
578年創業とされる金剛組は、2006年に新しい会社として出直していた
「世界最古の会社」金剛組は、2006年に再出発していた。
この判定の対象「金剛組は、578年から続く会社だ」
もくじ
大阪市に「四天王寺」という町があります。名前のとおり、古いお寺の四天王寺がある町です。その町に、金剛組という建設会社の本社があります。寺や神社を建てる大工、宮大工の会社です。
金剛組のホームページの題には、「西暦578年創業 世界最古の企業」と書かれています。ところが、同じホームページの会社概要を見ると、年が2つ並んでいます。「創業」は578年。そして「会社設立」は2006年1月です。
1400年以上続いているという会社が、なぜ2006年に「設立」されたのでしょうか。この記事では、まず578年の始まりの話が、どんな記録とつながるのかを見ます。次に、金剛組の沿革で、金剛家の人の名前がはっきりした年と一緒に出てくる時代をたどります。最後に、2006年に何が起きたのかを、親会社が国に出した書類で確かめます。
01金剛組のホームページは「聖徳太子が百済から招いた3人の大工」から始まる
金剛組のホームページには、会社の歴史をまとめた「沿革」のページがあります。その書き出しは、こうです。聖徳太子の命令で、百済から3人の工匠(腕のよい職人)が日本に招かれた。百済とは、朝鮮半島にあった国です。3人のうちの1人が、金剛組の初代の金剛重光だといいます。
沿革によると、職人たちは、四天王寺を建てる仕事に加わりました。沿革は、四天王寺のことを「日本最初の官寺」、つまり国が建てた最初の寺だと説明しています。重光は、寺ができたあともこの土地に残って、寺を守り続けた、と書かれています。会社概要の「創業」のらんには、「敏達天皇7年(西暦578年)」とあります。
四天王寺のホームページによると、このお寺が建てられたのは593年です。578年は、それより15年前です。また、同じホームページの説明では、聖徳太子が生まれたのは574年です。578年の太子は、まだ4歳ほどの子どもだったことになります。
では、この始まりの話は、何という記録に書かれているのでしょうか。金剛組の沿革のページには、もとになった記録の名前は書かれていません。
02『日本書紀』の577年の記事には、寺を建てる職人が1人出てくるが、名前はない
このころのことが書かれた記録に、国の歴史の本『日本書紀』があります。できあがったのは720年です。577年から数えると、140年以上もあとにできた本です。
『日本書紀』には、敏達天皇6年、つまり577年の11月に、こんな記事があります。百済の王が、百済から日本へ帰っていく使い(大別王たち)にたのんで、お経の本と6人の人を送ってきた。6人の内わけは、僧が2人、尼が1人、まじないの言葉をとなえる人が1人、仏像を作る職人が1人、寺を建てる職人が1人です。記事の最後には、難波という土地にある「大別王の寺」の名前が出てきます。
寺を建てる職人は、1人だけです。名前も書かれていません。それに、この記事で職人を送ったのは、百済の王です。聖徳太子が招いたとは、この記事には書かれていません。
『日本書紀』には、別の年の記事もあります。588年の記事です。このときも、百済から僧や職人がやって来ました。寺の大工が2人、焼き物の職人が4人、絵をかく人が1人などです。こちらには、寺の大工2人の名前も書かれています。でも、どちらも「金剛」という名前ではありません。この職人たちが来たあと、蘇我馬子が、法興寺という寺を建て始めました。
そして593年。『日本書紀』は、難波で四天王寺を建て始めたと書いています。577年の記事に出てくる「大別王の寺」と同じ、難波の土地です。ただし、577年に来た職人が四天王寺を建てたとは、『日本書紀』には書かれていません。
03金剛組の沿革で、金剛の名前が入った最初の物は、1597年に建て直された塔の銅の板
金剛組の沿革のページには、昔の物の写真がいくつかのっています。沿革の文章の中で、「金剛」の名前が刻まれた物として最初に出てくるのは、1597年に建て直された塔の銅の板です。
1576年、四天王寺は、石山合戦という戦いに巻きこまれました。まわりの小さな寺も含めて、寺の建物はすべて焼けてしまいます。1597年、豊臣秀吉が、四天王寺に属する小さな寺、勝鬘院(愛染堂)の多宝塔という塔を建て直しました。この塔には、雷よけの銅の板があります。その板に、「総棟梁金剛匠」という文字が残っているのです。棟梁とは、大工のかしらのことです。この多宝塔は、国の重要文化財になっています。

そのあとの沿革には、金剛家のあるじ(当主)の名前が出てきます。大坂冬の陣の戦いで焼けた四天王寺を、江戸幕府が建て直しました。このとき、25代目の是則が、寺の建て直しを命じられたといいます。
