンほど再び進化させやすい
- 分子のしくみ
- 縦列重複により、輸送体遺伝子 citT が酸素のある環境で働くプロモーターにつながった
- 反論
- 1週間ごとに植え継ぐ条件でクエン酸を使って直接選抜すると、12〜100世代ほどでCit⁺が得られた(Van Hofwegen et al. 2016)
もくじ
もし地球の生命の歴史をビデオテープのように巻き戻して、もう一度再生したら、同じ結末になるでしょうか。
古生物学者スティーヴン・J・グールドは、1989年の著書『ワンダフル・ライフ』でこの思考実験を持ち出し、「たぶん二度と同じにはならない」と論じました。進化は、そのときどきの偶然の積み重ね(歴史的偶発性)に大きく左右される、という主張です。
ふつう、こんな問いは実験できません。でもアメリカの進化生物学者リチャード・レンスキーは、大腸菌を使って、それを本当にやってのけました。しかもその途中で、3万世代以上だれもできなかった「新しいエサの食べ方」を、たった1つの集団が身につけたのです。
01毎日1%を移すだけの、世界一しつこい実験
長期進化実験(LTEE)は1988年に始まりました。出発点は同じ祖先から分けた12の大腸菌集団。それぞれを、ブドウ糖が少ししか入っていない液体で育てます。
やることは単純です。毎日、フラスコの中身の1%を新しい培地に移す。菌は約100倍に増えて、エサを食べ尽くして止まる。翌日また1%を移す。これだけを何十年も続けています。
そしてこの実験の“秘密兵器”が冷凍庫です。500世代ごとにサンプルを凍結保存していて、凍らせた菌は解凍すれば生き返ります。つまり、いつでも過去の時点に戻って進化をやり直せる。レンスキーたちはこれを「凍結化石記録」として使いました。
ここでポイントになるのが、培地に入っているクエン酸です。濃さはブドウ糖の約12倍(ブドウ糖139μMに対してクエン酸1,700μM)もあるのに、大腸菌は酸素のある環境ではこれを使えません。目の前に食べ物が置いてあるのに、食べる道具がない状態です。
023万世代の沈黙、そして1集団だけの「事件」
12集団は、それぞれ何十億もの突然変異を試した計算になります。それでも、3万世代を超えても、クエン酸を使える菌は1つも現れませんでした。
ところが、約3万1500世代までに、1つの集団だけでCit⁺の菌が出現。この集団は、クエン酸という手つかずのエサを手に入れて集団サイズが増え、遺伝的な多様性も上がりました。
なぜこんなに遅く、なぜ1集団だけだったのか。考えられる説明は2つです。
- めったに起きない変異(または、いくつもの変異が同時に起きる必要)があった
- 変異そのものはありふれているが、それまでにその集団で起きていた変異(下地)がないと、起きない・効かない
2番目なら、それはまさにグールドの言う「歴史的偶発性」です。
03冷凍庫から祖先を起こして「リプレイ」する
ブラウント、ボーランド、レンスキーは2008年、凍結化石記録を使ってこの2つを見分けにかかりました。
つまり、その集団がたどってきた歴史があったからこそ、Cit⁺は生まれた。テープを祖先の時点まで巻き戻すと、同じ結末にはなかなか届かなかったのです。

04ゲノムが明かした「スイッチの付け替え」
2012年、同じチームはゲノム配列を読んで、何が起きたのかを詳しく調べました(Nature)。
わかったのは、Cit⁺の決め手が「新しい遺伝子」ではなく「スイッチの付け替え」だったことです。大腸菌はもともと、酸素のない環境でクエン酸を取り込む輸送体の遺伝子(citT)を持っています。ただ、酸素がある環境ではスイッチが切れていて働きません。
Cit⁺の菌では、DNAの一部が2つ並んで重複(縦列重複)し、その結果、citT が酸素のある環境で働く別のプロモーターの後ろにつながっていました。眠っていた道具が、別のスイッチにつなぎ直されて動き出したわけです。
さらにゲノムの系統をたどると、この集団の中には少なくとも3つの系統(クレード)が1万世代以上も共存していました。Cit⁺が生まれたのはそのうち1つでしたが、Cit⁺を進化させられる遺伝子型は3つの系統すべてに存在していた。下地となる変異は1つではなく、複数回起きていたと考えられます。
研究チームはこの過程を、下地づくり(ポテンシエーション)→ 実現(アクチュアライゼーション)→ 磨き上げ(リファインメント)の3段階で整理しています。最初のCit⁺はとても弱く、クエン酸をほんの少ししか使えませんでした。その後、別の輸送体(dctA)の発現を上げる変異などが加わって、ようやく本格的にクエン酸で稼げるようになったのです(2014年のクワントらの研究)。
2015年の研究では、クエン酸の代謝にかかわる酵素の遺伝子(gltA)に、Cit⁺の前と後で別々の変異が起きていたことも示されました。最初の変異は、弱いCit⁺が消えずに生き残るのを助けたらしい。ところが能力が磨かれた後は、その変異がかえって不利になり、逆向きに働く変異が次々に現れたといいます。「下地」には、遺伝子の単純な足し算ではなく、中心的な代謝の組み替えもかかわっていたのです。
05「そんなの数日でできる」という反論
ここまで読めば要点はつかめています。この先は反論・方法論・未解決の問いまで踏み込みます。
