付箋は、最初の試験販売ではほとんど売れなかった
失敗から生まれたNo.001

付箋は、最初の試験販売ではほとんど売れなかった

付箋は最初、あまり売れなかった。

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この判定の対象「付箋は、失敗作から生まれた」

うなり度 読む時間11分 出典6件 確認した事実32件
もくじ
  1. 強い接着剤を目指す研究所で、小さな粒になる弱いノリが生まれた
  2. 歌の本から落ちるしおりを見て、ノリの使い道を思いついた人がいた
  3. ノリが、はがすたびに貼った先の書類へ移ってしまうので、すぐには製品にできなかった
  4. 付箋は、試しに売ったときは売れず、無料で配ってから売れるようになった
  5. 深掘り講義
  6. まとめ
  7. 英語で読む(A2・4択5問)
  8. 出典・ウラ取り

1977年、アメリカの会社3M(スリーエム)は、新しいメモ用紙を試験的に売り出しました。「プレス・アンド・ピール」という名前の、貼ってはがせるメモ用紙です。ところが、ほとんど売れませんでした。そこで2人の幹部が、小型トラック(ピックアップ)とトレーラーにサンプルを積みました。向かったのは、試験販売をしていた町の一つ、バージニア州リッチモンドです。

このメモ用紙が、のちのポスト・イット(3M社の登録商標)です。付箋の始まりは、「失敗作の弱いノリから生まれた」という話で有名です。でも、3Mが2002年にまとめた社史を読むと、ノリができてから売れるまでの12年間に、あまり知られていない出来事がいくつもあります。しかも、会社の記録の中でも、試験販売をした都市の数が食い違っています。

この記事では、まず1968年に弱いノリが生まれた研究所の話をします。次に、そのノリがメモ用紙になるまでと、売れなかったメモ用紙が売れるようになるまでを見ていきます。最後に、何度も貼ってはがせる仕組みを説明します。

01強い接着剤を目指す研究所で、小さな粒になる弱いノリが生まれた

スペンサー・シルバー(Spencer Silver)は、3Mの中央研究所で接着剤を研究していました。1968年、シルバーは変わったノリを見つけました。普通の接着剤のように膜にならず、小さな透明の粒になるノリです。この粒は、光に当たるときらきら光りました。紙にくっつくのに、引っぱると簡単にはがれ、また貼ることができました。

コロラド大学の卒業生向けの雑誌の記事によると、シルバーは後に、アメリカのニュース局CNNで当時のことをこう説明しています。自分の仕事は、新しい接着剤を作ることだった。会社が求めていたのは、より大きく、強く、丈夫な接着剤だった。そして、自分が作ったノリは、そのどれでもなかった、と。

全米発明家殿堂(アメリカの発明家をたたえる施設)の説明によると、このノリは、液体に溶かすことも、熱で溶かすこともできませんでした。そのため、テープのような普通の製品には使えなかったのです。

それでもシルバーは、このノリを捨てませんでした。3Mの社史によると、シルバーはその後の数年間、社内を回って、このノリの使い道を探しました。社内の勉強会(セミナー)でも紹介しましたが、多くの同僚はその良さが分かりませんでした。

3Mの社史には、シルバーのこんな言葉が残っています。「わたしの発見は、問題が現れるのを待っている解決策だった」。ノリという解決策は先にできていたのに、そのノリを必要とする問題が、まだ見つかっていなかったのです。

02歌の本から落ちるしおりを見て、ノリの使い道を思いついた人がいた

ノリの使い道を思いついたのは、3Mで新製品の開発をしていたアート・フライ(Art Fry)です。フライは、教会の聖歌隊で歌っていました。歌う曲のページには、紙のしおりをはさんでおきます。ところが、聖歌集(歌の本)を開いたとたん、しおりが床に落ちてしまうのです。

