「”Otsukaresama desu” って何? “You are tired” って訳すの?
でも朝会った時にも言ってたよね? 朝から疲れてるの?」
──この一言から、「翻訳不可能な日本語」の深い沼が始まります。
1なぜ日本語には「翻訳できない言葉」が多いのか?
すべての言語には、他の言語に直訳できない表現があります。しかし日本語は、その数が圧倒的に多いことで知られています。これには明確な理由があります。
まず地理的要因。日本は何千年もの間、島国として独自の文化を発展させてきました。大陸の文化と交わりつつも、独自の感性─四季への繊細な美意識、社会的調和への深い意識─を磨き上げてきたのです。
次に宗教・哲学的要因。仏教の「無常」、神道の「万物に宿る神」、儒教の「礼」。これらが融合して生まれた概念は、キリスト教文化圏の英語では一言で表現しきれません。
そして社会構造の要因。日本語には敬語という精緻なシステムがあり、同じ「ありがとう」でも相手との関係性によって言い方が変わる。この社会的文脈が言葉に「意味の層」を積み重ねているのです。
「翻訳不可能」とは「意味がない」という意味ではありません。むしろ逆で、意味が豊かすぎて一語に収まらないのです。今回紹介する10語は、すべて日本文化の深層を映す鏡です。
2👑 第1位:お疲れ様です(Otsukaresama desu)── 最強の万能フレーズ
堂々の1位は、日本のオフィスで一日に何十回も飛び交う「お疲れ様です」。直訳すると “You are tired”(あなたは疲れています)ですが、もちろんそんな意味ではありません。
この一言が英語話者を最も混乱させるのは、使われる場面があまりにも多すぎるからです。
ある外国人社員の一日──
外国人(心の声:まだ仕事始まってないけど…もう疲れてるの?)
外国人(心の声:コピー取っただけなのに疲れてるって言われた…?)
外国人(心の声:今度は過去形!? 時制も変わるの!?)
外国人(心の声:OK、もう理解するのを諦めた。とりあえず乾杯。)
「お疲れ様です」の本質は、「疲れ」の確認ではなく、相手の存在と努力への承認です。英語にはこの「労いの文化」を一言で表す表現がないため、場面ごとにまったく異なる英語表現を使い分ける必要がある。これこそが「翻訳不可能」の典型例なのです。
3第2位〜第5位:日常に潜む「訳せない」日本語たち
「お疲れ様」だけではありません。日本人が毎日のように使う表現の中にも、英語話者を困惑させる言葉がたくさんあります。
よろしくお願いします(Yoroshiku onegaishimasu)
直訳すると “Please treat me well” だが、実際にはそんな訳では全く伝わらない。言語学者が「主語も動詞も目的語もない」と指摘するほど、構造的に翻訳不可能な表現。
| 場面 | 意味 | 英語訳の候補 |
|---|---|---|
| 初対面の自己紹介 | 仲良くしてね | Nice to meet you |
| 仕事を依頼する時 | お願いします | Please take care of it |
| メールの末尾 | 定型の締め言葉 | Best regards / Thanks in advance |
| 年始の挨拶 | 今年もよろしく | Looking forward to another great year |
| 伝言を頼む時 | 〇〇さんによろしく | Say hi to ○○ for me |
木漏れ日(Komorebi)
木々の葉の隙間から差し込む陽光のこと。英語では “sunlight filtering through the trees” と長々と説明するしかない。日本語ではたった4文字。
この言葉が世界で注目される理由は、自然現象に名前をつける日本語の繊細さを端的に表しているから。英語圏の人がこの言葉を知ると、「なぜ英語にはこの概念がないんだ!」と悔しがることが多いのです。
いただきます(Itadakimasu)
食事前に言うこの言葉、よく “Bon appétit!”(フランス語で「召し上がれ」)と訳されますが、まったくの別物です。
「美味しく召し上がれ」
→ 他者への祝福
「命をいただきます」
→ 食物・作り手への感謝
「いただく」は「受け取る」の謙譲語。つまり「あなたの命を、謹んで受け取ります」という深い意味が込められています。農家、料理人、食材そのもの──すべてへの感謝がたった5文字に凝縮されているのです。
しょうがない(Shoganai)
英語では “It can’t be helped” や “It is what it is” と訳されますが、「しょうがない」にはもっと深い哲学があります。
これは単なる諦めではなく、コントロールできないことを受け入れ、前に進む知恵。仏教の「受容」の精神が日常語に染み込んだ例です。電車が遅れた時、天候で計画が変わった時、日本人は「しょうがない」と言って切り替える。英語の “It is what it is” にはこの「受容→次への前進」というポジティブなニュアンスが含まれていません。
4第6位〜第10位:美意識・哲学を映す「訳せない」日本語
ここからは、日本人の美意識や人生哲学がそのまま言葉になった、より深い表現たちです。
侘び寂び(Wabi-sabi)
不完全さ・儚さの中に美を見出す日本の伝統的美学。ひび割れた茶碗、散りゆく桜、古びた木の質感──完璧でないからこそ美しい。
生きがい(Ikigai)
「生きる」+「甲斐(価値)」=人生を生きる理由・目的。朝ベッドから起き上がる原動力となるもの。趣味でも、仕事でも、人でも、何でもいい。