この論争で大事なのは、「偶発性」は条件つきの確率の話だという点です。どんな環境で、どんな競争相手がいて、どれだけの集団サイズで、という前提が変われば、同じ変異の「起こりにくさ」も大きく変わります。
06グールドへの答えは「半分イエス」
では、テープを巻き戻したらどうなるのか。ブラウント、レンスキー、ロソスは2018年のScienceのレビューで、微生物の実験と自然界の比較研究をまとめています。
それによると、近い系統どうしでやり直すと、進化は意外なほど同じ方向に進む。LTEEでも12集団は、増殖の速さなど全体的な性能はそろって向上しました。一方で、歴史の足あとが深くなるほど、結末は分かれやすくなる。Cit⁺はまさにその「分かれ目」の実例です。
つまりグールドの思考実験への答えは、「大筋は再現されやすいが、新しい能力のような“ジャンプ”は歴史に強く依存しうる」というあたりに落ち着きつつあります。
07まとめ
目の前にずっと置いてあったエサを、大腸菌が食べられるようになるまでに3万世代以上。しかも成功したのは12集団のうち1つだけで、その裏には2万世代までに積み重なった「下地」がありました。
凍らせた祖先からやり直すと、同じ結末にはなかなか届かない。進化のテープは、巻き戻すと少しずつ違う曲を奏でる。グールドの思考実験は、冷凍庫とフラスコによって、検証できる科学の問いに変わったのです。
この研究を英語で読もう原田英語の English CornerSince 1988, Richard Lenski's team has grown twelve populations of E.
音声
4択クイズ9問A2・B1・B2タップして開く
原田英語の English Corner
この研究を英語で読もう
In 1988, a scientist started an experiment with twelve groups of E. coli bacteria. Every day, his team moves a small part of each group into fresh food. The food has a little sugar and a lot of citrate.
E. coli usually cannot eat citrate when there is oxygen. For more than 30,000 generations, no group could do it. Then one group finally changed and could eat it. The team kept frozen samples, so they could go back in time.
80 words ・ CEFR A2
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1988年、ある科学者が大腸菌の12のグループを使った実験を始めました。研究チームは毎日、それぞれのグループの一部を新しいエサに移します。エサには少しの糖と、たくさんのクエン酸が入っています。
大腸菌はふつう、酸素があるとクエン酸を食べられません。3万世代以上、どのグループもそれができませんでした。そしてついに1つのグループが変化して、クエン酸を食べられるようになりました。チームは凍らせたサンプルを保存していたので、時間をさかのぼることができました。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the passage mainly about?
大腸菌の長い実験で、1つのグループがクエン酸を食べられるようになった話なので B。
Q2. How many groups of bacteria were in the experiment?
twelve groups of E. coli bacteria とあるので C。30,000 は世代の数なので注意。
Q3. In this passage, "frozen" means ...
frozen は freeze(凍らせる)の過去分詞で「凍らせた」。氷のように冷たく保存した、なので A。
Since 1988, Richard Lenski's team has grown twelve populations of E. coli in a liquid that contains a little glucose and plenty of citrate. Each day, one percent of every culture goes into a fresh flask, and the bacteria pass through about six or seven generations. E. coli normally cannot use citrate when oxygen is present, and for more than 30,000 generations none of the populations could.