社史に残るフライの話によると、フライはこのとき、シルバーのノリを思い出しました。あのノリを紙に塗れば、落ちないしおりになるのではないか、と考えたのです。次の日、フライは会社でノリのサンプルを取り寄せ、紙に塗り始めました。聖歌集からはみ出す部分がべたつかないように、ノリを塗ったのは紙の端だけでした。

フライがこれを思いついた年は、資料によって少しずれます。全米発明家殿堂は1974年、ミネソタ歴史協会の百科事典(MNopedia)は1973年としています。3Mの社史は、「シルバーの発見から5年後」と書いています。この記事では「1973〜74年ごろ」としておきます。

本当に大事な発見は、その後にありました。フライは、このしおりに文字を書いて、上司へのメモとして使ってみました。すると、メモを書類に貼っておくことができ、読んだらはがせます。フライは、これはしおりではなく、メモとして使えると気づいたのです。

聖歌集から落ちるしおり。この小さな不便から、弱いノリの使い道が見つかった。
聖歌集から落ちるしおり。この小さな不便から、弱いノリの使い道が見つかった。

03ノリが、はがすたびに貼った先の書類へ移ってしまうので、すぐには製品にできなかった

使い道が決まっても、すぐには売り出せませんでした。社史によると、まず、ノリが紙の上に残らず、貼った先の書類などのほうに移ってしまう問題がありました。何度も貼ってはがすうちに、紙の側のノリがなくなっていくのです。

ほかにも、難しいことがありました。紙のようにでこぼこした材料に、ノリを同じ厚さで塗る機械がありませんでした。くっつく強さを毎回同じにするのも難しいことでした。

3Mには、勤務時間の15%までを好きな研究に使ってよいという仕組みがあります(後で説明します)。フライはこの時間を使い、およそ18か月かけて、作り方や技術の問題を解決する方法を探しました。

ノリを紙の側に残す方法を開発したのは、同僚の2人です。ヘンリー・コートニー(Henry Courtney)とロジャー・メリル(Roger Merrill)でした。2人がとった特許(1974年登録)は、後の深掘り講義で詳しく見ます。

04付箋は、試しに売ったときは売れず、無料で配ってから売れるようになった

1977年、3Mはこのメモ用紙を、4つの都市で試験的に売り出しました。名前は「プレス・アンド・ピール(Press 'n Peel)」です。宣伝のパンフレットもたくさん用意しましたが、お客さんの反応はいまひとつでした。

ここで登場するのが、最初に紹介した2人の幹部です。この商品を担当していた、ジョー・ラミー(Joe Ramey)とジェフ・ニコルソン(Geoff Nicholson)でした。社史によると、2人は売れない理由を調べるために、試験販売の町の一つリッチモンドへ向かいました。ピックアップトラックとトレーラーにサンプルを積み、町の端から端まで配って回ったのです。そして、3週間後に感想を聞きに来ると約束しました。

実際に使ってもらうと、評判はとてもよいものでした。2人に分かったのは、広告やパンフレットでは、この商品の良さが伝わらないということでした。お客さんが欲しかったのは、商品を実際に試してみる機会だったのです。

社内でも、売るための作戦が進みました。シャーリー・ソランダー(Shirley Tholander)は、後に会長になるルー・レーア(Lew Lehr)の秘書でした。ソランダーは、3Mの販売担当者に頼まれて、手紙を送りました。送り先は、アメリカの大企業100社のトップ(社長など)の秘書たちです。手紙には、サンプルが入っていました。社史によると、すぐに大企業の社長室から、どこで買えるのかという問い合わせが来るようになりました。

そして1978年、3Mの社員たちは、アイダホ州の町ボイシで、サンプルを大量に配りました。後に「ボイシ・ブリッツ(ボイシ電撃作戦)」と呼ばれる作戦です。試した人の90%以上が「買いたい」と答えました。この結果で自信をつけた3Mは、1980年に「ポスト・イット」として、アメリカ全土で発売しました。開発チームは、利益の大きい新製品をたたえる社内の賞を、1981年と1982年の2年続けて受けました。