懐かしい(Natsukashii)
英語では “nostalgic” と訳されるが、決定的な違いがある。英語の nostalgia は「過去を思い出す悲しみ」を含むのに対し、「懐かしい」は温かく幸せな感情。子供時代のおもちゃを見つけた時、昔の友人と再会した時、ふと聞こえた懐かしい曲──すべてが「懐かしい!」の一言に集約される。
もったいない(Mottainai)
英語の “wasteful” は「無駄だ」という否定的な意味だけ。一方「もったいない」は、まだ価値があるのに活かされていないことへの惜しみ。物に対する敬意と、その可能性を惜しむ気持ちが込められています。
積ん読(Tsundoku)
「積む」+「読(む)」=本を買って積み上げるだけで読まないこと。世界中の本好きが「これは自分のことだ!」と共感する、愛すべき日本語。
5外国人が本当に混乱した「誤訳エピソード」集
翻訳不可能な言葉は、時に笑える(そして少し切ない)誤解を生みます。実際に起きた、あるいは頻繁に報告される混乱エピソードを紹介します。
🎌 Google翻訳に頼った悲劇
結果:“You look tired”(疲れて見えますよ)
彼は心配になって上司に “Thank you for your concern about my health, but I’m feeling fine!”(健康を心配してくれてありがとう、でも元気です!)と返信。
上司は「???」となった。
🍽️ 「いただきます」をそのまま訳した食事会
彼の説明:“I will now receive this”(これを今から受け取ります)
友人の子供:「……プレゼントじゃないよ? ご飯だよ?」
結局「It’s like saying grace, but to the food itself」(食べ物自体に向けて祈りを捧げるようなもの)という説明に落ち着いた。
🤝 「よろしく」のカオス
友人:「えーと……Nice to meet you?」
学生:「でも昨日もメールの最後に書いてたよ? もう会ってるのに?」
友人:「あー、その時は Thank you in advance かな」
学生:「じゃあ年賀状に書いてあったのは?」
友人:「それは……Let’s have a good year together? みたいな?」
学生:「……一つの言葉にいくつ意味があるの?」
友人:「しょうがない(笑)」
6言語学から見る「翻訳不可能」の正体
なぜ一部の言葉は翻訳できないのか? 言語学では、いくつかの理論的枠組みでこの現象を説明しています。
サピア=ウォーフ仮説 ── 言語が思考を形作る
言語学者のエドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフは、「使う言語が、その話者の思考・世界認識を形作る」という仮説を提唱しました。「木漏れ日」という言葉を持つ日本人は、森を歩いた時に葉の隙間から差す光を「独立した美的体験」として認識する。一方、この概念を持たない英語話者は、同じ光景を見ても「ただの木漏れ…いや、sunlight through trees」としか捉えられない──そんな違いが生まれ得るのです。
高コンテクスト文化 vs 低コンテクスト文化
文化人類学者エドワード・ホールの理論によれば、日本は世界で最も「高コンテクスト」な文化の一つ。つまり、言葉にしない部分に多くの意味が含まれる社会です。「お疲れ様です」が万能フレーズとして機能するのも、話者と聞き手が共有する「文脈」が極めて豊かだから。低コンテクスト文化(アメリカなど)では、すべてを言葉で明示する必要があるため、この「文脈依存型」の表現は翻訳しにくいのです。
オノマトペ大国・日本
日本語のオノマトペ(擬音語・擬態語)は、英語の数倍と言われています。英語で “eating” を表すオノマトペは “nom nom” くらいですが、日本語には「ぱくぱく」(普通に食べる)「ばくばく」(がっつり食べる)「がつがつ」(速く食べる)「もぐもぐ」(よく噛む)と、食べ方だけで何種類もある。この豊かさそのものが「翻訳不可能」を生み出す一因です。
豆知識:オックスフォード英語辞典(OED)に収録されている日本語由来の借用語は年々増加しています。”tsunami”、”karaoke”、”emoji” に加え、近年では “ikigai” や “wabi-sabi” も英語の辞書に載り始めています。翻訳できないなら、そのまま借りてしまえ──という英語の柔軟さも見えますね。
7逆もまた真なり──日本語に訳せない英語表現5選
公平を期すために、英語から日本語への「翻訳不可能」も見てみましょう。日本語話者が困る英語表現もたくさんあります。
翻訳不可能な言葉は「言語の欠陥」ではなく、「その文化が何を大切にしてきたか」の証拠です。日本語にオノマトペが多いのは、感覚体験を大切にする文化だから。英語に抽象概念の単語が多いのは、論理的議論を重視する文化だから。どちらが優れているのではなく、互いに補完し合う関係です。
8「翻訳不可能」を武器にする──日本文化の説明に使える英語フレーズ
これらの「訳せない日本語」を外国人に説明する時、使えるフレーズを紹介します。
🟢 概念を紹介する時の前置きフレーズ
🔵 各単語の実用的な説明テンプレート
まとめ ──「訳せない」は、文化の宝物
翻訳不可能な言葉は「言語の壁」ではありません。
むしろ、その文化が何千年もかけて磨いてきた知恵の結晶です。
言葉が訳せないからこそ、文化を深く知ろうとする。
「翻訳不可能」は、最高の異文化コミュニケーションの入口である。
