意思決定の錯覚とは?Dan ArielyのTED英語
目の錯覚を見せたあと、話し手は「意思決定にも同じ錯覚がある」と切り返します。臓器提供の登録率が、国によって12%と、ほぼ100%に分かれる理由も語られる1本。約17分、同じ語がくり返し戻ってくるので、英語としても追いやすいです。
Are we in control of our own decisions?
私たちは、自分の意思決定を自分で制御できているのか?/Dan Ariely(行動経済学者・デューク大学教授)・2008年・約17分 字幕つきで見る ↗
なぜ、これほど届いたのか
このトークが効いているのは、目に見えるものから始めているところです。
最初の数分は、ただの目の錯覚(optical illusion)の画像です。線の長さが違って見えるのに、定規で測ると同じ。「見えていることが、必ずしも本当ではない」というこの体験を、話し手はそのまま意思決定の話に横滑りさせます。錯覚が「目」だけでなく「判断」にも起こる、という一段目の飛躍です。
そのあとに出てくるのが、臓器提供の話です。ドイツは登録率が約12%、お隣のオーストリアはほぼ全員。文化も言葉も近い2つの国で、違うのは書類のたった1行(オプトインかオプトアウトか)だけだと分かります。抽象的な話を、具体的な国名と数字で締めくくる構成です。
英語として学びやすいのは、同じ語が何度も戻ってくることです。illusion、decision、default。この3語を押さえれば、話の骨組みは追えます。
名台詞
Our intuition is really fooling us in a repeatable, predictable, consistent way, and there is almost nothing we can do about it, aside from taking a ruler and starting to measure it.
Are we Superman, or are we Homer Simpson?
We somehow forget the idea that we are limited.
和訳 私たちの直感は、何度も、予測できる形で、一貫して私たちを欺いています。定規を取り出して測ってみる以外、私たちにできることはほとんどありません。私たちはスーパーマンなのか、それともホーマー・シンプソンなのか?私たちは、自分に限界があるという考えを、いつの間にか忘れてしまいます。
ここが聞き取れない
- repeatable, predictable, consistent が三段リズム
- 3つとも似た音の終わり方(-able, -able, -ent)をしています。1つ目と2つ目が同じ高さ、3つ目だけ低く終わるリズムを意識すると、聞き取りやすくなります。
- aside from が「アサイドフロム」とつながる
- aside の d と from の fr がほとんど切れ目なく続きます。「アサイド・フロム」と2つに割って待っていると、聞き逃します。
- Homer Simpson の Homer は「ホウマー」
- カタカナの「ホーマー」ではなく、「ホウ」に近い二重母音で始まります。アメリカのアニメのキャラクター名なので、音を先に覚えてしまうと便利です。
この1本の使い方
- 冒頭2〜3分の目の錯覚の説明を、字幕なしで聞く。illusion という語が何回出てくるか数えてください。意味は取れなくて構いません。
- "Are we Superman, or are we Homer Simpson?" を、音に重ねて10回声に出す。A or B? の疑問文のリズムごと覚えてしまいます。
- 英語字幕で通しで1回見る。ドイツとオーストリアの臓器提供の数字(12%とほぼ100%)が、どちらの国のことだったかをメモしてください。
このトークが最後に伝えているのは、「人間はダメだ」という話ではありません。自分に限界があると認めたうえで、その限界に合わせて仕組みを作ればいい、という前向きな提案です。定規が目の錯覚を正してくれるように、書類の1行が意思決定の錯覚を正すこともある。まずは冒頭の2分だけ、字幕を消して聞いてみてください。
よくある質問
Dan Ariely の TED トークはどんな内容ですか?
目の錯覚の実例から始まり、それと同じような「錯覚」が、私たちの意思決定にも起きていることを示すトークです。ドイツとオーストリアで臓器提供の登録率が12%とほぼ100%に分かれる例を挙げ、違いは書類の1行(オプトインかオプトアウトか)だけだったと説明します。
Are we Superman, or are we Homer Simpson? はどういう意味ですか?
「私たちはスーパーマンなのか、それともホーマー・シンプソンなのか」という意味です。強いヒーローと、コミカルな失敗の多いキャラクターを対比させることで、人間の判断力が完璧ではないことを、説明なしに伝えている一文です。