LECTURE

深掘り講義

ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。

付箋のノリは、小さな粒の先だけでくっつくので、何度も貼ってはがせる

付箋のノリは、感圧接着剤(かんあつせっちゃくざい)の一種です。感圧接着剤とは、水や熱を使わず、軽く押しつけるだけでくっつく接着剤のことです。テープやラベルのノリも、この仲間です。

材料科学者のコスタンティーノ・クレトンの解説(2003年)によると、感圧接着剤は、柔らかくて形を変えやすい固体です。引きはがすときには、ノリが細い糸(フィブリル)のように何本も伸びるといいます。また、柔らかいので、押すだけで貼る物の表面の細かいでこぼこに入りこみ、くっつく面積を広くできるのです。

シルバーのノリが変わっていたのは、膜ではなく、粒の集まりだったことです。1972年に登録されたシルバーの特許の名前は、「アクリレート共重合体の微小球」です。共重合体とは、2種類以上の材料をつないで作ったプラスチックの仲間です。微小球は、とても小さな球という意味です。この特許によると、粒の直径は約1〜250マイクロメートル(1マイクロメートルは1000分の1ミリ)です。そのほとんどは、5〜150マイクロメートルです。

この粒には弾力があり、押しつぶされても丸い形に戻ります。特許には、はがして位置を変え、また貼れるくらいの弱い接着力を持つ、とはっきり書かれています。

レメルソン-MIT(マサチューセッツ工科大学の、発明家をたたえるプログラム)は、このノリは粒が表面に触れた所だけでくっつく、と説明しています。膜のノリは、面全体でくっつきます。一方、粒のノリは、粒の先の小さな点でしかくっつきません。くっつく力の合計が小さいので、紙を破らずにはがせます。そして、粒は弾力で丸く戻るので、次に貼るときも同じように点でくっつきます。何度も貼り直せる理由は、ノリの量ではなく、ノリの形にあったのです。

ノリが貼った先へ移る問題は、粒をはめこむ「受け皿」の層を紙の上に作って解決した

ただし、粒のノリには弱点がありました。メリルとコートニーの特許(1973年出願、1974年登録)には、こう書かれています。それまでの粒のノリは、貼った物のほうに粒が移ってしまう。そして、使ううちにくっつかなくなる、と。

2人が考えた解決法は、紙の上に下地の層(バインダー)を作り、そこに粒の一部を埋め込むことでした。特許では、この下地を、粒を一つずつ収める「受け皿」と表現しています。粒は、下地と化学的に強くくっつく必要はありません。受け皿にはまっているので、紙の側に残るのです。ノリの発見から製品ができるまでには、このような地道な発明がいくつも必要でした。

ノリを見つけた年や、試しに売った都市の数は、資料によって違う

付箋の話は、資料によって細かいところが少しずつ違います。3Mの社史やレメルソン-MITの解説は、ノリの発見を1968年としています。ところが、全米発明家殿堂のフライの紹介ページは、別の流れで書いています。1970年にシルバーがアクリル系の接着剤の改良を任され、粒のノリ(微小球)を見つけた、というのです。

シルバーが特許を出願したのは、1970年3月です。「1968年にノリを発見し、1970年に特許を出願した」と考えると、2つの資料の話はつながります。

3Mの社史の中にも、食い違いがあります。第3章では、1977年の試験販売を4つの大都市で行ったとしています。ところが第5章では、5つの都市でのテストに失敗したと書いています。

社史は、関係者の思い出話を集めて作った本です。何十年も前の記憶をもとにした記録は、このように少しずつ食い違います。だからこそ、特許のように日付が書類に残る資料と、思い出話とを分けて読む必要があるのです。