1801年には、雷で四天王寺の五重塔が燃えました。火は、寺の中の大部分に広がりました。建て直しに力をつくしたのは、32代目の喜定です。喜定は、あとを継ぐ人に向けて、遺言書を残しました。そこには、仕事をするときの心がまえが16個書かれています。たとえば、本を読むことと、そろばんを練習すること。うそのない見積もりを出すこと。弟子など目下の人には、おだやかな言葉で接すること、などです。
04明治に入ると、四天王寺から毎年もらっていた給料がなくなった
江戸時代まで、金剛家は、四天王寺の「お抱え」の宮大工でした。つまり、四天王寺がやとっている宮大工だったのです。毎年、決まった禄(給料にあたるもの)を、寺からもらっていたのです。
1868年、明治の新しい政府が、神仏分離令を出しました。神社と寺を分けなさい、という命令です。その影響で、四天王寺は寺の土地を失いました。そして、金剛家への禄もなくなりました。金剛組はこのあと、ほかの寺や神社の仕事も受けるようになります。
昭和に入っても、苦しい時代が続きました。1932年に37代目の当主が亡くなり、妻のよしえが38代目を継ぎます。沿革によると、歴代で初めての女性の棟梁です。1934年9月21日には、室戸台風で四天王寺の五重塔が倒れました。金剛組は、その建て直しを命じられます。五重塔は、1940年に建て直されました。
戦争中は、寺の仕事がぱったりとなくなりました。金剛組は、軍が使う木の箱を作って、なんとか会社を続けたといいます。そして1955年に、株式会社金剛組ができました。39代目の利隆は、経営のやり方を新しくして、ふつうの建物の工事も引き受けるようになりました。
052006年、別の建設会社が作った新しい金剛組が、仕事と職人を引き継いだ
金剛組の沿革によると、2006年、金剛組は髙松建設という会社からお金を出してもらいました。そして「新生 金剛組」として、もう一度スタートしました。沿革には、昔からの技術も、社員や宮大工も、すべて引き継いだと書かれています。
髙松建設の側の記録も見てみましょう。このグループのまとめ役の会社は、株が市場で売り買いされている会社です。そういう会社は、毎年、国に「有価証券報告書」という書類を出しています。会社の歴史や、子会社の一覧がのった書類です。
その書類の歴史のらんには、次の2行があります。2005年11月、子会社として「株式会社金剛組」を作った。2006年1月、それまでの金剛組(旧金剛組)から、寺や神社を建てる仕事をすべてゆずり受けて、新しい金剛組としてスタートした。
2008年10月、髙松建設の側は、グループの会社をまとめる親会社の形に変わりました。名前も「髙松コンストラクショングループ」になりました。2026年に出された報告書を見ると、今の金剛組は、このグループの子会社です。会社の大事なことを決める投票の権利(議決権)の100%を、グループが持っています。
深掘り講義
ここから先は、もう一段深く。しくみ・史料・論争まで踏み込みます。
「創業の年」と「会社ができた年」は、別のものを数えている
会社の年を数える方法は、2つあります。1つは、その仕事が始まった年から数える方法です。これが「創業」です。もう1つは、法律の上で会社という形ができた年から数える方法です。これが「設立」です。
金剛組の会社概要は、この2つを両方書いています。創業は578年、会社設立は2006年1月です。髙松建設の側の報告書では、子会社の金剛組の設立は2005年11月となっています。会社という形ができたのが2005年11月で、旧金剛組から仕事を引き継いで動き出したのが2006年1月、という書き方です。
ここで使われているのが、「事業をゆずり受ける」という方法です。法律の言葉では「事業譲渡」といいます。ある会社が、自分の仕事のまとまりを、ほかの会社に移すことです。仕事と一緒に、働く人や道具も移せます。金剛組の場合、髙松建設が作った新しい会社が、旧金剛組から寺や神社を建てる仕事を全部受け取りました。
つまり、「宮大工の仕事と職人」は続いています。でも、法律の上の会社は、2005年から2006年にかけて新しくなりました。「世界最古の会社」というときに、どちらを数えているのかで、答えが変わるのです。
『日本書紀』も、577年の出来事より140年以上あとにできた本
歴史を調べる人は、まず「その記録は、出来事と同じ時代に書かれたものか」を確かめます。
577年に百済から職人が来たことを書いた『日本書紀』は、720年に完成しました。出来事から140年以上たっています。つまり、『日本書紀』でさえ、577年と同じ時代に書かれた記録ではありません。
