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「38か国語を話した枢機卿」メッツォファンティ伝説を検証する
イタリアの外にほとんど出たことがないのに、何十もの言語を操ったといわれる19世紀の枢機卿がいます。170年前の伝記を読み直すと、伝説の裏から、驚くほど「ふつう」の勉強法が見えてきました。
病院のベッドのそばで始まった語学
1790年代の終わり、イタリアのボローニャ。ナポレオン戦争のさなか、町の軍病院には、ハンガリー人、スラヴ系の人々、ドイツ人、ボヘミア人の傷ついた兵士たちが運び込まれていました。
そのベッドの間を歩き回る、若い神父がいます。ジュゼッペ・メッツォファンティ。のちに百科事典で「最も偉大な多言語話者」と呼ばれる人です。
彼が語学に打ち込んだ理由は、とても切実なものでした。本人が後に語ったところでは、言葉が通じないせいで、傷ついた兵士たちの告解(ざんげ)を聞いてあげられないことが、胸が痛むほどつらかった。そこで患者たちの言葉を必死に学び、「通じる
メッツォファンティは1774年、ボローニャの貧しい大工の家に生まれました。1797年に司祭となり、ボローニャ大学で東洋の言語やギリシャ語を教え、1831年にローマへ移ります。1833年にはバチカン図書館の館長となり、1838年に枢機卿に。1849年にローマで亡くなりました。
「72」「38」「30」——数字はどこから来たのか
さて、彼はいったい何か国語を話せたのでしょう。ここで、数字が驚くほどばらばらになります。
いちばん詳しいのは、1858年に出た伝記『メッツォファンティ枢機卿伝』です。書いたのは、アイルランドのメイヌース神学校の学長だったチャールズ・ウィリアム・ラッセルです。ラッセルは集めた証言を整理して、次のように数えました。
- 外国人にはまれなほど純粋な発音・語彙・言い回しで、自在に話した言語:30
- それよりは劣るが話した言語(発音は完璧と評された):9
- ときどき会話した言語:11
- 会話を始め、決まった言い回しを交わせた言語:8
- 文法と基本語彙を学んだ言語:14
合計72言語。これに30以上の方言が加わります。一方、1913年の『カトリック百科事典』は「およそ38言語」を自在に操ったと書いています。1854年には、大英博物館のトマス・ワッツが60〜61言語ほどと見積もりました。1911年の『ブリタニカ百科事典』は50〜60言語としています。
どれも嘘ではないのでしょう。違うのは「話せる」
同時代人の辛口レビュー
もちろん、ほめ言葉はたくさん残っています。詩人バイロンは、1818年より前にボローニャで彼に会っています。知っている限りの言語の悪態で試してみたら、英語まで含めて驚かされた。そう書き残し、彼を「言語の怪物」と呼びました。
a monster of languages, the Briareus of parts of speech, a walking polyglot ——バイロン(ラッセル1858所収)
けれども、ラッセルの伝記がすぐれているのは、辛口の
1837年にドイツで旅行記を出したフレックは、バチカンで、メッツォファンティが現代ギリシャ語、ヘブライ語、ロシア語、デンマーク語と次々に話し替える場面を目撃しました。それでも、こう書いています。ドイツ語は上手だが、ラテン語はそれほどでもなく、英語はまあまあ。それどころか、どこかオウムを思わせる、とまで。
ラッセル自身も、隠さずに書いています。ハレ大学の神学教授トールックとのドイツ語の会話で、「小さな間違いが4つ」あったこと。ポーランド語で、この言語に特有の文字の発音を落とすことがあったこと。いくつかの言語では、「会話より本から身につけた」話し方だと評されたこと。
いちばん人間らしいのは、ラッセル本人とのエピソードです。メッツォファンティはラッセルに会うなり、アイルランド語で「お元気ですか」と笑いながら話しかけました。リストによってはアイルランド語も「話せる言語」に数えられています。ところがラッセルが会話を続けられないと言うと、彼はすぐに打ち明けました。もし会話が先へ進んでいたら、自分のほうが行き詰まっていただろう、と。会話を始めたり本を読み進めたりはできても、アイルランド語をきちんと学んだことはなかったのでした。挨拶ひとつで「話せる」と思われてしまう。伝説の数字は、こうしてふくらんでいったのかもしれません。
現代の目で見ると
マイケル・エラードは、並外れた語学学習者たちを追った2012年の著書『Babel No More』の中で、メッツォファンティを調べ直しました。エラード(2012)の指摘は2つです。「72」という数字には、バベルの塔で分かれた言語の数という宗教的な意味がありうること。そして、言語の専門家でない人は、相手がどれだけ上手かを見誤りやすいこと。また、残された彼の文書には、少なくとも56の言語で書かれた文章や、それらの言語について書いた文章があるそうです。
脳科学も、多言語話者に注目しています。10〜55もの言語を知る「ハイパーポリグロット」9人をふくむ、多言語話者17人の脳を調べたのが、ジュラヴレフほか(2021)です。母語を処理するとき、脳の中で言葉をあつかう部分(言語ネットワーク)の活動は、比べた人たちより小さく、
では、生まれつきの才能はどうでしょう。語学の才能(適性)について、50年分の研究をまとめたリー(2016)のたくさんの研究の結果を集めて、全体として効果があるか、どれくらい効くかを数字でまとめる分析。1本の研究より信頼しやすい。があります(66研究、学習者1万3,035人)。それによると、適性はやる気とは別物で、知能と重なりつつも区別できました。そして、全体的な語学力の高さをよく言い当てていました。ただし、語彙の
天才が明かした「ふつうすぎる」勉強法
ここからが、私たちにとっていちばん大事な話です。
