鏡を割ると7年不幸になる理由は、古代ローマにあります
英語圏には「鏡を割ると7年間、不運が続く」という迷信があります。日本では鏡を割っても『年数』までは決まっていません。なぜ『7年』という半端な数字なのか、古代ローマ人の信じていたことにさかのぼって調べました。
In Japan
日本にも「鏡を割るのは縁起が悪い」という感覚はありますが、『何年不運が続くか』までは決まっていません。割ってしまったら気をつけよう、という程度の話で終わることがほとんどです。
In English
ところが英語圏では、"Breaking a mirror brings seven years of bad luck."(鏡を割ると7年間、不運が続く)と、年数までかなり具体的に決まっています。なぜ『7年』というピンポイントな数字なのでしょうか。
鏡は、顔ではなく『魂』を映すと考えられていた
この迷信の起源は、古代ローマまでさかのぼるとされています。当時、鏡は神々への通路と考えられており、鏡に映るものは、その人の魂や生命力が形になったものだと考えられていました(FolkloreThursday|Seven Years Bad Luck? – Reflections, Romans, and Reckless Servants)。鏡を割ることは、神とのつながりを断ち切り、魂を体から引きはがしてしまうことだと考えられていたのです(同記事)。鏡を使って未来を占う占い師もいて、占いの最中に鏡が割れたら、それは占ってもらっている人に死が迫っている印だとされていました(同記事)。
なぜ『7年』なのか、そしてガラスの鏡が広めた迷信
『7年』という長さについては、ローマ人が「人間の体は7年かけて新しく生まれ変わる」と信じていたことに由来するとみられています(同記事)。別の出典は、ローマ人は魂そのものが7年ごとに生まれ変わると信じていたと説明しています(Two Way Mirrors|Broken Mirror Superstition)。どちらにしても、体や魂が新しくなるまでに7年かかるのなら、傷つけた魂が元に戻るのにも7年かかる。そう考えると、この半端な数字の理由が見えてきます。この迷信が一般の家庭にまで広まったのは、15世紀のベネチアでガラスの鏡が作られるようになり、割れやすくて高価な鏡が身近なものになってからだと考えられています(FolkloreThursdayの記事)。その高価な鏡を、不注意な使用人に大切に扱わせるための脅し文句として、この言い伝えが使われたという見方もあります(同記事)。
この話で手に入る英語
That's seven years of bad luck!
和訳 それは7年不運が続くやつだ!
誰かが鏡やグラスを割ってしまったときに、冗談半分でからかうときの決まり文句です。本気で心配しているわけではなく、"Don't worry, I don't believe in that stuff."(大丈夫、そんなの信じてないから)と続けるのがお決まりの流れです。
She accidentally dropped the mirror and it shattered into pieces.
Some people still throw salt over their shoulder after breaking a mirror.
I know it's just superstition, but I still felt uneasy.
- ① 彼女はうっかり鏡を落として、粉々に割ってしまった。
- ② いまでも鏡を割ったあと、塩を肩越しに投げる人がいる。
- ③ ただの迷信だと分かっていても、なんだか落ち着かなかった。
出典: FolkloreThursday|Seven Years Bad Luck? – Reflections, Romans, and Reckless Servants / Two Way Mirrors|Broken Mirror Superstition - How to Avoid 7 Years of Bad Luck!
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『鏡を割ると7年不幸になる』という迷信の由来として、記事で説明されているものは?
よくある質問
なぜ鏡を割ると7年不幸になると言われるのですか?
古代ローマで、鏡は人の魂を映すものと考えられており、鏡を割ることは魂を傷つける行為とされていました。人体が7年ごとに生まれ変わるという当時の信仰と結びつき、『7年』という期間が生まれたとされています。
この迷信はいつごろ一般に広まったのですか?
15世紀のベネチアでガラスの鏡が作られるようになり、割れやすくて高価な鏡が一般の家庭にも身近なものになってから広まったと考えられています。高価な鏡を使用人に丁寧に扱わせるための脅し文句として使われた、という見方もあります。