そのうえで、金剛組の「578年・3人・金剛重光」という話は、『日本書紀』の577年の記事とは、年・人数・招いた人が合いません。金剛重光という名前も、『日本書紀』には出てきません。だからといって、作り話だと決めることもできません。『日本書紀』に書かれなかった家の話が、別の形で伝わった可能性もあるからです。歴史の記事では、こういうとき「記録にあること」と「会社や家に伝わる話」を分けて書きます。
金剛組の歴史は、四天王寺の歴史とほとんど重なっている
金剛組の沿革を読むと、会社の歴史は、ほとんど四天王寺の歴史と重なっています。四天王寺は、戦いや雷や台風で何度も焼けたり倒れたりしました。そのたびに、建て直しの仕事が生まれました。
江戸時代まで、金剛家は四天王寺から毎年決まった禄を受け取っていました。ところが、明治の神仏分離令でその禄がなくなると、金剛組はほかの寺や神社の仕事も受けるようになりました。
戦争のあとには、鉄筋コンクリートで寺や神社を建てる方法も取り入れました。1955年には株式会社になり、ふつうの建物も手がけました。そして2006年には、別の会社のグループに入りました。長く続いた会社は、同じ形のままで続いたのではありません。時代に合わせて、何度も形を変えてきたのです。
06まとめ
金剛組の「578年に百済から招かれた3人の工匠が始まり」という話は、会社に伝わる話です。720年にできた『日本書紀』には、577年に寺を建てる職人が1人来たとありますが、名前はありません。
金剛組の沿革の文章で、「金剛」の名前が刻まれた物として最初に出てくるのは、1597年に建て直された多宝塔の銅の板です。そして今の株式会社金剛組は、2005年に髙松建設が作った子会社です。2006年1月に、旧金剛組から寺や神社を建てる仕事をすべて引き継ぎました。会社概要の「創業578年」と「会社設立2006年」は、別々のものを数えています。578年は会社に伝わる話にもとづく仕事の始まりの年で、2006年は、今の会社が旧金剛組の仕事を引き継いで動き出した年です。
人に話すなら、こう言おう
「世界最古の会社」っていわれる金剛組、578年創業なんだって。でも今の会社は、2006年に別の建設会社の子会社として再出発したもの。日本書紀の577年の記事の寺の職人も、名前は書かれてないんだよ。
英語で読む
A Very Old Company with a New Start
英文をタップすると、その文の訳が出ます。
Kongo Gumi is a building company in Osaka, Japan.金剛組は、日本の大阪にある建設会社です。 It builds temples and shrines.寺や神社を建てています。 On its website, the company says it started in the year 578.ホームページで、この会社は578年に始まったと書いています。 It calls itself the oldest company in the world.自分のことを、世界でいちばん古い会社と呼んでいます。 But the same website gives a second year, 2006.でも同じホームページには、2006年という2つ目の年も書かれています。
The company tells a story about its beginning.この会社には、始まりについての話が伝わっています。 In this story, Prince Shotoku invited three builders from Baekje, a country on the Korean Peninsula.その話では、聖徳太子が、朝鮮半島にあった国、百済から3人の職人を招いたといいます。 One of them, Kongo Shigemitsu, was the first leader of the company.そのうちの1人、金剛重光が、会社の初代だといいます。 The builders helped to build a famous temple called Shitennoji.職人たちは、四天王寺という有名な寺を建てるのを手伝いました。
But what do old records say?では、古い記録には何と書かれているのでしょうか。 The Nihon Shoki is a history book that was finished in 720.『日本書紀』は、720年にできあがった歴史の本です。 It says that in 577, the king of Baekje sent six people to Japan.その本には、577年に百済の王が6人の人を日本に送ったと書かれています。 Only one of them was a temple builder.そのうち、寺を建てる職人は1人だけでした。 The book does not give his name.本には、その人の名前は書かれていません。