3Mには、勤務時間の15%を好きな研究に使ってよい仕組みがある

3Mの社史によると、3Mの技術者は、勤務時間の最大15%を、自分で選んだテーマに使うことが勧められています。社史の図の説明では、この時間を、1日2回のコーヒー休憩と昼休みを合わせたくらいの時間だとたとえています。

この仕組みは、リチャード・ドルー(Richard Drew)という社員の成功がきっかけで生まれたとされます。ドルーは1920年代にマスキングテープを作った人です。会社の経営者たちに反対されながらも研究を続けて、成功しました。

新しい価値を生み出すこと(イノベーション)の研究では、付箋がよく取り上げられます。技術が先にでき、その使い道が後から見つかった例としてです。シルバーが持っていた粒のノリを作る技術と、フライが感じていた「落ちないしおりが欲しい」という願いは、別々の人の頭の中にありました。2つを結びつけたのは、研究を社内の人に紹介するセミナーと、本業以外のことを試してよい15%の時間でした。

1977年には、3Mは「売上の25%を、発売から5年以内の新しい製品でかせぐ」という目標も立てています。新しい製品を生み続けることが、会社の目標として決められていたのです。

05まとめ

付箋のノリは、1968年に、強い接着剤を求める研究所で生まれた「弱いノリ」でした。フライが聖歌集のしおりで使い道を思いつくまで、約5年かかりました。ノリが貼った先へ移る問題を解決しても、1977年の試験販売では売れませんでした。

流れを変えたのは、3つの作戦でした。幹部2人がトラックで配ったサンプル、後に会長になる人の秘書が大企業100社に送った手紙、そしてボイシでの大量配布です。

付箋のノリが弱いのは、0.005〜0.15ミリほどの弾力のある粒が、点でだけくっつく仕組みだからです。次に付箋をはがすとき、裏側を光にかざしてみてください。シルバーが「光できらきらした」と語った粒の集まりが、そこに塗られています。

人に話すなら、こう言おう

付箋って、最初の試験販売では売れなかったんだって。幹部2人がトラックに試供品を積んで町じゅうで配ったら評判に。のちの会長の秘書も、大企業100社のトップの秘書に試供品を送ったらしいよ。
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英語で読む

The Notes Nobody Bought

CEFR A2230 words4択 5問全訳つき
0:00

英文をタップすると、その文の訳が出ます。

In 1977, a company called 3M tried to sell a new kind of note paper in four cities.1977年、3Mという会社が、新しい種類のメモ用紙を4つの都市で売り出してみました。 The notes had weak glue on the back, so they came off easily.メモの裏には弱いのりがついていて、簡単にはがせました。 But not many people bought them.ところが、買う人はあまりいませんでした。

In 1968, a scientist named Spencer Silver made the glue at 3M.1968年、スペンサー・シルバーという科学者が、3Mでそののりを作りました。 His company wanted strong glue, but his glue was weak.会社が求めていたのは強いのりでしたが、彼ののりは弱いものでした。 For about five years, nobody knew what to do with it.5年ほどの間、誰もそののりの使い道がわかりませんでした。 Then his coworker Art Fry had an idea in church.そんなとき、同僚のアート・フライが教会で思いつきました。 His paper bookmarks kept falling out of his song book.彼の紙のしおりは、いつも歌の本から落ちてしまっていたのです。

Two managers drove a pickup truck full of free samples to one of the test cities, Richmond, Virginia.2人の管理職が、無料の見本を積んだトラックで、試験販売の町の一つ、バージニア州リッチモンドへ向かいました。 They gave the notes to people all over town.2人は町じゅうの人にメモを配りました。 When people used the notes, they loved them.使ってみた人たちは、メモをとても気に入りました。 Advertising was not enough. People needed to try the product.広告だけでは足りなかったのです。人々は実際に使ってみる必要がありました。