Then, by about 31,500 generations, one population evolved this ability, and its population later grew. The team freezes samples every 500 generations, so they were able to restart evolution from earlier points in that population's past. Cells taken from later in its history were more likely to evolve citrate use again. This told the scientists that earlier mutations had prepared the way.
129 words ・ CEFR B1
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1988年以来、リチャード・レンスキーのチームは、少しのブドウ糖とたっぷりのクエン酸を含む液体で、大腸菌の12集団を育ててきた。毎日、それぞれの培養液の1%を新しいフラスコに移し、菌はその間に約6〜7世代進む。大腸菌は通常、酸素があるとクエン酸を利用できず、3万世代以上、どの集団もそれができなかった。
そして約3万1500世代までに、1つの集団がこの能力を進化させ、その後、集団は大きくなった。チームは500世代ごとにサンプルを凍結しているので、その集団の過去のさまざまな時点から進化をやり直すことができた。歴史の後の方から取った細胞ほど、クエン酸の利用を再び進化させやすかった。このことから科学者たちは、それ以前の変異が下地を整えていたと知った。
4択リーディングクイズ
Q1. What is the passage mainly about?
1集団がクエン酸を使えるようになったことと、それ以前の変異が下地だったことを述べているので C。
Q2. By about how many generations did one population evolve citrate use?
by about 31,500 generations, one population evolved this ability とあるので D。500 は凍結の間隔。
Q3. What can we infer from the replay results?
後の時代の細胞ほど再進化しやすく、earlier mutations had prepared the way とあるので、歴史に依存していたと推測できる。正解は A。
Twelve flasks and a freezer made up one of the longest experiments in biology. Starting in 1988, twelve populations of E. coli, all from a single ancestor, were grown in a medium with limited glucose and abundant citrate, a carbon source the species cannot use when oxygen is present. More than 30,000 generations passed before one population evolved aerobic citrate use.
Blount, Borland and Lenski then thawed samples from different points in its past and replayed evolution. They found no citrate users among trillions of ancestral cells, but clones from after roughly 20,000 generations were more likely to evolve the trait, which pointed to an earlier potentiating change. Genome sequencing later showed that the key step was a duplication that placed a silent citrate transporter gene under a promoter active in oxygen.
Other researchers selected E. coli directly on citrate and obtained similar mutants within about 100 generations. Their result does not end the argument, because those cultures were moved to fresh medium only once a week, not daily, so a weak citrate user had far more time to grow. The dispute is over probability under particular conditions, and a lab can measure that by replaying Gould's tape of life.
200 words ・ CEFR B2
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12本のフラスコと1台の冷凍庫が、生物学で最も長い実験の一つを形づくってきた。1988年から、たった1つの祖先に由来する大腸菌の12集団が、ブドウ糖が少なくクエン酸が豊富な培地で育てられた。クエン酸は、この種が酸素のある条件では利用できない炭素源である。3万世代以上が過ぎてから、1つの集団が好気的なクエン酸利用を進化させた。
ブラウント、ボーランド、レンスキーは、その集団の過去のさまざまな時点のサンプルを解凍し、進化をやり直させた。祖先の細胞では何兆個調べてもクエン酸を使う菌は見つからなかったが、およそ2万世代より後のクローンは、この性質をより進化させやすく、それ以前に下地となる変化があったことを示していた。その後のゲノム解読で、決め手は、眠っていたクエン酸輸送体の遺伝子を酸素下で働くプロモーターの支配下に置いた重複だとわかった。
別の研究者たちは大腸菌をクエン酸で直接選抜し、約100世代以内に似た変異体を得た。しかしこの結果で議論が終わるわけではない。その培養は毎日ではなく1週間に1度しか新しい培地に移されなかったため、弱いクエン酸利用菌には、増えるための時間がはるかに多くあったからだ。争点は特定の条件のもとでの確率であり、それはグールドの「生命のテープ」を巻き戻すことで、実験室で測ることができる。
4択リーディングクイズ
Q1. What did the replay experiments show?
clones from after roughly 20,000 generations were more likely to evolve the trait とあるので B。祖先の細胞からは見つからなかった。
Q2. According to the passage, what was the key genetic step?
