日本文学の最高峰に君臨する文豪が、実は英語の天才でもあったことをご存知ですか?
10代半ばまで英語が大の苦手だった少年が、東京帝国大学で唯一の英文科生となり、『方丈記』を英訳し、ロンドンに留学し──そして神経衰弱で「発狂した」と噂されて帰国する。
──この波乱万丈の物語の中に、現代の第二言語習得論が証明する「最強の英語学習法」が隠されていた。
1英語嫌いの少年が「帝国大学唯一の英文科生」になるまで
夏目漱石(本名・夏目金之助)は1867年、江戸の牛込に名主の家の末っ子として生まれました。しかし生後すぐに里子に出され、その後も養子に出されるなど、幼少期から波乱に満ちた人生を歩みます。
意外なことに、10代半ばまでの漱石は英語が大の苦手でした。長兄から英語を習っていたものの、教え方が合わなかったのか、英語に対する苦手意識が根強かったといいます。
転機が訪れたのは16歳。神田駿河台の成立学舎に入学してからです。
成立学舎──英語漬けの環境が少年を変えた
ほぼ全教科で首席
入学者はたった1人
『方丈記』を英訳
帝国大学英文科の教授J・M・ディクソンは、漱石の英語力に感銘を受け、日本古典文学『方丈記』の英訳を依頼します。当時24歳の漱石が手がけたこの英訳は、『方丈記』史上初の外国語訳となりました。英語嫌いだった少年が、わずか8年で日本古典を英語に訳す人材になった──これは漱石の「学習法」が並外れていたことの証明です。
2漱石が提唱した5つの英語学習メソッド
漱石は明治39年(1906年)、雑誌に「現代読書法」と題した英語学習論を発表しています。その中で彼が提唱した学習法は、現代から見ても驚くほど合理的なものでした。
漱石の英語学習メソッドを体系的に整理すると、次の5つに集約されます。
漱石の学習法を一言で表すなら「基礎→大量インプット→自然な習得」。これは現代の第二言語習得論における「インプット仮説」や「多読アプローチ」と驚くほど一致しています(詳しくはセクション6で解説)。
3「2年で原書500冊」──狂気の多読メソッド
漱石のロンドン留学時代(1900〜1902年)に実践した多読の量は、文字通り狂気的でした。
しかもこれは「楽しい読書」ではありません。意味がわからなくても、とにかく読み進める。メレディスやディケンズの長編を次から次へと読み漁り、シェイクスピアの研究に没頭する──その姿は、下宿に閉じこもって本の山に埋もれる「狂気の読書人」でした。
第二言語習得論では、英語をマスターするために必要な学習時間は約2,000〜2,200時間と推定されています。毎日3時間で約2年。漱石のロンドン留学期間とほぼ一致するのは偶然でしょうか?
4ロンドン留学769日の光と闇──天才が味わった挫折
1900年(明治33年)9月、33歳の漱石は文部省の命で英国留学に旅立ちます。しかし、この留学は彼にとって「もっとも不愉快の二年」になりました。
漱石を苦しめた要因は複合的でした。
文部省からの留学費は月15ポンド。物価の高いロンドンでは生活すらままならず、ケンブリッジやオックスフォードへの進学は学費が高すぎて断念。第一回目の報告書には「物価高、真に生活困難なり」と嘆きの声が残されています。
日本で抜群の英語力を誇った漱石でしたが、ロンドンの労働者階級が使うコックニー英語(方言)が聞き取れなかったのです。大学の講義は「払い聴く価値なし」と見限り、シェイクスピア学者クレイグの個人教授に切り替えました。読む力は圧倒的でも、生活の中の英語には苦戦する──現代の英語学習者にも通じる壁です。
やがて漱石は下宿に閉じこもり、「文学とは何か」「日本人である自分が英文学を研究する意味とは何か」という根源的な問いと格闘し始めます。文部省への報告書を白紙で提出。真っ暗な部屋で泣いている姿を大家に目撃され、留学仲間からは「夏目発狂せり」との報告が日本に届きます。