In 1978, 3M gave away samples in Boise, Idaho.1978年、3Mはアイダホ州ボイシで見本を配りました。 More than 90 percent of the people who tried the notes said they would buy them.メモを試した人の90パーセント以上が「買いたい」と答えました。 A 3M leader's secretary also sent samples to secretaries at 100 big companies.3Mの幹部の秘書も、大企業100社の秘書たちに見本を送りました。 In 1980, the notes went on sale across the United States as Post-it Notes.1980年、メモは「ポスト・イット」としてアメリカ全土で発売されました。

The secret of the glue is very small balls called microspheres.のりの秘密は、微小球と呼ばれるとても小さな玉にあります。 Each ball touches the paper at only one tiny point, so the note comes off easily.玉の一つ一つは小さな点でしか紙に触れないので、メモは簡単にはがれます。 And in 2000, the yellow color of the notes became a trademark in the United States.そして2000年、メモの黄色い色はアメリカで商標になりました。

4択問題 Reading Quiz

  1. Q1What is this story mainly about?

    この話は主に何についてのものですか。

  2. Q2When did the notes go on sale across the United States?

    メモがアメリカ全土で発売されたのはいつですか。

  3. Q3Why did the two managers go to Richmond?

    2人の管理職はなぜリッチモンドへ行ったのですか。

  4. Q4In paragraph 3, the word "Advertising" is closest in meaning to

    第3段落の "Advertising" に最も意味が近いのはどれですか。

  5. Q5Which is true about the glue?

    のりについて正しいものはどれですか。

重要語 Key Words(タップで裏返る)

  • glue名詞
    接着剤、のり

    I fixed the broken cup with glue.

    割れたカップを接着剤で直した。

    💡 動詞にもなる。glue A to B で「AをBに貼りつける」。

  • scientist名詞
    科学者

    She wants to be a scientist in the future.

    彼女は将来、科学者になりたい。

    💡 science(科学)+ -ist(〜する人)。pianist, artist と同じ作り。

  • coworker名詞
    同僚、仕事仲間

    My coworker helped me with the report.

    同僚がレポートを手伝ってくれた。

    💡 co-(いっしょに)+ worker(働く人)。colleague もほぼ同じ意味。

  • bookmark名詞
    しおり

    I put a bookmark on page 50.

    50ページにしおりをはさんだ。

    💡 ネットの「ブックマーク(お気に入り登録)」も同じ語。

  • sample名詞
    見本、試供品

    The shop gave me a free sample of the tea.

    その店はお茶の試供品を無料でくれた。

    💡 free sample(無料サンプル)の形でよく使う。

  • advertising名詞
    広告、宣伝

    The company spends a lot of money on advertising.

    その会社は広告に多くのお金を使う。

    💡 動詞 advertise(宣伝する)、名詞 advertisement(1つ1つの広告、略して ad)。

  • microsphere名詞
    微小球(とても小さな玉)

    A microsphere is too small to see with your eyes.

    微小球は小さすぎて目では見えない。

    💡 micro-(とても小さい)+ sphere(球)。microphone, microscope の micro と同じ。

  • trademark名詞
    商標

    That red logo is a famous trademark.

    あの赤いロゴは有名な商標だ。

    💡 trade(商売)+ mark(しるし)。® や ™ のマークで示される。

SOURCES出典・ウラ取り

この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 32件)。

  1. 3M (2002) A Century of Innovation: The 3M Story(3M公式の社史PDF)multimedia.3m.com
  2. Art Fry & Spencer Silver(Lemelson-MIT Program, MIT)lemelson.mit.edu
  3. Arthur L. Fry(National Inventors Hall of Fame)invent.org
  4. Silver, S. F. US Patent 3,691,140 "Acrylate copolymer microspheres"(1972)patents.google.com
  5. Merrill, R. F. & Courtney, H. R. US Patent 3,857,731 "Acrylate microsphere-surfaced sheet material"(1974)patents.google.com
  6. Creton, C. (2003) Pressure-Sensitive Adhesives: An Introductory Course, MRS Bulletin 28(6)doi.org

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