a duplication that placed a silent citrate transporter gene under a promoter active in oxygen とあるので C。新しい遺伝子ではなくスイッチの付け替え。
Q3. Why does the author think the direct-selection study does not end the argument?
those cultures were moved to fresh medium only once a week, not daily ... far more time to grow と理由が書かれているので C。条件が違えば確率も変わる、というのが筆者の論点。
重要単語
- generationB1名詞世代The bacteria pass through six or seven generations a day.
generate(生み出す)の名詞形。the younger generation「若い世代」もよく出る。 - mutationB2名詞突然変異A single mutation rarely changes everything.
mutate(変異する)とセットで。ラテン語 mutare「変える」が語源で、commute や mutual と親戚。 - contingencyC1名詞偶発性、不測の事態Some scientists say evolution depends on contingency.
contingent on ~「~次第の」が入試・論文で頻出。ビジネスでは contingency plan「緊急時の計画」。 - potentiateC1動詞(効果を)強める、可能にする下地をつくるEarlier mutations potentiated the new trait.
potential(潜在的な)と同じ語根。薬理学でも「作用を増強する」の意味で使う。 - replayB1動詞・名詞再生する、やり直すThey replayed evolution from frozen samples.
re-(再び)+play。スポーツの「リプレイ」と同じ。 - thawB2動詞(凍ったものを)解凍する、溶かすThaw the sample before you use it.
発音は[θɔː]。反対は freeze。比喩で「関係が雪解けする」にも使う。 - transporterC1名詞輸送体(物質を細胞に運ぶタンパク質)The transporter carries citrate into the cell.
transport(運ぶ)+-er。trans-(向こうへ)+port(運ぶ)で、export や import と同じ仲間。
公式・一次情報をチェック
- The Long-Term Evolution Experiment(LTEE 公式サイト)the-ltee.org
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1988年から毎日続く大腸菌の進化実験。12集団のうち1つだけが、3万世代を超えて「クエン酸を食べる」新能力を獲得したらしい。凍らせた祖先から進化をやり直すと、2万世代以降の菌からしか再現されなかったとか。
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出典・参考文献(7件)タップで表示
原典ガイド:入門から読むと入りやすく、必読は議論の土台、発展はその先の論点です。
- 必読Blount, Borland & Lenski (2008) Historical contingency and the evolution of a key innovation in an experimental population of Escherichia coli, PNASdoi.orgリプレイ実験の原典。2万世代までに下地となる変異が起きていたとする根拠
- 必読Blount, Barrick, Davidson & Lenski (2012) Genomic analysis of a key innovation in an experimental Escherichia coli population, Naturedoi.orgゲノム解析。縦列重複による citT のプロモーターの付け替えと、Cit⁺の前に3つの系統が共存していた集団の歴史
- 発展Quandt et al. (2015) Fine-tuning citrate synthase flux potentiates and refines metabolic innovation in the Lenski evolution experiment, eLifedoi.org酵素遺伝子 gltA の変異が、Cit⁺の前と後で逆向きに働いたことを示した研究
- 発展Van Hofwegen, Hovde & Minnich (2016) Rapid Evolution of Citrate Utilization by Escherichia coli by Direct Selection Requires citT and dctA, Journal of Bacteriologydoi.orgクエン酸で直接選抜すればCit⁺は短期間で得られる、という反論
- 入門Blount, Lenski & Losos (2018) Contingency and determinism in evolution: Replaying life's tape, Sciencedoi.org進化の「テープの巻き戻し」をめぐる実験と野外の比較研究をまとめたレビュー
- Quandt, Deatherage, Ellington, Georgiou & Barrick (2014) Recursive genomewide recombination and sequencing reveals a key refinement step in the evolution of a metabolic innovation in Escherichia coli, PNASdoi.org
- Roth & Maisnier-Patin (2016) Reinterpreting Long-Term Evolution Experiments: Is Delayed Adaptation an Example of Historical Contingency or a Consequence of Intermittent Selection?, Journal of Bacteriologydoi.org
※本記事は上記の研究・公開資料をもとに、原田英語が独自の言葉で解説したものです。引用は著作権法第32条の範囲で行い、出典を明記しています。画像はすべてオリジナルのイメージです。研究結果には限界や個人差があります。誤りのご指摘は原田英語のお問い合わせフォームから。