On the company's history page, the first old object with the Kongo name is from much later.会社の沿革のページで、金剛という名前が入った古い物が初めて出てくるのは、ずっとあとの時代です。 In 1597, a pagoda, a tall temple tower, was rebuilt in Osaka.1597年、大阪で多宝塔という寺の高い塔が建て直されました。 A copper plate on the pagoda has the name Kongo on it.その塔の銅の板に、金剛という名前があります。
In 2005, another building company, Takamatsu, made a new company called Kongo Gumi.2005年、髙松建設という別の建設会社が、金剛組という新しい会社を作りました。 In January 2006, the new company took over all of the old company's temple work.2006年1月、その新しい会社が、古い会社の寺の仕事をすべて引き継ぎました。 The workers and the temple builders moved to the new company, too.社員や宮大工も、新しい会社に移りました。 So the work is very old, but the company itself is quite new.つまり、仕事はとても古いけれど、会社そのものはかなり新しいのです。
4択問題 Reading Quiz
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Q1What is this story mainly about?
この話は主に何についてのものですか。
正解:B The old story and the new start of a building company
第1段落で会社の2つの年、第2〜4段落で始まりの話と記録、第5段落で2006年の新しい会社を述べているので正解はB。Cの聖徳太子は第2段落に少し出てくるだけ。
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Q2According to the Nihon Shoki, how many temple builders came from Baekje in 577?
『日本書紀』によると、577年に百済から来た寺を建てる職人は何人ですか。
正解:A One
第3段落4文目に「Only one of them was a temple builder.」とあるので正解はA。Dの6人は送られてきた人の合計、Cの3人は会社に伝わる話の人数。
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Q3What happened in January 2006?
2006年1月に何が起きましたか。
正解:D A new company took over the old company's temple work.
第5段落2文目に、2006年1月に新しい会社が古い会社の寺の仕事をすべて引き継いだとあるので正解はD。Cの『日本書紀』ができたのは720年(第3段落)。
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Q4In paragraph 5, the words "took over" are closest in meaning to
第5段落の "took over" に最も意味が近いのはどれですか。
正解:C became in charge of
古い会社の仕事を新しい会社が引き継いだ、という文なので「受け持つようになった」のCが正解。AやBでは、社員も移ったという次の文とつながらない。
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Q5Which is true about Kongo Gumi?
金剛組について正しいのはどれですか。
正解:A Its website shows two different years.