トールックが新しい言語の学び方をたずねると、メッツォファンティはこう答えたといいます。自分の
ラッセルは伝記の終わり近くで、さらにはっきり書いています。枢機卿は特別な秘密を持っていたわけではない。辞書、読本、教理問答(カテキズム)、単語集を熱心に探しては使った。外国人と話す機会は逃さず、散文でも韻文(詩)でも、翻訳と作文をいつも続けていた。そして、近道を探し続ける人こそ忘れてはいけない、と。どんな方法を使ったにせよ、ふつうの
本人はいつも控えめでした。神さまが良い記憶力と鋭い耳をくれただけだと言い、自分をこう笑ったそうです。「私なんて、製本の悪い辞書にすぎませんよ」。
原田先生の結論
「38か国語」も「72言語」も、物差しによって変わる数字です(図鑑のMezzofanti流の判定も参照)。同時代の証言を見ると、彼にも間違いや苦手な言語がありました。それでも、何十もの言語で人と心を通わせた人だったことは確かでしょう。
そして、伝説のいちばん奥にあったのは、魔法ではなく、書いて
今日からできること
- 「話せる」の物差しを決める(例:英語で3分、自己紹介と質問ができる)
- 新しい単語や活用は、一度は手で書き出して、隠して思い出す(検索練習、間隔反復)
- 1日1回、短い日本語の文を英語に訳す・英語で日記を2文書く
- 英語で話したい「目の前の誰か」を具体的に思い浮かべて学ぶ
参考文献
- Russell, C. W. (1858). *The life of Cardinal Mezzofanti; with an introductory memoir of eminent linguists, ancient and modern*. London: Longman, Brown, and Co. https://archive.org/details/lifeofcardinalme00russ (軍病院での学習=pp. 153–154、バイロン=pp. 228–229、フレック=pp. 344–345、アイルランド語の挨拶=pp. 421–422、72言語の内訳と留保=pp. 470–471、学び方=pp. 475–476、「製本の悪い辞書」の自評=p. 395)
- Benigni, U. (1913). Giuseppe Mezzofanti. In *Catholic Encyclopedia*. https://en.wikisource.org/wiki/Catholic_Encyclopedia_(1913)/Giuseppe_Mezzofanti
- Mezzofanti, Giuseppe Caspar. (1911). In *Encyclopædia Britannica* (11th ed.). https://en.wikisource.org/wiki/1911_Encyclopædia_Britannica/Mezzofanti,_Giuseppe_Caspar
- Watts, T. (1854). On M. Manavit's Life of Cardinal Mezzofanti. *Transactions of the Philological Society*.(英語版Wikipedia「Giuseppe Mezzofanti」の引用で確認)
- Erard, M. (2012). *Babel No More: The Search for the World's Most Extraordinary Language Learners*. Free Press.(pp. 24, 31, 44 の記述を英語版Wikipedia「Giuseppe Mezzofanti」の引用で確認)https://en.wikipedia.org/wiki/Giuseppe_Mezzofanti
- Jouravlev, O., Mineroff, Z., Blank, I. A., & Fedorenko, E. (2021). The small and efficient language network of polyglots and hyper-polyglots. *Cerebral Cortex*, 31(1), 62–76. https://doi.org/10.1093/cercor/bhaa205
- Malik-Moraleda, S., Jouravlev, O., Taliaferro, M., Mineroff, Z., Cucu, T., Mahowald, K., Blank, I. A., & Fedorenko, E. (2024). Functional characterization of the language network of polyglots and hyperpolyglots with precision fMRI. *Cerebral Cortex*, 34(3), bhae049. https://doi.org/10.1093/cercor/bhae049
- Li, S. (2016). The construct validity of language aptitude: A meta-analysis. *Studies in Second Language Acquisition*, 38(4), 801–842. https://doi.org/10.1017/S027226311500042X
🔎この記事に出てきた学習法の判定
根拠うすい
Mezzofanti流メッツォファンティ流
「38言語以上」
根拠うすい
多言語同時学習
「複数言語を同時に学ぶと相乗効果」
研究で支持
頻出語80/20学習
「8割理解」
研究で支持
テスト効果
研究で支持
間隔反復
研究で支持
ミドルベリー夏期講座
「短期で劇的向上」