この「狂気」の期間にこそ、漱石は膨大な量の英書を読み漁り、西洋文学の本質を探究し、独自の『文学論』の土台を築いていました。帰国後の漱石が「神経衰弱と狂気に深く感謝する」と述べたのは、この苦悩の先に文学的覚醒があったからです。帰国後、友人の勧めで書き始めた『吾輩は猫である』は大ヒットし、日本文学史に残る文豪が誕生しました。
漱石のロンドンの最後の下宿(81 The Chase, Clapham Common)には、日本人として初めてブループラーク(歴史的著名人物の居住を示す青い円盤)が設置されています。苦悩の地が、歴史的記念の場になったのです。
5「I love you」を「月が綺麗ですね」──翻訳の極意
漱石にまつわる最も有名なエピソードの一つが、この翻訳にまつわる逸話です。
「日本人はそんな直球に愛を伝えることはしない。”月が綺麗ですね”とでも訳しておきなさい」
実はこのエピソード、確かな文献的根拠は見つかっていません。辞書学者の飯間浩明氏をはじめ、多くの研究者が出典を探したものの、漱石自身の著作にもこの記述は確認されていないのです。初出は1977年の雑誌エッセイとされ、「比較的新しい伝説」である可能性が高い。
しかし──この逸話が令和の現在まで語り継がれている事実こそが重要です。
二人が向かい合う
愛を直接「渡す」
二人が同じ方向を向く
共有体験の中に愛が立ち現れる
これは単なる「おしゃれな意訳」ではありません。翻訳とは何か?という根源的な問いへの回答です。言語が違えば、感情の「形」も違う。英語の “I love you” を日本語に直訳しても、日本人の心には響かない──漱石は(実話であれ伝説であれ)「言葉の表面ではなく、文化ごと翻訳する」という翻訳哲学を体現しています。
興味深いことに、漱石はロンドン留学中のノートで、”I love you” が日本にはない “formula”(定型表現)であると記しています。この概念そのものが日本文化に存在しないことへの鋭い気づきが、あの伝説的エピソードの背景にあるのかもしれません。
6漱石メソッドを現代科学が証明──第二言語習得論との一致
漱石が100年以上前に実践・提唱した学習法が、現代の言語学研究でどのように裏付けられているかを見てみましょう。
特筆すべきポイント:漱石が「難句集の機械的暗記」を否定したのは、現代のSLA(第二言語習得)研究が示す「単語リストの丸暗記は長期記憶に定着しにくい」という知見を、100年以上前に直感的に見抜いていたことを意味します。漱石は「綱渡りはできても地面の上が歩けなくては仕方がない」と、実用性の欠如を的確に批判していました。
7漱石の原書書き込み術──アクティブ・リーディングの先駆者
漱石はただ「読む」だけではありませんでした。彼の読書法の特徴として、原書の余白に直接書き込みをしながら読む習慣がありました。
現存するシェイクスピアの『ハムレット』の原書には、漱石が書き残した膨大なメモが残されています。語句の解釈、登場人物の心理分析、自分なりの考察──ただ文字を追うのではなく、テキストと「対話」しながら読んでいたことが見て取れます。
この「書きながら読む」メソッドは、現代の英語学習にもそのまま応用できます。洋書を読みながら、気になった表現をノートに書き出し、自分なりの感想や使い方のアイデアを添える。漱石がシェイクスピアに対してやっていたことを、私たちは好きな洋書で実践できるのです。
8漱石から学ぶ「今日から実践できる」英語勉強法5選
漱石の学習法を現代に落とし込むと、以下の5つの実践法にまとめることができます。
まとめ──「狂気」の先にある言語の自由
英語嫌いの少年が、帝国大学唯一の英文科生になり、
『方丈記』を英訳し、ロンドンで「発狂」し、
帰国後に日本最高の文豪になった。
「ちと極端な話のようだが之も自然の方法であるから
手当たり次第読んでいくがよかろう」
100年前の文豪が残した英語学習法は、今も色あせない。
「月が綺麗ですね」と言える感性と、500冊読む狂気。
その両方を持てた時、あなたの英語は本物になる。