第1段落で、578年と2006年の2つの年がホームページにあると述べているので正解はA。Bは第3段落で名前は書かれていないとあり、Cの銅の板は1597年(第4段落)。
重要語 Key Words(タップで裏返る)
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shrine名詞神社
We visited a shrine on New Year's Day.
私たちは元日に神社にお参りした。
💡 temple(寺)とセットで覚える。日本の文化を英語で説明するときによく使う。
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invite動詞招く、招待する
She invited me to her birthday party.
彼女は私を誕生日パーティーに招いてくれた。
💡 invite A to B で「AをBに招く」。名詞は invitation(招待)。
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peninsula名詞半島
The town is at the end of a small peninsula.
その町は小さな半島の先にある。
💡 ラテン語の「ほとんど(paene)+島(insula)」から。the Korean Peninsula=朝鮮半島。
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record名詞記録
The school keeps a record of every student.
その学校は生徒一人ひとりの記録を残している。
💡 動詞では「記録する」で、アクセントが後ろ(re-CORD)に移る。
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history book名詞歴史の本
My history book has many old maps.
私の歴史の本には古い地図がたくさんのっている。
💡 history(歴史)+book。historic(歴史的に重要な)と historical(歴史の)の違いにも注意。
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pagoda名詞(寺の)塔
The old pagoda has five roofs.
その古い塔には屋根が5つある。
💡 寺の五重塔や多宝塔などを英語で言うときの語。five-story pagoda=五重塔。
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copper名詞銅
This old coin is made of copper.
この古い硬貨は銅でできている。
💡 さびると緑色になる。copper plate=銅の板。
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take over動詞句引き継ぐ、受け持つ
My sister will take over the shop next year.
姉が来年その店を引き継ぐ予定だ。
💡 take over A で「Aを引き継ぐ」。会社の買収の意味でも使う。
SOURCES出典・ウラ取り
この記事の事実は、次の資料を実際に開いて確認しています(確認した事実 31件)。
- 金剛組について 沿革(株式会社金剛組)kongogumi.co.jp
- 会社概要(株式会社金剛組)kongogumi.co.jp
- 株式会社髙松コンストラクショングループ 有価証券報告書 第61期(EDINET, 2026)disclosure2dl.edinet-fsa.go.jp
- 四天王寺の歴史(和宗総本山 四天王寺)shitennoji.or.jp
- Aston, W. G. (1896) Nihongi: Chronicles of Japan from the Earliest Times to A.D. 697, Vol. 2archive.org
- 黒田達也「『崇仏論争』についての一試論:物部氏の役割をめぐって」(大阪府立工業高等専門学校 研究紀要, 1981)omu.repo.nii.ac.jp
公式ページで見てみよう
- 愛染堂勝鬘院(1597年再建の多宝塔がある寺)aizendo.com
文章はすべて資料をもとに独自の言葉で書いています。画像はオリジナルのイメージです。誤りにお気づきの方は訂正窓口へ。
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No.016ウソFALSEナポレオンの身長は約169cmで、当時のフランス人の平均より高かった
「背の低いナポレオン」は、イギリス発のイメージ。
No.017ウソFALSE「パンがなければお菓子を」は、マリー・アントワネットの言葉ではなかった
いちばん古い記録は、ルソーの自伝にある。
No.018グレーGRAYガリレオがピサの斜塔で球を落とした実験は、本当にあったのか
斜塔の実験は、約60年後の記録にしか出てこない。
No.070ホントTRUE開かないびんのふたは、お湯で温めると開けやすくなる
ふたが広がるのは、0.04mmほど。
No.034「ロボット」という言葉を考えたのは、作家の兄だった
ロボットの元は、チェコ語の「強制労働」。
No.106ウソFALSE「ありがとう」はポルトガル語のオブリガードから来た、はウソ
日本語の「ありがたい」のほうが古い。