やさしい英語で多読!【音声つき】

【やさしい英文de多読!】<5>Shigeo Nagashima: The Legend of Japanese Baseball ~英文を楽しく&音声つきで読もう!~

原田英語マン
原田英語マン
このコーナーは、やさしい英文(CEFR-A2レベル~)で楽しく飽きずに多読できる仕掛けになっています。英語をたくさん読むことは、大学入試はもちろん、英語力アップに欠かせません。特に大学入学共通テストでは長文が多く出題され、速く正確に読む力が重要になります。そこで、1日3~5分で読める英語コンテンツを配信します!学校の行き帰りの短時間で、無理なく英語に触れられます。音声付きなのでリスニング力も鍛えられますよ。内容は、楽しい話題から大学入試によく出るテーマまで幅広くカバー。興味を持ちやすく、自然と英語に慣れていける仕組みです。毎日の積み重ねで、読むスピードも理解力もアップ!気軽に続けて、英語の力を伸ばしましょう!!

Shigeo Nagashima: The Legend of Japanese Baseball

Shigeo Nagashima, known as “Mr. Baseball,” passed away on June 3, 2025, at a hospital in Tokyo. He was 89 years old. He was one of the most famous baseball players in Japan. Nagashima was born in 1936 in Chiba Prefecture. He played baseball in university and was a star in the Tokyo Big6 Baseball League.

In 1958, Nagashima joined the Yomiuri Giants, a famous Japanese baseball team. In his first game, he struck out four times, but he soon became a top player. He hit many home runs and was loved by fans for his exciting play. He won many awards, such as Rookie of the Year, batting champion, and MVP.

Nagashima played with Sadaharu Oh, and together they were called the “ON duo.” They helped the Giants win nine championships in a row. After retiring, Nagashima became the manager of the Giants. He won many games as a manager, too.

Nagashima received many honors, like the People’s Honor Award and the Order of Culture. Even after he got sick, he worked hard to support baseball. Japanese people will always remember Shigeo Nagashima for his great spirit and wonderful achievements.

<音読用音声>


<Important Words>

★ legend : a very famous person admired by many
★ strike out : to fail to hit the ball three times
★ championship : a big contest to find the best team
★ manager : a person who leads a team
★ honor : something special given for great work
★ retire : to stop working after a long time
★ achievement : something important you have done

<日本語訳>

長嶋茂雄:日本野球の伝説

「ミスタープロ野球」として知られる長嶋茂雄さんが、2025年6月3日に東京都内の病院で亡くなりました。89歳でした。長嶋さんは日本で最も有名な野球選手の一人です。1936年に千葉県で生まれ、大学でも野球をし、東京六大学野球リーグでスター選手でした。

1958年、長嶋さんは有名な読売ジャイアンツに入団しました。デビュー戦では4打席連続三振でしたが、すぐにトップ選手となりました。多くのホームランを打ち、ファンから愛されました。新人王、首位打者、MVPなど多くの賞を受けました。

長嶋さんは王貞治選手と共に「ON砲」と呼ばれ、巨人の9連覇に大きく貢献しました。引退後は巨人の監督となり、監督としても多くの勝利をあげました。

長嶋さんは国民栄誉賞や文化勲章など、多くの栄誉を受けました。病気になった後も野球界を支え続けました。日本の人々は、長嶋茂雄さんの素晴らしい精神と偉大な功績をいつまでも忘れません。

【原田英語コラム】伝説の男『長嶋茂雄』がマジですごすぎる!胸が熱くなる究極の神エピソードまとめ

日本野球史上、最も愛され、最も伝説に満ちた男「ミスタープロ野球」長嶋茂雄。その魅力の秘密は、単なる成績だけじゃなく、彼のとんでもない個性とユニークすぎるエピソードにありました。

①【天覧試合でサヨナラ本塁打】
1959年6月25日、昭和天皇が観戦した初の「天覧試合」。同点のまま迎えた9回裏、打席に立った長嶋が見事サヨナラホームラン!感激のあまり興奮した長嶋さんは、ホームベースを踏まずにベンチに戻ろうとして、周囲を焦らせたという伝説まで残りました。

②【引退試合の奇跡のスピーチ】
1974年10月14日の引退試合。満員の後楽園球場で長嶋さんが残した名言、「我が巨人軍は永久に不滅です!」。実はあまりにも感情が高ぶりすぎて、元々考えていたスピーチを完全に忘れ、とっさに口から出た言葉だったという逸話があります。結果として、それが日本野球史上最も有名なセリフに。

③【天才すぎて説明が謎】
長嶋さんはバッティングを教える際に、「こう、バーンと来たら、パーンと振る」と擬音語だらけの謎の説明をしていたことで有名。「ボールがビューンと来たら、ガーンと打て!」など感覚重視の指導方法に、教えられた若手選手が混乱しまくったというユニークな逸話も。

④【天然すぎる伝説のミス】
現役時代、試合に夢中になりすぎてグラブを持たず守備位置に走って行ったり、ユニフォームの下にパジャマを着たまま試合に出たなど、信じられない天然エピソードが満載!ベンチでコーヒーを飲もうとしたら実は醤油だった…など、愛される人柄を示す逸話ばかりです。

⑤【引退直後の衝撃の特訓】
監督時代、なかなか成果を出せない選手を自宅に呼び、夜通し素振りの特訓。夜中なのに「もっとバットをビュンビュン振れ!」と叫び続け、ご近所を騒然とさせたという熱血エピソードもあります。

成績だけでは語り尽くせない数々の伝説で、日本中のファンを惹きつけた長嶋茂雄さん。「やっぱりミスターは違う!」と胸が熱くなるエピソードばかりですね!